大好きな人 Sideルナ
ルナ視点のお話。
少し長いです。
マリア様が泣きそうな顔をしていて。
クロード殿下がそんなマリア様に寄り添っていて。
専属護衛のレオナルド様が少し離れたところに控えていて。
さっきまで、ココに居た私達のお嬢様は、頭を冷やすと立ち去ってしまった。
もう、後ろ姿も見えない。
まともにまだ、話せていないのに。
行ってしまった。
「マリア?何があったんだい?ユリア嬢と喧嘩でもしたのかい?」
「喧嘩なら……どんなに、良かったか。」
「…………。」
「私はまた、ユリアを傷つけてしまいました……っ。」
マリア様が手のひらで顔を覆う。
「私、は…………っ。」
「マリア……。」
殿下の腕の中で震えるマリア様。
王都に来て憧れた人が、婚約者の腕の中で震えている。
それは私の憧れた人の始めて見る一面で。
あぁ、マリア様も人だったのだと。
ごく当たり前のことを思って。
「……君は……。」
「申し遅れました。ルナと申します。」
「ルナ……?まさか、下級使用人に居ると聞いた、平民か……?」
ズキリと痛む胸に気づきながら、気づかないフリをして笑顔を浮かべる。
「はい。」
「なぜ君がマリアとお茶を……?」
「マリア様にお誘いいただきました。」
カップをソーサーに置き、少し脇にずらす。
そして、新しい茶器にクロード殿下の分を注ぎ入れる。
「……平民だと言う割には、所作が令嬢のソレだな……。」
「私は、コースター辺境伯領出身ですから。」
あの領地を出てからも、この名前だけは自信を持って伝えることができた。
辺境地で田舎で、バカにされることは多いけど。
それでも、私は…………私達は。
領主様たちが大好きだから。
「領地の人間なら身につけております。」
「それだけ素晴らしい所作を身に着けておきながら、なぜ下級使用人なんだ?」
「私は貴族ではありませんから。」
貴族ではない。
ソレは、領地では感じたことのない劣等感。
あの時、両親に連れられて泣きながら領地を出て始めて味わった気持ち。
貴族か平民か。
ソレは、ココ王都ではとても重要視される。
私が王城で働けているのも全部、領主様が持たせてくれた手紙のおかげ。
無くなさいように、ちゃんと持ってなさいと学舎で渡された手紙。
皆持ってる。
領地の皆、持ってる。
まだ文字の読み書きができない頃に渡されたその手紙を、大切に保管していた。
読めるようになってからも封蝋がはずれたら効力をなくすと言われたから、開けなかった。
だから、手紙の中身なんて知らなかった。
ココで雇ってもらえると決まった時、始めて知った。
国王陛下が教えてくれた。
私には、コースターを名乗る資格があると。
ルナ・コースターと名乗ることができると。
ソレが、領主様たちが持たせてくれた手紙に書かれていた内容の一つだと。
ルナ・コースターだったら貴族の扱いになるし、給金も上がるし、将来苦労することもないと。
陛下が返してくれた手紙を読み返しても、私はルナ・コースターと名乗って良いと書いてあった。
困ったことがあればすぐに頼りなさいとも。
いつでも帰っておいでとも。
いっぱい、優しい言葉が綴られていた。
私の身分を保証し、どこでも働けるようにと紹介状も一緒に同封されていたし、私が何かしたとしてもコースター家が責任を持つという誓約書も入っていた。
そんなにたくさん、入ってるなんて思わなかった。
領地を出る時に、領主様はごめんねと謝った。
両親も本当は出て行くなんて選択肢を選びたくなかったんだと思う。
だって、すごく泣いていた。
だけど、あのままじゃ死ぬと思って、怖かったんだと思う。
だから、どこよりも助けが早いと聞いた王都に向かって私達は領地を飛び出した。
置いていってほしかった、領地にいたかった。
でも、一人はイヤだった。
私はまだ、七歳だった。
王都につく前に両親は、知らない人たちに襲われて死んだ。
野盗とかじゃなかった。
多分皆、死と飢えに怯えた同じ平民だったように思う。
私は、両親が通りすがりの荷馬車に隠してくれたから、生きているだけだ。
運が良かったに過ぎない。
あの荷馬車が襲われていたら、私はきっと王都に無事にたどり着けてなかったと思う。
帝国の軍勢よりも怖かった。
幼いながらにそう思ったし、幼いながらに私はコースターを名乗らないと決めた。
多分、アレは私なりの矜持だったと思う。
領主様たちが教えてくれたことがあれば、どこでもやっていけると信じてたから。
「……クロード殿下、マリア様。私の話に、付き合っていただけますか?」
「それは、重要なことか?私は今、マリアから話を聞かなくては……。」
「……、聞きます。」
「マリア。」
「……私は、知らなければりません。紙の上の情報ではない話を。伝聞なんかではなく、当事者の話を。でなければ私また、ユリアを傷つけてしまいます。」
「…………。」
「ユリアは、領地での話をあまりしてくれないわ。それが、今回の件と関係あるのはわからないけれど……ルナさんはユリアと同郷。気は引けるけど、教えて欲しい。」
まだ少し目元の赤いマリア様が、真剣な瞳をする。
それに、ゆっくりと息を吐き出す。
「…………私が話せるのは簡単なことだけ。詳しいことは、ユリアお嬢様に聞いてください。私が偉そうにユリアお嬢様を語るわけにはいきませんから。」
「…………えぇ、わかったわ。」
マリア様の返事に、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「先程言いましたが、私はコースター辺境伯領出身の平民です。」
一つ一つ、言葉を探すように。
ゆっくりと。
「私が領地を出たのは、七歳の時。今から三年前の、二度目の王位争いが起きた時です。」
今も鮮明に覚えている。
「一度目の王位争いで傷ついた領地は、落ち着きを取り戻し、食物も実り始めていました。でも、二度目の王位争いは苛烈を極め、領地の食物は一度目の頃よりもひどい有り様だと、両親は何度も言っていました。」
カップの水面が風で揺れる。
「昨日まであったハズの食物も。昨日まであったハズの水も。昨日まで隣に居たハズの人も。突然、なくなりました。本当は突然じゃなかったのかもしれない。でも、当時の私には、急に消えたように思えました。」
この一杯の水を飲むことですら、危ぶまれた日々。
「領地の状況を正確に理解していた領主様たちは、一度目の王位争い以降蓄えていた食物を私達に分け与えてくれました。毎日毎日一緒に耕していた畑の野菜。私達がいつものお礼だと押し付けた果物。領主様たちは全部、保存していました。腐らないように、いつかのために。私達全員が生きられるように。」
いつもいつも、笑って大丈夫だよと声をかけてくれた領主様。
「領主様たちは、王都に救援物資を頼んだから、もう少し頑張ってと。私達に何度も言いました。王都からコースター領に物資が届くのは何日もかかるというのは学んでいたので知っていました。だから私達はソレを待ち続けました。でも、王都から救援物資が届くことはありませんでした。」
あと少し、あと少しだけと何回も言い聞かせた日々。
「領主様たちが頼んだ救援物資は領地にたどり着く前に引き返し、御者が自分たちの懐に隠していることを領主様たちが突き止めました。でも、王家も王都の貴族も取り合わなかった。もうすでにコースター領宛の物資は送った、分け与えられる食物はないと。私達にソレを話す時の領主様たちは泣きそうな顔をしていました。私達に話すのが辛かったのもあるでしょう。でも、あの時領主様たちは、ごめんなさいと私達に謝りました。力がなくてごめんなさい、名ばかりの貴族でごめんなさい。でも、なんとかするから諦めないで欲しいと、領主様たちは言いました。」
あの場に居なかった人にはわからない。
あの場に居たとしても、領主様たちの気持ちなんて私達が正確に拾い上げることはできない。
「命がかかった場面で、なんとかするなんて言葉を鵜呑みにする人が居ると思いますか?居ましたよ、ちゃんと。誰一人、疑いませんでした。私達にとって領主様は、希望だったから。」
妄信的だと言われようとも、バカだと言われようとも。
私達はただ、コースター辺境伯の人たちが大好きなだけだった。
「絶対になんとかしてくれるって信じられる人たちだったから。」
「……それで、どうなったの?」
「もちろん、なんとかしてくれましたよ。どうやったのかは知りません。ただ、毎日毎日、少しずつその日生きていくだけの僅かな食物や水を与えてくれました。大切に食べるようにって毎日注意して渡してくれるんです。」
ごめんね、おまたせって。
少なくてごめんねって。
もう少しで争いも終わるから頑張ろうねって。
「でも、私達がそんな苦しい状況でも帝国はお構いなく攻めてきます。ただでさえ死にそうなのに、もっと死にそうな状況があるんです。凄いですよね、人って。そんな状況でも笑えるんですよ。」
帝国が攻めて来る日常。
そんな他所とは違う日常に、領地の人たちが笑った。
どうせ死ぬならどっちも変わらないって。
他国に殺されるか自国に殺されるかの二択なら、領主様たちの為にって誰一人迷わずに剣を手に取った。
「そんな状況に、私の両親は不安を覚えました。隣からコースター辺境伯に助けを求めに来た人たちが、王都なら助かるって噂話を教えてくれました。当時七歳だった私の将来の為に、両親は王都を目指すことに決めました。根も葉もない噂ではありましたが、領主様たちも王都の方が復興は早いと言っていましたからね。すがるには充分でした。」
残ると言った私を連れ出した両親。
そんな両親は、王都につくこと無くこの世を去った。
「道中、襲われてこの世を去った両親を送ることなく私はたった一人、王都に入りました。私はその時、始めて見る王都に驚きを隠せませんでした。争いの中心だと聞いていたのに、争いなんてそこにはなかったから。」
血の匂いも、汗の匂いも、何一つ。
「食べ物をくれという言葉は飛び交っていました。食べ物も飲み物もないという言葉が飛び交っていました。でも、私にはこんなにもたくさんの食べ物があるのに、どうしてないって言うのか理解ができませんでした。」
お前に売れるものはないという言葉を聞いた。
明日からどう生きていけば良いんだという言葉を聞いた。
でもソレは、私達の領地なんかよりも余裕があるように聞こえた。
「私は、学舎で学んだ通りに、王城を目指しました。道中にある貴族の邸に寄って食べ物か水を分けてもらおうと思いました。でも、どのお屋敷の前にも人が溢れかえっていて、分けられるものは何一つないと追い返されてました。大人がダメでも子供なら助けてもらえるかもしれない。そう思っていくつかの貴族の邸を訪ねました。でも、助けてはもらえませんでした。」
たった一口の水も。
たった一切れの食べ物も。
「諦めて王城を目指しました。何日食べてなかったかなんて覚えてません。数えることもしてません。だって、分けてもらえないなんて思わなかったから。そうでしょう?私達にとって貴族は領主様で、助けてって言えば助けてくれる存在だったから。」
学舎で貴族や王族はどういう存在なのか学んだ。
だから、知識としては持っていた。
それでも私達にとって貴族はコースター辺境伯だったから。
「領地の大人たちは、領主様が特別優しいだけだから、他の貴族は信じちゃダメだとよく言っていました。でも、子供の私には理解できませんでした。だって、私にとって貴族はコースター辺境伯だけでしたから。」
その意味を正確に理解したのは、王都についてから。
王都の人たちを見てから。
「助けてくれない貴族に出会った私は、王家の人たちは助けてくれるのかわからなくなりました。でも、たった一人の私には領主様たちが与えてくれたものしかなかったんです。だから私は、領主様が教えてくれたヒミツの抜け道を使って、城壁の内側へと入りました。」
「ヒミツの抜け道……?そんなものがあるのか!?」
「ありますよ。」
「それはどこに………!!」
「申し訳ありませんが、お教えできません。領主様との約束ですから。」
「それがどんな問題に発展するのかわからないわけじゃないだろう!?」
「おやめください、クロード様!」
「……、すまない。続けてくれ。」
「ごめんなさい。続きを話してください。」
目を閉じて、涙をこらえる。
大丈夫、私は……泣かない。
「抜け道を通った私は、たまたま回廊を通った陛下に会うことができました。運が良かったと言うべきでしょう。たくさんいた騎士の人たちに剣を向けられましたが、陛下が止めてくださいました。領地に居ても、あんなにたくさんの剣を向けられることなんてないから驚いたのを覚えてます。」
でも、その攻撃を避ける術だけは教えられていたから怖くても死ぬかもしれないという恐怖はなかった。
「陛下に手紙を見せた私は、領地に帰りたいのだと伝えました。でも今は危ないからココに居なさいと引き止められました。領地に行く馬車の手配もできないのだと。」
それからはお城の手伝いをしながら陛下に領地にはいつ帰れますかと毎日のように聞いて、毎日のように、もう少し、あと少しと唱え続けた。
「陛下は私の手伝う姿を見て、このままココで働くかと誘ってくれました。私はココで働けば領地に帰るお金は自分で稼げると思って、働きますと答えました。私がココに居るのはたったソレだけの偶然です。」
ただ帰りたかった。
ただ会いたかった。
ただ皆に話をしたかった。
「下級使用人で居るのは、私が平民だからです。王都の使用人は、家柄がすべてだと皆が教えてくれました。私も王都に来てから、貴族と平民の差は身をもって体験したので、疑問には思いませんでした。」
何を言われても、何をされても、仕方がない。
だって私は平民だから。
「でも、そんな中で心の支えになってたのがマリア様でした。」
「私?」
「はい。マリア様の立ち居振る舞いが、ユリアお嬢様に似ていたから。でも、全然別物でした。足運びも空気感も、何もかも。」
私の大好きな人の姿じゃなかった。
「それでも、あぁコレが貴族のお嬢様なんだって。あの人がこの国の王妃様になるんだって。マリア様は覚えてないでしょうが、一度だけお声をかけてくださったんですよ。」
「え……?」
「貴方はどんな食べ物が好き?と尋ねられました。私は皆で食べられるなら何でも好きですと答えました。」
「あ…………。」
思い出したのか、マリア様の目が大きく見開かれる。
それにニコリと笑顔を返す。
「私、そのあとに孤児院に行って慈善活動をしてるっていうのを知ったんです。王都にもそんな優しい人が居るんだって。それと同時に思ったんです。ならどうして、あの時助けてくれなかったんだろうって。」
そうやって身寄りのない子どもたちを助けることができるのに、どうしてって。
「ふふ、傷つきましたか?でもね、マリア様。マリア様がお嬢様にかけた言葉と同じなんですよ。私達が領地を出たのは私達の意志。誰のせいでもありません。」
両親が領地を出ると決めたのは、少しでも領主様たちの負担を減らしたかったから。
多分、そんな考えが少しはあったと思う。
「私の両親は助かりたい気持ちと助けたい気持ち。多分両方抱えてました。大人だから多分、子供の私なんかよりもいっぱい考えて出した結論なんだと思います。」
ゆっくりと息を吸って、吐き出す。
「マリア様。貴方は私にとって憧れでこの王都において心の支えでした。その婚約者であるクロード殿下も。でも。でもね、ごめんなさい。私は、やっぱり王都の貴族も王族も嫌いなんです。」
カップを握る手に、力がこもる。
「助けてくれなかったから。その理由が一番大きいと思います。でもね、それだけならココまで嫌ってませんよ。」
ね、お嬢様。
お嬢様は夢を叶える為にココに来たんですよね?
だから、あんな言い方をしたんでしょう?
私は、どうすれば良いですか?
「私が嫌いなのは、コースター辺境伯が貧乏貴族で野蛮で、腰抜け。後ろめたくて、王都に顔を出せないと嘲笑って話すあの言葉を誰一人否定してくれなかったからですよ。」
大好きな人たちを傷つける言葉を吐く人たち。
大好きな人たちは、本当のことだから仕方がないねって笑う。
「貴族社会では必要な交流なんだというのは学舎で学んだから知ってます。領地に居る頃、近隣の領や行商人に、そうやってバカにされる姿を何度も見てきました。でも、領主様たちは本当のことだから仕方がないねって笑うんです。だから、怒らなくて良いよって、笑うんですよ……?」
私達の大好きな人たちが、誰よりも傷ついてるハズの人たちが。
「だからいつも、領民の誰かが泣き出すんです。それをコースター家の人たちが慰めるんです。泣かないでって。泣いてくれてありがとうって。貴方たちにわかりますか?平民であることがイヤになるあの気持ちが。」
私に力があったらって思うあの無力さが。
「ユリアお嬢様も学園の制服を身に着けていました。貴族の義務の為に、学園に通ってるんでしょう。私にはまだ貴族同士の繋がりはよくわかりませんが、お嬢様がマリア様を大切にしてるのはわかります。マリア様がお嬢様を思ってくれているのも伝わりました。」
傷つけてしまったと貴方が泣かなかったら、私は話をしようとは思わなかった。
「お嬢様に謝って欲しいわけじゃありません。ただ、一つ願って良いのなら。ユリアお嬢様の願いを叶えてください。私達じゃ叶えてあげられない、ずっと前からの夢なんです。」
「…………、その夢……は…。」
「私の口からは言えません。お嬢様の夢を私が勝手に語るわけにはいきませんから。」
泣かないで良い国が作りたい。
お腹が空かない国が作りたい。
剣を持たないで良い国が作りたい。
お嬢様がいつも笑って聞かせてくれた大切な願い事。
「でもそのお願いは、この国の中枢の人たちにしか叶えられないお願い事なんです。クロード殿下やマリア様は、結婚したら中枢の人になるんでしょう?」
「それは…………。」
「あぁ、そうだ。」
「!」
「私とマリアがこの国を継いだ時、叶えると約束する。」
力強く約束してくれるクロード殿下に、涙をこらえて笑みを浮かべる。
「はーはははは!私は誰かって!?私はラチェット!!剣術大会でのリベンジを申し込む!!」
「イヤですってば!!大体訓練所に来てたんでしょう?そっちに行けばよろしいではないですかっ?」
「つれないことを言うな!!はははっ!もしかして照れているのか!?」
「違います!!レオナルド様!すみませんが、引き取ってくださいませ!!」
その声に、スッと立ち上がった。
読んでいただき、ありがとうございます
感(ー人ー)謝




