価値のある銅貨
翌月、スカーレットは約束通りに花の種を持ってきた。
俺とリサは、神父の許可を得て裏庭の一部をレンガで囲い、雑草を抜いたり土を耕したりして準備を済ませていたので、すぐに種を植える作業に取りかかった。
スカーレットは、花の種が入った袋を手渡した後も立ち去ろうとせず、近くの木に寄りかかって俺達の作業を見守った。
種を植えた後に水を撒いていると、リサを慕う小さな子供達が花壇の方へやってきた。
「みんな、お菓子は余分にもらえた?」
リサが問いかけると、子供達は嬉しそうな顔で頷きながら
「うん、もらえたよ」
「今日はクッキーだったんだ」
「リサも貰えば良かったのに」
と口々に話し出す。
黙って微笑むリサに、スカーレットが尋ねる。
「どうしてリサはお菓子をもらわないの? ラルフのように金持ちの施しを受けたくないってわけじゃないんでしょう?」
リサは少し困った顔になり、口ごもりながら言葉を紡いだ。
「上手く言えないんだけど……自分がお腹を空かせていることよりも、他の誰かが空腹に苦しんでいる姿を見る方が辛いのよ。おかしいって言われるかもしれないけれど、昔からそうなの。だから、私の分のお菓子を食べてもらうことで誰かの空腹が満たされるなら、それはとても嬉しいことなのよ」
リサの話を聞いたスカーレットは、無表情のまま
「あなたとソフィアは、よく似ているわ」
と呟いた。
「ソフィア?」
と聞き返すリサに、スカーレットが答える。
「私の妹よ。毎月、私と一緒にこの孤児院へ来ている、天使みたいな子がいるでしょう? あの子がソフィアよ」
「あの女の子は、ソフィアという名前なのね。ソフィア……あの子にぴったりの、優しい響きだわ」
リサは大切なものを愛でるように、ソフィアという名前を繰り返し口にした。
スカーレットは俺達と話すことに飽きたのか、寄りかかっていた木から身を起こし
「花が上手く育つといいわね」
と言い残して立ち去った。
花を育てるのは、なかなか上手くいかなかった。
孤児院で共に暮らす子供達の中には、悪意ある糞ガキが何人もいて、そいつらに花壇を荒らされたり、害虫に葉や茎を食い荒らされたりしたからだ。
もちろん、同じ失敗を繰り返さないように対策はした。
花壇を荒らした奴らのことは、一人ずつ呼び出して徹底的に叩きのめしたし、水で薄めた酢に唐辛子やニンニクを漬けて虫除けを手作りし、害虫を寄せ付けないようにもした。
その後も色々なトラブルがあったが、そのたびに試行錯誤を重ね、俺達はようやく数種類の花を花壇いっぱい咲かせることに成功した。
俺とリサは摘んだ花を持って大きな街へ行き、いくつもの店を回って花を売り込もうとしたのだが、なかなか成果はあがらない。
みすぼらしい身なりをしているせいか、水をかけられて追い払われたこともある。
そこで俺達は作戦を変更した。
まずは店の者に顔を覚えてもらうために、毎日のように色々な店に顔を出し、雑用を手伝った。
金はいらないと前置きしてから手伝いをしていたのだが、素直で働き者のリサは街の人々に可愛がられるようになり、たまに小銭や食べ物をもらって嬉しそうにしていた。
そうするうちに数軒の店がお試しで花を置いてくれるようになり、さらにその内の何軒かの店で花を定期購入してもらえることになった。
初めて花の代金を貰った日のことは、いまだに忘れられない。
盗んだのでも奪ったのでも、恵んでもらったのでもない、自分達の力で稼ぎ出した数枚の銅貨。
わずかな金額だったけれど、俺にとっては金塊と同じくらいの価値があるように感じられた。
だが、現実は厳しい。
今、花壇に咲いている花が咲き終わる前に、次の季節に咲く花を育てなければならない。
花壇を広げて種や球根、それから肥料を買う。そうすると、せっかくの収入もほとんど手元には残らないだろう。下手したら、足りないくらいかもしれない。
それでも、やめる気にはならなかった。
最初に花壇を埋め尽くした花は、いくつか摘まずに残して種を収穫した。
スカーレットが孤児院へ来た日に、収穫した種を差し出して
「最初に貰った分の種を返す」
と言ったら、突き返された。
「私には必要のないものだわ。どうしても借りを返したいと言うなら、別のものにしてちょうだい」
「他には渡せるものなんかない」
「それなら、いつか私のために役立つことをしてもらうわ」
「分かった」
そんな口約束を守る気など全く無かったが、とりあえず了承しておいた。
月日は流れ、俺達は子供から大人へと成長していった。
裏庭では、季節ごとに何種類もの花が咲き誇り、定期的に購入してくれる店も増え、わずかに儲けを出せるようになっていた。
そしてある日、花を店まで届けに行ったリサは、資産家の老人と出会うことになる。
その老人は、新しい店を開くために街の視察に訪れていたそうで、カゴいっぱいの花を抱えたリサに声をかけ、従者に命じて運ぶのを手伝ってくれたのだという。
それをきっかけに、リサは老人から「街についての情報をいろいろと教えて欲しい」と頼まれ、お茶をご馳走になったらしい。
すっかりリサを気に入った資産家の老人は、次にリサが街へ来る日を聞き出して、会う約束を取り付けた。
そうして何度か会っているうちに、自分の屋敷で働かないかとリサに持ちかけてきた。しかも、孤児院へも多大な寄付をするという。
そろそろ孤児院を出なければいけない年頃になっていたし、自分がお屋敷で働けば、お世話になった孤児院に寄付をしてもらえて恩返しができる。
そう考えたリサは二つ返事で了承し、老人に言われるがまま契約書に署名をしてしまった。
街から戻ってきたリサに話を聞いた俺は、そんな旨い話があるものかと思い、夜の街へ出かけて酒場をまわり、老人についての情報を集めた。
そこで耳にしたのは、資産家の老人は裏で娼館を牛耳る悪党で、若くて美しい娘に声をかけては「使用人として雇う」と言って騙し、娼館で働かせているという噂だった。
俺は翌朝を待って老人の屋敷へ出向き、契約を無効にしてくれるよう頼もうとしたが、門すら開けてもらえない。
屋敷の前で夕方まで粘ったものの、面会することは叶わなかった。
意気消沈して孤児院にもどると、神父に呼ばれた。
険しい表情をした神父に連れられて教会の奥にある部屋へ行くと、青ざめた顔のリサがソファに座って俯いている。
「さっき、リサと雇用契約を結んだという老人の使いが現れて、寄付金と契約書の写しを置いて行った。契約書には、娼館で雇用すると明記してある。二週間後に迎えが来るそうだ。リサが逃げれば、孤児院にいる他の娘を代わりに連れて行くと言われた」
神父はそう言って、金貨の入った袋と契約書の写しを俺に見せた。
リサも俺も、自分の名前くらいしか文字の読み書きは出来ない。
契約書の内容なんて、読めるわけがない。
リサは、老人に上手く言いくるめられて騙されたのだ。
俺はすぐに老人の屋敷に引き返そうとしたが、神父に止められた。
「どうするつもりだ?」
「契約を撤回させる」
「どうやって? 金も権力もある上に、知恵もまわる相手だ。正面から向かって行ったって、何もできやしない」
「じゃあ、どうすればいいんだよ!」
怒りを爆発させる俺に、神父は印をつけた地図と金貨を数枚手渡した。
「印をつけた場所へ行け。そして助けを求めろ」
「ここには誰がいるんだ?」
俺が尋ねると
「スカーレット様だ」
と神父は答えた。
スカーレットは、数年前からあまり孤児院に顔を出さなくなっていた。
「父親の事業を補佐する役割に就いたせいで忙しくなってしまった」とか何とか、リサが言っていた気がする。
女でありながらそんな重要な役割に就けるとは思えなかったので、リサが聞き間違えたのだろうと思い、今までは気にも留めていなかった。
だがリサを救うためには、資産家の老人と対等かそれ以上の権力がある者を味方につけなければ、きっと対抗出来ない。
どうかリサの言う通り、スカーレットが権力をふるうことの出来る立場でありますように。
俺は生まれて初めて神に祈りを捧げながら、目的地へと急いだ。