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小悪魔達の教育係  作者: パンダカフェ
グレイスとクロエ
6/21

探究者

 七歳になるクロエ様の口癖は「なんで?」と「どうして?」だ。


 何もかもが不思議なようで、見るもの全てに疑問を抱き、聞くもの全てに理由を求める。


 正直言って、面倒臭くてたまらない。


 先程もクロエ様から

「サラ、どうして雨上がりの空には虹が架かるのかしら?」

 と尋ねられ、私は心の中で溜め息をついた。


「……どうしてでしょうね。私には分かりません」

 と答えると

「それじゃあ、虹の橋はどこに繋がっているのかしらね?」

 と質問してくる。


「見当もつきません」

 私の答えに、クロエ様は膨れっ面をしながら

「あなたって何も知らないのね。もういいわ、アンナに聞くから」

 と言って、アンナを探し始める。


 最初からアンナに聞けばいいのに。

 私はそう思いながら、クロエ様の後を追った。


 アンナは、グレイス様に刺繍の手ほどきをしているところだった。

 クロエ様の父親の妹、つまりクロエ様から見て叔母にあたるグレイス様は、あまり手先が器用ではない。


 叔母とはいってもまだ若く、結婚適齢期を迎えたグレイス様は社交に(いそ)しむべきお年頃なのだが、彼女は淑女が身につけるべき事柄については一向に関心を示さず、旦那様の書斎に入り浸っては難しげな本を読み耽っている。


「痛い! また指に針を刺してしまったわ。もう嫌! 刺繍なんて大っ嫌い。こんなに嫌なことばかりさせるアンナのことも嫌いになりそうよ。ねぇ、もう刺繍はおしまいにして別のことをしない?」


 グレイス様は苛立ちを隠そうともせず、手に持っていたハンカチと針をテーブルに投げ出した。


 アンナは穏やかな笑みを浮かべてテーブルの上にあるハンカチを手に取り、グレイス様に手渡そうとする。


 その間へ割り込むようにしてクロエ様が身を乗り出し

「アンナ、私の話を聞いてよ。虹はどこから始まって、どこへ向かっているの? サラにも聞いたけど分からないんですって! あの人、大人のくせに何にも知らないのよ」

 と言った。


 私のムッとした顔に気付いたアンナは、笑いをこらえながらクロエ様に返事をする。


「私も確かなことは存じませんが……以前、虹の橋を渡ると別の世界へ行けるという話を聞いたことがあります」


 アンナの言葉を耳にしたグレイス様が鼻で笑い飛ばす。


「そんなこと、あるはずないじゃない」

 グレイス様が馬鹿にしたように言い放つと

「それでは、グレイス様はどのようにお考えになりますか?」

 アンナは優しい口調で尋ねる。


「知らないわ。今まで読んだどの本にも、そんなことは書いてなかったもの」

 グレイス様の答えに頷きながら、アンナはクロエ様にも問いかける。

「クロエ様はどう思われますか?」


「私は、妖精の国につながっていると思う! だって、あんなに綺麗な虹を空に架けられるんだもの」

 クロエ様は頬を紅潮させ、興奮気味に話し出す。


「きっと、妖精の国は美しいものであふれているのよ。色とりどりの花が咲いていて、とってもいい香りに包まれているの。素敵な音楽も流れているでしょうね。それから、甘いお菓子や見たこともないような珍しい果実なんかがたくさんあるに違いないわ!」


 いつも生意気なクロエ様が、意外にも可愛らしい空想を口にしたので

「まるで天国みたいですね。ぜひ行ってみたいです」

 と私も話を合わせようとした。


 すると、クロエ様はあからさまに嫌そうな顔をして

「やめてよ。妖精の国は美しいものしか存在していないんだから! サラが入ってきたら台無しになっちゃうじゃない」

 と怒り出した。


 私達のやり取りを見ていたアンナが、笑いを噛み殺しながら

「サラは美しい心の持ち主ですから、妖精の国へ行く資格は十分にあると思いますよ」

 と言ってクロエ様をなだめる。


 それまで黙って聞いていたグレイス様は

「何もかもくだらないわ。妖精なんてこの世にいないし、心だって目に見えないんだから、美しいかどうかなんて誰にも分からないじゃない。つまらない話で私の時間を奪わないでちょうだい」

 と言い放ち、お部屋を出て行ってしまった。


 アンナはクロエ様に断りを入れてからグレイス様の後を追う。


 クロエ様は

「叔母さまなんか大っ嫌い。いつも難しそうな本ばかり読んで、何でも知っているって顔をするんですもの」

 と言って膨れっ面をする。


 気難しいグレイス様と、生意気なクロエ様。

 どっちもどっちだわ。

 私は心の中で、大きなため息をついた。



 一日の仕事を終え、ようやくクロエ様の質問責めから解放された私は、アンナに尋ねた。


「ねえ、私達いつまでこのお屋敷にいればいいの?」


 私の質問に、アンナが苦笑いする。


「サラは忍耐強さが取り柄だって言っていたのに、もう弱音を吐いているの? 今回は弱みを握るためじゃなくて恩を売るために来たんだから、もう少し気楽にやりなさいよ」


「だって……二人とも接し方が難しいんだもの。クロエ様からは質問責めにされるし、グレイス様はいつも不機嫌だし、ちっとも気が休まらないわ」


 愚痴をこぼす私に、アンナが微笑みかける。


「彼女達は探究者なのよ。グレイス様は書物から、クロエ様は対話から物事を深く知ろうと努めている」


「探究者ねぇ……私には全然理解できないわ!」


「それで良いのよ。世の中の人々がみんな探究者だったら、それはそれできっと上手くいかないもの。いろいろな人達が様々な役割を担うことで、世界は成り立っているんだから」


「それじゃあ、私やアンナはどんな役割なの?」


「もちろん、勤勉な労働者よ」


「労働者なんて、平凡で面白みがないわね」


「そうかしら? 労働は尊い営みだと思うけれど」


「生意気な令嬢の子守りも、尊い営みだって言うの?」


「そうよ。子守りに限らず、人を育てるというのは困難な仕事だと思うもの」


「大袈裟ね!」


 私はそう返しながらも、自分の仕事を認めてもらえたような気がして、悪い気はしなかった。



 私達が今回このお屋敷に来ているのは、グレイス様の花嫁修行の為である。


 グレイス様は「淑女らしからぬ振る舞いで知性をひけらかし、相手を見下す無礼な令嬢である」と噂されており、嫁の貰い手はないだろうと言われていた。


 しかしながら、このたびめでたくグレイス様は婚約を申し込まれることとなった。

 お相手は、長らく独身を貫いていた金貸しのハロルド様である。


 淑女としての教育が不十分であることを心配したグレイス様のご両親が、伝手(つて)を頼って我々の雇い主であるご主人様に依頼したのだ。


 依頼内容は、短期間でグレイス様を淑女へと仕立て上げること。

 そしてついでに、好奇心旺盛なクロエ様の性格も矯正してもらいたいとのことであった。


 アンナは二人の教育係を担当し、私は補佐として雇われたのだが、淑女教育の知識など皆無に等しいので、グレイス様はおろかクロエ様にも馬鹿にされっぱなしだ。



 私達がお屋敷に来てしばらく経ったある日、ハロルド様がグレイス様に会いに来ることとなった。

 婚約が成立してから初めての面会ということで、使用人達は張り切って準備を整えているのだが、当の本人は浮かない顔だ。


 そしてハロルド様をお迎えする当日の朝、事件は起きた。


「グレイス様がいらっしゃいません」


 メイドが朝の身支度を手伝いに部屋へ伺った時には、もう姿がなかったらしい。

 だが、屋敷を出た形跡はない。門の錠は内側からしっかりと掛けられており、朝早くから作業をしていた庭師も、グレイス様の姿は見ていないと言う。


 使用人総出で屋敷の中をくまなく探したが、一向に見つからない。

 みんなが途方に暮れていると、一人静かに考え込んでいたアンナが奥様に尋ねた。


「奥様、以前にも同じようなことがありませんでしたか?」


 ソファに座って頭を抱えていた奥様は、顔を上げて記憶を辿るように宙を睨んだ。

 奥様の隣では、グレイス様の兄嫁であるメアリー様が、心配そうな表情で寄り添っている。


「ずいぶん昔に……それこそ、グレイスがクロエと同じくらいの年齢の頃かしら。教育係の目を盗んでは主人の書斎に入り浸って本ばかり読んでいるから、キツく叱ったことがあるのよ。それ以来、グレイスが姿を消してしまうことが何度かあって……毎回大騒ぎになったのだけれど、その度にグレイスの兄のジェイムズが見つけ出してくれてね。でも、二人共どこにいたのかは決して言わなかった」


 奥様はそこで一旦話を区切り、紅茶を一口飲んでから再び口を開いた。


「何度も姿を消すグレイスに困り果てた私達に、ジェイムズが言ったのよ。『グレイスに好きなだけ本を読ませてやってほしい。そうしたら、二度といなくなったりしないように言い聞かせるから』って。それで、私と主人は仕方なくジェイムズの言う通りにしたのよ。すると、本当にグレイスは姿を消すことはなくなった」


 奥様の話を聞き終えたアンナが

「教えて下さってありがとうございます。今、ジェイムズ様はどちらにいらっしゃいますか?」

 と尋ねると、奥様は

「隣町で所用を済ませてからこちらにいらっしゃる予定のハロルド様を、お迎えに行っているわ。ああ、どうしましょう。もうすぐここに着いてしまう」

 と悲壮感を漂わせながら答えた。


「ご心配いりません、奥様。グレイス様の行方は、ジェイムズ様がご存知のはずです。ジェイムズ様がお戻りになったら、私の方から尋ねてみます。奥様とメアリー様は、ハロルド様をおもてなししながら時間を稼いで下さい」


 アンナは奥様を安心させるように穏やかな声で語りかけたが、奥様は半信半疑のご様子で隣に座るメアリーと顔を見合わせた。



「ねぇアンナ、あんなことを言って大丈夫? 本当にジェイムズ様がグレイス様の行方を知っているの?」


 廊下に出てすぐ、私が不安な面持ちで尋ねると、アンナは優しく微笑んだ。


「ええ、そのはずよ。このお屋敷で……いえ、この世の中で、ジェイムズ様だけがグレイス様の味方であり、理解者だったのだから。少し前まではね」


「どういうこと?」


「今は、グレイス様の味方や理解者が増えたということよ」


 あんな偏屈なグレイス様を理解できる人なんて、いるのかしら?

 私は、アンナの言葉に首を傾げるしかなかった。



 ジェイムズ様とハロルド様が到着し、お屋敷は緊張感に包まれた。


 執事がハロルド様を応接間に案内し、奥様とメアリー様がお相手をして時間を稼ぐ。


 その間に、アンナはジェイムズ様からお話を伺った。


「ジェイムズ様、非常事態ですのでご無礼をお許し下さい。グレイス様が姿を消しました。居場所をご存知ですね?」


 アンナの不躾な質問に、ジェイムズ様は少し眉をひそめたが、深い溜め息を一つ吐いて頷いた。


「知っているよ。まったく、グレイスは子供の頃から変わらないな。嫌なことがあるとすぐに逃げ出してしまう。みんなを困らせて、自分の思い通りに事を運ぼうとするんだ」


「時間がありません。グレイス様の居場所を教えて下さい」


 アンナは、凛とした声でジェイムズ様に迫る。


 使用人にあるまじき態度だったが、ジェイムズ様は

「付いてきなさい」

 と言って先頭に立ち、私達を従えて歩き出した。

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