表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小悪魔達の教育係  作者: パンダカフェ
フィリップとエドワード
4/21

透明な檻

 孤児院の庭の方から、騒がしい声がする。何やら数人で言い争っているようだ。

 子供同士のちょっとした小競(こぜ)()いだろうと思い放っておいたのだが、悲鳴が耳に飛び込んできて私は顔を上げた。


 その時、ソーニャという()せっぽちの小さな女の子が息を切らしながら調理場に現れて

「ユリアが……裏庭で、トニー達に……」

 と言って泣き出した。


 野菜を刻んでいた私は手を止め、一緒に夕飯の下ごしらえをしていた他の子供達に続きを頼み、急いで裏庭へと向かった。


 庭に出ると、数人の男の子達がユリアを取り囲んでいる。その中で一番大柄なトニーがユリアの長い髪を掴み、顔に何匹ものミミズを押し付けていた。


 カッとなった私は、壁に立て掛けてあった庭掃除用の(ほうき)を引っ(つか)んで振り上げ

「あんた達! 今すぐその手を離しなさい!」

 と叫びながら彼らの方へ突進して行った。


 私が箒を振り回しながら必死に彼らを追い払おうとすると、男の子達は薄ら笑いを浮かべてユリアを突き飛ばし、彼女にミミズを投げつけたり(つば)を吐きかけたりしてから、ようやく立ち去った。


「ユリア様、お怪我(けが)はありませんか?」

 問いかけながら差し出した私の手を、ユリアが振り払う。


「余計なことしないでよ! 私はもう『ユリア様』じゃないんだから!」

 そう言って私を(にら)みつけると、彼女は走り去ってしまった。


 思わず追いかけようとした私を、呼び止める声がした。

「サラ、仕事だ」

 声の主を探すと、庭の隅にある物置の後ろからラルフが姿を現す。


 ラルフはアンナの仲間だ。私達と同じように、ご主人様の指令に従って仕事をしているようだが、これまで私はアンナとしか一緒に組んだことがなく、ラルフが潜入先でどんなことをしているのかは知らなかった。


「あなた、そんなところで何をしているの?」

 私が(いぶか)しげな顔で尋ねると

「君を探しに来たら、子供達が(たわむ)れているのが見えてね。隠れて様子を見ていたんだ」

 ラルフは無表情で答える。


「え……? ずっと見ていたってこと? 止めもせずに?」

 私は眉間(みけん)(しわ)を寄せた。


「そうだよ。止めたって仕方ないからね。今この場でやめさせたって何の意味もない。次からは目の届かないところでやるようになるだけだ」


「だからって放っておくの?」


「サラのやっていることは自己満足だ。落ちぶれた可哀想(かわいそう)なお嬢様に救いの手を差し伸べて、今の君はさぞ良い気分だろうね。だけど、この先ずっと彼女を守れるわけじゃないだろう? その場限りの同情なんか、するべきじゃない」


「じゃあ、どうしろって言うのよ」


「ユリアは自分で選ばなければいけないんだ。この理不尽(りふじん)な現実を受け入れるのか、立ち向かうのか。あるいは逃げ出すのかを」


「逃げるって言ったって、彼女には行く場所なんかどこにもないじゃない」


「そうだね。ここから逃げ出したとしても、その辺の悪党に捕まって売り飛ばされるか、野垂(のた)れ死ぬしかないもんな。今より酷い現実が待ち受けているだけだ。だから、彼女に残された選択肢は二つしかない」


 私は何も言えなかった。

 ラルフの言う通り、私の行為はただの自己満足で、ユリアを救うどころか、彼女の自立を(さまた)げているのかもしれない。

 そう思いかけた時、ラルフが言葉を続けた。


「それに君は、ユリアの使用人としてずいぶん(しいた)げられてきたそうだね。今の彼女はその頃の(むく)いを受けているんだと思えばいいじゃないか」


 ラルフのこの発言を、私はどうしても聞き流すことが出来なかった。


「確かに私はこれまで、ユリア様からだけでなく、他の人達からも理不尽な仕打ちを受けてきたわ。でもね、だからこそ今のユリア様がどんな気持ちなのかが、よく分かるつもりよ。……心が潰れそうな思いをするたびに祈っていたわ。誰か助けてって。この苦しみを終わらせてって。叶わないと知っていても、願わずにはいられなかった。だから私は、過去の自分が誰かにしてもらいたかったことを行動に移しただけよ」


 そこまで言ってから、少し冷静になって付け加えた。


「まあ、でも……あなたの言っていることも分かるし、ユリア様も迷惑そうだったから、さっきみたいなことは、もうやらない。別の方法を考えるわ」


 黙って私の話を聞いていたラルフは、無表情のまま

「仕事の話をするから、俺の部屋まで来てくれ」

 と言い、先に立って歩き出す。


「夕飯の下ごしらえが終わったら、すぐに行くわ!」

 ラルフの背中に声をかけてから、私は調理場へと戻っていった。


 大量の野菜を切り刻んで肉に下味をつけ、ひと仕事終えた私はラルフの元へと急いだ。

 孤児院の隣にある教会の敷地を通り抜け、すぐ裏手にある家の中へと入って行く。


 この家には、ラルフの部屋だけでなく私とアンナの部屋もある。ご主人様からの指令が無い時は、この家で寝泊りしながら孤児院の仕事を手伝っている。


 部屋の扉をノックすると、ラルフが内側から扉を開けて招き入れてくれた。


 ラルフの部屋は、書物であふれている。棚に入りきらない書物は机や床の上に乱雑に積まれ、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。


「少しは片付けたら?」

 という私の言葉を無視して、ラルフは今回の標的について話し始めた。


「俺達が潜入する予定のお屋敷には、二人の令息がいる。兄のエドワード様は足が不自由で、車椅子での生活だ。彼には専属の世話係と家庭教師がついている。弟のフィリップ様は名門校の寄宿舎(きしゅくしゃ)で生活していたのだが、ある事故が起きた為、お屋敷へ戻ってくることになった」


「事故って?」


 私の問いかけに、少し間を空けてからラルフが答える。


「寄宿舎にある談話室の窓から、一人の少年が転落したんだ。その少年は学年で最も成績が良く、周囲からの人望も厚かった。さらに、事故が起きたのは皆が寝静まった後の深夜だったものだから、様々な憶測が飛び交った。多感な十代の少年達の中には、心身のバランスを崩してしまう者もいてね。フィリップ様もその内の一人というわけだ」


 私はラルフの話を聞いて、フィリップ様に同情の気持ちを抱いた。

 ラルフは、私の心情を見透かしたような眼差(まなざ)しを向けつつ話を続ける。


「フィリップ様は、心の落ち着きを取り戻すまでご自宅で静養なさる。その間は俺が家庭教師となり、サラがお世話係を担当する」


 ふと疑問に思い、私はラルフに尋ねた。


「なぜお屋敷にいるメイドがフィリップ様のお世話をしないの? それに、エドワード様の家庭教師がフィリップ様のことも担当すれば済む話なのに、どうしてわざわざもう一人雇うのかしら」


 ラルフは私から目を()らし、ぞんざいな口調で

「これは、あの女からの指令だ。俺達は余計なことを考えずに、言われた通りにしていればいいんだよ。出発は二日後だ。荷物をまとめておいてくれ」

 と言って、私を部屋から追い出した。


 ラルフは、我々の雇い主であるご主人様のことを「あの女」と呼ぶ。そう口にする時だけ、いつもは無表情な彼の顔が、ほんの少しだけ(ゆが)む。


 ラルフと組むのは初めてだったから、もう少し話をして親睦を深めておきたかったのだが、彼にはそのつもりがないようだ。


 アンナは数日前に別の指令を受けて、単独でどこかに潜入しているから、相談することもできない。


 私は不安を抱えたまま、出発の日を迎えた。




 お屋敷は広々として開放感に満ちていたが、どことなく陰鬱(いんうつ)な雰囲気が漂っていた。


 車椅子に乗ったエドワード様は、聡明で芯の強い人物という印象だった。


 夕食の席では、旦那様とエドワード様のお二人が様々な事柄について意見を述べ合うのが日課となっており、時には白熱した議論になることもある。


 そんな時、奥様は穏やかな表情でお二人の会話を見守り、フィリップ様は退屈そうな顔で黙々とお食事を召し上がっている。


 フィリップ様は、陽気で溌剌(はつらつ)とした人柄を装いながらも、実のところは陰湿で嗜虐心(しぎゃくしん)の強い人物であった。


 初日にご挨拶した際、フィリップ様は値踏みするような目で私を見た後、机の引き出しから一本のペンを取り出して床に落とした。


 私はペンを拾い上げるために身を(かが)め、片手を伸ばした。

 すると、フィリップ様は何の躊躇(ためら)いもなく、硬い革靴で私の手を踏みつけたのだ。


 私が短い悲鳴を漏らしてフィリップ様を見上げると、彼は痛みに顔をしかめる私を見て、愉悦(ゆえつ)の表情を浮かべていた。


 その表情を見て、私は瞬時に理解した。なぜ旦那様がフィリップ様のために、わざわざ新しいメイドと家庭教師を雇ったのかを。


 きっと、長年お屋敷に(つか)えている使用人達がフィリップ様の犠牲にならないよう、私やラルフというスケープゴートを用意したのだろう。


 ラルフは、顔色一つ変えずに無言で私達の方を見ている。

 私を助ける気など、毛頭(もうとう)ないらしい。


 ならば、私は自分の役割を果たすまでだ。

 私はもう片方の手で涙を拭うふりをしながら、すすり泣くような声を出した。


 するとフィリップ様は

「気に入ったよ」

 と言って私に笑いかけ、ようやく足をどかしてくれた。


 どうやら私は、とんでもない人物のお世話係になってしまったようだ。


 これじゃあ私はまるで、目に見えない(おり)に閉じ込められた動物みたいだわ。

 赤く腫れた自分の手の甲を見つめながら、私はそんなことを考えていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ