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歴史という名のファンタジー  作者: みなと劉
65/255

65話

そして、この「毛利征伐」では

「小早川隆景」が寝返り、「厳島の戦い」において 村上水軍は壊滅。これにより、事実上、中国地方の勢力はすべて消滅したのです。

このように、織田信長という男は常に戦い続けていて休む暇がないような状態が続いていました。

しかも、負け知らずだったわけですから、ますます

「織田政権」(安土幕府)の権威が高まっていくことになります。

その後、信長は天下統一を目指しますが その過程で、数々の戦に勝利していきます。

まず、「山崎の天王山」で明智軍を破り、「本能寺の変」が起こって 一時は失脚してしまうものの その後、復活を果たします。

また、「中国大返し」により、明智光秀を破ることに成功します。(このとき、羽柴秀吉が負傷してしまっています)

その後、「長島一向一揆討伐」でも勝利を収めました。(この戦いは、『本願寺戦争』とも呼ばれています)

しかし、これらの一連の功績が かえって仇となってしまいました。なぜならば あまりにも勝ちすぎてしまったからです。

結果、信長の威勢を恐れる者が続出し 謀反を起こしてしまうのです。(俗に『天正伊賀の乱』とも言います)

このときに

「信雄(織田信孝)」は討ち死にし(自害説もある)

信長の長男の「信忠(信長の嫡男)」も討死にします(病死説も)

また「池田恒興」「中川清秀」「高山右近」なども謀反に加わりました。(彼らは、「本能寺の変」後、「近江」の攻略を任されていたのです)

さらに、柴田勝家も「賤ケ岳の戦い」にて敗れて自刃してしまいます(自殺説がある一方、秀吉に敗れたという説もあるそうです)。

こうして、信長による「戦国乱世」は終わりを告げましたが この後、わずか15年ほどしか続かなかったのです……

(なお、『織田信雄』という人は 実は実在していて、「本能寺の変」の際に 密かに安土城に入り、信忠と行動をともにしていたそうです)

以上が、戦国時代における大まかな流れとなりますが、この中で「織田信長」について語らなければならない点は 大きく分けて二点あると思われます。

それは、一つは「『天下統一事業』を目指した武将であったということ」、もう一つは「部下や家臣たちをあまり信用していなかった」ということです。

前者は、「天下統一」という大事業を成し遂げるためには、強い意志と団結力が必要であり、そのためにはまず「信頼」が不可欠であるという信念を持っていました。なので、彼の側近たちも「『織田幕府』の実現」を目指して 彼のために死ぬ覚悟をもって仕えていたという側面があったと思います。

後者については まず「側近衆」に対する不信感がありました。

これは、おそらく彼が若い頃に受けたトラウマのような出来事が原因だと思います。

そのエピソードは

「本能寺の変」後の

「坂本の戦い」です。

この戦で、柴田勝家が羽柴秀吉に敗れてしまいました。そのとき、信長の息子の「織田三十郎長利」という人質が殺されてしまいます。

その結果として、信長の面目は丸つぶれになり、さらに「中国大返し」で消耗しきっていたこともあってか体調を崩して病床に就き、ついに死去してしまったのです。

この「坂本の戦い」の後に、彼の元を去ったのは「森成利」という人物だけでしたが、「池田恒興」だけは最期まで彼に従いました。

ちなみに、「明智光秀」(一説には弟)についても 信長の元を去るように説得しようとしたそうですが失敗しています(そもそも、彼は最初から光秀を味方とは思っていなかったようでした)

さて、彼の死後、豊臣秀吉が台頭してきます。

そして、その下で日本史上最大となる版図を築くことになりました。(豊臣政権下では「天下人」と呼ばれていたようです)

しかし、この豊臣秀吉にしても、やはり、 信長の側近たちにはあまり好かれてはいなかったようです。

というのも 秀吉は「五大老」の「上杉景勝」や「毛利輝元」などに対して遠慮しているフシがあります。(秀吉としては いずれは彼らを滅ぼさなければならないと思っている節があるようなのです)

そんな秀吉には不満を抱いていたのかもしれません。(ちなみに 毛利家の旧領は、小早川隆景が治めることになったようです)

ただでさえ秀吉の配下には 徳川家康・前田利家などの有力な譜代大名がいたにもかかわらず、信長があえて彼を取り立てた理由がわかりません。(もちろん、それだけの実力があったという証左なのかもしれないけど)

秀吉に取って代わってからというもの、家康が主導権を握ることが多くなり、ついには江戸幕府が開かれてしまうのです。(秀吉が死んでからは 特に)

以上から言えることは 結局のところ、彼の人生において「孤独」だったということでしょうか? しかし、もし 誰かが信長に助言を与えてくれていたとしたら、結果は変わっていたのではないだろうかとも思います。(あるいは、信長自身も 自分で何かを変えようと思ったこともあったのではないか?)

ともかく 織田信長の人生は激動の日々であったことには間違いありません。

そして、彼の「生き様」は後世の人間に大きな影響を与えることになったはずでしょう。

では、最後に、 彼の生涯を彩った、数々の合戦を紹介していきましょう。

1

『桶狭間の戦い』……今川義元の軍との合戦 2

『小牧・長久手の戦い』……織田信長が、初めて「天下」を手に入れた戦い 3

『長島一向一揆討伐』

4

『中国大返し』

5

『賤ケ岳の戦い』

6

『本能寺の変』

7

『関ヶ原の戦い』

以上7つの戦いの中で

個人的に印象に残っているのは

「『小牧・長久手の戦い』(または、『長篠の戦い』)

『関ヶ原の合戦』です。(あと、いくつかは記憶にあるんだけど、何回も見すぎてしまって……)

まずは

『長篠の戦い』です。これは 武田軍(信長の弟・信繁の軍が加わっていたそうです)が攻めてきたのに対し、徳川軍の奮戦と援軍による勝利となりました。このときの鉄砲隊の活躍が有名なのです。

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