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歴史という名のファンタジー  作者: みなと劉
63/255

63話

僧侶を呼んだり、お経を上げたりすることはなく、墓参をしても、故人の写真を飾った祭壇が準備されているわけでもない場合が多いです。

また、一周忌の時には行わなかった精進落としの宴会を催すこともあります。

「十五回忌」までは、特に決まりはないのですが、三十回忌以上だと、親戚で集まって行うのが普通みたいですね。

「二十回忌」になると、親族だけではなく、ご近所さんや知人友人にも声をかけて、合同で行うケースが多くなってきているそうです。「二十五回忌」になると、一周忌と同じように、僧侶に来てもらって読経をしてもらい、精進落としの宴席を設けて、親族や知人友人と一緒に故人の冥福を祈ります。

「四十九日」は、法要ではなく、故人の魂があの世から帰ってくるまでの期間を指すものですが、現代においては、四十九日法要は、一般的に一周忌と合わせて執り行われることが多いようです。四十九日の法要を行う際には、宗派によって多少作法が異なる場合がありますので、事前に確認しておくことをオススメします。

「六十回忌」は、故人が亡くなって60年目を迎える節目の年になります。

「七十回忌」は、亡くなった人の年齢を足していくと70歳になるということから来ています。

この日には、僧侶に来てもらってお経を上げてもらいます。そして、その後に精進落としの宴会が開かれます。

「七回忌」は、四十九日の後の区切りの良い時期に行われることが多く、僧侶に来てもらってお経を上げてもらい、その後で精進落としの宴会が催されることになります。

また、この日をもって、親族だけで集まるのではなく、生前親しかった方なども呼んで供養することもあります。

「五十回忌」は、「五十回忌」や「五十回忌法事」とも言います。亡くなった人が亡くなってから50回目となる年の「五月一日」に行われます。この日は、僧侶を招いてお経を上げて貰います。

そして、その後に精進落としの宴席が開かれることが一般的となっています。

また、「七回忌」と同様に、「五十回忌」や「五十回忌法事」という呼び方をしますが、こちらは亡くなった人の年齢が、5×10の30歳にあたることから来ています。ですので、「七回忌」よりも少し早めに行うことがほとんどです。また、故人の年齢は、「数え」で表わされるのですが、「数え」では、故人の生まれた時の一歳の誕生日に年齢を重ねるという考え方もできるため、「七回忌」の後に、その歳の誕生日を迎える場合は、「六十七回忌」や「百回忌」として法要を行います。

「百箇日」は、「亡くなってから100日目」です。つまり、「三回忌」の後にきます。

「三十三回忌」以降でも、地域によっては行われるところがあるかもしれませんが、ほとんどは行われないと考えて良いでしょう。

「百日法要」は、百箇日と同じ日に営まれる法要のことを指します。

「百箇日」が命日や葬儀から100日目なので、それにならって百箇日法要が営まれるのです。

この法要には、僧侶を招かず、家族のみで営むのが一般的なようです。

そして、故人の好きだった食べ物をお供えしたり、お花を飾ってあげたりして、思い出を語り合ったりするのです。

「千日法要」は、亡くなってから1000日目になる年に行なう法要です。

この日には、僧侶を招き、お経を上げてもらいます。そして、精進落としの宴席を開くのです。

この法要は、一周忌と同じく、「三回忌」の翌年に行ないます。「三回忌」以降の法要については、地域差があり、法要を行わないところもあれば、一周忌までしかおこなわないところもあるなど様々ですが、基本的に一周忌から二年後の命日に法要を行ないます。

「十三回忌」になると、生きている人が故人のことを想い出す回数が段々と減っていくと言われています。なので、法要のやり方が簡略化されることが多くなっているようです。

僧侶を呼んだり、お経を上げたりすることはなく、墓参をしても、故人の写真を飾った祭壇が準備されているわけでもない場合が多いです。

また、一周忌の時には行わなかった精進落としの宴会を催すこともあります。

「三回忌」は、亡くなった人が3回目の命日を迎えた時になります。

この日には、法要は行いません。ただ、お墓参りに行ってお墓の前で故人を思い出してあげるのです。

この日を境目に、故人に対する思いが少しずつ薄れていくと言われていますので、心の中を整理したり、故人との思い出を振り返る時間としても有効活用できるのです。

「二十三回忌」になると、生きている人は、亡き人を思い出す機会がだんだんと減っていくと言われているため、三十三回忌までの「回忌法要」の回数を減らして、「追善供養」のみとするケースが一般的です。

では、『なんちゃら回忌』という言い方は、あまりしないということでしょうか?

「三十三回忌」が『何回忌』なのかは諸説ありますが、一般的には「四十九回忌」がそれにあたります。

ただ、最近では、四十九日の法要を済ませた後も、しばらく遺族が故人の死を偲ぶ期間を設けるということで、五十回忌を目途にして、三十三回忌以降も続けることが多いと言われています。

と、いうことで

『回忌』と『法要』はこの辺にしておいて

ちょっと、日本史に戻りましてこれまで取り上げていなかった

『武田信玄』を取り上げていこうかと思います。

『武田信玄』は、山梨県の甲府盆地を拠点に勢力を築いた戦国大名で、戦国最強の軍団と言われた甲斐の武田軍を統率し、関東平野に版図を広げようとしたのです。

しかし、徳川家康に駿河の今川義元を攻められ敗戦すると、領国は分断され、信玄は苦境に立たされました。

そんな時に織田信長が攻めてきて敗れ、ついに信長は上洛を果たすことになります。

このことにより、家康の覇権が確定する。

そして、『風林火山』『水洗便所』を題材にして行きましょう。

まずは、『水洗便所』です。

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