49話
使者は丁重な口調で答えた。それから二人は広間へと向かった。
二人が広間の前に到着すると、先に待っていた男性が二人を出迎えてくれた。
「これは、お市の方様にございますね?初めまして、拙者は六角家家臣の平井定武と申します」
「平井定武と言えば、確か六角氏の重鎮の一人の……」
「おや、拙者のことを知っているのですか。光栄です」
「まあ一応。それで今日はどのような用件でいらしたのでしょうか?」
「実は、我が主君である朝倉-義景様が貴女とお話したいと申されており、ぜひ一度上洛していただきたいと仰せられております。もし宜しければ返事を聞かせて頂きたく存じ上げます」
お市は、一瞬嫌そうな表情を見せたものの、すぐに平静を取り繕った様子で尋ねた。
「上洛と言われても困ります。今の浅井家にその余裕があるとは思えませんので」
すると、定武は淡々と返答する。
「ご心配には及びませぬ。すでに浅井家は滅びておると聞き及んでおりますゆえ、何も問題ありませぬ」
それを聞いたお市は、驚きのあまり言葉を失った。まさか浅井家が既に滅んでいるなど想像すらしていなかったからだ。お市は慌てて確認を取る。
「そ、それは本当なのかしら?」
「はい。浅井家の滅亡により六角氏は窮地に立たされることになりましたが、浅井亮政様の遺言通り、今は大人しくしております故、御安心くだされ。そして、亮政公が亡くなってしまったため、浅井家を継がれたのは嫡男の政之様だと聞いております。しかし、当主の政之様はまだ元服前の年齢であるため、当主としての職務を全うするのは困難であろうとの噂が広まっているそうです」
お市は、その話を疑うことなく信じることにした。亮政が浅井家の当主に政之を指名したことは事実であり、また政之はまだ10歳前後の少年であること、亮政が浅井家の家督を継いだのは政之が生まれる以前の話だったことなどの理由による。
そして、浅井家が滅んだことで、浅井領の統治を巡って家中が揉めていることも容易に想像がついた。
「そうでしたか。わざわざ説明して下さってありがとうございます」
「いえいえ、とんでもございませぬ。それにしても、お市様の御尊顔を拝することが出きるなど誠に光栄でございます。出来れば、もっとお近づきになりたいのですが、よろしいでしょうか?」
「えぇ、構いませんよ」
「では、失礼致します」
そう言うと、定武はお市の手を握った。すると、お市は微かに頬を赤らめる。だが、そんなことに気付かないほど定武は興奮していた。
(なんと!噂には聞いていたがこれほど美しい姫君であったのか?まるで菩薩のように慈悲深く、神々しいまでに美しい容姿をしている。何という美しさだ。これでは亮政様が夢中になるわけだ。まさに傾国の美女とはこの方のような人のことを言うのだろう)
そう思った途端、突然定武は我に返る。そして、慌てて手を離すと、深々と頭を下げた。
「も、申し訳ありません!!つい取り乱してしまいました」
「ふふっ、気にしないで下さい。それよりも、もう行かれても結構ですよ」
「はい。では、失礼致します」
そう言うと、定武は足早に立ち去った。
その様子を見ていた家臣達が話しかけてくる。
「流石ですな、お方様」
「本当にお綺麗なお顔立ちをされておいでですね」
などと褒め称えながら。
お市は上機嫌な表情を見せると、静かに笑みを浮かべた。そして、自室へと戻って行った。部屋に入ると、先程までの笑顔から一変して暗い表情に変わる。お市の脳裏には、ある疑問が生じていたのだ。
「亮政様が亡くなったことは残念だけど、あの人は私のことを好いてくれていなかったはず。それなのに、どうして私に会いたいなんて言ったのかしら?」
実は亮政はお市のことが好きだったのだが、身分違いの恋だったために、想いを打ち明けることはしなかった。そして、浅井家の重臣となった後で、六角-義賢から縁談の話を持ちかけられた。亮政は迷わず承諾したが、お市は亮政の気持ちを知った上で結婚する気はなかった。
「今更、亮政様に会ってもどうしようもないわね」
そう呟くとお市は、憂鬱な気分のまま眠りについた。
翌朝、目を覚ますとお市はすぐに朝食を済ませて自室に籠もり、考え事をしていた。昨日の定武の言葉を思い出しつつ、浅井家の現状について考えていた。
(亮政様が亡くなられて跡継ぎがいないということなら、浅井家は断絶してしまった可能性が高いかもしれない。そうなると、私が浅井家を復興させるしかないのよね。でも、その前に父上に浅井家と同盟を結ぶように頼んでおいた方がいいかも。あぁ面倒くさいなー。でも仕方ないか)
そう結論を出すと、お市は父親である久政の元へ向かうことにした。
「父上、少しいいですか?」
「おぉ、お市か。どうかしたのか?」
お市は、亮政の死後すぐに浅井家に使者を送ったこと、そしてその使者が戻ってきたことを説明した。
「そういうことか。それで、浅井家にどんな返事をすれば良いと思う?」
「そうですね。やはり、浅井家が健在であるかのように装うべきでしょう」
「それは何故じゃ?」
「浅井家は六角氏の盟友であり、朝倉氏とも親密に付き合っております。その浅井家が滅んだとなれば、六角氏が黙っているとは思えません。また、朝倉氏との仲が悪化するのは避けるべきです」
「なるほどのう。それならば、浅井家が滅んだという噂を流すのは得策ではないのう。しかし、浅井家が滅んだという証拠はないのであろう?」
「ええ、確かに浅井家の正式な書状が届いたわけではないので、滅んだかどうかは断言できません。しかし、浅井家の滅亡の噂が広まっている以上、浅井家の滅亡はほぼ確実と思われます。そこで、浅井家の生き残りを探し出して保護し、浅井家を再興するのです」
お市の意見を聞いた久政は、感心していた。
「お主は頭が切れるようじゃの。そこまで考えているのであれば、お主に全て任せるとするかのぅ」
「ありがとうございます。それと、もう一つお願いがあるのですが……」
「何じゃ?まだ何か言い残したことがあるのか?遠慮せずに申してみよ」




