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 ふたり暮らしが始まってしまった。

 清乃は疲れた顔でぼんやりテレビを観るユリウスを横目に釈然としない思いを抱えながら皿を洗い、スポンジをひとつ犠牲にしてシンクと排水口を必死に掃除した。

 風呂場の排水口に詰まった髪の毛を取り除き、もう少し使う予定だった歯ブラシでヘドロをこそげ落とす。

(なんでこんな時間に大掃除なんか! って年末だからちょうどいいのか! でももうやだ!)

 洗い場の赤カビに風呂用洗剤を振りかけて擦っているうちに嫌になってきた。

 もういい。開き直ってしまおう。すでに汚部屋の住人だと認識されているのだ。

 三週間で居なくなってしまう外国の少年にどう思われようと知ったことか。

 石鹸を泡立てて手を洗いながらキッチンの窓を見ると、外はもう暗かった。

 一家の主婦は毎日こんな感じなのだろうかと考えながら、食事の支度に取り掛かる。

 米を炊く元気もなく、茹でたパスタに、千切ったキャベツとシーチキンをトマトジュースで煮込んだ適当ソースをかけただけの夕飯だ。

 インスタントという選択肢もあったが、十代の男の子が一人前で終わるわけもない。一食で四人前も消費するくらいなら、適当でも作ったほうがいいだろうと思ったのだ。

 清乃の倍量のパスタを山盛りにした一皿をユリウスは案外喜び、あっという間に完食した。


 初日の夜は家主の当然の権利として清乃がベッドを使った。コタツ布団一枚では寒くて眠れないと震えるユリウスに、仕方なくコタツの電源を入れたまま眠る許可を出す。

 風邪引いても知らないよ、と忠告するも、こんなにあったかいのにそんなわけあるか、と駄々をこねられて面倒になったのだ。

 フローリングに薄っぺらいコタツ用敷布団、同じく厚みのないコタツ用布団だけでは確かに寒い。お坊ちゃん育ちには耐えられないだろう。エアコンを付けっぱなしにして室内を乾燥させるよりはマシだろうと判断することにした。

 王子様のくせに、ベッドを寄越せ、もしくは共有させろ、と要求しなかったことに関しては褒めてやってもいい、と感心して清乃は目をつむった。

 その頃にはもう、同じ大学の男子よりよっぽど紳士的なユリウスに対する警戒心はだいぶ薄れていた。見た目はキラキラしているが、扱い方は弟と同じようにしておけば間違いが起きない、という確信もあった。




「おはようキヨ。朝だぞ。学校に行くんだろう」

 清乃がぼんやり目を開けると、キラキラが視界に飛び込んできた。

(夢だったか……)

 先ほどまで夢を見ていたのだ。朝起きたらキラキラした異国の王子など存在せず、なあんだ夢だったのか、と考えたところだった。

 夢だった、と思ったのが夢だったのだ。ユリウスが部屋にいるほうが現実だった。

「…………おはよう。明日からはあたしが起きるまで近づかない、って約束して」

「分かった。でも安心しろ。キヨは寝てたらもっと小さい子に見える」

「出てけ!」

 ユリウスは昨日よりも流暢に日本語を操った。単語のひとつひとつがちゃんと意味を持って清乃の耳に届く。テレビ効果だろうか。

 語学力の高い少年をキッチンに追い出して扉を閉めると、タンスから服を取り出して手早く着替える。タンスの中身を検めるが、頭ひとつ近く身長差のある少年に貸せそうな服はなかった。

 ユリウスには昨夜貸した足首の見えているジャージのズボンと、清乃がダボっと着ている紺のパーカーのままでいてもらうしかない。

 白い詰襟は日本では目立ち過ぎるから、帰国する日まではクローゼットに仕舞っておいたほうがいいだろう。

 顔を洗おうと扉に手をかける前に、ふと気づいて室内を振り返ってみる。

(…………めんどくさいな)

 いつもならくしゃくしゃのままの掛け布団が気になったのだ。毛布と二枚重ねて角を掴むと、バサリと一度音を立てて広げ整える。

 これからこの汚部屋で王子様と共同生活を送るのだ。

 想像しただけで頭痛がしそうだ。

 清乃は苛々をぶつけるために枕を持ち上げると、ベッドに叩きつけた。


 もういいよ、とキッチンに繋がる扉を開けると、ユリウスが片付けを始めた。

 昨日のうちに衣類は全部回収できたはずだ。彼は清乃にも何故だか分からないが転がっている細かいゴミを拾い、紙類をまとめて本を本棚に仕舞っていった。

 日本語はほとんど読めないようだが、それでもサイズや背表紙を揃えてそれらしく整えることにしたようだ。

 他人に室内や本棚をいじられるのは気分が良くないが、いちいち咎めるのも違う気がして黙っておいた。

 狭い部屋で細かく動くユリウスを横目に、清乃は朝食の用意に取り掛かる。

「今日は一限からだからすぐ出て行くけど、帰りに服買ってくるよ。趣味じゃなくても文句言わないでよ」

 下着(パンツ)もあたしがレジまで持って行くのか、と想像してげんなりするが仕方ない。さすがに三週間も着替えられないのは可哀そうだ。

 最近の若者はトランクスじゃなくて、もっとピタピタのヤツを穿いているんだっけ。飲み会でアホな男子が出してたアレだ。

 アレを買えばいいのか。店頭で見て分かるものなのか。まあ穿ければなんでもいいか。

 取り敢えず人前に出られる格好を整えてやらないことには、外出もさせられないのだ。

 今朝の朝食は目玉焼きに千切ったレタス、牛乳、トーストだ。トースターでは同時に二枚しか焼けないから、一枚では足りないだろう少年のお代わり分は今焼いているところだ。

 これで清乃の朝食三日分だ。普段は朝から卵を焼いたりしないから、食材の消費速度が恐ろしいほどだ。

 イチゴジャムは口に合わなかったのか、微妙な顔をしたユリウスだったが黙って食べ続けた。

 一緒に食事をするのはこれで三回目だ。

 居候の好きなものはオムライス。イチゴ、もしくはイチゴジャムは好きじゃない。

 朝から米を炊く気はないから、清乃の朝食は基本パンだ。そこを譲る気はないが、トーストに塗るものを変えるくらいなら考えてやらないでもない。バターは高いからマーガリン、もしくはリンゴジャムとか。

「ありがとう。なんでもいいよ」

「あんたスカートも似合いそうだよね」

「……男物なら文句は言わない」

 皿洗いを教える約束だった、と温室育ちの王子様にキッチンまで皿を運ばせる。

 一人暮らしのキッチンは狭いから、実家にあったような洗い桶は置いていない。パン屑をゴミ箱で払った皿とマグカップに適当に水道水をかけて、シンクに種類毎に並べる。

 朝食の皿は汚れが少ないから、これで充分だ。

「難しくはないよ。スポンジに洗剤を付ける、これくらいね。左手にお皿、右手にスポンジを持って、こう……こする。表裏洗ったら重ねて置いて、全部洗えたらスポンジはここに。で、水てか寒いからお湯でいいよ、出して流す。泡が残らないようにね。はい、やってみて」

「分かった」

 少し緊張した様子で皿とスポンジを手にする王子様。肩に力が入っている。

「そんな力入れたらお皿割れちゃうよ。ほとんど汚れてないから、サラッと洗えばいいんだよ」

「ダジャレというやつだな! 昨日テレビで見たぞ」

 急に嬉々としだしたユリウスに、清乃は眉をひそめた。

「はあ?」

「皿をサラッと洗うって」

「……感性がオヤジ並み。皿洗い大丈夫そうね。洗ったらここに重ならないよう並べておいて。拭かなくていいから、そのままにしといて」

「分かった。任せろ。掃除もしておく」

 力強く頷くユリウスに、清乃はすでに情のようなものが湧いている自分に気づいていた。

 だっていじらしいではないか。

 大人からかしずかれて生きてきたのであろう王子様が、異国の一般庶民の女の言うことを素直に聞いて従っているのだ。

 背は彼のほうが高いが、真剣な横顔は十七歳という年齢相応に幼い。

 弟の姉として育った清乃は、歳下の男の子に弱いのだ。頑張っている姿を見ると、手助けしてやりたくなる。

「よし任せた。クローゼットは開けないでよ。洗濯物も触らないで! お昼には帰ってご飯作ったげるからいい子にしててよ」

「分かってる。皿洗いと掃除が終わったらテレビを観て日本の勉強をする」

「そうして。じゃあね、いってきます」

 ここしばらく口にしていない台詞だが、見送る人がいると自然に口をついて出る。

 ユリウスは返す言葉を探す顔をしながら、泡がついた手をヒラヒラさせた。

「アイムゴーイング、いってきますって言われたら、いってらっしゃいって言って」

「いってらっしゃい」

「いってきます!」

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