アドレッセンス
adolescence 思春期、青年期
自爆してしまったユリウスは、しばらくコタツの天板に額をつけて落ち込んでいた。
どうでもいいが、彼はコタツが気に入ったらしい。すっかり虜になってしまい、出てこれなくなっている。
「ちょっとそこのプリンス。いい加減立ち直りなさいよ」
何かぶつぶつ言っている王子様の言葉は清乃には聴き取れない。聞いたことのない言語だ。
「あああああ。ちいさい子だと思ってゆだんしてしまった」
「あんた可愛い顔してるんだから、脅したりせずに無力な子どもぶって油断させとくほうがいいよ」
おとな気ないと思いながらも、しれっと仕返ししてやる。
清乃は悶える少年を眺めて、みかんの皮を剥きながら思案した。
彼は見た目だけでなく、本当に一国のプリンスらしい。そんな称号を持っているなら、身元を隠そうとする気持ちは理解できる。
清乃が悪い人間だったら、悪用されるところだ。残念ながら彼女は善良な一般人でしかなく、脅迫の仕返しに悪いことをしてやろうにも方法が思いつかないのだが、そんなことはユリウスには分からない。念のための警戒はして当然だ。
小さい国だ、大袈裟なものじゃない、と言い訳するユリウスから国名を聞き出すも、清乃の知らない名前だった。
が、高校時代に使っていた地図帳を開いて調べてみると、確かに存在していた。地図を見る限り、小さい国、は謙遜ではない。
他国には、日本人からすれば信じられないくらいフランクな王族も存在しているらしい、くらいの認識はある。そんな感じのノリの国なのだろうか。国王の息子と言っても、良家のお坊ちゃま、くらいの感じの。
さて、これからどうしようか。
本物の王子様をお預かりするのは荷が重い。怪我でもさせて国際問題に発展したら、就職にも障りが出そうだ。というか、その程度で済むものなのか。
「ねえ、やっぱ早く連絡して迎えに来てもらいなよ。日本の偉い人に知り合いとかいないの? あっ大使館は? そこまで連れてってあげるから、保護してもらえばいいじゃん」
「いやだ」
「駄々こねないでよ。お尻ひっぱたくよ」
「とくしゅなプレイはうけつけてない」
「やかましいわクソガキ」
ユリウスがどのくらい汚い日本語を理解しているのか不明だが、清乃は今更彼を敬う気分にもなれず、言いたい放題言っていた。
「ちょうしにのるなよ」
割と理解しているようだ。語学力の高い十七歳だ。
罵られたことを察した少年が立ち上がりかけるが、清乃はせせら嗤ってやった。
「今立ったら、もうオムライス作ってあげないよ」
「ごめんなさい」
素直に頭を下げるユリウスに、清乃は鼻を鳴らした。まさかこいつ、コタツから出るのが億劫になっただけじゃなかろうか。
「なんで、連絡したくないの? 怒られちゃうの?」
まあ親に無断で出国したら普通は怒られるだろうが、彼の場合は不可抗力ではないだろうか。
「怒られるくらいなら別にいい。スギタの言うとおり、おれはpsychicだ。うちの王室にはよく生まれるんだ」
「へええ。遺伝なんだ。そんなこと本当にあるんだねえ」
「ふつうじゃないだろう? だからうちは他国のけんきゅうじょにしりょうていきょうするのと引き換えに、小さいこくどをいじしている」
「はあ」
話が大きくなってきた。
「…………だから、今回ちからがぼうそうして、こんなとおくにとんでしまった原因をついきゅうされる」
「でしょうね。再発防止策を考えなきゃ」
みかんをもぐもぐしながらの他人事な清乃の態度に、ユリウスは再びコタツの天板に突っ伏した。
「それがいやなんだよ……!」
もぐもぐもぐ。
ごくん、と甘い果肉と果汁とを飲み込むまでの間に、清乃は考えてみた。
「原因、思春期の事情?」
「そうだよしかたないだろう! かのじょがかわいいのがわるいんだ!」
ははあ。
王子様も、所詮は十代男子という話か。
「へー。彼女いるんだ。可愛いんだ」
「かのじょ……ああ、違う。girlfriendじゃなくて、she。彼女はこいびとでなくfiancee」
フィアンセ。婚約者。結婚の約束をしているひと。
「まじか」
さすが王子様。十七歳で結婚相手が決まっているのか。
「ひさしぶりに会ったfianceeが可愛くて、ばくはつしそうになって気づいたらここだったんだよ! そんなこと言えるわけないだろう!」
さすが十代。厄介な問題だ。
「言ってんじゃん」
「キミとはなしているとちょうしがくるう。へたにかくすより、しょうじきに言ったほうがいい気がした」
それは多分、清乃がどうとかでなく、ユリウス本人の問題ではないだろうか。
彼は可愛い婚約者にドキドキだかムラムラだかして暴走してしまった。その結果見知らぬ土地に飛んでしまい、出会った女を転がして利用しようとして失敗した。
手馴れた風を装ってはいたが、まだ子どもと言っていい年齢だ。経験が浅いため、女の涙に怯んだ。そして弟を持つ姉の勢いに呑まれてしまったのだ。
可愛いものじゃないか。
ふたつ目のみかんに手を伸ばしながら、清乃はにやにやした。
「大丈夫だって。みんな通ってきた道なんだから、分かってくれるよ」
「ひとごとだと思って」
「他人事だもん。で? ユリちゃんは、その彼女とただのフィアンセじゃなくラバーになりたいわけね」
あからさまに面白がる清乃に、ユリウスは鼻の頭に皺を寄せた。日本人はあまりやらない表情だ。
「さっきから思っていたが、Englishのつもりか、それは」
「うっさいわ。あんたこそ、英語混じりの日本語ってどっかの芸人みたいだからやめてよ。でも日本語上手いよね。なんで? 日本と関わり無さそうな国みたいだけど」
「いっぱんきょうよう。あとスギタが寝てる間にテレビでべんきょうした」
「天才か。もしかして、最初より喋りが流暢になってるのって気のせいじゃない?」
「日本語慣れてきた」
英才教育の賜物か、本人の資質か、はたまた若さ故の吸収力か。おそらく全部だ。
自覚の無いままコタツの魔力に取り憑かれている美少年は、天から二物も三物も与えられているらしい。
「よし、天才少年。帰宅方法を考えよう。念のため訊くけど、パスポートは持ってないよね? そもそも王族ってパスポート作れるんだっけ」
「世界には所持の必要がない国王もいるらしいけど。うちは王も普通に作ってる。オレのは今国のどこかに保管してあるはず」
へええ、だ。知らなかった。世界の王族事情。
「ここに来たのと同じ方法で帰るってのは無理なの?」
ここに来た方法。つまり超能力による瞬間移動。それが一番手っ取り早い。
「無理だ。普段はものを動かすくらいしか出来ない。ここに生きたまま移動できたのは奇跡的こううんだった」
ユリウスが周囲の人間にバレることなく帰国する手段は無さそうだ。
「気になってたことがある。あたしが落ちたのって、ユリウスが脳を揺らしたとかそういうのが原因?」
平安貴族でもあるまいし、清乃は恐怖で気を失うような特技なんか持ち合わせていないのだ。
「うん」
「うんじゃないわ。二度とやらないでよ。危ないことだって分かってる?」
「悪かった。きんきゅうじたいだったから。二度とやらない」
危険人物の割に素直に、ユリウスは頷いた。
「よし。続けようか。あんたが居なくなった瞬間を見てた人はいる?」
「いない。部屋にひとりでいた」
「ひとりで婚約者の可愛さを思い出して悶えてたわけね」
頬を染めるな。可愛いじゃないか。
これほどの美少年が悶えるような少女とは、どれほどの人物なのだろう。俄然興味が沸いてきた。
「誰もユリウスが日本にいることを知らない。知られないまま帰国したい」
「そういうことだ」
「無理だよ」
「自分でなんとかする。スギタはここに置いてくれるだけでいい」
お坊ちゃんめ。簡単に言うじゃないか。
「ガタガタ言わずにさっさと帰りなさい! うちには食べ盛りの子どもを養う余裕なんか無いっつーの! 置いて欲しけりゃ日本円持って来な!」




