アイデンティティー
identity 正体
キラキラした少年が、清乃のベッドで眠っている。
あれ、最後にシーツ洗ったのいつだっけ、と思ったが、記憶を辿るのはやめておいた。
(ほんとにキラキラしてる。意味分かんない)
清乃が買い出しに出かけたのは昼前だ。気を失い、目を覚ましたときにはまだ明るかった。
窓から差し込む陽光が、ユリウスの金髪にスポットライトを当てている。むしろ髪の毛自体が発光しているようにすら見える。比喩表現でなく、マジで眩しい。
オヤツを食べたい時刻だが、清乃が遅い昼食に作ったのはオムライスだ。
箸を使えそうな外見ではない。子どもならケチャップは好きだろうと考えての献立だ。
高校生のときに作った特大オムライスは形は悪かったが、中学生だった弟には好評だった。彼はペロリと完食してお代わり、と言った。お代わりまでは作ってやらなかったけど。
ユリウスの寝顔は存外幼く、同じ年齢の弟が好む物なら気に入って食べそうに思えた。
(魔法使い、っていうのは多分違う)
清乃はいったん冷静になって、玉葱をみじん切りにしながら考えてみたのだ。
言葉の正確な定義は知らないが、清乃にとって魔法使いというのはお話の中の住人。ユリウスは多分、現実世界に実在している人物だ。
昔、超能力者について書かれた本を読んだことがあるのだ。フィクションだけど、地の文で詳しく解説してあった。
彼は超能力、PK、サイコキネシス、そういう名前を付けられている力を持っている現代人。
だから日本という国名を知っていて、勉強したことがあるのであろう日本語を喋ることができる。日本語よりは世界の公用語とされる英語のほうが得意。でも時々呟く母国語と思しき言語は清乃の知らない国のもの。
リモコンを操作し、テレビを観ていた。通信手段を取り上げるために携帯電話を隠した。
超能力。充分非現実的な話だが、目の当たりにしてしまったのだから信じる信じないを論じる段階は過ぎた。
ユリウスは自国から、無意識のうちに瞬間移動して清乃の部屋にやってきてしまったのだ。
読んだ本には、念力を使うとひどく消耗するとあった。それが多分、彼の顔色の悪さにつながっている。
「ご飯できたよ。起きて。ええと……ウェイクアップ。レッツイート」
弟を起こすときよりは遠慮がちに、しかし乱暴に肩を揺すると、ぼんやりした顔のままユリウスはベッドから降りた。
髪が乱れている寝呆け顔は色気なんかよりも年相応の男の子らしさが全面に出ている。顔色も多少はマシになった。可愛いかも、とうっかり思ってしまう。
こんな子どもに怯えてしまったのかと、清乃は急に先ほどの自分が恥ずかしくなってきた。
コタツに用意された食事を前に、ユリウスは逡巡ののちに両手を合わせた。
「いただきます」
言葉を探す顔をしていたから、清乃がお手本を見せてやった。
「いただきマス」
右手でスプーンを持つ。オムライスの端に切り込みを入れて掬い、口に運ぶ。ひと口があまり大きくない。食べ方が上品だ。
清乃はユリウスの正面に座って、彼を観察しながら自分の皿にスプーンを付けた。
「!」
スプーンを口から離した瞬間、ユリウスの動きが止まった。かと思ったら、すぐにまたもうひと口。今度はさっきよりも口が大きい。
せわしなく咀嚼すると、やや興奮した様子で皿を見直した。
「おいしい。これスギタが作ったのか? なんていうりょうりだ」
「オムライスだよ。ケチャップ味だから、誰が作っても美味しくなるの」
「オムライス! すごいな!」
そういえば、日本で生まれた料理なんだっけ。
玉葱と人参を細かく刻んで鷄ミンチと一緒に炒めて、ご飯と混ぜてマヨネーズとケチャップで味付けする、実家の母がよく作ってくれた普通のチキンライスだ。卵はふたつ。ふわトロになるよう手早く形を整えてライスの上に乗せてから、菜箸でつついて開く。
卵の形に差異はあれど、成人済みの日本人なら作れる人のほうが多いと思う。
「……やっぱ子どもじゃん」
清乃の呟きを聞き咎めて不満気な顔になったユリウスだったが、文句を言うことなく黙々と食事を平らげた。彼は食べ盛りの少年らしく物足りなさそうな表情を見せたが、清乃が食べ終わるのを待って手を合わせた。
「ご馳走様でした」
「ごちそうさまでした」
だからあからさまにまだ食べたいって顔をするな。お子ちゃまめ。
清乃は仕方なく立ち上がると、キッチンからみかんを山にした器を持って来た。実家から箱で送られてきたものだ。食べ終わった皿を小さなコタツの端に寄せて、真ん中にみかんをドサッと置く。
「食べ方、分かる?」
「分かる。サツゥマは食べたことがある。おれもすきだ」
「サツゥマ?」
「? 日本ではちがうなまえ?」
「…………みかん」
「みかん」
なんだこの呑気な異文化交流。
「サツマなんて初めて聞いた。どこの国の言葉?」
世間話の振りで清乃がさらりと訊いてみると、ユリウスは視線を鋭くした。油断のない眼をしたまま、にっこり笑う。
その手にはサツマ。もう怖くない。
「スギタはちいさくてかわいい。かしこいことはかくしておいて、ゆだんさせておくほうがいいよ」
「やかましいわ!」
清乃はコタツの天板を押してユリウスの胸部を攻撃した。大した打撃ではないが、大事なのは勢いだ。
ここでの上下関係を叩き込んでやるのだ。
「大人舐めんなよ、この迷子が! あなたのお家はどこですかって歌ってやろうか!」
姉弟喧嘩の要領でまくし立ててから気づく。このネタ、日本人にしか通じないかも。
ユリウスは歳上女性の啖呵にたじろいだが、すぐにムッとした顔になって言い返した。
「おれはまいごじゃない」
「帰り道が分からなくなったら迷子だよ。お家の人に連絡したげるから、住所と電話番号教えな。国際電話なんてかけたことないけど、なんとかなるでしょ」
「…………だからおれは」
「ファンタジーごっこ、まだ続ける気? いつまでも子どもの遊びに付き合ってらんないのよ」
「スギタ」
む、と口を尖らせるユリウスに、清乃は掌を向けて制した。
「アレはもう使わないで。PKなんてサッカーだけにしといてよ。あんたアレのせいで、そんな具合悪くなってんでしょ」
青い目が円くなると、余計に幼く見えた。
「……スギタ」
「あんたはどこか日本じゃない国から、自分の意思とは無関係にここに来ちゃったってことなんでしょう」
「…………そのとおりだ。だけど、国の名はいえない」
「なんでよ。どこの隠された王子様だってのよ」
ユリウスの目が更に見開かれた。青い球がぽろんと落ちてきそうだ。
「キミはなにものなんだ」
「ただの大学生だけど。何よ」
「なぜ、おれがおうじだと。まさか、おれがここに来たのはキミのせいか?」
しばし沈黙が広がった。
怪訝顔の清乃と、驚愕顔のユリウス、ふたりは黙ってお互いの表情を見つめた。
「…………ん?」
「…………え?」