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ネゴシエーション

negotiation 交渉

 なんなんだ、この状況は。

 頭が混乱してきた。

 暴漢に怯える。それだけでキャパがいっぱいだったはずなのに。

 暴れたせいで色々乱れている清乃の眼前で、正統派美形の金髪碧眼男がひざまずいている。

 何これ。ときめかなきゃいけないの?

「なまえ。おれはユリウス。キミは?」

 ユリウス。彼の母国語の発音だろうか。聞き取りにくかったけれど、多分片仮名にしたら、ユリウス、だ。

 ファーストネームを告げられたようだが、清乃は同年代の男子に名前で呼ばれることに慣れていない。

「スギタ」

 ボソッと苗字だけ名乗ってから、しまった、馬鹿正直に本名をバラしてしまったと焦る。

「スギタ、さん。かってにへやにはいってごめんなさい。おれはどろぼうじゃない。しんじるのはむずかしいとおもうけど、おれはきづけばここにいて、そこにキミがかえってきた」

「……はあ」

 やっぱり薬物中毒者だろうか。

 白い詰襟に金釦、飾り紐の色も金。勲章のような物がいくつか左胸に飾られている。下は真っ直ぐな白いズボン。靴下も白。形だけ見れば男子高校生の制服のようだか、色は白。漫画かよ、と突っ込みたいデザインだが、王子様な外見によく似合っている。

 麻薬とかそういう裏社会の話は清乃にとってはフィクションの中にしか存在しないものだ。目の前の王子様もフィクションのようで、そう思えば、そのふたつの組み合わせはしっくりくるような気もした。

「おしえてほしい。ここはにっぽん、であってる?」

 国を越えてやって来たのか。無自覚のまま? パスポートはどうした。

 おまえは御伽の国の住人か。

 そう腹の中で突っ込んでから、その可能性について考えてみる。

 登場人物が本の中に入って、もしくは本から飛び出してきて、という物語はそう珍しいものではない。子ども向けの絵本、童話から、漫画、小説に至るまで、枚挙にいとまがない。

 見えない力で拘束された、アレ、は魔法とかそういうものの類だとでもいうのだろうか。

 そこまで考えて、清乃は首を振った。

 しっかりしろ。いくら文学部に進学した本の虫だからと言って、思考が飛躍するにも程がある。

「合ってます。日本です」

「…………やっぱり。まいったな」

 日本語が上手い。発音は平坦だが、言葉の選び方に違和感はない。夜になると湧き出てくる酔っ払いよりもよっぽど確かな日本語だ。

「ユリウス、さんはどこの国から来たんですか」

 日本の流儀に合わせて敬称を付けてくれた相手に敬意を表して、同じようにさん付けで問いかけてみる。

「ん? ……それはないしょ、にしてもいいかな」

「…………ご勝手に」

 誤魔化すようなにっこり笑顔に、清乃は鼻を鳴らすのだけはこらえて、白けた答えを返す。

 ユリウスは床に膝をついた姿勢のままだ。

 清乃より視線を低く保つ姿は、害意はない、の言葉をとりあえず信じてみようと思わせた。

 とりあえずは差し迫った危険は去ったものとしてもよさそうだと、清乃は少しだけ冷静さを取り戻してきた。

 ユリウスは笑顔を貼り付けたまま、両掌を見せた。

「あの、スギタさん。コブシをにぎるのやめてほしい。さっきのけり、けっこうきいてる。いたいのこわい」

 おまえが言うな。

 つい先ほど力負けしたばかりの清乃は憮然として、だが一応拳を開いた。

「…………ならもう少し、後ろに下がってください」

「わかった。はなれる」

 話が通じない相手ではない。交渉は可能だ。

 ユリウスがいつでも動ける膝立ちから、床に尻をつける胡座の姿勢になる。

 清乃がユリウスの言葉に従うと、彼も同じように要求を呑んでくれた。

 これはいいことなのだろうか。

 本能のまま自分の気分だけで犯罪を犯す人間よりも、彼のように理性的な犯罪者のほうがタチが悪い気もする。

「けいかいするのはとうぜん。だけど、いまおれにはいくばしょがない」

 だから何。

 わたしには関係ない。早く出てって。

 清乃は喉まで出かかった台詞を呑み込んだ。逆ギレされたらたまらない。

「………………」

「スギタさん、これみて」

 掌を天井に向けて差し出されたユリウスの右手には、床に落ちていた文庫本が載っていた。

 清乃は黙ってそれを見る。

 すると、彼女の目の前で、文庫本が宙に浮いた。

「〜〜〜〜っ!」

 ベッドの上で全力で後退りする清乃を、文庫本がふよふよと追いかけてくる。

 背中が壁にぶつかって、それ以上逃げられなくなった彼女の眼前で文庫本はぴたりと止まった。宙に浮いたまま。

(やだやだやだやだやだ。無理ムリむり無理無理。あたしこういうのは二次元だけで満足してるから!)

 清乃に手品の知識はないが、こんなのマジシャンとかそういうレベルの話じゃないことくらい見れば分かる。糸に吊るされるわけでも、透明な台が支えるでも強い風が吹くでもなく、物質が宙に浮くわけがない!

 誰かこの非常識な男に、林檎が落ちるところを見せてやれ!

 タネも仕掛けもないのは明らかだ。

 さっきのアレ、は気のせいでもなんでもなく、やっぱりこの男がやったことだったのだ。

 これはあれか。始まったのか、ふぁんたじーの世界。迷い込んでしまったか!

 方向感覚は人並みだったはずだ。自宅で違う世界に迷い込むとか、あり得ない。どんだけうっかりなんだ自分!

 涙目になる彼女の膝の上に、文庫本が優しく着地した。

「おれは、ここのせかいのにんげんじゃない。だけどすぐにかえるほうほうがない」

 その先の展開は、手に取るように分かった。

 なんてお決まりな。だが清乃の答えは決まっている。

 だが断る、だ。

「同情する! 可哀想だと思うけど、あたしは無理!」

「……なにが」

「ここには置いてあげられない! 知り合いの男紹介したげるから、そっちで泊めてもらって!」

 成人済みの女性として恥ずかしいくらいの情けない顔で、清乃は懇願した。

「そっちといわれても」

 わけの分からん力を持つ別世界? 異世界? の住人のイザコザに巻き込まれるなんて、全力で回避すべき案件だ。

 法的には成人しているとはいえ、清乃はまだ親の脛かじりの学生だ。

 真面目な学生と胸を張って言うことはできないが、だが敢えて主張させてもらう。

「あたしは勉学を第一とする学生なの! まだ親に養われてる身で、他人の世話なんてできない。ユリウスさんの事情は知らないけど、助けにはなれない。一日だけ泊めてくれる人を紹介することはできる。どこかの施設で保護してもらいたいなら、調べてそこまで付き添うくらいはできる。でもそれ以上は無理。ごめんなさい!」

 怖くてユリウスの目を見ることができない。だから清乃は下を向いたまま、思いつく限りの代替案を一気に捲し立てた。

「……ふうん」

 思案気な声をもらすユリウスに、清乃は期待感を込めて視線を合わせた。

「分かってくれた……、っ⁉︎」

「こまったな」

「困ってるのはこっちだっ。放して、離れてっ」

 いつの間にか間近に迫っていたユリウスに掴まれた両手を取り返そうと、清乃は力の限り暴れた。

 恐怖の種類が変わった!

 美形が色気を振り撒くな! 異性と縁のない女にも分かるフェロモンを出すな!

「かってにはなしをすすめておわらせないで?」

「小首を傾げるな! 色仕掛けとか勘弁して!」

「えー。めんどくさいたいぷのおんなのひとかあ」

 にこにこしながら迫ってくる美形男が、何やらほざきながら更に距離を詰めてくる。

「そうだよめんどくさい女だよ、金髪碧眼の色気に当てられるほど経験積んできてないから! 他当たって!」

「なにをしかけられてるかは、りかいできてるわけだ」

「分からいでかっ」

「こまったな。これでほだされてくれないなら、もっとすすまなきゃだめかな」

 毛穴のひとつも見えないツルッツルの肌が迫ってくるのを必死で避けているうちに、清乃はベッドに倒れ込んでしまった。

 のしかかられたら、恐怖が増す。

 害意はない、は本当なのかもしれない。ユリウスは女性に接近して嫌がられたことがないような顔をしている。

 この行為が清乃を害するなんて思っていない可能性がある。最低だ。

 こんな状況を楽しめるだけ、経験値上げとけばよかった!

 友人のひとりの顔を思い出して、そう後悔する。彼女みたいに遊んでおけば、こんな美形と、と喜べたのかもしれない。初対面の相手ととかあり得ない、なんて言わずにちゃんと話を聞いて多少真似するくらいしてみとけばよかった!

「進むなら外に向かって進んでってよ!」

「むりだよ。はなしをきいてくれるまで、このままつづけるよ」

「きく! 聞くから早くはなして!」

 放して、なのか話して、なのか、清乃自身も分からないまま叫んだ。強いて言うなら両方だ。

 早く手を放して、話して出て行って欲しい。

「ありがとう。じゃあはなしをすすめよう」

「……聞くから。その前に離れて」

「そうしたらキミはまたにげるんだろう。てきにうそをつくのはわるいことじゃないけど、むだなていこうはじぶんのくびをしめるだけだよ」

 彼が言うことはもっともだ。清乃は大人しくすると見せかけて、逃亡を図った。そしてそのせいで、彼に警戒されて不本意な状況から逃げ出すことができない。

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