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セイグッバイ

say goodbye さよならする

 物音に清乃が目を覚ますと、室内はもう明るくなっていた。

 予告どおり、大人組が帰ってきたのだ。

 酔っ払いというほどではないが、玄関から聞こえてきた声のテンションが少しおかしい。

 フェリクスとエルヴィラはふたりで飲んできたのか。年末年始に開けている店があったのだろうか。

 コンビニ酒ではないと思いたい。チャラ男め、まさかお姫様に路上飲みを強いてないだろうな。

 わざとらしく音を立て騒がしく入ってきたフェリクスは、目を擦りながら起き上がった清乃を見てすべて悟ったらしい。

 彼はそれまでの気を遣うような素振りをかなぐり捨てた。



『喰っちまわなかったのか。日本の女はやり方知らないのか!』

 何を言っているのかは分からないが、伝わった気がした。

 清乃は眠ったままのユリウスから離れ、声をひそめてフェリクスに言い返した。

「日本にはね、武士は食わねど高楊枝って言葉があるの」

「キヨはブシなのか」

 伝わっていない。当然か。異文化交流は、かくも難しく面倒臭い。

「チャラ金髪には、息子のためにぼろ刀で切腹する武士の気持ちなんて一生分からないだろうね」

「まずなにをいっているのかわからない」

 そうだろうよ。あの名作を読めないなんて可哀想なヤツめ。

 映画も正月の十時間ドラマも最高だったが、清乃は原作で一番泣いた。小説は読めないだろうから、Study Bushidoとメッセージを付けたDVDをボストンに送りつけてやろうかな。いや待てよ、武士道を学べ、なら別の作品のほうがいいか。


「とにかくフェリクス。保護者のくせに、自国の王子を熨斗つけて差し出さないでよ」

「ノシ。ああ、コ」

「アレ! あんたがユリウスに渡したんでしょ」

「アレがなにかはわかるのか。わかるならオトコのきもちをかんがえろ」

 フェリクスがいつになく批判的だ。いつもはチャラチャラヘラヘラしているだけのくせに。

「見ちゃったあたしの気持ちをまず考えろ」

「だいじなものだぞ。キヨももっておけ」

「胡散臭い外国人から性教育を受けるつもりはない」

「くにじゅうのオンナがコイツをほしがってるのに。キヨもったいないことした」

 そんな大袈裟な、と思ったが、眠れる美少年を見ると納得してしまう清乃がいた。

 というかこっちが喰うほうなのか。さっきは清乃も年齢的に見栄を張ってそんなことを言ってはみたが、外野に言われると複雑だ。

 ユリウスが据え膳? 普通逆じゃないのか。

(……逆じゃないな)

 だって今、確かに少しもったいなかったかもと思ってしまった。


「それなら尚更、もっと大事にしてあげてよ。子どもに悪いこと吹き込まないで」

『哀れ、ユリウス。初心者にバージンは難易度高かったか』

「なんか言った?」

 分からないはずの外国語を聞き咎めて、清乃はイラっとした。

 それまで面白そうにふたりのやりとりを見ていたエルヴィラがふふ、と声に出して笑った。

「素敵だ。キヨには魔女になる未来があるということだな」

 エルヴィラは昨夜というか本日未明、闇の中で見たときは確かに血の色の髪と金の瞳をしていた。窓から差し込む朝陽は、彼女の髪を赤褐色に見せていた。瞳の色は金色がかった茶色だ。

 魔女の生態だろうか。


『……やめろ、エルヴィラ。おまえが言うとシャレにならない』

 話し声に気づいて目を覚ましたユリウスがエルヴィラに文句を言った。

「本当だよ。これから関わる男によって、あなたは魔女になるかもしれない。こんな綺麗なだけの男にくれてやるのはもったいないよ」

 実姉と従兄に事情が筒抜けだ。ユリウスは年頃の男の子として抗議した。

「オレが初めての相手で何が悪い!」

 そっちか。

「違うでしょ。他人の性体験について本人の目の前で議論しないでよ」

「わたしの初めての相手はこいつだ。失敗だった」

『! ‼︎』

 十七歳が姉の告白に衝撃を受けている。

 親しくない清乃も同様だ。何故この美しいひとがフェリクスなんか相手にしたのだ。

『今更バラすなよ。ユリウス、違うぞ。俺たちはこいつを倒すためだけの子ども時代を過ごしただろう。あるとき気づいたんだよ。こいつも一応女なんだから、攻略しちまえばいいんだって』

『十四歳の小僧が十五の女を攻略できるわけないだろう。攻略されたのはそっちだ』

『考えが甘かったんだ。まだ十四だったからな!』

「……ねえ、ふたりとも子どもの前でやめなよ。ユリウスがショック受けてるよ」

 よしよしと頭を撫でて慰めてやると、ユリウスが甘ったれた上目遣いになった。これがバカみたいに可愛いのだ。

「……キヨ。帰る前におゾーニ食べたい」

「分かったよ。みんな食べる時間あるの?」

「「ある」」

 大人組の息はピッタリだった。衝撃告白を聞いた後だと微妙な眼で見てしまう。

「いいよ。コタツに入って待ってて」



 コタツを囲んで四人でお雑煮を食べた。

 頭の色が全員違う。グローバルだ。

 食べ終わったら、三人ともご馳走さま、美味しかったよ、と言ってくれた。ユリウスがドヤ顔で全員分の食器を運び、さっと洗って部屋に戻ってくる。

 清乃も大人組に混ざって、コタツに入ったままその様子を見ていた。

「えらいな、ユリウス。キヨに教わったのか」

 エルヴィラが感心している。清乃の記憶を覗いたと言っていたからすでに承知しているものと思っていた。実際に眼にするとまた違うのだろうか。

「……なんかごめんなさい。大事な王子様に」

「なぜ謝る。むしろオレのほうが片付けの指導をしたぞ」

「余計なこと言わないでよ!」

 ユリウスを温かいと言えなくもない眼で見ていたエルヴィラが立ち上がり、着ていた男物の服を景気良く脱いだ。下にドレスを着ていると分かっていても、目のやり場に困る。男性陣は嫌そうに視線を逸らしている。

「これ、ありがとう。このまま返していいのかな」

「別にいいのに。どうせ処分する物ですから」

 ほんの三週間と割り切って、ユリウスが着るためにもらってきた古着だ。キラキラの王子様に着せるのが申し訳ないくらいくたびれているものばかりだった。

「捨てるのか」

 それなのに、ユリウスがショックを受けた顔になる。

「着ない服なんて取っておいても邪魔なだけでしょ。それとも持って帰る?」

「……また必要になるかもしれないじゃないか」

「馬鹿。次はちゃんと着替えくらい用意して来なさいよ」

 ユリウスの顔が分かりやすく輝いた。

「うん」

「これ、着てきた服。忘れないでね。着替えて行く?」

 王子様仕様の白い詰襟だ。最初は驚いたが、いつもこんな服を着ているわけではないらしい。普段はジーンズも履くし、学校では制服を着用する義務があるそうだ。

 式典でもあったのだろうか。婚約者と久し振りに会ったと言っていたから、その関係か。そこは敢えて追及せずにおいた。

 この服は汚したら怒られるから、とくたびれたトレーナーを着たまま、ユリウスは歳上の親族の側に立って清乃を見た。



 これでお別れだ。

 清乃は笑顔をつくり、コタツを端に寄せた部屋の真ん中で三人と向かい合った。

 ユリウスが一歩、清乃に近づいて両手を伸ばした。

「キヨ。ハグしてもいいか」

 直前で律儀に許可を求めるユリウスに、清乃は笑った。

「いいよ」

 どん、と音がしそうな勢いでぶつかった彼女を、細身の少年は危なげなく受け止めた。

 清乃が力いっぱいユリウスを抱きしめると、同じだけの強さの抱擁が彼女の小柄な身体に返ってきた。

「ありがとう、キヨ。助けてくれて。跳んだ先がキミの部屋でよかった。とても楽しかったから、別れるのは寂しい」

「あたしもだよ。楽しかった。今日から寂しくなるね」

 慰めるように成長途上の背中を叩くと、清乃の背に回された腕が動いて両肩に手が添えられた。

「……キスもしたい」

 耳元で囁かれた言葉に彼女が返したのは、顎を狙った軽い頭突きだ。

「調子に乗るな」

「最後まで厳しいな。友人としてだ。口にはしない」

「む」

 唇でないならセーフだろうか。欧米式の、ただの挨拶だ。いやいや、ここは日本、あたし日本人。

 返事に詰まった清乃の左頬に、ユリウスの唇が触れた。

「迷うくらいならYesでいいだろう」

「!」

 驚きに肩を跳ねさせた清乃の右頬にもキスが落とされた。

 してやったり、といった顔をして、ユリウスは身体を離した。

 代わりに長い脚で一歩前に出たフェリクスがひょいと身を屈める。

「うわっ」

「おまえまでするな!」

「Bye, Kiyo」

 フェリクスがユリウスの抗議を躱して後ろに退がった。

「ならわたしもしていいかな」

「えっ」

「だっからなんでキヨはエルヴィラにだけ赤くなるんだよっ」

 魔女はちゅっと音を立てて清乃の頬にキスをすると、蠱惑的な笑みを浮かべた。

「キヨは返してくれないのか」

 間近で魔女の目を見た清乃は衝動的に背伸びして、生まれて初めて他人の頬に唇をつけた。

「おかしいだろ! もういい、帰る!」

 二十代の三人で、少年の反応を見てケラケラ笑った。


「じゃあね」

 清乃は最後にユリウスとだけ目を合わせて微笑んだ。

「さよなら、キヨ」

 危ない。顔を歪めたユリウスを見て、うっかり泣きそうになってしまった。

「ばいばい、ユリウス。元気でね」

「オレが居なくなっても、ちゃんとゴミ棄てしろよ」

「ばいばい!」

 強く言うと、ユリウスが笑った。

 清乃も笑顔を返そうとして一度瞬きをしたら、三人の姿は消えていた。



 目尻を指の腹で押さえると、少しだけ水滴が付いた。でも滴るほどじゃない。

(かえっちゃった)

 日常がかえってきたのだ。

 別に泣く必要なんてない。

 清乃は元の生活に戻るだけだ。

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