リレイションシップ
relationship 関係
清乃は精一杯の笑顔を作った。強く見えるように。
「キヨ、オレ」
「それで? あんたいつ学校卒業するの?」
「……ん?」
ユリウスの反応を気にせず、清乃は続けた。
「大学にも行くよね。いつ就職する予定? 日本にはコネなんかないでしょ。仕事見つけられるの? モデルとかやる? それか翻訳家? 通訳? 田舎には仕事無さそうだね。あたしも東京で就職して待ってたほうがいい?」
まくし立てると、ユリウスが戸惑った。
「……えっと、キヨ。なんの話」
「将来の話だよ」
ユリウスが困っている。彼はこんな流れは想定していなかった。
「…………ごめん。オレは」
分かってるよ、ユリウス。
少し腹が立って、意地悪を言ってみただけだ。
でも彼はまだ十七歳の男の子だ。厳しいことを言い過ぎたら可哀想か。
清乃はつくり笑顔をやめて手を振りほどき、真顔で少年の額を叩いた。ぺちん。
「いたい」
「馬鹿だね、ユリウス。悪い大人の言葉を真に受けて、ヤリ逃げするような男になっちゃ駄目だよ」
「……ヤリ逃げって」
ユリウスはいい子だ。いいひとだし、きっといい男になる。
まだ世間擦れしてない、純粋培養の美少年。まだ十七歳なのに騎士道精神に溢れてキラキラしている。
そんな彼が初めての恋人になってくれるというなら、大歓迎すべきなのだろう。
ユリウスはきっと、優しい恋人として振る舞ってくれる。
「違うとは言わせないよ。男は最初の男になりたがる、女は最後の女になりたがる、って世間では言うらしいけどね。女だって、このひとには自分だけだって思えたら嬉しいものだよ。多分ね。想像だけど。あんた可愛いんだから、婚約者のためにももっと自分を大事にしなよ」
清乃の経験値の低さが、時々無責任な言葉を挟ませた。
「……それは男の台詞だ」
「大人が子どもに言う台詞だよ」
くそっと口の中で毒づいて、ユリウスはベッドに倒れ込んだ。
「キヨはひどい。最後まで子ども扱いするのか」
「お子ちゃまには添い寝でもしてあげようか」
そろそろ眠いな、と思いはじめた清乃は一度は下ろした布団をめくり、ユリウスの隣に潜り込んだ。
シングルベッドにふたりはさすがに狭い。上を向いて寝転がると、肩同士が触れた。
「拷問か!」
「うるさい。子どもは黙って寝な」
「襲うぞ」
「傷口蹴るよ。完遂できる体調でもないくせに。初心者がイキんなや」
「言い方!」
「あらごめんあそばせ」
ユリウスが母国語で何やら呟く。ちくしょう、とかそんなところだろうか。
彼は唸りながら仰向けになり、両手で顔を覆った。
「……楽しかったよ。ここに来てからずっと。最後にキヨの恋人になりたかった」
楽しかった。清乃もだ。
ユリウスは途中から、清乃を自分の女だと思うようになった。触れ合うことはなかったけれど、そういう気分で同じ部屋で寝起きしていた。
一緒に外を歩くときには寄り添って、すれ違うだけの他人を牽制するような態度を取った。完全に彼氏気取りだ。疎い清乃にも分かるほどだった。
すぐ隣でそんなふうにされたら、清乃だってその気になってしまう。
この綺麗な男はあたしのものだ。そんなふうに錯覚してしまいそうになった。
でも駄目だ。
清乃は割り切れない。
ユリウスは自分の国に帰ってしまう。大人になったら可愛い婚約者と結婚し、幸せになるのだろう。
他の女との未来が待っている男と、たった一度だけ、ひと晩ですらない短時間、関係を持つなんてできない。
そんなの辛すぎるじゃないか。
「そうだね。でもユリウス言ったじゃない。帰国したら招待してくれるって。元カノを婚約者に紹介できるの? あたしは嫌だよ。過去の男の結婚パレードなんか見たくないよ」
フェリクスは平気そうだ。彼は元カノをダースで自分の結婚式に招待して平然としているタイプだ。
「ゔ」
「無理でしょ」
「無理だ」
正直な少年に、清乃は笑い声をあげた。ベッドに肘をついてユリウスを見下ろした。もうひとつの手で布団の上からユリウスの胸をぽんぽんと叩く。
「好きだよユリウス。あんたいい子だもん。最初はムカついたけどね」
「あれは必死だったんだ。学校で壁ドンごっこが流行ってたから咄嗟に。反省してる」
「ろくな学校じゃないな」
王族も通うセレブ校じゃないのか。
「オレもキヨが好きだ」
「うん。だからこれで最後にするのは寂しいよ。今は平成、二十一世紀だよ。友達なら電話もメールもできるんだよ」
「男女の友情は成立しないんじゃないのか」
古今東西、論じ続けられている命題だ。そんなものは、自分たちで答えを決めるしかない。
「そんなことない。簡単だよ。今この瞬間、流されなければいい」
「そういうものか」
「そういうものだよ。そりゃああれだけお世話してあげたからね、あたしのこと好きにはなるでしょうよ。でもユリウス、それって恋愛感情じゃないでしょ」
「そんなこと」
「あるよ。たまたま性別が違ったから、身体の関係を持つのが正解な気がしてるだけだよ」
少しだけ嘘をついた。
この関係を恋にするのは簡単だ。これは恋だと、ふたりが認めるだけでいい。すごく簡単なことだ。
だけど清乃にはそうする気はない。
この気持ちは恋ではない。
だからふたりの間には、恋愛関係など成立しないのだ。
「なんでそんなに厳しいんだ。最後なんだから優しくしてくれたっていいだろう」
「拗ねるな、箱入り。甘やかされて育ってきたんだね」
「princeだからな!」
開き直ってしまった少年は、不貞腐れて目を閉じた。
清乃はその伏せられた金色の睫毛を見て、キスしたいな、と思ってしまった。
しまった。これが性欲か。それとも赤ちゃんや小動物に対するのと同じ欲求か。
自分でもよく分からない。ただ唐突に湧き上がった衝動を抑えなければならないのは確かだ。
「拷問かあ……」
自分で言い出したこととはいえ、我慢するのはなかなかしんどい。
「もういい。オレは寝るぞ」
仮眠程度にはなるが、眠っておいたほうがいいだろう。
三時間。大人組が強調していったのは生々しい時間設定だった。
初心者に何を期待している。勘弁しろ、と言いたい。
「はい、おやすみなさい」




