ニューイヤーホリデイ
New Year holidays 年末年始
平和だった同居生活は不穏なものになりつつあった。
一挙手一投足にケチをつけるユリウスに清乃は苛立ち、だらしない清乃にユリウスは文句を言わずにいられない。
そんなことをしているうちに、大晦日がやってくる。
ユリウスが居残ったためもあるが、今年は元々帰省の予定がなかった。
年末年始はアルバイト先の本屋も休みになる。
清乃はスーパーに年を越すための買い物をしに行った。
御節を作るほどのマメさも技術もないが、お雑煮くらいは作ってもいいかと作り方を調べた。年越し蕎麦は外せないし、テレビを観ながら食べるお菓子も欲しい。
そう言っていたら買い物メモがどんどん増えていき、清乃はユリウスも来なさいと引きずって行った。荷物持ちだ。
「こんなに買って食べ切れるのか」
「ユリウスの分だよ。自分がどれだけ食べてるか自覚ないの?」
「えっこんなに?」
「このくらい三日でなくなるよ。ちゃんと用意しとかないと年を越せない」
「……なんかごめんなさい」
「フェリクスが食費置いてったからいいけど。持つべきものは歳上の親戚ね。謝るくらいなら口煩くするのやめてよ」
「それとこれとは話が別だ」
面倒臭い奴だ。
清乃はユリウスがちまちまと玉葱を剥いている間に人参を刻んだ。
帰宅してから清乃が夕食の支度に取りかかると、ユリウスも手伝うと言ってキッチンに立った。狭いから正直邪魔なだけだが、玉葱の皮を剥かせてみることにしたのだ。
ちらっと横を見ると、真剣な顔をしてちまちまと爪を使って剥いている。たまにある剥きにくい玉葱だったようだ。
出来たぞとキラキラした笑顔で成果物を差し出してくる王子様。
「はい、ありがとう。もうやることないから、あっち行ってていいよ」
「ここで見ててもいい?」
「……いいけど」
ひたすら野菜を刻む清乃の後ろで、興味深そうにユリウスが眺めている。
切った野菜と水を鍋に入れて火にかける。野菜スープはそのまま放置して、メインに取りかかる。
玉葱人参鶏肉。炒めてマヨネーズとケチャップで味付け。白米投入。
「ケチャップ。え、オムライス?」
「うん」
「うれしい! キヨ、ハグしてもいい?」
「駄目に決まってるでしょ。危ないからあっち行ってて」
ユリウスにオムライスを作るのはこれで四回目だ。作りすぎだと自分でも思う。
なにやら情緒不安定なようだから、機嫌を取ってやるかと思ったのだ。
いただきます! と元気に宣言して、嬉しそうに食べる姿はもっと小さい子どものようだ。
「美味しい。でもなんで? 今夜は蕎麦だって言ってたのに」
「それはもっと後で。蕎麦は日付けが変わる前。それから初詣ね。せっかくだから行ってこようよ。国には神社なんてないでしょ」
「はつもうで」
「その年の初めにする神様へのご挨拶だよ。日本人の年始行事」
「礼拝みたいなものか」
「違う気がするけど、まあいいよ」
手を止めることなくぱくぱくと食べ続け、ごちそうさまでした、としたユリウスは、まだ食べている清乃を見ていた。
「……キヨ、ありがとう」
「ん? そんなに美味しかった?」
「うん」
「よかったね」
ユリウスはきっと、別れを惜しんでいるのだ。
三日後、今度こそ彼は去って行く。
全寮制の学校で他の生徒と同じように生活しているとは言っていたが、王子として窮屈な思いをすることもあるだろう。気ままで自由な異国の暮らしが恋しくなる日も、最初のうちはあるかもしれない。
清乃は彼が跳んだ先にたまたまいただけの女だ。今は懐く様子を見せているが、すぐに忘れてしまうに決まっている。
「だからこういうのは」
いつものように目深にしたニット帽、ぐるぐる巻いたマフラーに黒いロングコート姿のユリウスが、躊躇うことなく清乃の右手を掴んだ。
彼の指は細長く繊細で、逞しいものではない。だが清乃の手を握る力は思いの外強く、彼女を戸惑わせた。
寒さに鼻の頭を赤くして、清乃は抗議する。
「清乃は小さいから見失いそうだ。仕方ない」
唯一露出した青い瞳が楽しそうに細められる。
手を繋いで初詣。完全にカップルではないか。
「仕方なくない。放してよ」
「いやだ。いつもみたいに弟だと思えばいいだろう」
「高校生の弟と手なんか繋いでたまるか。気持ち悪い」
確かに近所の神社は思ったよりも人でごった返していて、はぐれてしまったら合流するのは難しそうだ。涼しい顔のユリウスと本気でやり合うのも却って意識しているようでかっこ悪い。
清乃は仕方なくそのままユリウスの好きにさせた。別に子どもと手を繋ぐくらいなんでもない、と自分に言い聞かせながら、無表情を心掛けて参拝の列に並ぶ。
清乃の部屋にユリウスが現れた。
あの日以来、清乃の心は乱されっぱなしだ。
美しいという表現がこれほど嵌まる人間も珍しいというくらい、綺麗な男の子。キラキラした笑顔で清乃に懐き、好意を示してくれる。
恋ではない。恋にしてはいけないと、お互いにちゃんと分かっている。
だけどクリスマスイブの日から、ユリウスの態度がおかしくなった。
年頃の男の子だから、それまでにも時々視線に熱がこもることには気づいていた。でもそれは仕方のないことだ。彼はそういう性を持っていて、衝動を持て余してしまう年齢なだけだ。
清乃が気をつけていれば問題は起こらないはずだった。
それなのに。せっかく清乃が努力しているのに、ユリウスがそれを台無しにするようなことをする。
それが彼女には耐えがたく感じるときがある。
どうせもうすぐいなくなってしまう人間のくせに、これ以上清乃の心をかき乱さないで欲しい。
参拝の順番が回ってきた。
がらんがらん、とユリウスが楽しそうに鈴を鳴らす。事前に握らせておいた小銭を彼がきちんと賽銭箱に入れるのを確認しながら清乃も投げた。
二礼二拍手、神様にお祈り、最後に一礼。
神様に願うほどのことはないから、今年もよろしくお願いします、とだけ心の中で呟いた。
「キヨ、あれ何?」
ユリウスは無邪気な顔をしていれば許されると知っているのだ。あざとい。
分かっていても可愛いと思ってしまう清乃に勝ち目はない。参拝後、当たり前のように再び手を取られても、もう文句を言う気にはならなかった。
「たこ焼き。食べる?」
「食べる!」
「ひとりで買える? あたし甘いのも食べたい。クレープ買ってくるから手分けしよう」
「分かった」
「神社出たところで待ち合わせね。鳥居の下なら分かるでしょ」
ようやく手が解放された。
クレープよりもたこ焼きの列のほうが長かった。
清乃はイチゴクリームのクレープを片手に人の波に逆らわない方向に歩いた。歩きながら食べたら人にぶつかりそうだ。気をつけて歩かなくてはならない。
鳥居をくぐってからも人に流され、歩道の隅でやっと立ち止まれる。ユリウスはまだだ。
できればたこ焼きの後にクレープを食べたかったが、仕方ない。手持ち無沙汰な時間にクレープの皮を口に入れて待つ。
そういえばまだ、ユリウスにあけましておめでとうの挨拶をしていない。ハッピーニューイヤーだと教えてやらなくては。
除夜の鐘はいつの間にか終わっている。
地元ではないから、どこの寺の鐘かは知らない。去年は実家に帰省していたから、ここの初詣は初めてだ。
友人はみな帰省してしまった。今年の年越しは独りでするものと思っていたから、初詣に来る予定もなかった。
ユリウスは、寂しい冬休みを送るはずだった清乃へのクリスマスプレゼントだったのだろうか。
ふとそんなことを考えてみる。
馬鹿馬鹿しい。彼をもらうわけにはいかない。ちょっと借りているだけだ。明々後日には、ちゃんと婚約者の元に返さなくては。
クレープを口に含んで、油断していた。
否、それは正確ではない。清乃は基本的にいつでも油断している。他の日の夜中ならともかく、今夜は人で溢れているのだ。緊張感など最初からなかった。
だってここは、平和な日本だ。




