ニューロジャー
new lodger 新しい同居人
「……キヨ。キヨノ。大丈夫か?」
大丈夫なわけがない。ふざけるな。
罵りたいのに口が動かない。
ぐったりして男の腕に支えられる、ヒロインばりのかよわい自分の姿に吐き気がする。違う、あんたはあたしのヒーローじゃないんだよ、ユリウス。
清乃が弱いのは見た目だけだ。子どもに支えられるなんて冗談じゃない。
かよわい女子大生なんて、現代日本では絶滅危惧種だ。
強制的に消耗させられ、こんな体勢にされるなんて。こんなの、許されるわけがない。
『ぐぉっ』
油断していたフェリクスの鳩尾に、清乃の右足がヒットする。
「ふざっけんなよ変質者。ユリウスも。顔出しな」
支えられた姿勢のまま低い声を出した清乃に、ユリウスは大人しく従った。
「……ハイ」
自分の力だけで身体を支えると、清乃は右手を振り上げた。
拳にしようかと思ったが、平手のほうがダメージを与えられるかと思い直した。
遠慮なく白皙の美貌を打つと、風邪の赤味とは別の朱が差した。
「二度とやらないで」
「……ごめん、約束できない。今キミが視た、フェリクスに視せられたことが起こってる。また必要があれば、オレは同じことをする」
「じゃあそのたびに、あんたの綺麗な顔は赤くなるよ。次はグーで殴る」
ダメだ。やっぱり気持ち悪い。
急に喉元まで迫り上がってきたものを無理矢理抑えて、清乃はトイレに走った。
驚いたユリウスがついてきて、えずく清乃の背をさする。
テレパシー、精神感応。そんなもの、活字から得たフィクションの知識しかない。
自分が体感する日がくるとは想像もしていなかった。
さっきの映像は、フェリクスの見たものだ。清乃の脳に直接送りこまれた。
あんなの、ユリウスの念力よりもタチが悪い。脳を侵される感覚のおぞましさに、身体が拒否反応を起こしたのだ。
嘔吐する姿を他人に見られるなんて最悪だ。弱った姿を見せてもいいと思えるほど、ユリウスとは親しい間柄になった覚えはない。
「…………見ないで。あっち行って」
拒絶する言葉に、ユリウスは黙って従った。
彼は基本的に清乃の言うことに対して従順だ。だから油断してしまった。裏切られた、と思った。押さえつけられるとは思わなかった。
必要な行動だったとしても、あまりにひどい。清乃は怒っていいはずだ。
清乃は胃の中身をすべて吐いてしまうと、口をゆすいで部屋に戻った。
「……キヨ」
「謝るくらいなら最初からやらないで。次はないと思いたいけど、万一のときは事前に説明して」
ユリウスがこんな暴挙を許した理由は清乃にも分かった。
フェリクスに映像を視せられなければ、清乃は彼らの話を真剣に受け止めようとしなかったはずだ。
だってあんなの、あまりにも現実味がない。
ユリウスが国から姿を消したことを、しばらく誰も気づいていなかった。フェリクスが力を使って探し、ユリウスが日本にいることを突き止めた。
フェリクスの遠隔視は、物理的距離が近づくほど精度を増す。透視に近い力の使い方に変わってくるからだ。
周囲の人間に王子の不在を隠したまま、フェリクスが日本に送られた。
彼はアルバイトをするユリウスを肉眼で確認し、清乃の存在に疑問を持って跡を尾けた。ユリウスが部屋を出た隙に侵入し、清乃を尋問、必要なら捕らえるなりするつもりだった。
その蛮行に、囚われの王子様だったはずのユリウスが激怒した。
スピード勝負の近接戦で彼の念力に敵う者はおらず、フェリクスはわけが分からないまま外に引き摺り出された。
フェリクスが近くを流れる川に放り込まれ沈められ、顔を上げたところで彼らはようやく異変に気づいた。
「漁夫の利掻っ攫われるところだったんじゃん……」
「ぎょふのり」
「海苔じゃない。あんたたちが喧嘩してるところを、変な集団に襲われたって話でしょ」
「多分近所のマフィア。フェリクスを尾けてきたみたいなんだ」
「近所って言い方やめてよ。怖い話はあたしと関係ないところでやって!」
マフィア。日本でいうところの暴力団のような組織という認識で合っているだろうか。
異国の王の息子。関係者に清乃の存在が知られないようにするという条件で、日本滞在中の宿を提供する約束をした。
まさか間抜けなエスパーが、怖い団体を引き連れてやって来るとは。そんなことは想定していなかった!
超能力を使った喧嘩、息も絶え絶えなふたりを取り囲んだいかつい外国人が拳銃を抜く。
乱射事件なんてニュースは見ていない。騒ぎにはなっていない。消音装置付き?
気づいたユリウスが全員の手から銃を取り上げる。
敵は六人。全員を倒す力は、ユリウスにはない。そこまで都合の良い能力ではないのだ。
フェリクスがユリウスの頭に触れる、映像がトぶ。
最後の映像は、清乃の寝顔だ。
「自分の寝顔なんか初めて見たわ! 勝手に見るな変態!」
脳裏に蘇った間抜けな姿に、清乃は声をあげた。
日本語の抗議はフェリクスに届かず、彼はにやにやするだけだった。
「大丈夫だ。キヨはかわいい」
「小さい子みたいで悪かったな!」
同居二日目にユリウスに言われたことだ。
『何を騒いでるんだ、その子は』
『全部に怒ってる。強制的な精神感応、マフィアの存在、寝顔を見たこと』
『なんだ最後の。可愛かったとでも言っとけよ』
『言ったら余計怒った』
「ユリウス、瞬間移動できないって言ってたじゃん。あれ何? 嘘? それともテレパシストがテレポートもできるっていうの?」
「フェリクスがいればできる。彼がキヨの部屋の映像を視せてくれたから、ここまで跳べた」
ファンタジー色が一気に濃くなってきた。逃げたい。どこに逃げればいい。
「ならもう、今すぐ帰ってよ。家までひとっ飛びなんでしょ」
その場合、フェリクスの入国記録は残ったままになるのだろうか。そのくらい、国家権力でなんとかしろと言いたい。超法規的措置、超能力よりも現実的でいいと思う。
「……そうしたら、キヨが危なくなるかと思って」
「はあ?」
「交通量調査のバイト、見られてたかもって。フェリクスが」
最悪だ。最悪の形で巻き込まれた。
「Shit !」
「なぜそこだけ英語」
「そこの馬鹿野郎に聞かせるために決まってんでしょ」
だんだんと気持ちが芸人寄りになってきた。
しっかりしろ清乃。そっちじゃなくて、昔学校の課題で読まされたバイリンガル小説を目指すんだ。
「つまり何? あたしヤバいの? 美少年好きのマフィアに人質にされた挙句売り払われる? 美女じゃないからって、扱いがひどすぎるよ」
ユリウスが嫌そうに鼻の頭に皺を寄せた。
「ベツに顔を狙われてるわけじゃ。それにキヨはかわいいって」
「慰めるな美少年。惨めになる」
「待って落ち着いて。話を勝手に進めて勝手に結論出すの、キヨの悪い癖だ」
「落ち着いたらなんとかなるの?」
「問題を片付けてから帰るよ。キミに迷惑をかけないよう処理する」
ユリウスは言い切るが、簡単な話ではないはずだ。処理という言葉選びも怖い。
「そんなことできるの?」
「フェリクスがいれば多分。だからキヨ、申し訳ないんだけど」
こうして清乃の狭い一Kでの三人暮らしが始まったのだった。