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イートアウト

eat-out 外食する 

 久しぶりの焼肉は美味しかった。

 初めての焼肉店にはしゃぐユリウスに肉を焼いてやりつつ、オレも焼いてみたい、と言う彼に焼き方を指導しつつ、清乃も満腹になるまで食べた。安い肉でも腹を減らした若者には充分旨く感じるし、少年の食べっぷりを見ながらだと尚更だ。

 野菜も食べなさいよ。巧く焼けたぞ、食べてみろ! よし合格、絶妙な焼き加減!

 大学に近い店内は若者が多く、夜はほとんど居酒屋状態になる。ふたりが多少騒いでも目立つことはなく、帽子を被ったままのユリウスが注目されることはなかった。

 楽しくなった清乃は調子に乗ってビールを頼み、羨ましがるユリウスを牽制しながらひとりで飲酒するという暴挙に出た。


「いや、おかしいだろ! 弱いなら飲むな!」

 少年がわめくのも当然だ。

 生中お願いします! と元気に頼んだ割に、清乃は一杯だけで顔を真っ赤にしてしまった。

 オレも飲みたい、と言って聞き入れてもらえなかった未成年は、自己管理のなっていない大人を抱えるようにして帰る羽目になってしまったのだ。

「いいでしょ。あたしおとなだもーん」

「大人なら自分の酒量くらい把握しておけ」

「してるもん。生ビール一杯。それ以上飲んでないでしょ。ほらぁおとな!」

 足元が怪しい。

 真っ直ぐ歩いているつもりで、時々右に左に揺れながら進む清乃の右肘を掴んで、ユリウスはげんなりした顔になった。

「どこの国も酔っ払いは同じだな」

「なによ。酔ってるけどちゃんと自分で帰れるもん。証明するから、あんたちょっと離れて歩きなさい」

「馬鹿言うな。誘拐されるぞ」

 飲み屋街に近い通りは同じような酔っ払いが多く歩いていて、ユリウスはそれが気になっているようだった。

「ナンパじゃなくて誘拐か。つくづく失礼な子ね」

「知ってるぞ。絡み酒っていうんだろ、それ」

「絡んでるのはユリウスでしょ。手ぇ放してよ。ちゃんと歩けるから」

 右腕を取り返そうと引っ張る清乃を見下ろして、ユリウスはそのまますたすた歩いた。

「暴れたら手を繋ぐぞ」

 どういう脅し方だと思いながらも、清乃は怯んでしまった。

 飲んでいて良かった。すでにこれ以上赤くなりようがない顔色になっているからだ。

 初日以来、彼が清乃の羞恥心に訴えてきたのはこれが初めてだ。

 急に機嫌が悪くなってしまったのか。未成年は飲むなと言われたのが悔しかった?

「……なに。どうかしたの?」

 目の前でひとりビールを呷るのは、気のいい少年を怒らせるほどのことだっただろうか。

 そうかもしれない。ドライバーに気を遣わないようなものか。

 それは確かに悪いことだ。

 オレが払う! と人生初の給料で奢ってくれたユリウスに対する配慮が足りなかった。

 ユリウスの態度に不安になってきて、見上げる視線がおもねるような色を帯びてしまう。

 眉をひそめてそれを見下ろすと、ユリウスは溜め息をついて清乃から手を放し、目を逸らした。

「……オレも飲みたかった」


 拗ねた口調に、清乃は安心して笑った。解放された右肘を曲げて、今度は自分がユリウスの左肘を捕まえる。

 何故か彼はギョッとした顔になって身を引きかけたが、すぐに諦め顔になってコートのポケットに両手を突っ込んだ。

 ユリウスの左腕と身体に右手を挟まれてしまった。そこではじめて腕を組んでいる形になっていることに気づき、清乃は慌てて右手を引き抜いた。

 おかしい。同じことをしただけなのに、身長差のせいで連行が腕組みに変わってしまった。不覚。

 ひとりでバタバタする酔っ払いには視線をくれず、ユリウスは悠然と歩を進めた。

「仕方ないでしょ。成人してから出直しておいで」

「うちでは親同伴なら十七歳でも飲める。キヨよりオレのほうが強い」

「そうなの? そういや、白人(むこう)のひとってアルコール分解酵素が日本人より優秀なんだっけ」

「向こうにはこんな弱いひとはいないな。だからキヨよりオレのほうが飲む権利があるはずだ」

「権利って何よ。ってかあたし親じゃないし。親がいたとしても日本では駄目なの」

 少し思案顔になってから、ユリウスが提案した。

「なら買って帰って飲もう。一杯だけだ。そのくらいいいだろう?」

 そのくらいいいのかな、と清乃は一瞬流されそうになったが、すぐにキッパリと首を振った。

「だーめ。家に帰っておうちのひとと飲みなさい」


 ふたりきりでの宅飲みは、付き合ってもいない異性としていいものではない。そんなことを考えたことも、ユリウスにはばれたら駄目だ。

 残りの二週間を平穏なものにするために。

 清乃にとってのユリウスは、保護すべき子ども。そのスタンスを変えては駄目なのだ。

 酔いが冷めてしまった。

 心なしか気まずい空気を漂わせながら、アパートまで歩いて帰った。

 今夜は夕食を作る必要がないため、朝のうちにユリウスが掃除を済ませておいてくれた浴槽に湯を溜めていく。

 帰ってすぐエアコンのリモコンに手を伸ばすユリウスを尻目に、清乃はコートを脱いで椅子に引っ掛けた。

 一週間でずいぶんまともな部屋になった。常に他人の目があるから、床に物を放置するのをためらうようになったのだ。


 そこまで動くと急にすべてが億劫になって、清乃はその場にごろりと横になった。

 優秀な居候が毎日掃除機をかけているため、フローリングに転がっているのは酔っ払いひとりだけだ。

「……ゆりちゃん、お茶いれてー」

「! 酔っ払いが!」

 信じられない、といった反応をしながらも、王子様は麦茶を淹れたコップを持ってきてくれた。

 清乃はのろのろと身体を起こして、コタツの前にぺたんと座った。麦茶をひと口だけ飲むと力尽きてしまい、天板に突っ伏す。

「こら、そこで寝るな。ベッドに行け」

「やだよ。ここ、つめたくてきもちい」

 冷たい天板が火照った頬から熱を奪ってくれる。

 ぽやんとする酔っ払いから、ユリウスは嫌そうに距離を取ったままでいた。

「オレは素面だから寒い」

「あそ。そろそろお風呂沸くかな」

「明日にしとけ。溺れるぞ」

「やだ。今日は一日中排気ガス浴びたんだから、お風呂入ってから寝たい」

「……綺麗好きなんだか、なんなんだか」

 初日の汚部屋を思い出しているのだろうユリウスが呆れた口調で呟く。

「日本人は一日の終わりにお風呂に入るものなの。これだからお子ちゃまは。分かってないなあ!」

「はいはい。どうせオレは子どもだよ。ほら、入るなら入ってこい」

 言葉だけで追い立てられ、清乃はパジャマを出してのろのろと風呂場に向かった。

 一番風呂は清乃、その後でユリウス、が同居の決まり事だ。出る前に色々気を遣う必要があるが、家主として当然の権利であるとふたりで決めたのだ。

 ひとり暮らしの部屋に独立した脱衣所なんてものはなく、入らないほうは部屋の扉を開けずに待つのも大切な約束事だ。

 部屋を出たらそこはキッチンになっている。左手に冷蔵庫、流し台、コンロが並んで、その向こうはもう玄関だ。右手は洗濯機、短い壁を過ぎると半畳ほどの空間がぽっかり空いている。キッチンを背にその空間に立って正面がトイレ、右が洗面台、左が浴室。これが大学生のひとり暮らしの部屋のすべてだ。


 アルコールでデコルテまで真っ赤になった身体と髪の毛を洗って、浴槽に膝を抱えて座る。

 あたたかい。

 熱めのお湯に身体がほぐされていく。

(今日は楽しかったな)

 ユリウスとふたりでダラダラ喋りながら半日アルバイトをして、受け取った給料で外食して久しぶりにお酒も飲んだ。

 正直言ってビールは苦いだけで美味しいとは思えないのだが、ユリウスの前で大人振りたかっただけだ。

 楽しかったのだ。

 ユリウスとのふたり暮らしは楽しく、快適だ。

 今日は楽しかった。

 でももう、一日中一緒にいるのは無しにしよう。これ以上彼に近づいては駄目だ。

 彼は清乃とは住む世界が違う人間で、あと二週間すればいなくなるひとだ。

 美形な上に性格も良い、物語の中にしか存在しないような王子様。うっかり好きになってしまったら、後が辛いだけだ。ちゃんと分かっている。


 …………のぼせそうだ。アルコールがだいぶ回ってしまっている。

 清乃は気合いを入れて頭を浴槽の縁から持ち上げた。

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