一話、ひょんなことから異世界に
あたしは満月が照らす中を走っていた。
ふらふらと夜道を歩きながらもここがどこなのかわからずにいた。ていうか、あたしは学校の帰り道だったはずなんだけど?!
何故、こんな事になったのか。混乱しながらも足を進める。そして先程に起きた事を思い出した。
その日は普通に高校――櫻木高校から家路を急いでいた。速歩きでいたのだが。ところがいきなり目の前に黒い影が差した。
「……あれ。おかしいな。まだ夕方なのに」
そう言いながらふと立ち止まる。空を見上げたら。何か大きなモノが降ってきた。否、それはあたしに狙いを定めて襲いかかってくる。
「え。一体何なの?!」
大きな声をあげながら避けようとした。けれど避けきれずに腕をそれが掠めた。熱い何かを押し当てられたような痛みが右腕に走る。
「……つっ!いった!」
近くにきたそれは明らかに化け物だった。二メートルはあるかと思われる巨体に鋭いくちばしに足についた鉤爪。真っ黒な羽毛に赤い目からなんとなくカラスだとわかった。けれどすぐに普通のカラスではない事に気づく。そいつの足は二本ではなく三本だったのだ。よく見たら二本目かの足の鉤爪に真っ赤な血が滴る。あたしの腕にある傷によるものだとすぐにわかった。逃げようと後退する。が、そのカラスは同じように詰め寄ってきた。
あたしはキョロキョロと辺りを見回した。するとやっと異変に気がつく。
「……ここ。どこなの?」
先程あったはずの電信柱に電線、自動車に外灯。アスファルトの道路やコンクリートで作られた建造物が一切見当たらない。代わりにあるのは整備はされているだろう砂利道にどこまでも続くと思われる漆喰の壁。朱塗りの瓦状の物が上にある。向かって右側を見たら大きな朱塗りの木製の門が構えていた。歴史の教科書で見た事があったかもしれない。そんな事をぼんやりと思っていたら。カラスが大きく「ガァー!」と咆哮をあげながら襲いかかってきた。あたしはギュッと反射的に瞼を閉じた。
「……やはり現れたか。娘。下がっていろ!」
後ろから低い静かな声で呼びかけられた。振り向くと涼しげな切れ長の目が印象的に残る男性の姿がある。あたしがぼんやりとしていたらグイッと肩を掴まれた。背後に回されて男性は目にも留まらぬ速さでカラスに駆け寄る。ギィンッと鉄同士がかち合う音に我に返った。どうやら男性が持つ武器――刀とカラスの鉤爪がかち合ったようだ。
「……くっ。ヤタガラスか。仕方ない。蛟龍よ。彼の者を清め祓い給え!」
あたしはとっさに空を見上げる。満月が煌々と照らす中、細長いモノが夜空を駆けた。それが段々と雲を呼びポツポツと雨が降り出す。しまいには本降りになりあたしの髪や顔などを濡らした。辺りもすっかり雨模様になる。
「な、何で。急に雨が?」
「……ヤタガラスは去ったようだな。大丈夫か。娘」
「え。あの?」
男性は消えたヤタガラスがいた場所を一瞥してあたしの方を向いた。
その瞳が黄金色に見えるので驚いてしまう。
「娘。名は何と言う?」
「……はあ。圭、高野圭と言います」
「そうか。私は頼高、賀茂頼高だ。一応は陰陽師と少納言を兼務している」
頼高と名乗った男性は一見すると二十歳をちょっと過ぎたくらいだろうか。あたしより十センチくらいは背が高い。そして顔立ちが凄くイケメンだ。キリッとした眉や目元、すっと通った鼻筋。少し薄めの唇。髪は艷やかな黒だが。目だけが透明感のある黄金とも琥珀にも見える綺麗なトパーズのような色だ。が、あたしはこんなスラッとした超絶イケメンに耐性はない。踵を返すと一気に駆け出した。そして冒頭に戻るのだった。
はあはあと息を荒らげながらも走った。頼高さんは後を追いかけて来ない。さすがに足や喉が痛い。緩やかに走る速度を落としていく。トボトボと歩きながら辺りを再び見回した。
(えっと。ここは本当にどこなの?)
キョロキョロとしていたら。後ろからパカラパカラッと馬の蹄らしき足音や舞い上がる砂埃が舞い上がるのがわかった。それはこちらにまで近づいてくる。度肝を抜かれてビビってしまう。しばらくは立ち尽くす。馬はあたしの一メートル手前くらいで止まった。馬上にいたらしい人物がひらりと鐙を使って軽やかに降りてくる。
「……圭だったか。探したぞ。どうしていきなり逃げ出すんだ」
「す、すみません。ちょっと人見知りでして」
「ふうん。そうなのか。けど、今はまだ明け方だ。こんな刻限に若い娘がうろついていたら。怪しまれるし賊に狙われたりしてろくな事がないぞ」
あたしは頼高さんの言葉にやはりここは現代日本ではないのだと思い知らされた気分だ。早く元いた場所に帰りたいが。けれど頼高さんは難しい顔をする。
「……そなたは帰りたいのか。もしや。異界から来た迷い人か」
「迷い人?」
「ここは那賀野京という。遠野の国の都だ。圭の住んでいた国の名を教えてくれ」
「……日本です。都は東京だったかな」
「……にほんにとうきょうか。聞いた事がない国名に地名だな。やはり圭は異界人か」
頼高さんはそう言った。すると馬を指差した。
「圭。とりあえずは芦毛に乗れ。そなたを我が邸まで連れて行く。でないと面倒事に巻き込まれかねんしな」
「いいんですか?」
「構わん。そなた一人が増えたところで大して変わらないしな」
頼高さんに言われてあたしは仕方ないので頷いた。芦毛と呼ばれた馬の背中に手伝ってもらいながら乗ったのだった。