10話09
残り1時間。私は、居ても立っても居られず、何度となく館の中をウロウロとするのでした。実は、扉を開けた先の壁にスイッチが隠されていて……それを押したら、また別の扉の裏の壁に隠し通路が現れるんじゃないかとか。壁に設置されていた【無用消火栓】……あの中に火事などで使う避難用の布のすべり台があって、それを【高所】扉から使うのではないかとか。そんな事を考えては、その場所を調べるのです。
その結果、扉の先にスイッチは隠されてはいませんでしたし……【無用消火栓】は手摺りのせいで開きません。
そうこうしている間にも時間は刻々と過ぎていくのです。これは……もう一度、例のエスカレーターを上らないといけないのかもしれません。あの時は頭に血が登ってしまい、踊り場の探索を怠っていましたからね。もう一度、あそこに行かないといけないかと思うと、気が重くなりそうです。
「あ」
そういえば……スイッチではないけど、何か【押す】ものがあったような気がしますね。しかも、その情報ってコムさんに伝えていませんでした。これはエスカレーターよりも可能性が高い気がしてきますね。そんな訳で、私はコムさんを探しに館を歩き回るのでした。
目的のコムさんは一階の広間にいました。彼はそこで悠長に壁の看板を眺めては笑いを堪えています。緊張感のない人ですね。残り時間は減っていってるんですよ。まったく、何を見ているんだか……
【さ ら り】
コムさんが見ていた看板には、そう書かれています。ん……これの元ネタは何なんでしょうか。ちょっと思いつかないですね。
「これは……傑作だよね。文字が消えた跡のバランスといい、残された文字といい……素晴らしいと思わない?」
コムさんは半笑いのまま、私に共感を求めてくるのですが……元ネタがわからない以上は同意しかねますよね。
「あれ? おゆきさん、これ……わからないの?」
半笑いのまま、そう言われた言葉は煽りにしか聞こえませんでした。ちょっと待ってくださいね、考えますから……えっと、サラリーマン?
いや……スペースの関係上、後ろに言葉がつくことはあり得ません。ならば……
「あ……【さわらつり】だ。釣りですね。しかも、そのさわらの味は【さらり】としているんでしょうね。美味しそう」
適当に思いついた答えを言ってみました。でも、思った以上にそれっぽい解答ではないのでしょうか。これは……自信があります!
「……ぷ……」
コムさんからは、耐えきれなかった笑いが漏れました。さっきから煽ってきますね、この人。じゃあ、いったい何が正解だと言うんですか。私は不満そうな表情をもって、返答とします。すると……
「……さくら祭りだよ」
と、いかにも正解な答えが返ってきたのでした。
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あまりにも無駄な時間を過ごしてしまいました。私はコムさんを引っ張っると、二階のお手洗いの前まで連れて行きます。さらには中へと引き込もうとしたら、コムさんは抵抗するのでした。
「いやいや、女性用だから……マズイって」
「どうせ、誰もいないから大丈夫ですよ」
そのままズルズルとコムさんを引きずりこむと、私は床の塩化ビニルの蓋を指さして……
「これ、押すって書いてあるんですけど……意味があったりするんでしょうか?」
と、伝えます。そして、コムさんは指さした蓋を見ると……
「これ……【おすい】の【い】が削り取られてるみたいだね」
と、返してくれました。
「それで……この蓋を押したら何かあるのかなって、そう思ったんですけど」
「ああ、なるほどね。でも、これって……押したところでなにも起こらないと思うよ」
「いや……さっき、私も試しに押してはみたんですが……ひょっとして二人の力で押せば、何とかなったりしないかなって」
私は自分の思いつきをコムさんに伝えたのですが……
「いや……二人で押しても無理だってば。だって、この蓋を開けるには……引くんだよ」
と、残酷な事実を告げられると……私の【押す】ことで脱出方法が現れるのでは、という発想は葬られてしまったのです。
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制限時間まで、時間はどれくらい残っているのでしょうか。私の感覚で言えば……およそ十分程度しか残されていないでしょう。
しかし、それにしても……なぜ、コムさんはこんなにも平然としているのでしょう? いや、笑ってばかりなのを平然とのが適切なのかはわかりませんが……制限時間、さらには爆発に対しての緊張感があまりにも欠けて見えてしまいます。
「コムさんも真面目に考えてくださいよ。残り時間は僅かなんですから……」
私の口から、愚痴が漏れてしまいました。たまにはいいですよね。だって、コムさんも笑いを漏らしてばかりだったんですから。
「ん? 僕も、おゆきさんと同じで【押す】が正解だと思うよ」
いやいや……さっきトイレで【押す】の案を、あっさりと否定したじゃないですか。ここに来て私の案に乗っかるのはズルいですって。
「じゃあ……一緒に押してみます?」
「いいよ。でも……一緒に押さなくても大丈夫なんじゃないかな」
コムさんはそう言うと……トイレを通り越して廊下の突き当りの【高所】扉へと向かっていきました。あれ? いったい何を押すんでしょう?
「おゆきさんはあっちの突き当りの方の扉を開けてきてくれる? 開けたら、そのままでいいから」
コムさんの声が肩越しに飛んできました。えっと……私は逆方向の扉を開けて来ればいいのかな? ひとまずは、その指示に従ってコムさんとは真逆の方向へと駆け出しました。
こちらの【高所】扉の隣には【ET 専用】の看板が取り付けられています。私は、看板を一瞥すると扉を開けました。今回も館の外からは新鮮な空気が流れ込んできます。そして、その扉を開けっ放しにしたまま……私は着た道を戻るのでした。
コムさんも【高所】扉を開けっ放しにしたまま、廊下を戻ってきましたので……私達は廊下の中程、一階への階段前で合流しました。ちなみに、そこで平安名さんも合流しています。
「じゃ……押しに行こうか」
コムさんは我々を引き連れるようにして、階段を下っていきます。何処へ向かうのでしょう。私は、ただ着いていくことしかできません。
コムさんは一階の広間を抜け、玄関まで行くと……その扉の前でようやく足を止めました。この扉は……私達が入館そうそうに大きな音を立てて閉まると、押しても引いても開かなかった扉ですね。
「おゆきさん……押してみてよ」
コムさんがそう言います。でも……これ、さっきはまったく開かなかったんですよ。私は半信半疑のまま扉を押しました。扉は開きません。でも……あれ? あの時とは手応えが違っている気がします。
「さっきよりも……軽くは感じます」
「でしょ。じゃ……変わってくれる?」
私は扉の前の位置を譲りました。そしてコムさんは扉を押します。すると扉は……ゆっくりと開いていくのでした。そのまま扉を完全に開ききったコムさんは……【無用橋】の方へと歩みを進めます。私と平安名さんはそれに続きました。
少し急ぎ足で館から離れた……その瞬間。
背後から大きな音が周囲一帯に響きました。私は振り返ると、館は豪快に爆発しています。そして……炎を上げ始めたのでした。