第一章 再びホルゴスへ
第一章 再びホルゴスへ
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俺と勇者様たちが出会って、まだひと月もたっちゃいない。その間、ホルゴス戦役があり、ザラウツェン攻防戦とオークチャンピオンとの死闘があり、なんて濃い一か月だ。いや、実質3週間か。そして俺たちはホルゴスに戻って来た。いや、ただの寄り道なんだけどね……。
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「護姫様、虎はダメですよ」
族長連合が誇る人族屈指の城塞都市ホルゴス城門の前で、困ってる衛兵たちは、俺のかつての同僚たちである。ほんと、申し訳ないっていうか。困らせてるのは、見るからに謹厳な女騎士って感じの護姫シルディア様だ。金属鎧を着こなした赤毛のベリーショートで、美人さんだけど、今はただのクレーマーじゃね?虎に乗ったまま街に入ろうなんて、俺、何度も止めたんだよ?
「いかんのか?これくらいよいではないか?」
「いかな姫様のご要望でも、さすがに……」
ああ、ファザリウス隊長の汗は、暑さからじゃないよな。
「がるる」
「ほら、こやつも安心しろと申しておる」
生真面目な護姫様なのに、珍しくワガママ。よっぽど気に入ってるんだな、あの騎虎が。
山岳民族ですらなかなか乗りこなせない体長5mの大虎だけど、旅の間に、俺たちの乗馬もビビりまくりで、世話する俺の身にもなってほしかったんだけど。いや、確かに見かけによらずおとなしいんだけどね。でも同行する馬は臆病な生き物だし、俺の愛馬のジェーンみたいな賢いヤツだって未だに近くに寄られたら前脚上げて逃げそうになるし……平気そうなのは勇者様のユニコーンくらい。いや、俺の後ろに乗ってるミュシファさんなんかも、オドオドしまくりで、まあこれはいつもだけど、一人で乗馬してる時に馬が怯えだしたら振り落とされるって。これが街中に入ったら、もうパニックだろ?
「いいだろ、俺とおめえらの仲じゃねえか」
そこで口出ししないで、戦姫様。見た目は紅金の髪の小柄な少女だけど、そのかわいさは獰猛さに埋もれてなかなかわかりづらい。それでも、ひと月ほど前、一緒に戦った北門の衛兵たちにはそれなりに好意的なんだろうけど、ほら、隊長も衛兵のみんなも迷惑そう。
「護姫様、あきらめてください。これでは城内の民衆が逃げ出しますよ」
「そうだね、シル姉様、ここはコイツの言う通りだよ」
俺をコイツ扱いするのは許す。何より俺の肩を持ってくれるのは助かるし。アルはオレンジ色の髪をした最年少だ。まあ、子どもって思えばいいんだけど、少しハズい……あんましくっつかないでくれる、新興国家の盟主様?俺の弟と妹たちに瓜二つのせいか、慣れなれしいけど
「ぐえ」
ほら、後ろのミュシファ先輩が俺の首を何気に絞めてるし。
「……うむ、アルにまでそう言われてはやむをえまい……タイガよ、しばし森に潜んでおれ」
くんくん泣きそうになって、護姫様に撫でられてる大虎は、まあ、かわいくないということもない。こいつ、厳密にはゴールデンタイガーの亜種で、金色のまだらがキレイだし。
「森に!?しかし西の森には薬師や狩人も入りますし、難民もまだ……」
ファザリウス隊長が危惧するのはわかるけど。ってか、これがフツウだけど。
「ならばどうせよと言うのだ!まさか、我が騎虎が民を襲うとでも申すのか!」
ほら、護姫様ギャクギレちゃったし。こういうところは相変わらずのシル姉だ。俺の知ってる、ワガママでいたずら好きで、大人ぶってるくせに人の迷惑を顧みないシル姉さ。
結局、護姫様は、泣く泣くタイガと別れ、馬に乗り換えることになったけど、どうせ虎笛吹けばいつでも飛んでくるし……いや、ほんとに飛んで来たら怖いけど……その間、俺たちの後ろの入城待ちの行列が長いこと長いこと。まあ、先頭の俺たちから次の人までの間隔が異常に長いってのもあるけど。
「ほら、護姫様、皆さんにご迷惑ですよ」
「いや、従者パルシウスよ、これはおぬしや衛兵たちの頭が固いのがいかんのだ」
「そうだぜ、虎くらいいいじゃねえか」
へえへえ。どうせ悪いのはたいがい俺ですよ。パーティーの大人たちが今はいないって言うのに、一番年長で頼りになってた護姫様がこれじゃあ、俺、そろそろ過労死するんじゃね。ってまた勝手に前世ワードを浮かぶ。過労死ってなんだろ?
「くす。シル姉様もキミにはワガママなんだね」
「そう言うアル様もですけど。勇者様もそのご姉妹もみんなパシリにはワガママばっかり」
そういうキミが一番俺に迷惑かけてるんだけど……いや、言うまい。この子も随分マシになったし、少なくても今は迷子にはならないはずだし。だけど、なんだかミュシファさんとアルは仲が悪い。年恰好も一番近いのに、なんでだろ?
あ、勇者様、気づきませんでした。
「すみません。これ、おかわりです」
待ってる間に手持ち無沙汰の勇者様は、手持ちのクッキーを食い尽くしたらしく、ふくれっ面だ。いや、かわいいからいいんだけど。
こんなこともあろうかと、ザラウツェンを出る前、大量に焼いておいてよかったよ。
俺たちは、できるだけ目立たないように宿に入った。もちろん「黄金の大山塊亭」だ。俺がかつて属していた「影守」の本拠地だけど、まあ、この街じゃ一番勇者様たちも慣れてるし、どうせ今更ごまかせねえからには堂々とって。
「目立たないように?ねえ、キミ。姉様方が一緒でそれはムリじゃないか?」
反論できねえし、しかも門前の騒ぎでもうあきらめた。そもそもホルゴス戦役からひと月もたっちゃいない。
結果的にはマントとフードで顔を隠して着ぶくれた不審者の群れで、人が集まる前に強引にホルゴス中央まで突っ走ったわけで。
なのに。
「ち。もうお客さんかよ」
草木も眠る、そして未だ物資不足で夜間管制が続くホルゴスの深夜。俺は宿屋の窓から雨どいに手をかけるや、一気に屋根に駆け上がった。ま、勝手知ったる元職場だしな。
夜空に浮かぶ月は、もうかなり満ちている。もうすぐ聖月だ。ここ族長連合じゃ、輝月(6月)と大月(7月)の間に聖月(いわゆる閏月みたいな?)が入る。一年で完全な満月になるのはこの7の日だけだけど、あと数日に控えた今は、月はかなり円くて明るい。
月と星に照らされた真夏の夜空はとてもきれいで、こんな夜にかよって、俺は自嘲しながらも相手が恨めしくなる。
「お前ら……この街で勇者様相手に下手なこと考えるヤツは、この俺が許さないぜ」
なにせ、こんな似合わないセリフを言うくらいだ。
梅雨も台風も来ない族長連合だけど……ってか梅雨ってなんだ?……亜熱帯に近いせいか時には大雨が降る。だからここらあたりの建築物は屋根の傾斜はきつめで、しっかりした雨どいがついている。
その急傾斜の屋根の上を平然と歩む黒い集団が俺に気づいて包囲し始めた。
「気づくのがおせえよ。お前ら、潜入っていうより強襲組だな」
一口に暗殺と言っても、対象が寝てる時にこっそり殺す潜入と、強引に襲って護衛ごと殺す強襲と、雇われたり変装したりして対象に接近して殺す騙し討ちがある。俺は、まあ、どれでも一通りはできるけど一番多かったのは潜入だ。他の暗殺とくらべれば、難易度は高いが……てか、それは状況とか対象によるところが大きいんだけど……最小の武力で最短の時間で、そして最大の成果が期待できるからだ。俺をだまし組織を裏切った幹部への暗殺は、指示を受けてから完遂まで多分2時間きってる最速レコードだ。
で、こいつらは衛兵や住民に見つからずにここまで来てるけど、その集団の戦術や練度の高さから見て、まず強襲の専門家だ。
それを指摘されてか、俺の動きを見てようやく判断したのか。
その黒づくめの黒覆面集団は、一斉に剣を抜きやがった。ち、剣に焼きを入れてやがる。さすがに同業者らしい。黒い剣は……パット見ありきたりな小剣かと思ったが、いや、切っ先がさらに細くてとがってる……って、あれ、ベカトワかよ?特殊な地域の特殊なカルトしか使わねえぞ、あんな物騒なモン。しかも妙に濡れてるのは、どうせ毒だろ。それがざっと二十人。よくもまあ、真夜中とはいえ、見とがめられずに街の中央まできたもんだ。
不安定で傾いた屋根を足場に、勇者様たちに気づかれる前にこいつらを処理するのか。面倒だな。ざっと……五分はかかるな。俺は昼間に買ったばかりで、まだ手になじまないスティレットを構えた。
「ねえデリウエリさぁん」
できるだけ、以前の軽~い口調で話す。いつもの笑顔も忘れずに。
「なんです、パシリさん?」
デリウエリさんは、元上司の超美人なハーフエルフだ。普段は「黄金の大山塊亭」の支配人代理である。少しとがった耳が相変わらずとってもキュートで。
「あんなのがウロチョロするなんて、組織の手抜きじゃない?」
予想より1分多くかかった腹いせで、ついそんなことを言って即後悔した俺です!
見た目は全然変わらない笑顔のままで、なんでこんなに殺気だせんの、この人?しかもこの殺気、超局地的できっと俺にしか感じ取れない……プロだ、いや、アサシンの師匠だけど。
「勇者エンノには、莫大な懸賞金がかかってる。それに目がくらんだ連中をいちいちつぶすほど、うちも暇じゃない」
人族の世界を救う勇者様に懸賞金?……まったく、この種族、やっぱもうダメじゃね?
「うちはホルゴスの影守。ホルゴスを守るが、他の面倒まで見られない」
うわ、なんて目先しか見ないんでしょ、この人たち。しかも恩知らず……勇者様のおかげでホルゴスも人族も助かって、まだひと月だってのに。
「まあ、人手不足は優秀な手ごまがいなくなったせいだ。だからお前は自分の責任とっただけだ」
ぐっさああ!
「すみませんね、ワガママ言って組織を抜けて」
でも俺、あの時死ぬの覚悟してたんだから!
「オマケに後始末はこっちに押し付けて……まったく迷惑な弟子だ」
なにせ、不詳の弟子ですからね。もう言われ放題。
「だが……お前、やはり腕が落ちたな。勇者の従者なんてやってていいのか」
「何言ってるんだい、師匠!」
だって、勇者様に救ってもらったから俺はこうしていられる。まだ全部を打ち明けちゃいないけど、アサシンで挙句にみんなを裏切って暗殺までしようとしていた俺なんかを許してくれて。
「俺は勇者様がいなきゃもう生きる価値すらないんだ」
とはいえ、確かに体は重くなってて、いや、きっと人と戦うことが、殺すことがつらくなってる。あんなクズみたいな連中相手でコレだから、普通の兵士なんかと戦うのは……ムリかも。
「パシリ。昔からお前は、仕事以外では女子どもに甘かったが、その調子じゃもう聖職者にでもなるか?」
「……聖職者は間に合ってるよ。でっかくて頑固なお人よしが」
今は北方に残ってるけど。
「組織の短剣が組織を抜けたら、もう刃こぼれする一方だ」
短剣は、自分で考えない。操られるままに、指示のままに対象の急所をえぐり葬るだけだ。だから何も感じる必要がない。だけど俺は、考えてしまった。思い出してしまった。
「自分で考える短剣は、やがて錆びて折れる。お前も長くはもたないぞ」
ち。わかっちゃいたが、もうアサシンは廃業だ。だけど……そうなった俺は、どうやって勇者様のお役にたてばいい?そりゃ雑用には自信があるし、勇者様の従者に一番大事なことは、いつも一緒にいることだって気づいたけど、それだけじゃただの、そう、付き人だ。アーチャーは論外でも普通のスカウトとかレンジャーとかでいいんなら、まだそれなりに動けると思うけど……そんなんで、勇者様たちの仲間でいていいのか?
「暗殺とはなんだ。忘れたか」
「暗殺とは……最も効率的な攻撃です。まともな軍事行動では莫大な兵士に金や食料が必要ですが、優秀な暗殺者は一人で敵の中枢を排除し無力化できます」
ち。昔通りの師匠の口調に、ついこっちも反応しちまう。
「ならば、お前は勇者の敵を排除すればいいだろう?何を悩む」
デリウエリさんは、強襲者の指導者を、いや、勇者様に懸賞金なんかをかけたヤツを見つけて始末すればいいって言ってる。まあ、それが一番効率的な、そしてアサシン的な解決だろう。優秀なアサシンは、自分で対象を見つけ自分で作戦を考え、自分で解決することができる。一人で編制された軍隊の一種だね。だけど……俺はもうイヤなんだ。
「悩むっていうか、もうムリだから組織を抜けたんですよ」
勇者の従者が暗殺者って、それがばれたら勇者エンノの声望は地に落ちる。勇者を敵と狙う対象のことごとくが謎の死を遂げたら、それはそれで絶対噂になるって。
「ばれなきゃいい」
「そんな簡単に言うな。それにもし勇者様にばれたら……」
ばれてるけど、でも、俺がまだ暗殺なんかしてるって思われたら……
「泣かせてしまう。そんなことできるか」
そう。勇者エンノは俺の罪を許してくれた。だけど、その信頼をこれ以上裏切ることはできない。何より、勇者様の泣き顔はみたくない。
「従者パルシウス、エンノが心配しておったぞ」
真夜中の宿の廊下に立ちふさがるのは護姫様だ。昼間の醜態はもう霧散して、今じゃもとの通りの立派な騎士だ。平服に着替えてもその威厳はあなどれない。
「すみません、護姫様。勇者様は……いえ、戦姫様にも気づかれちゃいましたか?」
やっぱり腕が鈍ってる。あいつらのばらまいた無節操な殺気のせいにしても、それがばらまかれる前に処理できなかったのは俺のせいだ。
「バカ者!あれに気づかないのはアルとミュシファくらいだ!」
ほとんど素人の二人はまだしも、戦姫様にもしっかり気づかれてたか。
「ソディのヤツは、準備万端で待っておったのに、獲物をさらわれたと怒っておったわ!」
あ、そういうこと。まったく、あの人食いライオンの女王様め。
「んじゃ、謝ってきます」
「もうふてくされて寝ておる」
そりゃラッキー。デリウエリさんとこに寄ってよかったぜ。
「それよりもエンノの元に行くがよい」
うわあ……おじけづくわ、それが一番。
「あのう、勇者様」
ノックに反応はなく、しかし気配は確かにある。俺はエンノ様の個室のドアを恐る恐るあけた。貴人用に整った部屋の中央には、俺をにらむ勇者様だ。
そして、罵倒された。でもね。勇者エンノは精霊に愛され過ぎていて、その声は今でも、精霊たちに距離を置かれてる今でも、きれいな精霊語に変換されて俺の耳に届くんだ。だから、迫力はないかな。俺にとっちゃこれもご褒美。へへへ。
「め!」
「すみませんでしたぁ!」
だけど、睨まれるや、とっさに土下座する俺は、もう条件反射だ。なんで怒られるとか、そんなのどうでもいい。
「勇者様!俺が悪かったです!」
ひたすら謝る俺だけど、勇者様は身振り手振りで何か伝えてくるけど。
「ええっと……こんな夜中に危ない?自分に無断で勝手に危ないことをするな?」
そして……俺には不思議なくらいに勇者様の言いたいことがわかんだ。ひょっとしたら、勇者様の俺の居場所って……通訳?
うんうん。腕を組んでうなずく勇者様だ。御年16歳の美人で、年齢相応のしなやかな肢体のわりに幼く見えてしまうのは、この仕草のせいかも。
だけど、ランプの明かりにキラキラ光る、勇者様の虹色の髪はとてもきれいで。
「勇者様、もう夜も遅いですよ……あ、お前が言うなって言ってます?」
うんうん。
「だけど、明日の朝起きるのが大変ですし、もうお休みになられては?」
む。いかん、またにらまれた。だけど、三姉妹は全員朝は壊滅的にダメな人ばかりで、俺とミュシファ先輩は毎朝ひどい目にあってるんだぜ。あれ、無意識のパワハラじゃね?俺にとっちゃ逆セクハラでもあるけど。
「勇者様……なら、お心を騒がせたお詫びもかねて、ナイトキャップでもいかがですか?」
要は寝酒だけど、16歳の女子に酒勧めるって前世じゃすげえ問題っぽいけど、ここじゃ15で成人。あの戦姫様だって立派な成人だぜ……見かけは最年少のアルよりちっこいけど。だから、まあ、問題なしだろ?俺が勇者様を酔わせてどうこうしようなんて考えるわけもないし。迷ってる勇者様にもう一押し。
「なんなら消化にいいお夜食もお持ちしますよ」
勇者様は食い意地が少々、いや、けっこう、いやいや、かなり大いに発達していらっしゃる。まあ、なんとかこれで言いくるめて。
勝手知ったる宿の厨房から拝借したモーツァルトっぽいチョコレートリキュールをベースにホットミルクを加えた温かくて甘いナイトキャップは夏の夜でもおすすめだ。それに軽く炙ったバゲットにスモークレバーと玉ねぎを超薄切りにして添える。ワインのつまみに絶品で、こういう時にもなかなかイケル。ちょい足しの味付けがチーズかガーリックかはお好みで、だ。もっとも今日は就寝前だから、粉チーズにチリペッパーくらいで。
「勇者様、おかわりはダメですよ」
幸い夜食もお気に召していだだいたものの、就寝前だし、不許可する俺。
ぷんぷん。勇者様、なんだか怒ってるけど。
「ダメなものはダメです」
普通の女子なら「太りますよ」で済むんだけど、勇者様の消化器官は極めて優秀なのか、非効率なのか、あれだけ食べても体形に変化はない。なんかの呪いか、いや、全女性の願望かはしらないけど。
しかし、今度は俺も引かない。
「いや、確かにワガママ聞くって約束しましたけど、これはダメです」
まったく、戦場ではあんなに凛々しい勇者様だけど、日常はからっきしだ。だけど、俺にとってはそれもかわいい。いや、勇者様がなんでも完璧だったら、そもそも俺みたいな従者なんかいらないし。コソコソ戦うしかできないアサシンなんて大した助力にもならないんだから。
「さあ、もうお皿下げますから、お休みに……え!?……はいはい、わかりました……今夜だけですよ」
さすがに今日は俺に非がある。それくらいのワガママなら……今日だけは。
「お休みになられるまでですよ」
うれしそうな勇者様を見てると、毎晩だってしたくなる。いや、ダメだって。
そっとヘアバンドを外せば、虹色の髪に埋もれた小さな白い突起が見える。勇者様が人前で見せるのは……俺にだけだ。
「勇者様、ベッドに横になって……ダメ!服が窮屈でも暑くても、脱いだらダメです!」
まったく羞恥心もない上に、俺に対する警戒心が皆無なのは問題あり過ぎ。族長たち、ちゃんと躾しろっての。
「はいはい……では、今から」
俺はベッドに横になった勇者様に、夏用の薄い布を……エルフの里産の緑絹布の上質だ……かけて、そしてゆっくりと髪をなでた。勇者様は目を閉じて、ゆったりと息をする。それに合わせて、仰向けになった勇者様の、年齢相応のふくらみが薄い夜着と毛布かくれて上下している。健康な17歳男子には目の毒なんだけど、だけど、まあ、俺と勇者様だしな。
この子が小さいころ、俺はこの子の兄で、よく、こうやって寝かしつけていた。もちろん勇者様は覚えちゃいないし、俺が元兄だって気づいてないはずだ。だけど、俺たちの間には、まだ「何か」があるのかもしれない。だから、時々勇者様は俺にこうやって甘えてくれる。髪や小さな角をなでたり……そんなことをしていると、俺はさっきの戦いなんか忘れたくなる。ちょっと浄化されたような、そんな気分だ。
だけど……勇者様を寝かしつけて、自室に戻ると、暗闇が迫ってくる。あの、屋根の上での命のやり取りが。
闇の中、月光を浴びて弧を描く敵のベカトワの軌道。それを読み切って自分の位置を大きく離す。見切りとかって最小限の動きでかわすのはすぐに反撃できていいんだけど、こんな足場じゃなんかの拍子に刃先が当たることだってありうるわけで、俺はちゃんと余裕をとるわけだ。で、離れた位置から数発の針を指先で放つ。隠密性と攻撃重視のあいつら相手じゃ、これでも十分だろ?狙い通り、覆面でも隠せない目に吸い込まれる針を見届け、俺はさらに位置を変える。
そして俺の足さばきは精密で正確、ミリ単位できつい傾斜の屋根の上を重心を乱すことなく運び続ける。それにくらべりゃ、こいつらは……ま、所詮は力任せの強襲派だしな。
屋根の角度に足を合わせそこなってバランスを乱すは、連携が合わなくなるは……そのスキを見逃さず、俺は一気に間合いを詰めた。魔術の才能はない俺だけど、きっと相手には魔術でも使ってるように感じるかもな。
俺のスティレットが星明かりにきらめくや、心臓を貫かれた相手が崩れ落ちる。
こいつは、昼間に、以前から行きつけてたマレノ姐さんとこで買ったばかりのド新品。剣身が細く鋭い錐みたいな短剣だ。
剣身を切断すれば、その断面はひし形になる。実は刺突用短剣にしても物騒な方で、「都市生活の敵」なんて言われることもあるくらい、レザー系やメイル系防具の大敵だ。ましてこいつら程度の服じゃ、防具にならない。いまいち手になじまないコイツでも十分だ。
俺の眼は敵の動きを捜し、足さばきで敵との距離を支配する。そして全身で敵の殺気を感知して、その度合いで……殺す順番を決めていく。一人、また一人ってスティレットが急所を貫き、時には脚で肘で屋根から叩き落とす。
こうして、屋根の上の戦闘は、俺の一方的な勝利で終わった。
「ふう……ち、思ったより時間かかっちまったな」
なのに、息が切れてる。手が震えてる。気づきたくなかったが、こんな俺は初めてだった。
そんな少し前のことが生々しくよみがえる。
「ち……勇者様たちといる時には、出てこねえくせに」
更に浮かんでくるのは……俺が暗殺した多くの人たちの姿だ。
アイネイアが、シンが、アイザール師が、組織を裏切った幹部も組織の指示で俺が葬った対象も、ゆっくり迫り、俺を無言で見つめてる。俺が殺した、その時々の姿のままで。
指先が震える。プラーナ欠乏症のせいなのか、あのオークチャンピオンとの戦いの最中はそうでもなかったのに、瘧のような震えが俺を襲うようになった。
「ち……年貢の納め時も近いかな」
こんな時でも軽~く笑顔でつぶやくのは、第二の天性にまで染みついた訓練の成果だけど。