11-6 アル=サイードの胤
ルジェが目を覚ました時、そこは牢屋だった。
……チェザレアに呼び出され、スリープクラウドをまともに受けて拉致された嫌な記憶を思い出させる。最も、あの時の犯人は、
「チェザレア……」
彼の傍らに寝そべって、くぅくぅと寝息を立てていたが。
ルジェは現在の状況を確認する。手枷や足枷など、二人が拘束されている様子はない。どころか短剣を含む持ち物さえそのままだ。つまり牢へ入れられたのはとりあえずの逃亡防止に過ぎないとみるべきか。
「……アイランが人質目的に俺たちを捕縛するなら、ガッチガチに拘束するし、当然持ち物は奪うはず……」
それにしては妙だった。だとすれば……
「お目覚めですか?」
鉄格子の向かい側に、人影が現れて近づいてくる。
「どういうつもりだ、……俺たちは、あんたらの味方になるかもしれない相手だぞ」
ルジェはこれまでの自身の推測から、自分達を虜とした相手を正確に見計らった。……アル=サイード派、あるいはアイラン王子のファラオ即位を阻止しようとしている派閥の仕業だ。
「手荒な歓迎で大変申し訳ございません。こうしなければ、アイラン側の聞き耳を完全に逃れることは不可能でしょう」
牢の向かいに現れた人物は……青髪の女性だった。年の頃は恐らく、サンドラ議長と同年代だろう。白いトーガを身にまとった姿はどことなく気品を感じさせる。ルジェは、ファーマーン行が決まった際、同国に関する情報を集めた時に特徴が一致する人物を国家の要人の中に見出していた。
「……ファーマーン摂政、アイシャ殿、か?」
それはファーマーンの今までの最高権力者の名、すなわちアル=サイードの死後にその政策を引き継いだ者の名だった。
「はい……最も、摂政の任は昨年12月をもって解かれ、今は無官の身ですが」
下調べによれば、彼女は神官団との権力闘争に敗れ、粛清を恐れて彼女の派閥の官吏たちと共にいずこかへ潜伏したとされていた。しかし、まさか神官団のおひざ元であるアスウァンが潜伏先だとは……
「……要件を聞こう」
「……ファーマーン王女、シャッドの子アナンタの権威者即位へのドゥネ=ケイス共和国のご協力」
シャッドの子アナンタ……という名に、ルジェは思い当たる人物をすぐには見いだせなかった。しかし、その言葉を口にした人物、人魚のカレの事を思い出し、その名が誰を示すかもしばらくして思い出した。
「…………誰の事か、分かりませんか?」
「……今思い出した。だけど全く意味が分からない。アナーリさんが、ファーマーンの王女?半人魚なのに?」
ルジェの頭には、疑問しか浮かばない。
「話は長くなりますが、よろしいですか?」
「分かった」
その恋は、アル=サイードが第二都市ラヌカバードの騎士階級の家に産まれ、将来は武人として大成するために修練を積んでいた少年時代にはじまりました。その当時、ドゥネ=ケイス戦役の戦火はいまだファーマーンへ至っておりませんでしたが、彼は亜人を憎み、いずれ戦列に加わろうと父に申し出て修行の旅に出ます。……その時に偶然立ち寄ったバーラタ諸島で、南の海上都市アクエリアから
追放された人魚、ヘリングの子テティスが奴隷商人につれさられそうになっているのを哀れに思い、彼女を助けたのです。亜人は彼にとって敵でしたが、テティスの涙が彼の意識を変えたのでしょう。……テティスはそれを恩義に感じ、アル=サイードを思い続けました。30年の間、ずっと、ずっと……
そして、思いが届く時が来ました。テティスは努力してイリュージョンの魔法を習得し、人間に化けてアル=サイードの側室ロクセラーナとなったのです。……しかし、アル=サイードは彼女を人魚だと看破し、彼女を好ましいと思いながらも、敵を増やさぬために、そして彼女の子を権力闘争に巻き込まぬために苦渋の決断をします。身重の身の彼女に、旧知のサン=リエンヌ寺院を頼って宮中を離れるように言い渡したのです。テティスはアル=サイードの傍にいることが彼の不利益になるとみると、涙を呑んで身を引きました。彼女はサン=リエンヌ寺院に護送される途中で女の子を出産しましたが、人間と交わった裏切り者を探していたシャコ貝の子カレアフィードの手にかかって命を落とし、赤子だけがサン=リエンヌ寺院に届けられたのです。
……その話を聞いて、ルジェの思い描いた感想は一つだった。
「……摂政殿。失礼ながらこの話、『赤毛のジャックの英雄譚』レベルのその、なんだ……いわば『伝説』に感じられるけど」
ルジェは、もう『赤毛のジャック』の話が全て本当だと信じるほど子供ではなかった。そして、それ以上に虚構が含まれていそうな先ほどの話も。
「『伝説』でもよいのです。民衆がそれを信じたがっていれば」
ルジェがちらほらとファーマーンに来てから耳にした噂……
「今の話が、尾びれを付けたり外したりして民衆に広まっているということか。……だけどアナーリさん本人は」
とルジェが言おうとしたところで、件の人物が奥から歩いて現れた。コツコツコツという足音と共に。
「アナーリさんは、その話に乗っかっているのか?」
アナーリは頷く。
「……そうです。そして、大統領閣下……お嬢様もそれをご承知です。そこでルジェ君、あなたにやっていただきたいことがあります」
「何だ?」
「本来ならば、お嬢様本人にやっていただきたかったのですが……大統領の名代として羽飾りでセトと交信し、『作戦案C、チェザレア作戦を実行に移せ』と軍部に伝えるよう言ってください。その権限は、お嬢様はあなただけに与えています」
「俺が……チェザレアの代わりに?」
しかも作戦案Cというのは初耳だった。確かあの時、その場で作戦案Bを用意しろとチェザレアは軍部に指示したが……
「明日、チェザレアが目覚めてからではだめなのか?」
今チェザレアを起こすという考えはルジェには無かった。彼女はただでさえ船旅と砂漠の旅で疲弊している。今休ませなければいつ休ませるのか。
「例の転移器を用いて、明後日までにベルベル港を落とさなければならないのです。移動に一日半かかるので明日では間に合わない可能性があります」
「……かなり綱渡りな話だな。第一、港を封鎖したとしても船で軍主力が着くには少なくとも自分達が移動しただけの時間がかかるはずだぜ」
「すでに軍は出航しています、カハン侵攻が早まったという名目で」
「……マジかよ」
ルジェは理解した。2月20日、アナーリが会合から帰った後で用事があるというのは、チェザレアとこの作戦について最後の打ち合わせがあったからに違いない。情報をぎりぎりまで隠匿し、関係者、つまりはルジェ達から漏れるリスクを極限したかったのだろう。
……ただし、すべての前提は、アイシャとアナーリを信じることだった。
「アナーリさん、アイシャ殿……」
ルジェは迷っていた。今の与太話、にしか見えないアナーリがアル=サイードの胤だという噂。ルジェ達にすら隠匿してきたという作戦案C、そして……ここに自分達二人を連れてきたときの手段。
……アナーリのやり方の回りくどさは、今に始まったことではない。洞窟探検の時だってそうだった。だけど……
「分かった」
それでもアナーリを信じることに、ルジェは決めた。何より時間がなかった。自分達が拉致されたことがアイラン側に知られた場合、おそらくここの場所を直ぐに割り出してくる。出来るだけ早く、部屋へ戻る必要があるはずだった。
「『オ・ドブロ(乗せよ)』」
羽飾りが、起動した……




