1-1 子羊の戯れ
バイハラの市街区は、大きく分けて3つの地区に分かれる。
まずはルジェが大ハーン暗殺を試みた中心街区。商人や農場主など裕福な一等市民と、新たに彼らの支配者となった長毛種の小鬼たちの住処。建築物の形状や年式は様々だが、警備は厳重に行われており(パレードなどの特別なイベントがなければ、住民以外は街区そのものに入れない)、治安は安定している。
二等市民と通常種の小鬼が狭苦しく同居する南街区。非常に活気のあるエリアであり、争いごとも日常茶飯事。その解決のために、冒険者へ依頼が来ることも多い。
そして一度、ドゥネ=ケイス軍に焼かれた北街区。いまだ再建の途上にあるが、中心街区から締め出された犯罪組織が土地を買い占めて、その拠点にしているとのうわさが絶えない。ひいき目に見ても外観はスラム街である。
ルジェが郵便局を出たその足で訪れたのは、南街区の一角、街壁にほど近い場所にある一軒の宿屋だった。
落ち着いた雰囲気のある、木造2階建ての建物だ。軒先に掲げられた看板にはこうある『冒険者の宿 子羊の戯れ』。
『冒険者の宿』……そう名乗る宿屋は、ドゥネ=ケイス戦役終結後のバイハラ自治領内に急増していた。それにはある理由がある。
戦役終結後、自治領総督府が一定の条件、すなわち『冒険者』への依頼を斡旋できる宿に、補助金を出しているからである。
狙いは、仕事にあぶれた傭兵を冒険者として招き入れることで、彼らが習得した荒事のための技能を活かす場を作ること。
彼らを平時に囲うことで、彼らが反社会的な組織へ流れることを阻止し、そして有事には再び傭兵として動員しようというのだ。
オーク造りの頑丈そうな扉を開けると、強烈な酒の匂いが鼻につく。
入口の両脇に一台ずつバーテーブルが置かれているが、一方では傭兵崩れとみられる冒険者たちが朝から飲んだくれていた。
もう一方には、カードゲームに興じている2人組の男がいた。
「水精のフラッシュ。こちらの勝ちだな……」
眼帯をした半裸の傭兵風の男が、絵柄のそろったカードを5枚、相手の男に見せるが……
「甘いな、10のフォーカード」
チンピラ崩れにしか見えない、みすぼらしい木綿の服(寝巻か?)とバンダナを着た相手はより上手で、5枚中4枚の数字のそろった役を出してきた。
「ちぇっ、やってくれるな……」
眼帯は悪態をつき、チンピラ崩れはテーブルの真ん中に何枚も積まれたコイン……10ディルハム硬貨を総どりする。
……いずれにせよ、男たちは今入口に立っているルジェに、気を回す様子はない。
ルジェは真正面のカウンターを見据える。その向こう側にいる、宿の主人らしき、禿げ頭の初老の男がようやく彼に気づいた。
男は白髪交じりの口髭をリズミカルに動かしつつ、語り掛ける。
「おぅ、なんだ小僧、こんな場末の宿に何の用だ?」
「……そ、その……」
「周りを見りゃ分かると思うが、お前さんのような小童が来るべき場所じゃない。多分『赤毛のジャック』あたりの逸話を聞いて夢見心地に足を運んだんだろうが、冒険者とやらの実態はお前さんの周りを見りゃ分かるだろ」
そういう宿の主人に、先ほどの眼帯男が突っかかる。
「おいおいおやっさん、仮にも客に対してその言い方はないだろ」
「バークス、そういう口を効くのは、先月分のツケを全部支払ってからにしな」
「ぐっ……」
眼帯男はそのまま押し黙る。
「……仕事を、紹介してくれませんか……」
ルジェは、雰囲気に気おされつつもその言葉をようやく紡いだ。
「ふん、……お前さん、一人かい?」
「あ、ああ……」
すると、カウンターで飲んでいた一人の人物が、ルジェのほうに顔を向ける。……ダークブラウンの髪の女性、ただし、やはり傭兵崩れだろう。大きな顔の傷跡が歴戦の勇士であることを物語る。
「へぇ、一人かい、面白そうな坊やね。懐かしい、あたしにもあんな頃があったわ。あの頃のあたしは蝶よ花よと育てられたお役人の娘で……」
女傭兵はそういいながらジョッキに入ったエールをグイっと飲み干し、
「ホンっと、昔は良かったわぁ、男は黙ってても寄ってくるし、戦場行って剣をぶん回せば金は貰えたし……あー戦場に戻りたいわ、全く」
ほろ酔い気分で口を回す。
「ンなこと言ってっから行き遅れたんだろろうが、リコレッタの姉御は。よかったら今夜俺が相手するぜ」
チンピラ崩れが彼女に絡むも、
「はぁ、なんか言ったダグ?あんまふざけるとチン〇もぎ取るぞ」
返ってきたのは冷たい視線だった。
「ひっ」
チンピラ崩れが視線に気圧されると、一時的に宿内の空気そのものが凍り付いたように止まる。ルジェも、これ以上何かを言うことはできない。
その沈黙を破ったのは、宿の主人だった。
「リコレッタ、興味があるんなら、俺が昨日紹介した依頼にその子を連れて行ったらどうだ?」
宿の主人からの思わぬ提案にルジェは顔を輝かせる。
「『果樹園の生滴退治』にか?うーん……」
その筋肉質な腕を組んで悩んだそぶりを見せる傭兵女に、今まで蚊帳の外になっていたルジェが話しかける。
「その……故郷の村では自警団に入ってたから、剣の腕には少し自信があるんだ。もしよかったら頼むよ」
リコレッタは、そのかすかに上流階級生まれの品を残した、線の細い顔(それに見合わぬ傷跡がついているが)をルジェのほうへ向けた。
「……フン、分かったよ。そう言うのなら自分の身は自分で守りなさい」
「あ、ありがとう……」
礼をするルジェ。
「バークス、ダグ、よかったらあんた達もどうだい。近郊の果樹園だけど下見したところ結構広くて、あたしらだけじゃ夕暮れまでやっても多分終わらないよ」
「報酬は?」
「4等分で山分けだ」
「等分かよ……けっ、仕方ねぇな」
チンピラ崩れ……ダグは悪態をつきつつも、同行を決めた。
「リコ姉とダグが行くんなら俺も付き合うぜ」
眼帯男、バークスもついてくるようだ。
「……果樹園の、生滴退治……か……」
「不服か、坊主」
ルジェのつぶやきに、宿の主人が返す。
「うちでも洞窟探索だの遺跡探索だの未踏地調査だの、そういう『冒険者らしい』依頼への取次は出来るが、今のお前さんにそれを紹介は出来ない。理由はわかるか?」
「ど、どういうことだ?」
「まず一つ、今のお前さんには信用がない。そしてもう一つ、実績がない。この二つは仕事をこなして、生き延びることが出来れば自然とついてくるもんだ。……あいにくと、うちに出入りする冒険者のつもりの連中の大半は、生き延びることは達者でも信用はついて来ていないようだが」
「おやっさん、それは」
ダグが言い返そうとするが、
「ツケを払え」
「へい……」
それを言われたら元も子もない。そもそも、依頼をきちんとこなせていれば、酒代や宿代もしっかり払えており、信用もされる、そういうことだろうとルジェは理解した。
「そんじゃ、善は急げってね。坊や、名前は?」
「ルジェだ」
「分かった。ルジェ、支度することがあったらあと15分で済ませて来なさい。ほら、バークスもダグもいつまでも寝巻のままじゃなくてとっとと着替える!」
矢継ぎ早に指示を飛ばすリコレッタ。どうやら、この人にしばらく付いていけば、少なくとも食いっぱぐれる心配はなさそうだ、ルジェは自分の幸運を導いただろう、精霊たちに心の中で感謝した。
すみません、主人の造形はわかる人には分かるあの人の影響が極めて大きいです。ちょっとやりすぎたかも……