8-1 夢の中の生き物
― サハルカハンより北東に10km、イェール湖沿岸
「これで、7つ目か……」
仕入れられた情報が不十分だったため、どの洞窟があの『闇の魔物』が出没した遺跡なのかも分からない中、ルジェ達は虱潰しに沿岸の洞窟を調べなければならなかった。
カーラが描いてくれた周辺の地図に、七つ目のバツが付けられる。
「それにしても、『群』っていうだけに沢山あるよね」
途方に暮れるカーラとルジェを尻目に、セト達3人もまた、何らかの手がかりがないか、これまで調べた洞窟の中に残っていたものを持ち出して確かめているが、
「……とはいっても、浅い洞窟なら先客達が探索しつくしている訳で……」
『寺院』だった名残も特にない。
夕方。一行は、到着後に拠点としている浅い洞窟へと戻っていた。
「ちぇ、これっぽっちかよ」
セトから配られたひとひらの干し肉を頬張りつつ、ルジェが不平を鳴らす。
「これっぽっちの配給量であと一週間分しかないんだ。……もうそろそろ、当たりをひかないとまずいね」
「GUUU……」
バダラカも不満そうだ。
「周りに狩れるような動物もいないし、何より野菜は一切手に入りません。……一度カハンへ帰還し、春になったら出直せばどうでしょう」
アナーリが退却をセトに進言する。
「今退いたって物資を消耗するだけだろ」
「ですがルジェ。我々は本来、サハルカハンで一定の情報を手に入れ、その前提で探索を行う予定でした。……しかし」
「あんなにべもなく追い返されるのは予定外だったよなぁ……俺一人じゃ聞き込みなんて出来ないし」
ルジェはあのいけ好かない『王子様』の顔を思い出す。奴は奴なりに背負っているものがある、それは分かる。だけど……
「ふぅ……ともあれ、明日から8本目の探索に入るわけだよな……問題はどの穴に目星を付けるかだが……」
広げた地図には、バツの付けられた場所を除いてもあと30箇所の洞窟が存在した。しかも、全部を把握している訳ではない。
「補給なしで全部探索するのは無理だねえ」
「地下でつながっている可能性もあります。どこか奥へ通ることが出来る場所があれば……」
それにしても……防寒具に加え、定期的にファイアの呪文で暖をとっているが……
「……チェザレアの奴、俺たちがここで寒い思いしてるのに、アイツは暖炉のある部屋でぬくぬくとしてるんだろうな」
農園経営と孤児院への寄付だけであんな生活が出来るものかとルジェは思う。政治力の、権力のあるところには利権が産まれ、そこには更に財が集まる。
結局は権力、力の存在か……ならば自分も力が欲しいとルジェは考えるのだ。
「あの方の仕事は僕らが考えている以上に大変だよ。……少なくとも、僕らと孤児たち、そして自分の元に集まる人々、彼女はそれらの人々の行動に対する責任を持っている」
「って言ってもな、何かあったらとんずらするつもりだろ?」
「君が万が一、暗殺計画の件を大ハーンの耳に入れたら、議長に自分と父の首を大ハーンに差し出すように言うってあの方は語られていた。……君は、それだけ彼女に重く見られていることを誇りに思わなきゃ」
……なんで、そうまでして……ルジェの頭の中にはそれしかなかった。少なくともセトのいう言葉に嘘はないと、ルジェが信頼しているから。
「なぁセト。俺には、アイツに課せられた期待に答える能力があると思うか?」
「……僕の目から見れば微妙だね。君は短絡的すぎる……だから僕が君の補助に充てられたと言えるのだけど」
「……補助?俺がセトの補助でなくてか?」
そうルジェに問われると、セトは少し唇に手を当てて、
「おっと、そうだね、一応みんなを取り仕切っているのは今のところ僕か。……だけど覚えておいてね。そのうち、君にも誰かを指示しなければならない時が来る」
「そうかもな……はぁ、それにしても寒ぃ」
バダラカが昼の間に拾ってきた枯れ木や枯草を組む。付近の林から拾ってきたものだ。
「ラ=ザイナ=ウルス、火をともせ、トーチ」
セトの詠唱によって、今夜を越すための焚火が完成した。
「後は食料さえ自給出来れば、このまま春まで持久戦って手もあるんだがねぇ」
「後二日で結果が出なきゃ、またサハルカハンまで買い出しに行くよ」
と軽く言うルジェに対し、
「肉やパンはともかく、野菜が手に入らない以上持久戦は危険です。後二日で結果が出なければ、私の撤退案を通させてもらいます」
アナーリは自らの知識から現状の危険性を導き出し、撤退を主張した。
「野菜不足ってそこまで気にすることなのか?」
「野菜には肉やパンでは補いきれない様々な栄養素があります。それらが無ければ、いざというときに全力で動くことは出来ません」
「ふーん……」
食事をこれまで余り気にしてこなかったルジェだが、
「それがアナーリの意見ってんなら、異存はないぜ、な、セト」
「そうか、君ら二人がそう判断するなら、僕もそれに従おう。……それじゃ、一足先に……」
セトが横たわり、瞳を閉じる。傍らではカーラが既にすぅすぅと寝息を立てていた。
「……Gu」
バダラカも焚火の傍らに倒れこむ。彼らは体温の調節機能が人間と比べて低いので、自分達以上に消耗しているはずだとアナーリはルジェに教えていた。
「アナーリさん」
「何ですか?」
まじまじとルジェはアナーリの顔を見る。チェザレアのような上品さこそないが、鼻が少し低すぎる事を除けばまぎれもなく美人の範疇に入る。
……カーラの芋っぽさと比べて、何とも魅力的だった。
「いや、アナーリさんは美人だなって思って。……セトにしろ、アナーリさんにしろ、俺たちとはホント、違い過ぎるよ」
「どういう意味です?」
「……こう言っちゃ大げさかもしれないけど、世界を救うヒーローのようなのが居るとしたら、セトやアナーリさんみたいな存在なんだろうな、俺たちは脇役にしかなれないんだろうな、って思うんだ」
ルジェの言葉には、伝説的英雄である『赤毛のジャック』への憧憬と、それに対してあまりに卑小すぎる自分への劣等感が含まれていた。
それをアナーリは察すると、
「そんな卑屈にならないで下さい。私やセトとて、ドゥネ=ケイス戦役で大陸各地を戦いまわった英雄たちと比べれば芥子粒のような存在です。……それにあなたには、伸びしろがあります」
「そんなにあるかなぁ、伸びしろ」
「ありますとも、お嬢様がそう言われるのですもの」
……お嬢様、チェザレアに対して彼らはどうして従順なのだろう。いくら半亜人のはぐれ者だとはいえ、セトとアナーリはたとえ一人でも生きていけるだけの能力を備えているようにルジェには思える。
「……みんな、アイツをよく其処まで信頼できるなぁ」
いや、ルジェ自身もあの時が来るまでは好感情を彼女に抱いていたのだ。ひょっとしたら自分の後見人になってくれるかもしれないと。
しかし、夢がいつまでも続かないように、彼女に対する好意は無情な権力者に対する憎悪へと変わっていった。
「……お嬢様はあなたが思うほど悪い人間ではないですよ。ただ、自分が欲しいと思ったものを絶対に諦めない人なだけです。そのお陰で、本来刑場へ連れていかれるはずだったあなたとカーラさんはここにいます」
そして好意がいつまでも続かないように、強い憎悪もいつまでも続かない。……いま、ルジェはチェザレアを心の中でどう扱っていいか分からなかった。冷静に考えてみると、彼女はまぎれもなく恩人だ。ルジェが気に食わなかったのは、恩の返し方をあちらが無理やり決めたことだった。ルジェの貧しいながらも自由な日常はその日をもって崩壊し、一つの目的を巡る2000kmの旅路へ駆り出されたのである。
「……それは分かっているよ。分かっている筈だけど……そもそも、チェザレアが俺のことを探らなきゃ、俺達が暗殺未遂犯だってことも明らかになってない訳で……あー、分からん、アイツは俺にとって何なんだ!」
「恩人、今はそれでいいではないですか。……明日に備えてそろそろ寝てください。火と周囲は私が見張っていますから」
「アナーリさんは寝る必要がないのか?」
「人魚は夢の中の生き物ですから」
「そっか、じゃあお休み」
よくわからない説明だが、とりあえず、ルジェは横たわって目を閉じた。
「お休みなさい」
その姿を、慈母のごとく見下ろすアナーリ。夜は更けていく……




