プロローグ2 大ハーン暗殺計画
ドゥネ=ケイス……それは現在、傀儡のウィンダリア国と合わせ大陸の東半分を支配する大帝国である。帝都カハンを中心とする帝国直轄領はバイハラ自治領から遥か北、直線距離で2000kmのかなたにあり、そこに住まう総指導者、大ハーンが全国の総督に指示を出しているのである。
その大ハーンが現在、自治領首府バイハラに滞在しているのだ。
数日後、奴は船に乗り込み帝都へと帰還するが、その際に総督府から港へパレードが行われるという。これは、ルジェのような目的を持つ者にとって都合のよい事実である。
「カーラ、力を抜いて……やれば、できる」
酒場を抜けた後、ルジェとカーラは村の近くにある、人気のない雑木林の中に来ていた。ルジェは、カーラの着ているローブ越しに彼女の肩に手を置いて安心させている。
「……うん」
カーラが、その草色の目をつぶると、彼女の小さな両手が暗い夕暮れの雑木林に光をともす。
「……ラ=ティダニア=ダダロ」
それは古代言語たる精霊語、『猛き大精霊ティダニアよ』の意味……魔法を使うためには大精霊からその力の源である『マナ』を借り、体に取り入れたそれを呪文、あるいは魔法陣のような『術式』に流すことで効果を発現する必要がある。この序文は、マナを借りるための契約のプロセスであり、その後の詠唱文を口語、すなわち人間の大陸標準語、あるいは小鬼のドゥネ=ケイス語で唱えるために(ルジェもカーラも精霊語の読み書きを習得してはいない)ドゥネ=ケイス戦役中に魔術師たちが導き出した詠唱法だった。
「我が眼前の大地を爆せよ、アースブラスト!」
カーラの手のひらに集まったマナが、彼女の紡いだ呪文に従い地面へと浸透する。呪文が発動しようとした、
― その刹那
「よーし、ストップ」
ルジェの静止がかかる。カーラも集中を解き、マナを発散させた。
「危ない危ない、発動させたら村中大騒ぎだぜ」
アースブラストは高位、Aクラスの地精魔法だ。もし発動していれば、前方8mまでの木々が、地面から次々と突き出す石刃になぎ倒されていただろう。
「できた、できたよルジェ……!これで、いいんだよね」
満面の笑みを浮かべるカーラ。そこには一点の曇りもない。
「ああ、あとはこれを、現地でできるかだ」
彼らには二人だけの秘密があった。大ハーンの暗殺計画である。
「パレードが行われている中で、このアースブラストを港で発動し、警らの連中の注意がそちらに向いたところを」
ルジェは、マントの中から腰に付けた杖を抜くと、……片刃のサーベルが姿をあらわした。
「この仕込み杖で大ハーンに切りかかる」
この計画を考え付いてからというもの、ルジェの精神は高揚し、その計画の粗線さと、カーラの好意に付け込んで彼女を巻き込んだ浅慮に思いをよこすことはなかった。
彼は本気で信じていたのだ。これで、人間が小鬼の支配から解放されると。
自分は事をなした後、その場で死ぬか派手に処刑されるだろう、だがそのこと自体がバイハラの再独立派の行動を促すはずだ。そして大ハーンの死を知ったウィンダリアも傀儡を脱し帝都カハン奪還に動くかもしれない。何より、ドゥネ=ケイスの混乱を知った人間の西方3国が小鬼に対する攻撃を再び起こし、ドゥネ=ケイス戦役5英雄がやり残した仕事を完成させるのだ。
ルジェは自分に都合のいい未来を並び立て、後世に英雄として語り継がれるであろう自らの所業に思いをはせた。
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パレード当日。
「しばらく留守にします」という簡単な書置きだけを残して村を抜け出したルジェとカーラは、隣村で駅馬車に乗り込みバイハラの街壁をまじかで見る。
「こんな、こんな立派な城壁を携えておいて、なんで小鬼なんかに……」
ルジェは思わずにはいられない。ルジェが思いつく程度ならどんな攻撃にも耐えられそうな、その高さ5mの石壁は、残念ながらその中の住民を護ることは出来なかった。
門の守衛……フルプレートで武装した小鬼に、ルジェは自身の身分証明……自治領の二等市民であることを表す青い札を見せる。
「通ってよし」
緑色の肌を兜のフェイスガードから晒した小鬼は、粋がる暗殺者を市内へ招き入れた。
上々だ……お前達の信じている世界は今日で終わるんだ、こんな、豚面野郎が守衛をするような世界を俺が終わらせる……
ルジェは高揚を隠し切れない。馬車の隅で縮こまっているカーラを尻目で見つつ、自分の人生で最後の一日……そして最も長い一日になるであろう今日に想いを馳せる。
この日は記憶されるのだ、人類がオークから解放される、新たな大戦の勃発日として……!!
街壁の中へ入り、馬車を降りたルジェ達の目の前に、バイハラの街並みが姿を現す。二人の影を、その懐に覆い隠すかのごとき混沌の大都会が……