1-5 依頼というもの
太陽は、西側に見える山へ沈もうとしていた。
果樹園を一回りし、4人の子供たちを救出した一行。門への帰り道をとぼとぼ歩く。
「結局、生滴はあれ1匹だったのか?」
「だろうね。……それにしても、手酷くやられたわ」
黒さびだらけの自慢の大剣を見ながらつぶやくリコレッタの顔に漂う疲労感。
そして、疲れているのは彼女だけではない。
「はぁ……骨董品屋で見つけた逸品だったのに」
得物を完全に失い、うなだれるルジェ。
「あの生滴の残骸は魔術師ギルドに見せればそれなりのお金になるわ。それを考えると、新しいのを買える程度の報酬は出すわよ」
半小鬼の子供たちに囲まれながら、チェザレアは笑顔で答える。
「とにかく、皆さん今日はお疲れさまでした。今日はささやかながら、我が家で夕飯を用意させていただきます」
その歩みが、果樹園の門へと届こうとした、その時……
「あれ、ジェラルド?アレンとリーナ?」
執事と彼に預けた二人の子供が、門の近くにいないことにチェザレアは気づく。
「先に帰ったんじゃないか?」
「……そ、そうかしら、ね……」
バイハラ市内に帰ったころには、すでに宵闇に町は包まれていた。
家々の窓からこぼれる光だけが、旅人たちを包む。
「通ってよし」
チェザレアの邸宅は中心街区の一角にある。警備員に身分証を見せるチェザレアの姿。
手のひらにバイハラの支配階級、一等市民であることを示す赤い札を乗せ、くるりと返して警備員に差し出す。
田舎生まれのルジェには、彼女の育ちの良さを感じさせる優雅さだった。
「オ帰リなさイマセ、お嬢様」
中心街区のはずれにある、2階建ての小奇麗な一軒家。隣に併設された、茶色い屋根の建物が孤児院だろう。
一行を出迎えたのは、鎖帷子に身を包み、槍を構えた屈強な爬虫人の衛兵だった。
「り、爬虫人が人語をしゃべってる……」
ルジェにとっては常識外れの光景だった。彼らには人間の声帯にあたる器官がないため、唸り声によるコミュニケーション能力を持つが……
「なんだルジェ知らないのか、結構な有名人だぜ」
しかしダグやバークスら、バイハラ産まれの人間にとって彼は身近な存在だった。
「『鱗の守人』ビビッティ。共和国時代に一等市民権を持っていた唯一の亜人。市民軍を一度追い出されるも再び舞い戻り、その降伏までドゥネ=ケイス軍と最前線でやりあった猛者だ。……引退後の消息は知らなかったけどな」
「うちの食客として家にいてもらっているの。いろいろ物騒な時代だものね。……ところで、ジェラルドはまだ帰ってない?」
「イエ、執事殿はマだ戻っておりマセン」
「……アレンとリーナも?」
「……ハい」
それを聞くと、チェザレアの顔に真剣さが増す。それが一行に伝わり、夜の肌寒い空気にぴりぴりとした刺激が混じる。
「ねえチェザレアおねえちゃん、おうちはいらないの?」
孤児の一人からツナギのすそを引っ張られても、彼女は表情を変えない。
「……」
しばらく考え込むチェザレア。
「……ビビッティ、父様から、彼らへの報酬分のお金を受け取ってる?」
「ハい」
「……持ってきて頂戴」
しばらくすると、ビビッティが報酬の入った袋を持ってくる。チェザレアはそれに、ツナギのポケットに入っていた2枚の100ディルハム札を加えた。
「色を付けて600ディルハム。……夕飯をご準備できなかった、お詫びも兼ねてです」
袋を差し出すチェザレア。リコレッタはそれを受取ろうとするが、
「……なあ姉御、それ、そのまま受け取っていいのか?」
ルジェは納得がいかなかった。この日に起こった事件は、まだ完全には解決していない。
「あたしらは依頼はこなしたよ」
「だ、だけど、……執事と子供たちは……」
「それをお嬢さんたちが解決できないようなら、また冒険者の宿に依頼が来るさ。そうだろ?」
リコレッタはチェザレアに聞き返しつつ、報酬を受け取った。
「ええ。そして、報酬には口止め料も入っています。……どうかこの事は、ご内密に」
「……分かったよ、チェザレアさん」
うつむきながら、ルジェは口ずさむ。心のわだかまりを、胸底にしまい込んで。
「お、ちゃんと名前が言えるようになったわね……えーと、レジェ君」
「ルジェだよ!!」
ルジェが顔を真っ赤にして答える。
「フフ、それは失礼しました。……では」
チェザレアは微笑みながらお辞儀をして、
「皆さん、もしまた縁があったらお会いしましょう。ごきげんよう」
あくまで優雅に。動揺を表情へは出さずに笑顔で踵を返し、ビビッティと共に立ち去っていく。
「……おぅルジェ、ひょっとして嬢ちゃんに気があるのか?」
明らかに顔を赤らめているルジェに、バークスが突っ込んだ。
「ち、違うよ!!だけど……」
「一等市民のあの子と俺たちじゃ、住んでる世界が違うんだ。好悪いずれにしろ、深入りすれば痛い目にあうぞ」
……住んでる世界が、違う……そうかもしれない。彼女が色を付けるといってさらっと出した200ディルハムだけで、マィオーニにいたころのルジェにとっては一か月の食費だ。
扉を開け、家へ、自分の世界へ戻っていくチェザレアを見送りつつ、
「忘れたほうがいい。執事と子供のことも含めてな」
先輩冒険者からの、ありがたいお達しをルジェは聞いた。
子羊の戯れへ帰還後、一行は報酬を等分する。
「はぁ……こいつを打ち直すだけでなくなる額だよ」
愛剣をポンポンしながら口ずさむリコレッタ。
「まあ全員無事でよかったんじゃねえか?今回、状況次第じゃヤバい山だったろ」
早速ワインをぐびぐび飲みながらダグが答える。
「飲めよルジェ、お前さんの機転がなきゃ今日中に依頼が達成できてたか怪しいところだったぜ」
バークスは空っぽになっているルジェのグラスに、ウィスキーをなみなみと注いでいく。
「ちょ、こんなに飲んだら俺……」
「少しは付き合えよ、俺たちの仲じゃないか」
「俺達今日が初対面なんだけど……」
和気あいあいとしている中でも、ルジェは考えていた。行方知らずになった執事と子供のことを。クォーターの美姫のことを。
「……忘れる、か」
ルジェは、ウィスキーを口にした。
緑髪の少女の姿が、その黄土色の液体の中に流れていく、そんな気がした。
―――――――――――――――――――――
真夜中。チェザレアの家に来客があった。
「……あの場にいた青髪の男、か。不自然に後ずさっていったというのだろう?」
「ほぼ間違いありません。仕込杖を武器にしていましたが、今回の戦闘で全壊しました」
「……ふむ。仕込杖を持った男が、パレードのそんな傍にいたというのか。……目的は何だと思う?」
来客は、チェザレアが給仕に出させたコーヒー……バイハラから北西、インランドシーのハイレゾ島の名産品で、とても高価……を口につける。
「私や総督の可能性もありますが……いや、やはり目標は大ハーンでしょう。彼は小鬼に強い敵意を持っていましたから」
「たいそれた事を……今大ハーンが亡くなれば、ドゥネ=ケイスは崩壊し、その後に残るのはさらなる混沌だろうに」
「……御意」
コーヒーカップを来客が置く。チンという音だけが絢爛な象嵌細工の施された、マホガニーのテーブルの上に響く。
「チェザレア嬢、極秘裏に彼の背後関係を調べてくれ。手段は問わない。反体制派が背後にいれば芋づる式に引き出してやる」
「承知しました。その代わり……」
「もちろんだとも、君の孤児院への補助金は弾ませてもらおう」
「ありがとうございます」
「ところで、……執事のジェラルド君はどうしたかね?」
「……諸事情あってお暇をいただきたいと言い出しましたので、承諾しました。新しい執事について、心当たりはございますか?」
執事の失踪について、彼に知られるわけにはいかない。知られれば弱みを見せる、議員である父の足を引っ張ることになる。
「考えておこう」
来客はそれだけ言うと、席を立ち、
「もう夜も遅い、君も早く寝たまえ」
「お言葉に甘えることとしますわ。ごきげんよう」
立去っていく。
チェザレアの翡翠のごとき緑の長髪が、風でたなびく。風だけが未来を知っているような気がして、少女はそれを握ろうと手をかざしたが、そこにあるのは自分の髪の毛だけだった。
「…………」
傍らに、ビビッティの気配を感じる。だが彼の存在も、自分の寂しさを埋めてはくれない。
「どうして……」
あの青髪の青年、無謀で思慮の足りないあのルジェの顔が、彼女の心に、沈みかけの船のごとく浮かんでは消えていった……