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幼女と幼女 〜前編〜


 広々した草原でただ一人、剣を振るう男がいた。

 ただひたすら、己を鍛えるため数百、数千と繰り返されたであろう所作を、男は機械のように幾度となく繰り返していた。

 重々しい彼の鎧が、剣の風圧と共にかしゃりと鳴る。

 草原は静かだった。時折吹く風の音が、鍛錬で流した彼の汗を拭う。

「ふうぅ…………」

 その感覚が、男をなんとも心地よい世界へと誘った。

 が、しばらくしてまた彼は素振りを続けた。


「ねーねー、グレゴリー」

 静寂の草原で、一際目立つ少女のような高い声が響いた。

 すぐさま男が手を止め、声の方を振り返る。

「ユミル様」

 ユミルと呼ばれた年端もいかない少女は、とても着飾られており、みすぼらしい古い鎧の男と対を成していた。

 草原の風に、長い金色の髪をなびかせながら、美しい真珠色のドレスのスカートを、歩きづらそうに持ちながら歩いていた。

「あーんたまーたこんな何もないところで一人、剣の素振りなんてしてたの? 相変わらずよくやるわね……」

「いえ。これも姫……ユミル様を御守りするため必要なことですから」

「たまには休んだら? そんなに張り切ってたらぶっ倒れちゃうわよ」

「ははは、ご心配なく。このグレゴリ、実戦でそんなヘマはお見せ致しません」

「……まぁ、あんたに限ってはそうよね」


 姫の登場を区切りに、グレゴリは一連の素振り作業に満足したのか、一旦中断し、眼前にそびえる大きい石造りの城へと戻っていった。

 グレゴリは兵士であった。

 かの西方にそびえる小さな国家、グロウの王宮に勤める兵士だ。

 その隣を歩くユミルはその国の姫であった。

 グレゴリら兵士の仕事は、その姫を守ること、国を守ること、魔物を退治することなど様々であった。

 兵士たちの総数は大国に比べると、とても少ないが、粒揃いの精鋭たちであり、中でもグレゴリは兵士の中で最も強い駒だった。

 しかし、役職や肩書きに拘らない彼は、未だ一介の兵士にその座を留めている。

 というよりも、彼は人一倍ストイックだった。

 自分は力不足だ、まだ評価に値される人物ではない。

 と、とことん自分を追い詰め、研鑚を積み、そして自己評価の低い男だった。

 とはいえその決して慢心せず、常に高みを目指す姿勢は卑屈ではなく、見習うべき前向きな姿勢として、高く評価されているのだが。

 そしてその厳しい自己評価とは裏腹に、他者を褒める素養はとても高く、それは他人の才能を素直に受け止めることのできる、彼の大きな長所のひとつであった。

 周りがどんどん出世していく中、彼はそれを気に留めていなかった。

 そういう人間もいる。

 自分はまだまだ足りない。もし仮にその地位を得ても、資格がない。

 故にその地位を活かし切ることはできない。

 ならばその高すぎる地位は、より活かせる人間が全うすればよいこと。

 また、長年の厳しい兵士生活で身に染みた禁欲生活も、彼にとってはよい成長の機会となった。

 ただひたすらに、不必要なものを捨てて駆け上がった高みは、並の人間ではたどり着くことのできない境地であった。

 そう、彼に勝てるものはこの城にいない。



 ……ただ一人を除いては。


「ぐふっ!」

「へへーん。また私の勝ちねグレゴリ」

 城の中庭には、兵士の訓練場があった。

 木で出来た人形に、可愛らしく兜なんか被せてあり、兵士たちは日々訓練に励んでいた。

 しかし複数人が押し掛けて使うには余りにも狭いため、交代制で使っていることにしている。

 個人鍛錬の他、一対一の訓練が行われることもある。

 今回はグレゴリとユミルの一騎討ちだった。


 が、結果は連戦連敗。

 今のところ通算グレゴリの0勝62敗。

 彼女が生まれてこのかた、一度たりともグレゴリは彼女に勝利したことはない。

「ははっ、相変わらずお強いですな姫さまは。このグレゴリなどでは、最早相手にもなりませんよ」

「ふふーん。でも貴方もまあまあ強くなってるわよ」

 ユミルはいつもの外向きのドレスとは別に、重い鎧を身に纏っていた。

 曰く、不意に賊から剣や弓矢で狙われても安全な為らしいが……。


 並の少女に此れを装備して城を歩き回るなど不可能だった。

 彼女……ユミルについて語るならば、彼女は転生者だ。

 ユミルが生まれ出る日に、赤ん坊は流行り病に罹り、僅か数ヶ月にてその生命を落とした。

 余りにも惨いその出来事に、国中が通夜の雰囲気になった。

 かくいうグレゴリも、この日ばかりは生まれて一度たりとも見せたことのない涙を浮かべていた。

 苦しみながらこの世を去った生命への悲しさ、もあるがなにより流れていたのは悔し涙だろう。

 自分はなんと無力なのだ、と。

 この剣も、腕も鎧も、鍛錬も、無知故に病と戦うことすらできない。

 医者は最善を尽くそうとしたが、最終的には匙を投げた。

 自分が医学を嗜んでいれば、少しは変わったのかもしれない。

 そんな自分が情けなくて、悔しくて、泣いていたのだ。


 だが、やがてその赤子が光を放ち始めた。

 誰もがその目を集めた。

 まるで神の神託を受けたかのような、死んだと思われていた救世主がこの世に再び生を成すかのごとく、ユミル皇女は蘇った。

 誰もが喜び、泣いて、そして大いに笑った。

 奇跡だ。神の奇跡だ。

 人々は復活祭として、存分に呑み、存分に馬鹿騒ぎした。

 神の奇跡であることは間違いないのだが、彼女は生き返ったわけではなかった。

 彼女、本来のユミルは既に死んでいたのだ。


 こことは別の異世界にも、事故で亡くなったものがいた。

 名を、冴羽涼介。20歳。

 道路に飛び出した幼女を庇い、命を救ったことで神から、この世界にユミルとして転生する機会を授かった。

 男はというと、今やすっかりユミルの体内でユミルの生活を楽しんでいた。

 だが、男はどうせなら姫らしい姫生活を満喫するのではなく、バリバリの最強兵士のような力を持って転生することを所望した。

 まるで物語がひとつ作れそうなほど、充実した異世界生活だった。

 だが、生まれついたばかりのユミルの肉体では、思うように動かせなかった。

 まぁそれでもおしめをかえる必要がなかったり、言葉を喋ったりと、王や教育係はたいそう驚いたものなのだが。

 齢が1になると、ようやく一人で歩けるようになり、兵士たちと組み手を交わしたりした。

 遊ぶつもりが、ユミル嬢は兵士の一人ピーターを、80畳余り先まで吹き飛ばしてしまった。

 幼女ユミルはすくすく成長していくと共に、レベル的にも段々強くなっていった。

 3歳に差し掛かるころには既に城内最強の兵士、グレゴリでさて赤子扱いするほどに強くなっていた。

 屈強な30代の大人が、幼児にあやされる様は皮肉としか思えなかった。

 ユミルはその都度戦争で前線に立った。周囲の反対を振り切り、その圧倒的な強さで、瞬く間にその名を轟かせた。


 雷光の姫騎士(ヴァルキリー)ユミル。

 天下無双の覇女、ユミル。

 グロウ王国には怪物がいるーその強さから一級の魔道士や、騎士を片手でなぎ倒す怪物、ユミルが。

 やがてグロウは「小さな大国」と呼ばれるようになった。

 まるでユミルそのものを表すような誉ある称号であった。


 そして現在。ユミル皇女は6歳の誕生日を迎えた。

 より一層たくましくなった姫に、グレゴリは感涙からむせいでいた。

 そんな強い彼女と、こうして組み手を、剣を交わすことで、グレゴリもまた精進しているのだ。

 

 ユミルは中身が成人男性であったが、彼はそれを上手いこと隠していた。

 姫らしい所作も一通り覚えたし、目指しているのは素晴らしいお姫様であった。

 だが、時折見せる成熟した価値観に、周りは驚いていた。

 そしてユミルは若干6歳にして、国の会議にも参加し、特別ご意見番として意見を述べることが許されている立場だった。


 肩書きが多すぎて、多忙を極めていたが、ユミルは悪い気がしていなかった。

 訓練を終え、ユミルが城内を歩き回る度に、彼女を見かけた兵士が深々とお辞儀をする。

「ユミル様。お疲れ様です!」

「ユミル様、例のバングリーン共和国との交渉についてですが……」

「ユミル様! 数月先で私の娘が誕生しそうなので、何か良いお名前をお伺いしたいのですが!」


 今日も数々の者が、ユミルを求めて集まっている。

 その都度ユミルは声を聞き、問題解決に勤しんだ。

 人々から頼られる、なくてはならない存在。

 いや、あれは救世主なのかもしれない。

 隣で眩い光を放つ幼女を、グレゴリは胸に手を当てて敬礼していた。


「あーっ、お姫様も疲れるわ!」

 いつもどおりの自室で、柔らかいクッションに飛び込んでユミルは横になった。

 ユミルは強すぎる故、特別警備する必要がないのだが、グレゴリには特別に目をかけており、警備員として部屋に入ることを許されていた。

「姫様へ寄せられた希望。そしてそれに見事に応える姫様の在り方。まさに神の御業。後塵を拝しながら、爪の垢を煎じて飲みたいくらいです」

「えへへーっ。褒めても何も出ないわよ。クリームブリュレ食べる?」

「いえ。自分砂糖菓子はどうも苦手で」

「…………本当生真面目な男ね……」


 1日の終わりに自分へのご褒美に、とユミルは差し入れられた高級な砂糖菓子を口に放り込んだ。

 口についた砂糖を指で拭いながら、ユミルはグレゴリの側に寄った。

「な、なんでしょうか。姫様」

「グレゴリー。あんたって恋人とかいないの?」

「なっ、なっ! ひっ、姫様! そ、そそそそんな!」

 グレゴリの日頃の険しい表情からは、想像もつかないほどの動転っぷりに、ユミルは小悪魔のような笑みを浮かべた。

「あっ、なーにその反応。さてはいないんでしょー。そういうとこも生真面目なのねー」

「なっ、なにをいうんです姫様! ま、まだ6歳だというのに、どっ、何処でそんなはしたない言葉を!」

「週刊女性一番」

「…………さ、左様ですか……」

 本気の心配から声を荒げるグレゴリを、ユミルは全く意にも介さないといった感じだった。

 まるで酒場で遊び慣れた女性が、色事に疎い、未経験の男を嘲笑するかのような。

 いや、実際には男が男友達に彼女がいないことを、馬鹿にするような態度かもしれなかったのだが。


「しっ、しかしですね姫様。兵士たるもの色恋にうつつを抜かしているようでは……」

「あら。でも守るものがいるという事は兵士にとっても、思いがけない力を発揮することができる、とても良い兆候ではなくて?」

「私の守るべきものは王や姫様。そしてこの国に生きとしいける民全てです」

「まぁっ。じゃあ私がグレゴリの彼女ってことになるわね」

「いえ。それは恋愛感情ではなく、使命だからです」

「…………真面目ね……」

 体を寄せて、そこはかとなくからかってみたが、グレゴリはキッチリと公私を分けていた。

 特に面白味もないといった様子で、ユミルは再びベッドに横になった。


「姫様は不思議なお方です……。完全に息を引き取ったように見えて、突然光に包まれ蘇り、かと思えばその齢以上の博識や、力、価値観で……まるで成人の男性のようだ」

「ぎ、ぎくっ。そそうかしら?」

 成人の男性という部分に、ユミルは大いに思い当たる節があるため、今度はユミルが動揺を隠せなかった。

「ええ。女人のそれとはどこか異なるような……我ら男が持つような考えを、よく理解しておいでだ」

「ぎぎぎ、ぎく」

 先ほどの切り合いでも流さなかった大粒の汗がたらたらと流れ出る。

 こ、こいつ……なかなかに鋭い!

 鈍い堅物の生真面目野郎と思っていたら……侮れない。

 ユミルは、もしかしたら自分の正体に勘付かれているかもしれないという不安から、読んでいる本の内容が頭に入ってこない。

 このままでは不味い。

 かくなる上はと、ユミルはグレゴリの元に寄ってきた。


「ほっ、ほっ、ほら! これを見て! これをみてもまだ私がおっ、男だっていうの⁈」

「あっ、あひぃいいい! めっ、めっそうもございません! 姫様は歴とした女人でございます! だ、だからスカートをお収めください!」


 ユミルは自分のスカートを思い切り掴んでがーっとめくり上げて、グレゴリに見せつけた。


 女性耐性なんてものがまるでないグレゴリには効果抜群。

 目のやり場を失った。

 お互い、なにやら大切なものを失ったような、だが激しい聖戦を終えたように息切れしていた。

 動揺していたとはいえ、流石に6歳児の肉体で女性か否かとか抜かすのは、少々どころかかなりの無謀ではなかったのか。

 冷えた頭でユミルは段々と理性を取り戻していった。

 たかだか下着一枚(しかもドロワーズに代表されるかぼちゃパンツ)を見せつけ、見られて、大袈裟で滑稽なものだが、なんとかユミルの疑惑は晴れることになった。

 相手がグレゴリでよかった。

 ユミルは心底そう思った。グレゴリはというと、耳まで真っ赤になっている。

 ようやく互いに熱が冷め切ってくると、ユミルは「もう寝るわ……」と一眠りついた。

 グレゴリも部屋の明かりを消し、ユミルに布団をかぶせた。



 それから数日後のとある昼下がりに、ユミルは王様がせわしなくうろうろしているのが目についた。

 片手には古ぼけた紙を持っている。頭には髪を……あ、いや持っていなかった。

「誰がハゲじゃ」

「どうしたのよパパ……お父上」

「おお、愛しき我が娘よ……いや聞いてくれて有難う。実はな……」

「とうとう毛根が死滅したの?」

「そうそう毛だけに(もう)ないって……ちがうぞい! まったく! どこでそんな罵詈雑言を……」

 思わず王冠を取った王の頭は第二の太陽と見紛うほど、光り輝いていた。

 ようするにハゲだった。

 光り輝く器を、王の証で隠すと、王様は改めて告げた。

「いや実はな。わしが竜討伐のクエストを出しとったことは、ユミルも知っておるじゃろう」

「ええ。伝説の竜、グランド・ドラゴンの討伐クエストでしょう。たしか五万人ほどお受けになって、生きて帰ったものが一人もいないというやつでしたわね」

「あぁ。そのクエストをクリアした猛者がいるのだ」

「ええ⁉︎ つ、ついに?」

 ユミルは驚いた。ユミル自身、異世界に転生してから100戦負けなしの実力だが、流石にグランドドラゴン相手に挑もうとは思えなかった。


 Sランク冒険者軍団が、束になってかかっても相手にならなかったドラゴンだ。

 ユミルはまだそのレベルには達していないと思っていた。

 8歳、いや10歳になる頃には、腕試しとして挑もうと考えていたのだ。

 ユミルは話の続きを待った。

「しかもそれがなんと、話によれば竜は討伐されたのではなく使役(テイム)されたのだという」

「テッ、使役(テイム)ですって⁉︎」

「しかも5歳児の女の子に」

「はぁっ⁉︎」

 ユミルはいくらなんでも信用できなかった。

 伝説級の生き物を使役するのは殺すより大変なのだ。

 己の力を見せつけた上で、相手が自ら使役されたいと望まぬ限り、あるいはよほどの才がない限りは、並大抵の方法では使役することは叶わないのだ。

 そしてあたかも使役することが前提で話しているが、大勢の熟練冒険者が束になっても、退治どころかまともに相対すらかなわなかったのだ。

 それを自分より年下の、同じ女の子がやったのけたという恐るべき事実に、ユミルとて動揺を隠せない。

 なんだか別の物語にでも入っているような感覚だったが、クエストギルドはその審査と報告の厳格さから、数多の信頼を勝ち得ている。

 不正防止を徹底としており、虚偽の申告は認められない。

 必ず証拠を提示し、それを審査した上でクエストクリアという結果に判を押すのだ。

 つまりこれは紛れもない真実。

 伝説の竜を使役した場面を、クエスト係が実際に目にしているということになる。


「そんでわし、クエストの報酬として褒めに行かなければならなくてな。まぁ大抵は書類渡すくらいじゃし、誰も出来ると思ってなかったからこんなふざけた報酬にしたが……どうも興味があってな。それで今度、この者の住む地に赴こうと思っておるのじゃが……」

「お父上! 私ユミルも同行しますわ!」

「し、しかし……」

「私もこの目で見てみたいですわ」

 ユミルの胸中は野望で渦巻いていた。どんな化け物なのか。

 本当にドラゴンが幼女に使役されているのか、そしてその幼女の実力は……。

 かくして、グロウ王国は王族兵士一同で、かの幼女、ミユ=ワタナベの住むヨルダの街まで遠征することとなった。

 幼女と幼女の邂逅は、果たして両者にどのような化学反応を示すのか……


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