Ⅱ.
マカは当然の様に、颯真の背後を片時も離れなかった。それは、颯真が浴室へ向かった時も同じだった。
颯真はネクタイを外し、カッターシャツを脱ぎながら横目でマカを見た。
「一体、どこまでついて来るんだよ」
「どこまででもよ。私は守護霊代理だからね」
どこか誇らしげに胸を張ってみせたマカだが、颯真は少し困惑していた。
「いや、いくらなんでも……。これ以上は犯罪だぞ」
「キミがそれを言うの?」
「は?」
「……守護霊とはそういうものよ。それに私はキミの裸に興味はない」
マカがきっぱりと言い、颯真は片眉をピクリと動かした。
「ムカつくな……」
「まあ、でも……キミもそういう年頃だしね。極力見ないようにはするから」
「お前いくつなんだよ……」
マカの存在が心の大部分を占めていたが、颯真の方もマカを極力見ない様にし、いつも通りを装って一日の疲れを洗い流した。
壁掛け時計の全ての針が天井を指した頃、颯真はベッドの上で仰向けになっていた。目は一度閉じたが、すぐにパッと開かれた。
「眠れねー……」
快適な暗さと静けさに包まれた部屋で、天使の羽の様に優しい寝具に身を預けていると言うのに、一向に睡魔は颯真を誘いに来ない。
ベッド脇に立って居るマカは、真紅の瞳を瞬かせた。
「どうして? 疲れていないの? もしかして、不眠症……」
「違う!」
颯真はガバっと起きて、マカを指差した。
「お前が居るからだよ!」
マカはもう一度瞬きし、安堵した様に小さく息を吐いた。
「私はキミの守護霊代理だもの。今更気にする事ないわ。ほら、お風呂の時みたいに平然としていればいいわ」
「今までは何も視えなかったし! 風呂はなんとか耐えたけど、これ以上は無理だっての!」
颯真はマカを押し退け、壁に掛かったハンガーから上着をひったくると、ズボンのポケットに財布とスマートフォンを滑り込ませ、上着を羽織いながら部屋を出た。
「どこへ行くの?」
マカは当然の様についてくる。
颯真は深い溜め息を吐き、玄関扉を開いた。
「コンビニ。お前が居るせいで眠れねーし」
閉まり掛けの扉をマカは難なく摺り抜け、家からどんどん離れていく颯真の後ろ姿を追った。
数刻ぶりの通行人を、街灯は頼りない光でもてなす。一人分の影がその下をせっせと通り過ぎた。実体を持たない少女はその背中を見失わない様、半ば本能のままに追い掛けた。
「こんな夜遅くに出歩いていいのかしら? ご両親が心配するわ」
漸く、颯真の背後と言う定位置についたマカは不思議そうに家のある方向を見た。
「別に。今時はそんな事じゃ騒ぎになんねーよ」
颯真は一切後ろを振り返らなかった。
コンビニに着いた。
ここだけは周りの静寂から切り離されたかの様に、眩い室内灯を外にまで溢れさせてその存在を存分に主張していた。
落ち着かないマカをよそに、颯真は慣れた様子で自動扉へ向かう。
その時、側面の光の届かない壁際に颯真と同年代ぐらいの少年グループが三十代後半ぐらいの男性を取り囲んで、何か揉めていた。
マカの目には、男性が集られている様に見えた。
「……助けてあげないの?」
恐らく、颯真も気付いているだろう。だから、マカは訊いてみたのだが……。
颯真は大層、不愉快な顔をした。
「バカか。俺まで巻き添えくうし、そこまでして助けなきゃいけない相手じゃない。他人なんだよ」
「……冷たいのね」
「賢いと言え」
颯真は自動扉を潜り、真っ先に雑誌コーナーへ足を運んだ。
グラビア雑誌で性欲を満たすおじさんの隣で、颯真は昨日発売したばかりの週刊少年漫画誌を読み始めた。
マカが漫画を覗き込んだ。
「この主人公はキミと違ってカッコイイね。自分が負けるって分かってて、他人の為に立ち向かってる」
自分と比べられて一瞬不快だった颯真だが、マカの感想には同感だった。自分の事の様に、少し得意になった。
「だろ。コイツはいつもそう。だから、仲間に慕われるんだ。だけど……」
颯真はパタンと雑誌を閉じて、俯いた。
「これは物語だからな。現実はこう上手くはいかねーんだよ。俺は逃げる事も大事だと思う」
「……そうね」
生き物として賢い選択……けれど、理性を持ち合わせた人間としてはもっと何かあるのではないかと。颯真の場合、もっと大切な事から逃げている様にマカは思えてならなかった。
颯真は漫画を戻して、代わりにコーラとスナック菓子を手に持ってレジへ向かった。
コンビニから帰宅した颯真を、両親は咎める事などしなかった。と言うより、もうすっかり夢の住人となっていた。
部屋に入った颯真はまず明かりを点け、テレビ前のローテーブルにコンビニ袋をドカっと置いて、その前に腰を下ろした。
マカは隣に立ったまま、颯真の行動を目で追った。
颯真はテレビ台の収納スペースからゲーム機を取り出し、いそいそと準備を始める。まだ、当分寝るつもりはなさそうだ。
テレビとゲーム機の電源を入れると、静寂が下りた室内に賑やかなBGMが流れ出した。
颯真はコントローラーを握り締め、嬉々とした表情で眩く光る画面に釘付けだ。この時には意識がゲームの中に入り込んで、隣の守護霊代理の事など忘れた。
大好きなファンタジーの世界を、主人公を操って駆け巡る。
「モンスターか! 覚えたばかりの技を試すチャンスだぜ」
颯真は現れたモンスターの集団に余裕の笑みを見せ、コントローラーを巧みに操った。
プレイヤーの操作通りに主人公が動き、向かって来たモンスターを剣で切り倒していく。
後方で、女魔法使いと男弓使いが主人公を援護する。彼らは予めプログラムされた動きをする、所謂NPC(ノンプレイヤーキャラクター)だ。
主人公が剣に炎を纏わせ、堂々と技名を言い放つと、振るった剣の軌跡からまた炎が生まれてモンスターを飲み込んだ。
颯真は主人公の代わりにガッツポーズし、技の成功を喜んだ。
敵は残る一体。
「すぐに片付けてやる――――って!?」
颯真は、主人公の横を素通りしたモンスターに目を丸くし、あんぐりと口を開いた。
モンスターはそのまま後方の弓使いにしがみつき、大爆発した。
轟音と炎に包まれ、戦闘は終了。モンスターは弓使いを道連れにし、自滅したのだ。
傍にいた魔法使いのHPも半分以上減ったが、無事であった。
颯真の操る主人公は、モンスターが落としたアイテムを拾ってアイテムボックスにきっちり収めた。
「回復薬か。コイツに使っとくか……」
序盤である現在、とても貴重なアイテムであり、あまり気が進まなかったが傷付いた仲間の為に使用した。
画面上部に表示されている魔法使いのHPが全回復した。対して、隣の弓使いのHPは0のままだ。
颯真は気にする素振りも見せず、そのままダンジョンの先へと進んだ。
薄暗い階段を、主人公を先頭にゆっくりと下っていく。
「……ねえ、仲間はそのままでいいの?」
率直な疑問をマカは口にした。
颯真は主人公を操作しながら、頷いた。
「そいつ役立たずだし、回復薬高いんだよ。つーか、ゲームなんだから何だっていいだろ」
「ゲームに限った事じゃないけれどね……キミの場合」
「はあ? 意味分かんね。お、ボス来た」
BGMが静かなものから激しいものに変わり、主人公達を大きな影が覆い隠す。
そこには画面の大半を占める大きさの、頭部のない全身鎧の騎士が待ち構えていた。
コントローラーを忙しなく動かし、時には奇声を上げ、ゲームの中の敵と本気の勝負をする颯真。
激闘の末に何とかボスを倒し、次のステージへと進み……同時に颯真の睡魔も大分進んで来て、いつの間にかウトウトと意識を手放していた。
画面上の主人公の動きは止まり、唯一動かす事の出来るコントローラーは颯真の膝の上だ。
マカは颯真の無垢な寝顔を見て微笑むと、そっとベッドの上のブランケットをとり、颯真の肩に掛けてあげた。