ⅩⅠ.
平凡な休日はあっという間に過ぎ去り、退屈な学校生活が始まる一日目はけたたましいサイレンの音に叩き起こされた。
耳を劈く音に目を覚ませば、いつもよりも三十分早い起床だった。
「おいおい……なんだよ、朝っぱらから」
颯真は不機嫌な顔で後頭部をガシガシ掻き乱した。
マカの視線は彼女が開いたカーテンの向こうへ向けられていた。
「救急車にパトカー……」
「そりゃサイレン聞きゃ分かるよ」
「ええ。けれど、やけに多いわね」
マカは遠ざかっていく無数の赤色警光灯を見送って主に向き直った。
颯真は部屋着を脱いで既に制服に着替えていた。気怠げながらも習慣として身に付いていた。あとは通学用鞄を持って部屋を出る。布団は起きた時のまま。いつも帰宅する頃には母が綺麗に伸ばしてくれているから、態々整える事はしない。
顔を洗い歯を磨いて、父と擦れ違い様にリビングへ入ると皿洗いをしていた母が振り返った。
「あら、颯真。今朝はやけに早いのね」
「ああ。サイレンがうるさくて寝てらんなかったんだよ」
椅子に座って、テレビに視線を向けた。都内の人気パン屋特集をやっている。さすがにまだたった数分前に救急車とパトカーの向かった先の事はニュースにはなっていない。
母はシンプルないつも通りの朝食を用意し、席に着いて颯真に同意した。
「確かにね。あんたも気を付けなきゃ駄目よ?」
母の視線は颯真の治りかけの怪我に向けられ、颯真は口にしたくて堪らない真実を伏せこくりと頷いた。
本来その言葉は背後に居る守護霊代理に向けてほしかった。この怪我は凶悪犯によるものではなく、凶悪犯から颯真を護ろうとした彼女に負わされたものなのだから。
朝食を食べ終えると特にやる事もないので、学校へ向かう事にした。
学校へ近付くにつれ、周囲のざわめきが増し比例する様に人の数が増えていった。
門の前に到着する頃にはもうそこ一帯は人集りが出来ていた。
絶えず聞こえてくる話に耳を傾けると、どうやら不吉な事がこの向こうで起きたらしい。当然、有名人が来ただのと言うキラキラしたイベントではなかった。
颯真以外の生徒も人集りを前に立ち往生しており、校内へ入る事が出来ていなかった。
門の向こうには赤色警光灯も見え、何名かの警察官が険しい表情で徘徊している。校庭の方には規制線も張られていてただ事ではない。
緊迫した空気と野次馬の雑踏がミスマッチな空間だった。
やがて教師が人集りを散らし、生徒達を招き入れると「急遽全校集会を行うから、それまでは各自教室で待機していて下さい」と告げた。
そうして体育館で全校集会が開かれた。
いつもならば大半が退屈そうに欠伸をし、ある者は立ったまま器用に眠ってしまうのだが、今日ばかりは皆欠伸を噛み殺して壇上にしっかりと視線と意識を向けていた。
壇上で校長先生は咳払いをし、目を伏せて話し出した。
「本日の早朝。屋上から女子生徒が飛び降りました」
ざわっ。
この場に居る誰しもが息を呑む中、また校長先生の声が響いた。
「病院に運ばれましたが先程死亡が確認されました。屋上から持ち物と遺書の様な物が残されていた事から、警察は自殺だと推測しているようです。そしてその生徒の名前は――」
辺りは静まり返って一瞬で凍り付いた。そして少しすると、あちらこちらで啜り泣く声が聞こえてきた。
「マジ、かよ。何でアイツが」
颯真は驚きと戸惑いを隠せず、マカが冷静に数日前の事を振り返った。
「あの生霊。あの子だったのね。自殺する事を決意した瞬間のキミへの怨念……」
「お、怨念って! な、何も自殺なんて……」
「颯真、どうした?」
昭國が後ろから肩を掴み、颯真はぎこちない動作で振り向いた。
「あ、昭國」
「……まさか、七ちゃんが死んじまうなんてな。お前に陰湿な嫌がらせしてた事と何か関係あんのかな。もしかして罪の意識……とか」
昭國の顔は暗く、いつものふざけた彼は何処にも居なかった。
颯真は顔を背けた。
「んなの、俺には分かんねーよ」
自分には関係ない。自分が原因である筈ないじゃないか。そう思うも、颯真の脳裏には七と最期に会話したあの日の事が巡っていた。
七の死に校内で一番ショックを受けたのは、親友の結愛だった。結愛は教室に戻ってからも机に突っ伏して泣いているばかりだった。クラスメイトが話し掛けてもまるで反応がなかった。
「七ちゃん、どうして! うぅ……」
七の遺書に結愛への感謝の気持ちが書かれていた事がより一層悲しみを増幅させていた。感謝などされても空虚感が増すだけで、温かな気持ちにはなれなかった。
いつまでも悲しみに暮れている結愛のもとへ、特別仲良くもないクラスメイトの女子が近付いて来て声を掛けた。
「あたしさ、先週見たんだよね。七ちゃんと颯真くんが一緒に居るところ。しかも、何だか揉めてたみたいで……。会話は聞こえなかったんだけどさ」
「颯真くん……と?」
漸く上げた結愛の顔は白目が赤く目の周りが腫れぼったくなってみっともなかったが、自分の容姿など気にしている余裕がない程結愛は話に興味を示した。
クラスメイトは小さく頷いたが、これ以上の情報を持っていなかった為に語る事はなかった。
悲しみばかりだった結愛の心にドロドロとした憎悪の感情が入り乱れた。
涙を拭い立ち上がると、これからホームルームが始まる事などお構いなしに教室を出て行った。
廊下に出ている生徒達は教室へ移動し、教室で談笑している生徒達は話に区切りを付け始め、颯真もそれに倣って昭國との会話を終了させた時。隣のクラスの結愛が教室に飛び込んで来て、真っ先に颯真の机の前まで来ると机を両手でバンッと叩いた。
颯真も周りも驚きのあまり固まって声も出せなかった。
「あなたが七ちゃんを殺したんだね!?」
突然の結愛の言葉に、皆二度目の衝撃を受けた。しかし、数秒して硬直が解けるとざわざわし始めて戸惑いの視線は時折颯真へと向けられた。
颯真は自分を今にも責め立てようとする空気に耐えきれずに立ち上がると、目の前の少女を睨んだ。
「いきなり何言い出すんだよ! 他殺じゃねーよ、自殺だろ? 何で俺が殺した事になるんだよ」
結愛は大声に一瞬怯みつつ、睨み返して必死に対抗する。
「何も理由がないのに自殺する人なんていないでしょ? 先週、七ちゃんとあなたが揉めているところをクラスの子が見たって言うのよ。あなたが七ちゃんに酷い事言ったんでしょ! だから、七ちゃんは……! 七ちゃんは……っ」
語尾は嗚咽に変わった。
今度こそ周りの空気は颯真を責め立て、颯真は居心地が悪くなった。つい、背後を見てしまうがマカはこんな時だけ守護霊代理を演じてそこに立って居るだけだった。
そこへ、チャイムを引き連れて担任教師が教室へ入って来て事態は収束を迎えた。
結愛が教師に連れられて自分の教室へ戻っていくと、颯真は守護霊代理をもう一度見て拳を強く握った。
当然、結愛の颯真への恋心は繊細なガラス細工の様にバラバラに砕け散って修繕不可能となった。
それだけでない。結愛はどんな感情でさえも心地が悪くなって、それを拒絶するように心を閉ざしてしまった。そうして、不登校となったのは自然な事であった。
七の自殺、結愛の不登校。その全ての元凶が颯真であるとあらぬ噂が立ち始め、益々颯真は校内での居心地が悪くなった。
直接的でないにしろ、彼女達に関わっていたのは事実。だけど、颯真は無関係だと思い続けていた。