Ⅹ.
「いやあ、まさか犯人はアイツだったとはな。あんなに大人しそうなのに、女って怖いな」
気分が良くなった颯真は学校を出た後、昭國に連絡し遊びに誘った。今は駅で待ち合わせ中だ。
沢山の人々が忙しそうに通り過ぎていくのを眺め、マカは口を開いた。
「女に限らず、嫉妬って怖いものよ」
「そりゃな。でも、変な奴だよ。女が女を好きで、その女が想いを寄せる男に嫉妬するだなんて。俺、マジで巻き込まれただけじゃね? あー疲れた。これでもう解放されるわ」
颯真はうんっと伸びをした。
マカは人混みの向こうから歩いて来る颯真の友人を見つけた。
「……キミは本当に他人事なのね。さすがにあんな終わらせ方はあの子が可哀想よ」
「そっか? どうせ地獄行きの罪人なんだろ? てか、地獄にいつ墜ちるんだよ。死んだ後? それとも罪を犯したらすぐ?」
「…………基本的には一生を終えたら。けれど、判決によっては……」
「よぉ! 颯真」
マカの言葉を遮り、昭國が目の前にやって来た。
颯真はマカの事など忘れ、笑顔で手を挙げた。
「昭國! 早速だが、朗報だ」
嫌がらせの犯人が判明した事をざっくり話しながら、特に行き先も決めずに足が向く方へ歩いて行った。
書店で漫画を買い、ゲームセンターでアーケードゲームに白熱して景品ゲームで景品をしっかり獲得し、これまでのストレスを発散出来た颯真は上機嫌で夜道を歩いていた。昭國とは付き合ってくれたお礼に景品を一つお裾分けした後、待ち合わせた駅で別れた。
今は守護霊代理を除くと一人きり。それでも、不安がないのは不安要素を本日払拭したからだ。もう得体の知れない尾行者に襲われる心配もない。
今夜は落ち着いて風呂に入れるし、盛り塩がなくてもぐっすりと眠る事が出来る。
けれど、不幸や災厄と言うのはこうした無防備な状態にこそ訪れるもの。全く身構えていない哀れな平和ボケした者達を容赦なく襲うのだ。時には命を一瞬で奪ったりする。
今の颯真は奴らの格好の餌食であった。
自宅から一番近い電柱を横切った時、背後を強い光と騒音が襲った。
颯真が振り返る間もなくマカに腕を引っ張られ、端に転がされた。
「いってて……何なんだ」
起き上がると、視界一杯に大きな棺桶が入った。守護霊代理が主を護る様に立っていた。
マカの目の前には、マカの放った霊力によって軌道がずれて外壁にめり込んだ自動車、そして運転席から赤ら顔の男が千鳥足で出て来た。
颯真はすぐに彼が以前夜の繁華街で人を撥ねて金品を奪っていた悪党である事に気が付いた。あの後、暫く街は騒然としていた筈だが警察を見事に欺いたようだ。正常な判断が出来ない状態でよくもまあ、と逆に感心する程だ。
「おい、にーちゃん。ゲーセンでも寄ってきたのぉ? ひっく。いいなあ! おじさんも遊びたいわー。けど、お金ないわー。ひっく。にーちゃんよぉ、そんならお金たくさんあんだろぉ? かわいそーなおじさんに恵んでくれんかい? ひっく。あーもしかして、ゲーセンで全部使っちゃった後? そんならその景品くれよ。売りゃ酒一杯飲めるだろ」
男は千鳥足で近付いて来る。その距離が縮む度に、マカの表情が険しくなった。
男の目にはマカを通り越してその向こうで起き上がる体勢のまま静止している無防備な少年が映っていた。
マカが霊力をもう一撃、今度は男に直接叩き込もうと身構えると、辺りが一気に騒がしくなった。
「事故?」
「こりゃひでーな」
「あれ? あそこに男の子がいるよ。しかも怪我してない?」
近所の野次馬達だ。
閑静な住宅街の夜間に突如響いた衝突音は異質で、小鳥の囀りと同じ様に聞き流す事など出来る筈もなかった。
「うっわ……やべ」
男は千鳥足で逃走を図る。が、サイレンが周囲を包み込んで間もなく到着した警察に鮮やかに手錠をかけられて連行されていった。
犯人が退場すると、今度はありとあらゆる視線が颯真に注がれた。
道端で倒れて負傷した少年、それだけでただ事ではない。顛末を知りたいし、怪我も心配。そんな好奇心と親切心とを混ぜ合わせた態度で颯真に歩み寄る人々。
「キミ、血が出ているじゃないか。まずは手当をしよう。そしてその後何があったか聞かせてもらえないかな」
少し強面の若い警察官が手を差し伸べてきたが、動揺した颯真は上擦った声で「大丈夫です!」と告げると自力で立ち上がって走り去った。
不審に思われたかもしれないが警察沙汰にはしたくないのでやむを得なかった。ただ、自宅へ辿り着くと真っ先に母からの詰問を受けて渋々語る事となってしまった。
颯真は母に手当してもらった手足をそっと撫で、ベッドにバタンと倒れた。
「警察には言わないでくれるのはありがたいけど、何でこんな怪我しなきゃなんなかったんだよ……」
「それは私が突き飛ばしたからだわ。ちゃんと護る事が出来なくてごめんなさい」
マカは言葉通りの表情を浮かべ、ぺこりと頭を下げた。
「ホントだよ、もう。見掛けによらず手荒いって言うか」
「……怪我、早く治るといいわね」
マカが背を向け、颯真は目を閉じる――――と、瞼の裏側に黒い靄が漂い、甲高い笑い声が聞こえて来た。
「うわっ!?」
「どうかしたの?」
ガタン!
机上の写真立てが床に落ちた。
颯真は上体を起こして頭を抱えた。
「また生霊だ……! 何で。もう解決した筈、だろ」
「そうみたいね。私も一瞬気配を感じたわ……。けれど、もう居なくなったようね」
マカはしゃがみ、写真立てを手に取った。
颯真と親友の悠河が仲良く並んだ写真。だが、よく切れる刃物で引き裂いたかの様に写真立てごと割れて切り離されていた。その上、颯真の顔にだけ血の如く真っ赤な液体がべっとりと付いていた。
「何だか嫌な予感がするわ」
マカはこちらを向いた颯真に無残な写真を見せた。
「んだよ……それ」
颯真は戦慄を覚えた。
マカの言った通りもう生霊は此処には居ない。けれど、颯真の脳裏にはしっかりと居座っていた。黒い靄の幻覚、甲高い笑い声の幻聴、頭を振っただけでは素直に出て行ってくれなかった。
眠ってもいないのに悪夢を見ているかの様で。
目を瞑り、耳を塞ぎ、膝を抱え、必死に現実逃避を図っているうちに親切な夢の主が迎えに来て颯真は穏やかな眠りについていた。
夢の中では懐中時計を持った慌てん坊の白兎が言葉を話し、奇抜な格好のシルクハットの男と白兎とよく似た兎と小太りのネズミがお茶会を永遠に繰り返し、深い森の途中でピンク色のしましまな猫が現れたり消えたり、遠く聳える立派なお城では真っ赤なドレスの女王がカボチャのパイがないと大騒ぎ。
世界観に統一感がなく、住人達の言動も住人達自身もどこかおかしくて。夢一杯の子供の頭の中にお邪魔しているかの様なヘンテコな世界だった。
朝を迎えた時には夢の事は綺麗さっぱり忘れてしまい、同時に昨夜の恐怖も薄れていた。あんなに恐ろしかった筈なのに、平然と眠れておまけに夢の世界を冒険出来た自分自身に驚いた。
それでも、机上にそっと置かれた写真立ては昨夜のままでやっぱり今日は昨日の続きだと言う事を再認識させられる。守護霊代理の少女も変わらずそこに居た。
マカは颯真が目覚めた事に気付くと「おはよう」と殆ど無表情で言った。
颯真は挨拶を返さず、ベッドを下りてカーテンを開いた。
シトシトと雨が降っている。空を覆うシルバーグレーの雲は分厚くて何処までも続いており、そこに太陽が顔を覗かせる隙間はなかった。今日はきっとずっとこんな調子だろう。
休日の今日、特に出掛ける予定もない颯真は部屋に引き籠もってゲームや漫画三昧と決めた。
次の日は晴れ、友人からの誘いもあったので外へ出掛けた。