Ⅸ.
通学路はいつも通り。校門を潜るところまで何も変化はなかった。
通り過ぎていく生徒達。今度は自分が不審者にならない様に気を付ける。
「おっはよ、颯真」
「ん。昭國、おはよう」
今日も下駄箱で友人と会い、他愛ない会話をしながら教室へと向かう。
(何もない。手紙も花も下駄箱に入ってなかった。変な視線も感じねー)
これではまるで嵐の前の静けさの様ではないか。身震いがした。
昭國もそれを気にしてか、ゲームの話から急にその話題に触れてきた。
「あの嫌がらせ、本当何だったんだろーな」
「そうだな。あんだけ執拗に嫌がらせしてきたのに、ここ数日は全くだ。結局犯人も目的も分かんねーままだ」
「一時的なもんかねー。他人に嫌がらせして何が楽しいんだか」
「……ああ」
お前が言えた事か、と颯真は心の中で突っ込み、友人からそっと顔を背けた。
昭國と居ると、時折半年前の事を思い出して居心地が悪くなる。忘れたくても忘れられない。いや、きっと罪悪感があるから忘れる事など出来ないのだ。罪悪感すら失ったら人ではなくなる。
現在颯真に嫌がらせをしている何者かが心からそれを楽しんでいるのならば、もう人である事を棄てている。マカの様な地獄の使者に罪人として地獄送りにされる事だろう。だけど、まだ罪悪感を抱く余裕があるのなら救いがあるのかもしれない。
どちらにせよ、颯真にはどうでもいい事ではあったが、唯これ以上の嫌がらせは勘弁してほしかった。
何事も起きぬまま、時間だけが過ぎていった。
移動教室の為に廊下を歩いていると、前を歩いていた女子の手元からうさぎのマスコットがコロンと落ちた。本人は気付かず、隣の女友達が気付いた様だが彼女が行動に移す前に颯真が動いた。
「おい、落としたぞ」
「あ! 本当だ。ありがとう」
女子――――結愛は落とし物を受け取って照れ笑いした。二人の間に何処か甘酸っぱい空気が漂う中、結愛の友人の七はそこに入れずにいた。
七は冷めた目で少女漫画の一コマの様な光景を眺め、スカートをギュッと握った。
七の機微には気付く事なく、まだこの空気は続いた。
「相変わらずボケーッとしてんのな」
「うぅ……返す言葉もないです」
「ま、次は気を付けろよ。んじゃな」
「う、うんっ」
颯真が去って行くと、結愛は恍惚とした表情を浮かべてうさぎのマスコットを愛おしそうに両手で包み込んだ。
「あー……やっぱり優しいなぁ。何でもないって感じでサラッとこう言う事してくれるとこが本当カッコイイ。ね?」
同意を求めて友人を見ると、七は暗い表情をしていた。が、一瞬だけ。結愛が心配する隙を与えず、すぐに明るさを取り戻して「うん! 私もそう思うよぉ」とにっこり答えた。
結愛はドキリとした。
「あれ? もしかして、七ちゃんも颯真くんの事……」
「ないない! 大丈夫だよ。私、他に好きな人がいるもん」
「へぇ! それは知らなかった。ねえ、誰なの?」
「えー……教えな~い」
「ちょっとぉ。教えてくれたっていいじゃ~ん」
仲良しな二人が楽しげにじゃれ合うそんな平和な昼下がり。ここからじわじわと嫉妬の影が迫って来る事を、颯真はまだ知らなかった。
まだ教室で友人達と談笑する昭國に軽く挨拶し、颯真は昇降口へ。
上履きを脱ぎ、下駄箱の蓋を開けて愕然とした。
また、手紙が入れられていたのだ。
嫌がらせは振り出しに戻った様に思われたのだが……
「これは……」
手紙に書かれていた内容に、颯真は眉を潜めた。
「ふぅん……。16時に屋上へ来い、と」
マカが颯真の肩越しから手紙を盗み見た後、颯真が取り出したスマートフォンの示す時刻と照らし合わせた。
「あと10分ぐらいね」
「ああ。どう言うつもりか分かんねーけど」
「筆跡はこの間の手紙と一緒みたいだし、これはもう確実ね。一連の嫌がらせの犯人、そして生霊の正体がこれで分かるわ」
「犯人と直接対決ってか。はぁ~……もうやだな」
颯真は手紙をクシャクシャに丸めてスマートフォンと一緒にズボンのポケットに押し込んで、上履きをもう一度履いた。
そして、今来た道をとぼとぼと引き返し、マカもついて行った。
昇降口から少し距離はあったが、指定された時間の5分前には着いた。
段々と西の空へ帰っていく太陽の光が眩しく、吹き抜ける風が心地良い。
颯真とマカ以外、誰も居なかった。
下に広がるグラウンドから運動部らの元気な掛け声がよく聞こえた。
颯真はスマートフォンで時間を確認すると、フェンスに背中を預けて空を仰いだ。
指定時間を少し過ぎるまでは待つつもりでいた。
マカもいつでも主を護れる様に赤い双眸を光らせ、霊力を高めている。
5分はあっという間だった。
それからまた5分、10分と時間ばかりが過ぎ、颯真はスマートフォンをしまってフェンスから離れた。
「あら、帰るの?」
扉へ向かう颯真をマカが呼び止めた。
颯真は迷わず頷いた。
「ここまで待って来ないのは変だろ。もしかしたら悪戯だったのかも」
「でも、筆跡は確かに……」
「うーん……じゃ、忘れたのかもな」
「そう、かしら……」
マカは腑に落ちなかったが、颯真はもっと腑に落ちないとその目が訴えていた。だから、颯真を責めるのは違う気がして、マカは颯真の意思に従って一緒に屋上を後にした。
ガタンと、背後で重たい金属製の扉が閉じた。目の前に広がるは、屋上とは正反対の仄暗く薄汚れた階段だ。
傍らで何かが蠢いた気配がしたが振り返ったのはマカだけで、颯真は階段を下りていってしまった。
仕方なく主の後に続こうとした守護霊代理の真横を小柄な影が走り抜け――――
「うわっ!?」
颯真は落下。
すぐにマカがその手を掴み、もう一方の手で感じ取った悪意の塊に霊力を放った。
颯真は間一髪踵だけで階段に踏み止まり、向こうでは衝突音の後に小さな悲鳴が聞こえた。
「ごめんなさい。気付くのが少し遅れたわ」
「あ、ああ。ありがとうな?」
体勢を立て直した颯真はマカの手が離れるとマカと共に、衝突音と悲鳴が聞こえた方を見た。
扉に背中を打ち付けて手足を投げ出し、頭を垂れている少女が一人。結愛の親友の七だった。
颯真は驚き、彼女に近付いた。
「お、おい?」
「うっ……いたた……。え? あれ、何で……」
激痛と呼び声に目を開けた七は、眼前に現れた顔に喫驚して後退ろうとした……が、後ろは扉。それ以上は下がれない。
マカは棺桶を背負い直し、地獄の双眸で哀れな罪人を見下ろした。
「間違いないわ。この子が今颯真を突き落とそうとした」
「は? マジか。いや、まあ……それ以外に居ないか」
颯真が自分にしか聞こえないマカの声に応えると、当然ながら七はきょとんとした。瞬きを繰り返すまん丸の瞳が奇異の念を容赦なく孕んでいた。
颯真はそれを無視し脳裏にこれまでの嫌がらせを順番に並べ立てると、実に冷ややかな視線を七へ向けた。
七はビクリと身構えた。
「教科書、呪いの手紙、黒百合、そんでもって生霊……全部お前の仕業だな?」
「えっと……。い、生霊は知らない」
七の目が泳いだ。
「生霊“は”ね。じゃあ、それ以外は認めるんだな?」
「…………はい」
「あのさぁ、俺お前とそこまで話した事ねーし、恨まれる様な事した覚えもねーんだけど? 何なんだ」
颯真がガシガシ後頭部を掻くと、七の目がギンッと光った。
「そう言う自分は無関係ってのが気にくわないんだ……! ねえ、どうしてあんたなの!? ねえ、どうして……どうして……どうして! どうして、結愛ちゃんはあんたを選んだの!?」
七の迫力に颯真はたじろいだ。
七は幽鬼の様にユラリと立ち上がる。その瞳はまだ鋭く颯真を射貫く。
「結愛ちゃんの事ずっと前から知ってて、ずっと仲良しで、ずっと一緒で。結愛ちゃんの隣は私なの。私が結愛ちゃんの居場所で、結愛ちゃんは私の居場所! それなのに、あんたなんかに! 私は……いいえ、私だけが結愛ちゃんを好きになっていいの!」
「あーっと、す……すげー友情だな?」
「違う! 友達なんかじゃない……それ以上なの」
「し、親友ってやつか」
「それも違う! 私は結愛ちゃんを心から愛しているの! 結愛ちゃんは私のものなの! だから、誰にも……特にあんたなんかには渡さないんだから!」
強い嫉妬の念が大波の様に颯真に覆い被さり、颯真は呼吸がままならなくなった。それは初めての事ではなかった。数日前に路上で生霊に呑まれた時に感じたモノと全く同じ感覚だった。
「こほっ……」
颯真が噎せ返ると、嫉妬の念は引いていった。だが、またいつ浴びせられてもおかしくない状況だった。それにも関わらず、颯真の口からは無神経な言葉が漏れた。
「あー……そう言う事か。お前、女なのに女が好きなのか」
七は眉間に皺を寄せ、臨戦態勢を取る。
「悪い!? 絶対引いてるでしょ!」
「んー……そりゃな」
「――――っ!」
「まぁ、誰が誰を好きだろうと勝手だろうし」
その言葉に七の眉間の皺が減ったが、また無神経な言葉を続けたおかげで意味をなさなかった。
「俺には関係ないし」
「関係……ないだって!?」
七は握り拳を思い切り後方の扉へバンッとぶつけた。相当痛い筈だが、彼女の顔面を覆うのは憤怒の表情だった。
「結愛ちゃんはあんたの事が好きなんだよ!? 勇気出して告白だってしたじゃない。それなのに、無関係だって言うの? それならいっそすぐに断ればよかったじゃない! 何で、結愛ちゃんに変な期待させる様な事するの?」
「いや……だってさ、正直俺はアイツの事そんなに知らない訳だし。告白だって俺みたいな平凡な奴がそうそうされるもんじゃねーしさ。分かんねーんだよ。かといって、断るにしても言い方間違えれば傷付けちまうだろ。そう言うの、面倒なんだよな」
「何……それ。それじゃあまるで、結愛ちゃんが面倒って言ってるみたいじゃない」
「いや、まあ……そう言う訳でもないんだけどさ。あ、そうだ。お前、そんなにアイツの事好きならもういっそ打ち明けたら良くね? 案外受け入れてくれるかも。そしたら、全部解決だろ」
颯真は一人うんうん頷き、自分の案に満足していた。
これで話を終わらせようと、最後に話題を最初に持っていく。
「と言う事で、俺は特にお前の邪魔をするつもりはないから敵じゃない。だから、もう変な嫌がらせはすんなよな」
七が俯き加減でこくんと頷き、それを認めた颯真も頷くと清々しい気持ちで七に背を向けて階段を下りていった。
「本当にこれでよかったのかしら……」
マカはそのままの状態で動かない七を一瞥し、主を見失わない様に後を追った。
颯真もマカも、七の頬に涙が伝った事には気付かなかった。