その名はマルファ
「ふぬあああぁぁぁ……!」
頭を抱えてうずくまる青年が、一人。
黒い帽子に隠れる頭を抱えながら、何やら呻いていた。
「おちてなーい! まだおちてなーい!」
「も、もうやめてくれぇ! あああ、せっかくのかっこいい登場が台無しだぁ……」
涙声の青年が呟く。さっきまでの調子は全く鳴りを潜めてしまった。
「ソクァ! やめなって! この人かわいそうじゃない!」
「はーい」
姉の一声が弟を嗜める。
その頃合いを見計らって、白いシルクハットをかぶり直した少女は青年へと声をかけた。
「あの、改めてお礼を言うわ。どうもありがとう」
「あ、ああ、いや。どういたしまして」
少女の声に座った答えた青年は、すぐに立ち上がった。
再び高い位置へ移動した顔を眺めつつ、少女は言葉を続ける。先程より頼りなさを増した青年の笑顔は、何とも言えない雰囲気を含んでいた。
「赤い風船を取り戻していたのを見たからね。つい、僕も助けてあげたくなって」
あはは、と、笑い声が響く。その声を聞くと、少女は唇を少しばかり緩ませた。
「おにいちゃんおにいちゃん! 僕とあそぼーよ!」
「ソークァ! 知らないオジサンに飛びついちゃダメでしょ!」
「お、オジサン……」
ソクァが彼の足に飛びつきながら、彼の心にダメージを与える。
他意は無い無邪気な言葉に傷つけられた青年の反応を見て、少女は噴き出した。
「っぷは! あはははは! あなた、面白いのね!」
「え? そ、そうかい? いやぁ、別に普通なんだけどなぁ」
「ねえねえ、おにいちゃんなんて言うの? ぼくソクァっていうの!」
「わたしイズ! わたしも知りたい!」
イズと名乗ったソクァの姉も、興味津々に顔を近づける。
輝かせる瞳を受けながら、抱き着いてくるソクァの頭に手を置きながら、彼は答えた。
「僕は……。僕はマルスっていうんだ。イカした名前だろ?」
子供達が彼の名前を復唱する。そんな中で、少女は口元に手を当てて肩を軽く揺らした。
「うふっ……あははは!」
「な、なんだい! 笑うことないだろ!?」
「そ、そうね。……っんん! ごめんなさい。あなたの仕草とお名前、なんだかギャップを感じてしまって」
そう言いながらもくつくつと笑い続ける少女は、強気な両目を細めて可愛らしく笑い声をかみ殺している。
苦笑を滲ませたマルスは、そんな少女に口を開いた。
「ところで、君は? 君は、なんていう名前なの?」
「私?」
聞かれた少女は、はたと止まってから、得意げに自分の名前を口にした。
「私は、マルファ!」
細く、長い眉。柔らかくも強気な、猫目。
長い睫毛の奥で真っ直ぐに光る瞳を宿しながら、彼女ははっきりと名前を宣言した。
「マルファ? おねえちゃん、マルファっていうの?」
「そうよ。いい名前でしょ?」
「お姉ちゃん、お姫様と同じ名前なんだ!」
ソクァが繰り返し、イズも顔を向ける。
「ええ。お母様から頂いたの。結構気に入ってるのよ」
陽気な光が、四人を明るく照らす。
そして、先程よりも柔らかさを覗かせる、笑顔もそれぞれの顔の上に咲いた。




