揺れる大広間
「マルファ様! マルファ様はおらぬか!」
老齢の声が、朝の屋敷中に響く。
太陽が地平線から顔を出し、夜の終わりを告げる頃。
小鳥が挨拶を交わすより早く、堅牢なお屋敷は彼の大声に揺すられた。
「マルファ様ぁ!」
「なんですかグォルグさん! 朝っぱらから騒々しい!」
「おお、バーバラ!」
名前を呼ばれた老執事は、振り返りながら女性の名前を呼びかけた。
その額には、汗が伝う。
切れ長の瞳を覆う銀縁眼鏡も光らせて、老執事は返事もそこそこに歩き出した。
「聞いてくれバーバラ! 姫様が、マルファ様がおらんのだ!」
「はぁ? なんだって?」
「だから、マルファ様がおらんのだ! 寝室食堂、庭はおろか、屋敷中どこを探しても見つからん!」
白い手袋が身振りに揺れる。仕立ての良い燕尾服も、今だけは優雅さを保てない。
後頭部へ撫でつけられた白髪混じりの銀髪が、耳元から顎先へ、新たに焦りを伝わせた。
「お手洗い、浴室は?」
「ああ、いや、まだ見ておらん。いやしかし、食事の時間になっても姿が見えないのは、やはりおかしいのだ!」
普段より慌てることの多い彼だが、ここまでの取り乱し様は珍しい。
その雰囲気は空気も震わせ、異常を察した召使達を柱の奥から呼び寄せた。
「セルディ! コーリア!」
バーバラの声が、太く轟く。
「は、はい!」
「なんでしょうか!」
「マルファ様が見当たらない! 急いで屋敷中の者に探させな!」
「はい!」
「それと、寝室を見ておいで! 浴室は私が行く!」
ちりちりに縮む赤毛を揺らして、バーバラが二人のメイドに指示を送る。
妙齢のメイド達は姿勢を正して命を受け、その場から素早く背を向けた。
「ば、バーバラ……」
「何をぼさっとしてるんだいグォルグさん! あんたも探しな! 念のため、午前の謁見はキャンセルだよ!」
「あ、ああ!」
一目散に駆けていく老執事。それぞれに散らばる後姿に息を吐きながら、バーバラは愛用の箒を再び床へと突き立てる。荒い鼻息。腰へ置かれる、強気な手。
「ふん! まったく、朝から忙しいねぇ!」
どっしり構える門番よろしく胸を張り立つ給仕長は、その大きな身体を揺らしながら、自身も捜索に乗り出した。