組み手。後、天空へ
「なんなんだぁ、あいつらぁ……!」
苛立つ声が轟き、側に佇むうち震えた細身の男は冷や汗を垂らしながら返答した。
「そ、そうですねぇ。なんなんですかねぇあいつら……」
マフィア・ベルドモッド団。その名を耳にすれば、誰もが顔をしかめる。
その頭領が満を持して円形闘技場の入り口を潜り抜けた先には、広々とした闘技場の隅にこんもりと重なる無数の部下達が溢れかえっていた。
中央には、獲物の少女。今朝受けた報告とは違いながらも、見れば確かに高貴な雰囲気をまとっている。
その少女を中心にして、縦横無尽に空を飛び交う三つの影。一人は長刀をギラつかせ、残す虚空に銀線を引く。もう一人は軽快なステップを刻みながら、踊るように相手を引き込み、そして拳で眠らせていく。
「なんなんだあいつらは! 従者は一人だったはずだろう!」
「そ、それが私にも情報は上がっておらず、なんとも……」
「くそっ!」
悪態をつく頭領が口に溜めた唾を吐き捨てようとしたその時。
「やっ!」
「うおっ!?」
残る一人。先程から、崩れ落ちた者を拾っては投げてどかし、拾っては投げてどかし、たまに出るうち漏らしに一言話しかけては沈めていく、奇妙な男が、音もなく頭領の前に現れた。
「な、なんだてめぇ!」
「僕? 僕はマルーバ。よろしくしなくていいよ」
「ああっ!?」
「ベルドモッド様! ま、マルーバといえば怪盗ですよ!」
「こいつがぁ?」
「あはは! どーも」
どうみても優男。右手をふりふり話しかける様子は、能天気な青年にしか見えない。
「てめえ……怪盗がこんなところで何やってんだ!」
「もちろん、戦いだよ。組手ってやつかな?」
「抜かせぇ!」
頭領の、丸太のような腕が轟音と共に振るわれた。が、それは突き出されるだけで終わり、
「いねぇ!」
代わりに後ろから肩をチョンチョンと叩かれた彼は、無造作に振り向き、そして目を大きく広げた。
「て、テメェ!」
「ベタベタだなぁ。頭領さん」
「なんだと!?」
「マルーバぁ!」
大きな声が遠くから聞こえてきて、固まる三人は思わず中央を見た。
「何やってるの! 早く戻ってきて! せっかくのフォーメーションが崩れちゃうわ!」
「ごめーんマルファー! というわけで頭領さん」
「あ?」
「マルファを危険にさらした罰。一発鉄拳プレゼント!」
「はぁ!? ……あぐぁ!!?」
ドスン。という、くぐもった音が側近の耳に入った時には、もう二頭身の巨体は地面に沈んでいた。
「ああ嫌だなぁ。僕はこういうこと好きじゃないんだ」
「ベ、ベルドモッド様ぁー!?」
「気絶してるだけだよ。後処理、よろしくね!」
言うとマルーバは跳躍して、中心で指揮を執るマルファのもとへと帰還した。
「マルーバ! 無駄話禁止!」
「ごめんごめん。でも頭領はやっつけたよ」
「こちらも終わりだ」
いつの間にか二人の近くに来ていたサヤが、そのカタナを仕舞いつつ言った。
「おう。俺もちょうど終わった」
そしてマスターも歩いてくる。
「師匠。お疲れ様です」
「ああ。嬢ちゃん。錆びてねーようだな」
「はい。鍛練は欠かさず重ねて参りました」
四人が集う。穏やかな眠りについた周囲の人間が立てる声は少なく、その人数に反して静かだった。
ベルドモッド団がつけた灯りが、試合場を煌々と照らす。太陽も完全に落ち、丸い天井には星明かりが幾つも散らばっていた。
「ありがとうみんな。しつこい人達だったけど、すっかり片付いたわ」
「マルファ様に怪我がなく、何よりです」
「指揮のおかげだね!」
「坊主。お前さんは口数が多すぎる。敵に手をあげる時に一々断るヤツがあるか」
「でもなぁ。僕は本当にこういうことが嫌いなんだ。やっぱり叩いたり殴ったりはゴメンさ」
「マルーバらしいわ」
くすりとマルファが笑うと、それぞれに口許が緩んだ。
「さて、ちょうどいいわ」
「マルファ?」
全てが落ち着いた頃、マルファが唐突に話始めた。
「マルーバ。さっきの続きだけど、あなたに依頼を出したのは、確かにこの私よ」
少女が改まり、マルーバを見上げた。
「君が……」
「そう。宝石を狙う誰かがいるという情報を得た私は、密かにあなたへコンタクトを取った。そしてそれは、成功した」
「成功?」
耳だけを傾けていたマスターが、振り向くように横顔を動かした。
マルファは頷くと、続けていく。
「あなたは青と緑の宝石を。そして桃色も手に入れた。これで、三つ」
「これだね」
マルーバが、長方形の箱を取り出した。そして開くと、中には輝く宝石が三つ。
「貴様、今どうやってこれを出した? どこに仕舞っていたんだ」
「サヤさん。僕の本業は泥棒だよ? これくらいはするさ」
「ふふっ。そうね。マルーバは怪盗だものね」
「あっマルファ! 君も忘れてただろ!」
「いいえ。そんなことないわ。……ふふっ!」
「ほらぁー!」
「坊主。茶々を入れるな。続きが遠のく」
「ごめんなさいマスター。そう、集まったのはこれで三つ。そして、私のペンダントを入れれば……四つ」
マルファが首飾りを解き、胸元から差し出した。
それは、深紅に染まる宝石だった。
「これ……」
「そう。お母様の形見。そしてこれを……」
胸元へ抱くように、マルファが両の手で優しく包む。
すると、指の隙間から眩い紅が光り出し、そしてマルファの輪郭を赤く染めた。
「マルファ……」
「こいつは驚いた。姫さん、使役者だったのか」
「そう。私は、かつてこの国を守った赤色の末裔」
光は完全にマルファと一体化し、彼女の瞳さえも深い炎をたたえ始める。
「五つ集め、共振させれば、宝石は輝きを失い、誰にも力は使えなくなる……」
マルファが両手を解放した。すでに宝石は無くなっている。
波紋が、生じた。
円形の試合場、中央に立つマルファを起点として、鮮やかな虹色の円が、一つ。
「守り続けるより、ここで力を使い果たす方がリスクは少ないと、私は考えた……」
そして、浮かぶ。マルファの体が、宙に浮き始めた。
「おおっ……?」
「これは……!」
マスター、次いでサヤの体にも深紅が宿り始め、同じように地面を離れていく。
「マルーバ。一緒に来てほしい。最後の宝石は、あなたとなら、掴めると思うから」
差し出される手。細い指先。
それを見つめていたマルーバは、確かに受け取ると、微笑みながら頷いた。
「お供しましょう」
「ありがとう」
それだけを交わした後。地面は直視出来ないほど光り始め、四人は何者かに導かれるよう、遥かな空へと登り始めた。