試合までの道
「はぁっ! ぐっ……!」
「じっとしてろ」
呻く声に振り返ると、マルーバの身体が見えた。
長い両脚を投げ出して壁に横たえる傍に、喫茶店のマスターが跪いている。露わになったマルーバの銀色に光る腕に手を伸ばして、細かい金属音が複雑なパズルを解き明かすように響く。
「マルーバ!」
「だ、大丈……あぐっ!」
「二度も言わせるな」
追っ手を巻きつつ、なんとか逃げ延びた円形闘技場の通路。曲線を描く廊下は見えない闇に閉ざされているけれど、ぽつぽつと間隔をおいて差し込む月明かりのカーテンが、松明の代わりに先行きを照らしている。
そんな中で、私達は休憩を取っている。喫茶店で襲われてから、やっとついた一息。
「マルファ様」
「サヤ。どう? 相手の様子は」
「まだ姿は見えません」
「そう……」
うなだれる私に、またマルーバの耐える悲鳴が聞こえてきた。けれど、それは最後の我慢だった。
「終わりだ。応急処置だがな」
「あ、ありがとう。マスター」
「礼はよせ。とりあえずの処置だ」
「終わったの?」
「ああ、マルファ。ごめん。ちょうど終わった」
お昼に見た笑顔より苦しそうだけれど、つかの間訪れた安心にホッとして、笑う。
「マルーバ、本当にサイボーグだったのね」
「まあ、右足と左腕だけね」
「あと諸々だろう。幸い、おかげで軽傷だがね」
マスターが煙草を吸おうと口に挟んだところで、やめた。
「あーーー。煙草吸いてぇ」
「師匠。禁煙していなかったんですか」
サヤの砕けた言葉。あまり耳にしたことが無くて、新鮮。
「したよ。したが、駄目だな。姫さん。これ以上値を上げないでくれないか? 老後の楽しみが減る」
「それは私が決めたことじゃないの。ごめんなさい」
「そうか。じゃあ担当するヤツに言っといてくれ。世知辛いってな」
そんなことを話していると、マルーバが身を起こそうとしたので、近づいて背中を支えた。
冷たい。抱えられていた時は気づかなかったけれど、確かに金属質な感触が所々にある。そして、はだけた上半身の前側にも、それは現れていた。
「大丈夫? マルーバ」
「大丈夫大丈夫。ほら、もう動くよ」
確かに、左腕が持ち上がった。少しぎこちないけれど。
「よかった。本当に……」
彼の首元に頬を埋めると、そこには優しい温度があった。
「!」
バサバサ、と羽ばたく音が響いて、すぐに一羽、白い鳥が、廊下の向こう側から器用に飛んできた。
そして止まる。マルーバのふとももに。
「これは……」
「伝書鳩?」
足元に、紙がくくりつけられていたけれど、一番目を引いたのは、口に咥えた小さな籠だった。
取っ手の部分が紐で出来ている。
マルーバが紙と籠を受け取ると、すぐに鳩はどこかへ行ってしまった。
「……」
「なにが書いてあるの?」
たまらず問いかける。すぐに答えてくれた。
「……アリシアからだ」
「アリシアさん?」
籠をひっくり返すと、ころんと、桃色の宝石がマルーバの左手のひらに転がりおちた。お互いに固いので、カランと音が響いた。
「『ローズ』だ」
「そうね」
「おい」
まじまじと見つめたところで、マスターが声をかけてきた。
煙草が、所在なさげに上下している。
「話が見えん。一度整理したい」
「師匠」
「巻き込まれた身なんだ。我儘くらい許せよ」
「まず、僕だ。僕は依頼を受けて、この国、ディア・セーデを訪れた。依頼内容は……」
「話してもいいのか?」
「秘密にしろとは言われてないからね。大丈夫。依頼内容は、この国に五つある宝石を、一つ、出来れば四つ、回収すること」
「五つではないのか」
「五つじゃない。意図はわからない。そして期限は今日の真夜中までだ」
「あと数時間しかない」
サヤも、加わった。
「まあね。そこは何とかする。で、今僕、いや、僕達が手に入れたのは、青と緑の宝石。そして……」
「桃色の、『ローズ』ね」
「そう」
「なるほどな。で? なんで桃色が手に渡ったんだ?」
マルーバが黙考した。けれどすぐに、考えを口にした。
「……伝書鳩の差出人は、アリシアだ。彼女の考えは、僕にはわからない」
「あれだけ仲が良さそうだったのに?」
聞くと、マルーバは肩をすくめた。
「アリシアは嘘をつくからね。真意は後になってからわかることが多いんだ。でも文章をそのまま受け取るなら、彼女は彼女で宝石を狙ってこの街に来ていたらしい」
「ということは……」
サヤが呟いた。
「……ゲームに負けたから、宝石をマルーバに渡した?」
「どういう理屈なんだ。さっぱりわからん」
「僕と彼女は同業者だ。狙う獲物が同じなら、勝負する相手と考えても不思議じゃない」
「……その推測は、恐らく当たっているわ」
「マルファ」
「マルーバ。あなたに依頼が渡ったのは、力が戻り始めている宝石を狙う輩から守ってほしかったからなの」
「マルファ様!」
「いいの。サヤ。隠すことは無いわ」
「マルファ。君は……」
「そう。依頼を出したのは」
「おっと。ここまでだな」
マスターが、口を挟んだ。明後日の方向を見て、睨み付けている。
「そのアリシアという女、中々腹黒いな」
「ああ、そうなんだよ。要注意人物なんだ」
「マルファ様。お下がりください」
「サヤ」
「鳥が飛来した向こう側から、何人もの足音が聞こえます。恐らくは、後をつけられたかと」
「おいおい。表現が甘いな。後をつけさせた、だろ?」
皆が黙った。その静寂に耳を傾けると、ようやく私にも、微かに気配を感じることが出来た。
「どうするね?」
マスターがマルーバを見やると、マルーバは義手を握っては開いて、程度を確かめていた。
「僕はいける。この感じなら、素手で戦う」
「そうか。嬢ちゃんは……言うまでも無いな」
しゃらん、と、抜き身になった白刃が舞った。
「私には、コレがある」
「あとは、姫さん、か」
話している合間にも、どんどん足音は大きくなってきた。
声も聞こえる。外の様子が、明るさを帯びてきていた。
「はた迷惑な奴らだ。俺の喫茶店を蜂の巣にした礼をしなきゃならん」
そういうとマスターは、年季の入った手の甲に銀色の手甲をはめ始めた。
銀色に輝いて、怪しげに輝いている。確か、メリケンサックだったか。
「僕は一応彼らのおかげで命を救われたけど、マルファを危険な目に晒したことだけは許せないね」
マルーバも、立ち上がると義手を素早く突き出した。
「私も、お嬢様を守る使命がある。手加減は無い」
サヤも、白刃に闘志をみなぎらせた。
私は、服のうちにぶら下がる宝石を、握りしめた。
「おい。どうせなら、真っ向から叩き潰すか」
「マスター」
「ここは闘技場だ。試合場に出れば、死角は無い」
「かわりに隠れる場所もありません」
「だがな。面白いだろう? 中央に姫さん。周囲に三人の戦闘狂」
「いいわ。こうなったら、とことんやってやろうじゃない」
「マルファ。もしかして君って、結構熱血?」
「もちろん。正々堂々が私の矜持。マルーバ。サヤ。そしてマスター。私はキングではないけれど、私の手となり足となり、宜しくお願いするわ」
「承知致しました。お嬢様。怪盗、お前は専門外だろう。黙って見ていろ」
「悪いけどね。サヤさん。マルファを傷つけようとした奴らの頬に一発見舞うまで、僕は降りる気はない」
「熱いねぇ。それじゃ、行こうか」