約束の明暗
「さて。お昼も済んだところで、本題に入りたいわ」
サンドイッチ、マルガリータが乗っていたお皿はウェイターによって下げられた。
役目を終えた食器から目を離しつつ、マルファが口を開く。
「本題?」
「ずいぶん間が開いてしまったけれど。マルーバ。あなたは一体、何者なの?」
マルファが視線を送る。
マルーバは、アリシアと顔を見合わせた後で、マルファに向き直った。
「うん。嘘をついたお詫びに、正直に言うよ。僕は、泥棒だ」
「正確に言えば、怪盗ね」
優雅にコーヒーカップを口元へ運ぶアリシアが、呟きを添えた。
「怪盗……。そう。やっぱりあなたは、怪盗マルーバだったのね」
ふう、と、ため息がマルファの口から洩れた。
外は先程から変わらず平和に喧騒が流れていく。
少し傾いた太陽が、風景を穏やかに明るく照らしている。
マルーバは、ふと視線を落とした後で、すぐマルファを見つめた。
「……知ってるわ。怪盗マルーバ。泥棒でありながら正々堂々盗みを働く、貴族の天敵……」
「あれ。僕、そんなかっこいい呼ばれ方してるの?」
「まあ、ね。新聞と噂に聞くだけだから、お伽噺のように思っていたけれど。そう、あなたが……」
まじまじと、マルファがマルーバを見つめる。
その瞳は大きく開かれていて、マルーバは頬を指で掻いた。
「あっと……。まあ、そうなんだ。実際には貴族に狙いを定めてるわけじゃないけどね」
「そうなの?」
「うん。僕はね、もちろん依頼を引き受けることもあるけれど、それは痛い目を見せたいとか、そういうんじゃないんだ」
「じゃあ、貴族に対して憎しみを持っているとかではないってこと?」
「うん。お宝が悪用されないようにとか、不当に取り立てている輩とか、そういう人達だけを狙う」
「特殊なのよこの人。私たちの界隈でも」
アリシアの言葉に、マルファはつい、尋ねた。
「アリシアさんは違うの?」
「私は義賊なんて面倒なことしないわ。欲しいモノは盗む! 正真正銘の泥棒よ」
「なのに仲良くしてるの?」
「まあ……。パートナー、かな? 仕事のね。もちろんこうしてお茶も飲むけどね」
「マルファ。あなたの立場からするとオカシイのかもしれないけど、私達からすれば、この稼業は立派な仕事なのよ」
ちらり、マルーバへ目配りしたアリシアが、存在感ある金髪を後ろへ流しながら続ける。
彼女の後ろ、遠い位置からでもアリシアを指差す男達を視界に入れながら、マルファは聞いた。
「盗みが仕事。元から道理を曲げているのに、お互いのやり方へ口を出すのも野暮だと思わない?」
美女が、ウィンクを贈る。
贈られたマルファは、先程よりぽかんとしながら彼女を見つめた。
「そういうわけで、いろんな泥棒がいるのさ」
「で。たまには手を組んだり、時には同じモノを狙うライバルってわけ」
「ふぅん……。結構アバウトというか、複雑なのね」
「そうでもないさ。比較的自由ってだけだよ」
「そうね。どう? あなたには受け入れられない話だったかしら」
アリシアが言い、マルーバが黙る。
二人の泥棒から向けられた視線に、マルファは、カフェオレを飲み、そして答えた。
「……そうね。誰かのモノを奪うなんて、いけないと思うわ」
カップの中でさざめく波が、マルファの表情を揺らす。
言葉にすれば意外なほど広がる波紋の後で、マルファは口を開いた。
「でも、マルーバ。私は、あなたの姿勢に、共感を覚える」
「僕の姿勢?」
頷いた後で、続けていく。
「いつでも、正々堂々と立ち向かうこと。あなたは必ず予告状を出して、日付、時間、盗むと宣言したもの。全てにおいて裏切ったことがないと聞くわ」
「それは、真実よ」
風が、アリシアの座る方角から吹いた。
そよ風のようでいて、確かだった。
「彼は、そういうところで裏切ったことはないわ。逆に言えば、凄いことよ」
風に、頷く。
マルファは、続けた。
「私の信条は、いつでも正々堂々。嘘をつかず、隠れもしないわ」
「いいね」
「だから、あなたには一度、会いたいと思っていたし、憧れもしていた……」
「……そうか。なら僕は、君には、名前を偽るべきではなかったね」
沈黙を埋めるように、思いがけず鐘が鳴った。時計塔の鐘だ。
街中に時を告げる音が響き渡る。すると、マルファ達の周りが、椅子と机を持ってガタガタと動き始めた。
「あ……」
「影追いだね」
慌ててマルファが立ち上がると、マルーバ達も動きを同じくして、それぞれに持てるだけの食器と椅子を手にした。運びきれない机や椅子は、ウェイターが後から運んでくる。
いつのまにか太陽はマルファ達を照らし始めていた。
逃げる影を追うように、全てのテラス席が影の中へ避難していく。
「そう。僕らも、こういう感じで動くんだ」
「え?」
「これはワインの風味を損ねない為だけど。影に乗じて仕事を成す僕たちは、次へ、次へと街を移ろう」
「マルーバの場合は、影というよりも、闇かしら? 陰謀渦巻く現場とか、多いじゃない?」
「あはは! それはいいね。かっこいいなぁ!」
マルファが見るマルーバの背中は、先程よりも少しだけ、大きく見えた。
仕事仲間と会話に興じる横顔が、ふと、振り返る。
マルファを見つめる優しい瞳は、そのまま、一層の笑みを浮かべた。
「これが僕たち。いや、僕の姿だ」
影が、ちょうど二人を分かつ。
陽だまりの中、輝く少女と、暗い影に佇む青年。
そのどちらもが自分を卑下することも無く、また偽ることも無く、正面から視線を交わし合っていた。
そして、つと。
マルファの口が、動いた。
「……あなたは確かに、私へ嘘をついたわ」
「うん。ごめんね。悪いことをした」
「それは、もう、いいの。小さなことだし、最初から、全然」
「うん」
頭を振るマルファは、それでも、視線は逸らさない。
毅然と見上げる先には、視線を受け取る瞳があった。
「あなたはさっき、私を知りたいと言ったわ」
「言った。確かに僕は、君のことを知りたくなってしまった」
「そう」
一歩、踏み出す。
「そして、それは、私も同じ」
スニーカーが、境目を、無くす。
「あなたのことを、もっと知りたい」
「マルファ……」
「だから、私も一つ、嘘をつくわ」
「いいのかい? ……いいか。君の、自分の意思だからね」
マルファは、頷いた。
「私は、この街。水の都、ディア・セーデの街娘。マルファ」
また、一歩。
マルーバの目の前に立つ彼女は、全身、影の中へ進み出た。
「なら僕は、君に対して、もう一切嘘をつかないと、誓おう」
傍らに椅子を置き、自身と、マルファから受け取ったカップも座部の上に預けたマルーバは、マルファの手を取りながら歩き、光の中へ身を置いた。
そして傅く。影から伸びる手に口づけをした彼は、マルファを見上げると、再び微笑んだ。
「これで、おあいこね?」
「そうだね。おあいこだ」
確かな言葉。交わした後で、どちらともなく、笑い出した。
開かれた声が、青空に飛んでいく。周囲の人は不思議そうに見つめる中、二人だけが愉快に笑い続けていた。
「もう。二人してそんなふうに世界に入らないでよ。恥ずかしいったらないわ」
外から見つめている美女だけ、呆れた視線で見つめながら。