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屋敷にお引っ越し


「いいお屋敷じゃない! よくこんな物件を買えたわね!」



 オーレリアが屋敷の前で棒立ちに目を丸くした。

 今日は購入した物件のお披露目だ、オーレリアの横ではルミルナが庭の広さを測っている。



「これくらいスペースがあればマキナの部品も置けますよ! ホント、街中でよくこんなところを見つけられましたねぇ! 高かったでしょ?」


「ふふん、アイシャにかかれば問題ないのだ」



 誇らしげに胸を張っているアイシャの横顔を見て、俺は値切られた商人のげっそりした顔を思い出す。



「まあ、いわくつきだからね。周囲じゃ、ゆうれ……」



 ――幽霊屋敷と言われているらしいよ、と付け足そうとしたら、アイシャに肘で脇腹を小突かれた。言うな、とのことらしい。

 実はアイシャのやつ、お試しで住むことまで商人に認めさせたのだった。正直、商人に同情してしまいたくなってしまった俺である。

 なので、まずは先入観なしに一度住んでみよう、とのことなのだろう。


 皆で中に入ってみた。

 窓ガラスから日の差し込む応接間を見たオーレリアが、嬉しそうに窓際へと走り寄った。



「明るい部屋……」


「二階の個室窓にもガラスが使われているよ。さすがに帝国みたいに魔法強化されたものじゃないけど」


「確かこの辺は、治安がいいはずですしね。さっき衛兵も巡回してましたよ、周囲は貴族のお屋敷だらけですもの」



 俺の言葉に応えるようにルミルナが言う。

 ソファに座ったルミルナが、その右手でソファをポンポン叩くと、細かい埃が舞い上がった。



「まずは掃除からですね!」


「そうだね。アイシャー?」


「はーい、兄さま」



 奥の部屋から、ハタキにホウキ、バケツに雑巾といった掃除道具を両手に抱えたアイシャがやってくる。



「裏手に井戸があったから、そこの水を使おう」



 俺はアイシャから木のバケツを手に取り、井戸へと向かった。共同井戸でなく個別に水場があるのは、この辺一帯の特徴らしい。なんと薪で焚く風呂まであるのは夢のようだ。毎日とはいかなくとも週に一回はお風呂に入れるだろう。



「条件は、ホントに良いんだよなぁ」



 井戸で水を汲みながら、裏手から屋敷を見上げてみた。

 周囲が静かなこともあり、日陰がわから見る屋敷はどことなく寂しげに見える。


 ――幽霊屋敷。

 ハデゥ村で実際に幽霊らしき物を見ている俺としては笑えない。アイシャ曰く、古い家には多かれ少なかれそういったモノが憑いているんだから気にするな、とのことだけど、いやいや気になるだろう。


 ドン、と物音がした。

 屋敷の中からだ、掃除が始まったのだろうか。バケツに水を汲み終えた俺は、皆の元に戻ることにした。



「兄さまが戻ってきたぞー」



 ハタキで壁の埃を落としながら、アイシャがこちらを見た。



「なにやってたのよミチカズ、なにか大きな音させてたみたいだけど」



 一人、ホウキをハタキ代わりに使っているオーレリアが問うてきた。俺は思わず、



「えっ?」



 と、オーレリアの顔を見る。



「キミらが音を立ててたんじゃないのかい?」


「皆で壁をはたいてただけよ? そんな大きな音させないわ」



 オーレリアの言うことはごもっともだ。ならばさっきの音はなんなのだろう。そういえば、屋敷から謎の音がする、という話だったっけ? あの音がそれなのだろうか。

 オーレリアに答えあぐねていると、なにか察したように慌てて両手をわちゃわちゃ振るアイシャと目が合った。アイシャの目が語っている、余計なことを言わず黙っていろと。



「あ、うん。そうだね、実は転びそうになっちゃって……」


「もう、ドジねぇ。バケツ持ったまま転んだら悲惨よ? 気を付けないと」



 笑いながら、ホウキを渡してくる。



「埃を取ったら壁は乾拭きしましょ。床は硬く絞った雑巾なら水拭きしても平気みたい、大仕事よ!」



 私服の袖をまくって舌なめずりをするオーレリアからホウキを受け取ると、俺は床を掃き始めた。屋敷中となると一日掛けても終わるまい、とりあえず今日は、応接間だけでも掃除を仕上げてしまいたい。



「オーレリアとルミルナはどうする? 俺とアイシャは今日からここに住むつもりなんだけど」


「えっ! そうなの!?」



 オーレリアがびっくりした顔をする。

 横からルミルナが滑り込んできた。



「はいはいはーい! 住みますよー! 個室もあるんですよね?」


「あるよ、ベッドもある。そのまま使うなら問題なく暮らせると思う」


「ベッドも埃払いしないとですね!」



 やる気満々のルミルナが両手でこぶしを握り、そのままチラとオーレリアの方を見た。



「オーレリアはどうするんです?」



 オーレリアは顔が真っ赤だ。



「えっと、あの……まだ、心の準備が」


「ふーん? あっそうです? いいですよーオーレリアは明日でも。いいんですよー?」



 言葉ごとに、頭を右に左に振りながら、煽るようにオーレリアの顔を覗き込んでいくルミルナだ。ニマニマと、意地悪な笑顔。片手で自分の口元を隠しながら、うふふ、と笑っている。

 オーレリアが形のいい眉をつりあげた。



「じゃじゃじゃ、じゃあっ!」



 そして思いつめたように、ひと呼吸。



「わたしも……!」



 オーレリアが真っ赤な顔で俺を見た。

 いやいやそんな真っ赤になられても困る。一つ宿で寝るくらいは旅の途中にいくらでもあったじゃあないか。



「それでこそですオーレリア!」



 なのに、ルミルナはオーレリアの肩をバンバン叩いて大はしゃぎ。



「さっさと掃除を終わらせて、買い出しに行きましょー! 今日は宴会ですよっ!」



 鼻歌もご機嫌に、くるくると回りながらホウキで床を掃いている。

 だがまあ、嬉しそうなのはなによりだ。見てると俺も楽しい気分になってくるというものだった。



「そ、そうね宴会ね! ミチカズ、今日はわたしたちが食事を作るから!」


「手料理ですよミチカズ! オーレリアの手料理! スープしか作れなかった旅料理とは違います! 嬉しいですか!?」


「あ、ああ。嬉しいよ」



 なんだか今日はルミルナの押しが強い。

 俺は苦笑しながら頭を掻いた。まあ、実際手料理は嬉しい。オーレリアの味付けは、好みだった。



「楽しみだよオーレリア」


「ががが、頑張るから! 今夜は頑張るから!」



 声の調子が外れているオーレリアを見ながら、頑張りすぎだよ、と俺は笑った。なにをそんなに緊張しているのかと笑ったわけだが、それは俺が、オーレリアたちの目論見を看破していなかったからなのだ。

 この夜、俺はオーレリアたちが言う「頑張る」の意味を知ることになる。


 知ることになるのだ。




☆☆☆




 夜。

 皆が集まれるリビングでの食事も終わり、軽くお酒を舐めながら俺たちは談笑していた。オーレリアの作った夕食は、鳥を香草とスパイスで焼いた物と、ニンニクがたっぷり効いた豚肉のスープと白いパン。そこに春野菜を煮びたしのようにした物を添えたものだった。

 この世界、白く柔らかいパンは高いので、今日は気張ったんだなというのが一目で分かる。



「じゃ、私お風呂を沸かしてきますね」



 ルミルナが席を立つ。



「あれ? まだ全然飲んでないじゃないか。珍しい」



 と、他の二人を見ると、オーレリアもアイシャも、今日はあまり酒を飲んでいない。俺が一番飲んでいるという状況は、あまりないことだった。



「お風呂に入りたいですし、あまり飲むと危ないですから。ミチカズもほどほどにしてください?」


「俺は今日はお風呂いいよ」



 珍しく、頭が酔っている気がした。

 新居ということでやはり浮かれているのかもしれない。食事をしたら、幸せ気分のまま横になってしまいたいという衝動に駆られている。



「ダメですよ、むしろ一番風呂はミチカズですから。用意できたら呼びますね」



 と、ルミルナは部屋を後にした。



「というわけだぞ。あまり飲みすぎちゃーダメだ兄さま」


「えええ? これくらい構わないだろう」



 俺は飲みさしの酒瓶を手に取った。カップに注ごうとすると、アイシャが手を伸ばしてくる。



「ダメダメだぞー。飲みすぎでお風呂はホント身体に毒なんだ、その辺にしておくんだ」


「いいじゃーないか、今日はめでたい日でもあるんだから。お風呂は明日にするよ」


「だめだめー!」



 食い下がるアイシャに、俺は唇を尖らせた。



「なあウィンクルム、アイシャが酒を飲ませてくれないんだ。酷いと思わないか?」



 通信機越しに、ウィンクルムに愚痴をこぼす。



「珍しいな、貴様がそんなに飲みたがるなんて」


「そりゃー飲みたいさ。今日はめでたい日なんだもの」


「ちょっとロレツが怪しいぞ? わしもほどほどにした方が良いと思うがの」


「ウィンクルムまでアイシャの味方か。寂しいなぁ」


「酔っ払いは鬱陶しいのじゃ」


「俺、そんな酔ってるか?」



 自分ではあまりわからない。



「普段は貴様、そんな絡みかたしてこないであろう。面倒くさい奴じゃ」


「そうかなぁ」



 俺は肩を落とした。浮かれている自覚はあるが、他は自然だと思えてしまう俺である。



「仕方ないなぁ兄さま。これで最後の一杯だぞ、チビチビとやるのだ」



 口を「ヘの字」にしながら、アイシャがカップにお酒を注いでくれる。



「サンキューアイシャ、大統領!」


「大統領? 大統領ってなんだ?」


「気にしない気にしない」



 ああ、確かに酔ってる気がしてきた。大統領なんて単語、ほんと久方ぶりに口へと出した気がする。



「さあ飲みなおそう、オーレリア!」



 俺はオーレリアの方を見た。オーレリアもあまり飲んでいないから、酒を促したのだ。オーレリアはなんだかずっと俯き加減で、食事もそんなに進んでいない。



「てか食べようオーレリア! 全然口にしてないじゃないか。美味しいよ? オーレリアの作ってくれた食事!」


「う、うん……」



 オーレリアは、もそもそと手にとったパンを口にする。

 それもまた俯いたままに。



「……アイシャ、オーレリア様子、なんか変じゃないか?」



 俺はこっそりアイシャに耳打ちした。するとアイシャが、にぃ、と笑う。



「そうか? うんまあそうかもな? でも兄さまが気にする必要はないぞ? さあ、たんと食え」


「もうたくさん食べた! これ以上は摘まむくらいで勘弁してくれ!」



 その後、俺は主にアイシャと雑談をしながら酒をチビチビ舐めた。

 結局お酒は、このあともカップに一杯飲ませて貰えたのだった。食事も大して摂らず俯いているオーレリアのことがちょっと心配になったので、彼女を寝室まで送ろうとしたころ、風呂が沸いたとルミルナが俺を呼びにきた。ルミルナは、オーレリアのことは私に任せて! と言いながら俺に風呂を促す。


 もうちょっと飲みたい気がしたが、執拗に風呂を奨められたので俺は渋々と風呂に入ることにした。

 渋々、とはいえ、入ってみればやはりお風呂は気持ちいい。

 俺は鼻歌を口ずさみながら、身体をこする。普段の水浴びと違って、お湯は身体を柔らかくしてくれる。



「ミチカズー?」



 外から声を掛けられた。ルミルナだ。



「なんだい?」


「石鹸を用意したから、今日はそれで身体を洗ってくださいね」

 


 ――石鹸?

 言われて風呂場の隅を見ると、確かに白くて四角い、どこか懐かしい形の塊があった。石鹸だ。この世界にきて、石鹸は初めてみた。というか存在したのか、石鹸。



「高級品だからしょっちゅうは買えないけど、こういうときくらい」



 外で笑っているルミルナの顔が見えるようだ。

 俺は石鹸の匂いを嗅いだ。ちゃんと香料も入っているらしく、良い匂いがした。手にとって肌に擦りつけると、肌脂がてきめんに取れていく。やはり石鹸はいいな、文明の香りがする。


 久しぶりの石鹸に、思わず念入りに身体を洗ってしまった。

 ホカホカになって風呂から出ると、三人がリビングに居た。こっそりと、また酒を一杯。アイシャに見咎められたが、もうお風呂から出たんだ。気にしない。



「もう! 兄さまは本当に仕方ない!」



 あはは、と笑いながら、俺は椅子に座った。


「いいお湯だったよ、ありがとうルミルナ。皆もお風呂に入ってきたら?」


「そうさせて頂きます。ミチカズはもう寝ます?」


「そうだね、お風呂に入ったら良い感じに眠くなってきた。先に寝ちゃってもいいかな?」


「どうぞどうぞ」


「いいぞ兄さま」



 にっこりルミルナにアイシャが追従した。



「じゃあお風呂に入ってきますねー」



 と、ルミルナとアイシャが同時に席を立つ。「ほら、オーレリアも!」とルミルナがオーレリアの腕を引っ張った。



「え、三人で入るの?」


「はい! 女同士水入らずで!」



 そこまで広くはないけどなぁ、と思いつつ、俺は三人を見送った。

 急に静かになるリビング。誰も居なくなると、途端に部屋は寂しくなった。



「……寝るかな」



 俺は自室に向かう。

 まだちょっと埃っぽい自室のベッドに飛び込むと、一気に睡魔が襲ってきた。

沈み込むようにベッドへと身体を預けたまま、俺は暗闇に落ちていった。


 そして一時間後。

 俺は、三人に起こされることになるのだ。


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