お散歩経由酒場行
「ここから街を一望できますよ」
エスダート艦長が連れてきてくれたのは、城塞都市ギュルベの中心、領主の城がある区画だった。高台となる丘に設置された石造りの階段を上り、苔むした大きな石塔の上まで。
ここはこの街の観光スポットだとのことで、昼下がりということもあり人の姿が多い。夕暮れから夜になるとカップルが増えるそうだが、今はまだ家族連れが多い。塔の中のらせん階段も混雑していた。
「ふおお! 皆さん早く! 早く来てください良い眺めですよ!」
そんな中、いち早く塔の屋上に走りこんでいったのはルミルナだった。
様子がおかしくオーレリアとアイシャに部屋へと連れていかれた彼女だったが、大丈夫! と強弁して結局付いてきた。
「早く早くーっ!」
俺たちの心配を余所に、とても元気なルミルナだ。
「まったく、あのボンヤリはなんだったのよ」
元気になったルミルナに、オーレリアが胡乱な目を向けている。アイシャは肩を竦め、俺は苦笑した。
「変に意識することもないだろ。普段通りのルミルナになったならそれでいいじゃないか」
「それはそうだけど」
「怪しい……、あれはあれで元気すぎるんじゃないかとアイシャは思うぞ」
「まあまあ、良いではないですか。屋上からの眺めは格別ですよ、急ぎましょう」
窘めるような声でエスダート艦長にそう言われてしまっては、二人も言葉を継げなかったようだ。黙って階段を上りだす。
屋上への出口から風が入り込んでくる。高所特有の風だろうか、少し冷たい。俺たちは貴族の家族連れに混ざって、そのまま屋上へと出た。
「へぇ」
快晴。
空は晴れ渡っている。遠くに薄っすらと筋掛かった雲が浮かんでいるだけだ。
三百六十度、どちらを見ても空空地平、空地平。確かに絶景だった。
足元には街が見えている。
この街は建物が皆大きい。一般住民が住んでいる建物も、木造四階建ての集合住宅なのだ。ちょっとしたマンション街のようになっている。
大きな市場があり、軍事マキナの整備場があり、貴族の住む区画があり、と、とても広い。
あの辺が確か、エスダート艦長の邸宅だったかな、と見渡してみると、そこには立て膝で屈んでいるウィンクルムの姿があった。
「おいウィンクルム」
と、俺は通信機で。ウィンクルムが応えてくる。
「なんじゃ」
「今高い塔の上に居るんだが、おまえの姿が見えるぞ」
「ふむ、高い塔? どれどれ、あそこか? おう、見えた見えた。手でも振ってみるがいい」
俺は言われるままに手を振った。
「なにをしてるんだ兄さま」
「ウィンクルムに手を振ってる」
「むむ? おーあそこか」
アイシャも手を振り出す。
「なにしてるのアイシャちゃん?」
「ウィンクルムに手を振ってる」
「どれどれ、あっ、あそこね?」
オーレリアも手を振った。
ウィンクルムが呆れたような声を出す。
「貴様ら仲良しじゃのう、のどかすぎて欠伸が出るわ。ふゎーあ」
「器用なマキナだよ、おまえは」
欠伸をするロボットというものは、きっと世界中探してもウィンクルムだけに違いない。俺は苦笑した。
「おや、ルミルナ眼鏡はどうした。姿が見えぬが」
「え? ルミルナ?」
言われて周囲を見渡すと、ルミルナは屋上の真ん中でぼんやりと空を見上げて立っていた。屋上の縁に来ていなかったので、下から見上げる角度的にウィンクルムからは見えなかったのだろう。
「またぼんやりしてるなー」
「ほんとルミルナ最近おかしいわ。ウィンクルム、なにか知らない?」
横からオーレリアがウィンクルムに聞いた。
「ん? あれじゃろ、ミチカズにキスしてから変なのじゃろ? おかしな奴じゃな、自分から迫っておいて」
「キキキ、キスッ!?」
「兄さま! ルミルナとキスをしたのかーっ!?」
「え、ああ? 魔法の儀式とかで、ちょっと……」
「儀式? そんなの鵜呑みにしておったか、どれだけオトボケなのじゃ」
「オトボケと言われても。ルミルナがそう言ってたんだから」
オーレリアとアイシャの二人が、弾けたようにルミルナの方へと走っていく。
「ちょっとルミルナどういうこと!? ミチカズとキスしたって本当なの!?」
「ルミルナは中立だとアイシャは思ってたのに! いつの間にそんなことになっていたのだー!」
ビクン! と反応したルミルナが、涙目で俺の方を見た。
「ミミミ、ミチカズ! 喋ったのっ!? 言わないでって言ったのに!」
「言ってない言ってない! 俺は言ってないぞ!」
「ウィンクルムが言ってたの! ルミルナがミチカズにキスをしたって!」
オーレリアがルミルナに迫る。迫られたルミルナは泣きそうな顔をしていた。
「見てたのウィンクルムーっ!」
「見てはおらんが会話でなんとなく察せたわ。貴様はオーレリア応援団だと思っておったのに、油断も隙もなかったのう」
「言わないでーっ!」
女性陣が衆目を集めだしたので、俺はエスダート艦長と相談して酒場に場所を移すことにした。なるべく騒がしい酒場がいい、こちらが騒いでも目立たなくなるから。
☆☆☆
「ミチカズとオーレリアが悪いのれす」
目を座らせたルミルナが、カラになった木のカップをテーブルに置いて、俺の方を見た。
「二人がいつまでもハッキリした仲にならないから!」
ドン、と木のカップをもう一度テーブルに叩きつけ、
「ならないからー!」
と、テーブルの上に上半身を突っ伏した。
「女の子は誰しもお姫様、ミチカズに助けられた私が浮足立ってしまうのも仕方にゃいじゃないですかー!」
今日は控えめに飲んでいるオーレリアが、動揺した声で応える。
「ハ、ハッキリした仲って言っても! わたしとミチカズ、そんなのじゃないし! ねえ? ミチカズ」
「え? ああうん。そうだよルミルナ、みんな大切な仲間だ」
テーブルに突っ伏したまま、ルミルナが俺たちの方へと顔を向ける。
「ほらそれ! そーゆー態度! そんなだから! やめよう玉虫色! 目指そう白黒二元で風通しのよい世界! あ、おねえさんこのワインをもう一杯」
酒場のウェイトレスさんが追加のお酒を持ってきた。「よーとっと」と言いながらルミルナは水のように飲んでいく。横にいるアイシャがグビリと喉を鳴らし、こちらもカップの酒を飲み干した。
「ルミルナの言うことには一理あるとアイシャも思う」
おねえさんこっちにも一杯、とアイシャは追加注文をしながら、
「兄さまはオーレリアのことをどう思っているのだ?」
「ちょっ、アイシャちゃん! なに言って……!」
「オーレリアは黙ってなしゃい!」
ピシャッとオーレリアの口に戸を立てるルミルナ。
眼鏡の奥の目が座っててちょっと怖い。
「ミチカズはオーレリアのことをどう思ってるんでしゅかぁー?」
ぐびぐびー、ぷはぁ。とまたまた酒を飲み干してオカワリ。ウェイトレスさんが専属になってしまっているペースで進んでいる。
俺はジャガイモの揚げ物を摘まんだ。
「んー。好きだよ」
ゴクリ、と酒も飲む。
「オーレリアもアイシャも、ルミルナも。みんな好きだって」
「だからそーゆーのがでしゅよ、ミチカズッ!?」
「そんなこと言ったって、これが正直な気持ちなんだから仕方ない」
それに、と俺は続けた。
「それに俺は、ギフトの持ち主だ。ルクルトのように、いつ果てるかわからない人間なんだ。そういう者が、特定の女の子とどうこうってのは、どうも相手に悪い気がしてね」
「『そんなことないからっ!』」
オーレリアとルミルナが、綺麗にハモった。「ないぞー兄さま」とアイシャが一歩遅れて追いかけたのは、口の中に食べ物をモグモグさせていたからだ。アイシャは口をモグモグさせたまま続けた。
「別に特定の女の子でなくともいいんだぞ兄さま、なんならアイシャたち三人全員を侍らせてもいいんだ」
「破廉恥なことを言うなアイシャ!」
「兄さまにはそういった覇気が足りない!」
俺たちがそうやってギャーギャー騒いでいると、横に座っていたエスダート艦長が、ふふふ、と笑った。
しまったくだらない話に付き合わせてしまったか、と焦ったものの、横を見ると艦長はまんざらでもなさそうな笑顔を浮かべている。
俺は恐る恐る声を掛けた。
「エスダート艦長?」
「おっとすまない、羨ましくてつい笑いが零れてしまったようだ。お若いのは良いことだ、羨ましいよ」
と、優しく目を細めた。
「いえ、益体もない話を長々お聞かせしてしまってすみません」
「いや。妻にも聞かせてやりたい会話だった。エリーアはこういう話が好きだから」
アイシャが俺たちの会話に割り込んでくる。
「奥さん、こういう話が好きなのか? いい奥さんだな!」
「意外に思うかもしれないが、エリーアは案外情熱家でね、私との結婚も当初駆け落ち同然だったんだよ」
へえ!? と女の子三人が一斉に目を輝かせた。
エスダート艦長は語り始める。
「エリーアは商人の家の出でね、親が貴族嫌いだった。うちは昔からの貴族で、貴族以外との結婚に良い顔をする親ではなかった。年の差はあるが、私たちは恋愛結婚だったからね。お互い親に良い顔をされず、家を出たんだ」
酒を手に取りながら、艦長。
「その際、私は一度軍を辞め、冒険者となった。エリーアも魔法が使えたので、二人で諸国を旅したものだよ」
「まあ、冒険者?」
と、ルミルナが驚いたように口を手で覆う。
エスダート艦長はクスリ、と笑った。
「意外かね?」
「ええ! 艦長はもっと筋金入りの軍人さんかと思ってましたので……」
「とんでもない、ただの風来坊だよ。今にして思えば、エリーアの父君が結婚を許さなかったのも当然だ。あの頃の私にはなにもなかった」
艦長は、遠くを見る目で続けた。
「国に帰ってきたのは、風の噂に私の親が病に臥せったと耳にしたからだ。私は軍に戻り、将官としての地位を確立してから、エリーアの親に、正式なご挨拶に向かった。どうしても子供の顔を見せたくてね」
「お子さんですか。今は学校に通ってらっしゃるとか」
「ええ。エーリアに聞きましたか、オーレリア殿」
「はい」
「子は鎹というのは夫婦間だけの話ではありませんな。あの子は、私たちと私たちの親との仲も取り持ってくれた。ありがたいものです。ですからな」
とエスダート艦長は俺の方を見た。
「ミチカズ殿、貴方も子を作ってしまえばよろしい。いま思い悩んでいることなど些末なことと思える未来が、きっと来ますよ」
あはは、と俺は苦笑した。
「冗談ですがね」
と締めるエスダート艦長だった。見ればエスダート艦長もかなりお酒を召している。だいぶ酔っぱらっているのではないだろうか。
☆☆☆
その日は結局夕刻まで飲んだ。
艦長の影響で女の子三人組が、子供子供うるさかったが、半分冗談の空気になったので、最終的には事なきを得た。
俺はというと今、ウィンクルムのコックピット内で酔いを醒ましている。
三人組が艦長の邸宅に帰ってからも、奥さんを交えて飲み始めたからだ。あらあら、まあまあ、とか言いながら、あの人はなかなかの酒豪らしく、家の奥から沢山のお酒を持ち出してきた。
「うふふ、いつか娘と飲むのが夢なんですよ」
などと、まるで男親のようなことを言っている。
その男親であるエスダート艦長は、早々に寝室へと引きこもってしまった。俺が一人で残ると、間違いなくまたオモチャにされるから、とウィンクルムのところへと逃げ込んできたわけだった。
「子供、……のぅ」
俺が目を瞑っていると、ウィンクルムが呟いた。
「誰と子を成すつもりじゃ? ミチカズ」
ぶーっ! と俺は息を噴き出した。
「ななな、なんだ急にウィンクルム! 酒場での会話を聞いてなかったのか!? 俺はそんなつもりないぞ!」
「今はの」
ウィンクルムは淡々と喋っている。別に冗談ごとではないつもりのようだ。
「いずれ貴様は死ぬ、それが生命だからな。種の存続は生命の本能であろう? なればこそ、いつか貴様もそういった気になることがあると思うのだ」
「なにを言って……」
「わしはの、AIじゃ。いくら貴様のパートナーとは言え、貴様の子は成せぬ。肉体のパートナーとしては不十分なのじゃ。だから必ず、肉体のパートナーが貴様に生まれることは避けられぬと思うておる。仕方ない事とも理解してるつもりじゃ」
「――」
「だがのう、貴様がもし子を成したとき。わしは何を思うのか、何を感じるのか。それが少し、怖い」
まるで独白をしているようなウィンクルムだった。
俺の言葉など必要なく、ただ心を整理しているような声で、ウィンクルムは続ける。
「未来を予想できる。知性とはなかなかに疎ましいものよなぁ、ミチカズ。予想できるが故に生まれてしまう悩みや痛みが、この世界には存在するのだ。なんとも不思議な種類の苦悩ではないか」
「幻の未来に、痛みを感じる……か。確かにね、心ってのは不思議なものだな」
俺から見たらウィンクルムは永劫を生きてきた知性体だ。
たかだか十何年程度生きた程度の俺では及びもしない知識があり、経験もあるに違いない。そんな存在に俺が掛けられる言葉なんか、なにもない。だから、思っていることだけを言う。
「なにがあろうと、俺たちはパートナーさ、ウィンクルム」
「そうだな、わしらはパートナーじゃ」
とりとめもなく、繰り返す。
ちょっと寝るよ、と伝えると、ウィンクルムは、「わかった」と言いコックピットの空調を暖かくしてくれたのだった。




