エスダート艦長の邸宅
俺たちは昨日ガイアス帝国領の街に到着した。
城塞都市ギュルベ、自由都市国家群との戦いで最前線を担っていた街らしい。
支配魔法に侵されてしまったドレッドノートの乗組員と衰弱激しいエイトンは、その日のうちに魔法院へと移送された。そこでしばらく魔法による治療を受けながら静養することになった。
俺たち異国勢は、軍の寮にでも宿を取らされるかと思いきや、なんとエスダート艦長の私邸に招かれることになった。軍の動揺を広げない為らしいが、どの程度の効果があるのか、昨日の到着の折、『敵国』の手に渡ったウィンクルムを見た兵士たちの口に戸は立てられまい。
エスダート艦長の私邸は、街の中心から離れてこそいるが実に大きな物で、メイ博士によると艦長は爵位を持つ貴族軍人だということだった。「貴女もそうでしょうが」と、反論にもなってないことをエスダート艦長は言ったものだが、要するに二人とも所謂名家の出、というものらしい。
「お茶をどうぞ」
庭の見える大きなガラス窓がある質素な客間。
まだ三十に届いてないようにも見える若い奥さんが、手ずからお茶を入れてくれた。俺以下、オーレリア、ルミルナ、アイシャは、それぞれが礼を言い、テーブルに運ばれたティーカップを手にする。
「あの人がこんなにお客様を連れてくるなんて、初めてのことですわ。お口に合えばいいのですけど」
そう言って出されたお茶は、紅茶に近いものだった。
苦味があり、香りが爽やかだ。先だしされていた、蜂蜜の練りこまれたビスケット風の菓子に合う。
「菓子で甘くなった口の中をリフレッシュしてくれるのが嬉しいですね。ミリーティアではお茶を飲む文化があまりなかったので、楽しめます」
「あら? お茶を飲まないで何を飲んでいるのでしょう?」
「ワインを始めとした酒が主ですよ。うちの国では、小さな子供も酔っぱらっています」
「まあ!」
冗談だと思ったのか、うふふ、と笑う奥さん。
「アイシャちゃんも、もうお酒とか飲むの?」
「飲むぞ。アイシャはもう大人だからな」
すまし顔のアイシャに、オーレリアがくすくす笑いでツッコんだ。
「大人なアイシャちゃんだけど、お茶は苦手みたいね。苦味がダメなのは子供舌よ?」
「に、苦手なんかじゃない! 今は喉が渇いてないだけだ!」
俺も見ていた。皆でお茶を口にしたとき、アイシャだけが眉をしかめて舌を出してたところを。なので思わず笑ってしまう。
「あらあらごめんなさい、今度からアイシャちゃんには果実水をお出しするわ」
「待つんだ、お茶でも問題ないぞ! 見てろこんなもの!」
グビグビ、とアイシャはお茶を一気飲み。……できなかった。だぁ、と口に含んだお茶が零れだす。
「わあっ! 行儀悪いぞアイシャ!」
白いテーブルクロスが、お茶の色に染まってしまった。「あらあら、まあまあ」と、奥さんは手にした布でアイシャの胸元を拭く。
俺はアイシャの代わりに謝罪した。
「すみません奥さん、せっかくのテーブルクロスが……」
「いいのいいの、気にしないでちょうだい。実はうちの娘もね、お茶は苦手なの。丁度アイシャちゃんと同じくらいの年頃だわ」
「娘さんが?」
「そう、エイミィって言うの。今は学校に行ってるけど、週末には帰ってくるわ」
アイシャの胸元を拭きながら、奥さんは微笑んだ。
「娘は学校、あの人は仕事で家を留守にする。こんな大勢がうちに来るなんて久しぶりだから、私もついはしゃいでしまったわ」
クスクス笑う奥さんは、本当にお若い。
エスダート艦長は四十前といった風情があるので、いくつ差のある結婚だったのか。
「なにをそんなに笑っているのだね、エリーア」
エスダート艦長が部屋に入ってきた。
「あら貴方、もう今日の仕事はよろしいの?」
「この方々の持て成しも今の私の仕事だよ、そういう意味では今から仕事さ。私にもお茶を貰えるかな」
「はいはい、今持ってまいります」
奥さんが部屋を後にし、エスダート艦長が席についた。
ざっと全員の顔を見渡して、俺に目を合わせる。
「どうかね、昨晩はよく眠れたかな?」
「まさか一人一部屋あるとは思いませんでした、お陰さまで久しぶりにベッドで眠れて疲れが取れました」
「それはよかった。さっき魔法院へと行ってきたよ、エイトン隊長は治療を受けて三週間も静養すれば回復するらしい」
「三週間……、ですか」
思ってたより長かった。その間なにをして過ごすべきか。
そんなことを考えていると、エスダート艦長がこちらの胸の内を察したように話し出した。
「時間もおありでしょう。メイ博士がルミルナ博士を工房に招待したいらしいのですが、皆さんも一緒に如何か、とのことです」
「良いんですか? 我々まで」
「本当は良くありませんがね」
とエスダート艦長は苦笑して、
「言っても聞きませんから、メイ博士は」
「確かに」
俺もクスリ、と笑った。
そこそこ長く一緒にいたおかげで、人物像が共有できるくらいにはなっている。メイ博士のワガママは今に始まったことではないのだ。
エスダート艦長が、これまでずっと黙っていたルミルナの方を向く。
「どうでしょう、ルミルナ博士?」
もそもそと、ビスケットを摘まんでいるルミルナ。
反応がない。
「ルミルナ?」
と、横でお茶を飲んでいたオーレリアが訝しそうに顔を覗き込む。でも。
反応がない。
「なんだ熱でもあるのか?」
あまりにもルミルナがぼんやり無反応なので、俺はルミルナの額に手を差し向けた。途端。
「はわわっ!?」
ルミルナの顔が突然真っ赤になった。
ボン! と音付きでポップコーンが弾けたような反応だった。
「ななな、なんですかミチカズ!? いきなり手を伸ばしてきて!」
「なんですか、じゃないよルミルナ。人の話はちゃんと聞いてなきゃ失礼じゃないか。エスダート艦長がな、俺たちに工房を見に来ないか、って」
「えっ? こーぼー? ああ工房!? いいですね、ぜひ見たいですはい見たいです。行きましょう行きましょう!」
今度は突然テーブルの上を片付け始めるルミルナ。俺は慌てて止めた。
「いや今からじゃないから! 今度の話だよ今度!」
「へっ、あっ? 今度!? ああ今度ですね今度!」
諭すと、ぺたん。
ルミルナは力が抜けたように椅子に座りこむ。なんとも挙動がおかしい。
ビスケットをポリポリ食べていたアイシャが、テーブルに肘をついたまま首を傾けた。
「兄さま、ルミルナはドレッドノートの中から生還してこのかた、たまにこんな風になる。ルミルナも魔法士に診せた方がいいんじゃないか?」
「なに言ってるのアイシャちゃん! 別に私はヘーキですよ!? なんの異常もありません! あー楽しみですねぇ工房見学、早く行きたいです!」
アイシャとオーレリアが目を合わす。
二人は椅子から腰を上げるとルミルナの両脇に立ち、それぞれルミルナの腕を抱える。
ルミルナが目を点にした。
「え?」
「もうちょっと寝てた方がいいわルミルナ」
「アイシャたちが部屋まで送るぞ」
そう言うと二人は強制的にルミルナを立ち上がらせて、部屋の外へと連行していった。入れ違いで、エスダート艦長の奥さんが入ってくる。
「あらあら、どうなさったの?」
「博士はお疲れのようでね、もう少し休養を取って頂くことになった。夕食は、なにか身体に優しいものを頼むよ」
頷く奥さんを見て、俺はなんとなく申し訳なくなりこうべを垂れる。
「なんともお手数をお掛けします」
「気になさらないで。お客さまを持て成すなんて久しぶりだから、私も楽しんでますのよ?」
うふふ、と上品に笑う奥さんだ。
奥さんが新しく注いでくれたお茶を飲みながら、俺はしばらくエスダート艦長と話をした。
黒くなった乗組員のことを聞く。彼らはやはり支配魔法を掛けられており、体内のマナが異常をきたしているらしい。黒くなっているのもマナの影響なので、マナが正常になっていけば自然に常態へと戻るだろう、とのことだった。
ドレッドノートにも大規模な解呪が必要との予想が立ったので、今はそれの予定を立てているところだそうだ。
ひとしきり話を終え、お茶も飲み干したエスダート艦長が訊ねてくる。
「で、今日はこれからどうするんだね?」
「せっかくですので、皆で街の見物にでも出ようかと」
「邪魔かとも思うが、私もお付き合いして構わないかね?」
横で聞いていた奥さんが、片目を閉じて窘めるようなすまし顔をした。
「あら貴方、それは本当にお邪魔じゃなくって? ミチカズさんにも、お嬢さん方にも恨まれてしまいましてよ?」
「そう言うな、エリーア。これも仕事のうちなのだ」
困った顔をするエスダート艦長を見て、俺は苦笑した。
「もちろん構いませんよ艦長。むしろ案内をして頂けるのであれば歓迎です」
「ごめんなさいねミチカズさん、融通の利かない人で」
「すまんなミチカズ、身内だけで羽を伸ばさせてやりたいとも思うのだが」
「気になさらないでください」
メイ博士の性格をすでに理解していたように、エスダート艦長の性格も今ではだいぶ理解しているつもりだった。仕事に誠実な人なのだ、この人は。なので、実際この程度は気にもならない。
こうして俺たちは、エスダート艦長の案内で街見学に出ることになったのだった。




