アルデルシア強奪
深夜。
未明という時間だ、比較的明け方に近い頃。
キャンプの中を、一人動く影があった。月明りに照らされた髪が、闇の中に赤い。マレルという少年だった。
マレルは今、少女たちのテントを目指している。
オーレリアとアイシャが寝ている小さなテントだ。といって彼の目的は少女たち自身ではない。オーレリアが管理している杖だった。
ジー、と虫が鳴いている。冬でも鳴く虫は居るのだ。
マレルは足音を殺しながら、そっとテントの中に入って。
「――!」
ギョッとした。
上半身を起こしたアイシャが目を開けて、こちらを見ていたのだ。
「何者だ? おまえ?」
低い声で、アイシャが問う。
マレルは辛うじて声を出した。
「……貴女の兄さまに、ゆかりの者ですよ」
言いながら、目の端で杖を捉える。少し姿勢を崩して手を伸ばせば届く場所に、その杖はあった。その杖、脳杖のことだ。
だが、アイシャから目は離せない。アイシャは殺気を隠そうともせず、マレルの顔を凝視している。
「動くなよ? 賊め。杖が目的だな?」
「気配は殺してきたはずですが……」
「アイシャは狩人だ。人が多少うまく気配を消したところで、誤魔化されたりはしない」
真っ直ぐにマレルを見つめる目が、瞬きもしない。文字通りの凝視だ。
マレルが薄く笑う。
「なるほど。貴女がガード役でしたか」
「オーレリアは良い姉さまだが、こういうことにからきしだ。アイシャは最初から兄さまに言い含められてた。杖も、姉さまの身も守れ、と」
「それは欲張りですよ」
と、マレルが身を捻った。
「どちらかにしてください!」
と、寝ているオーレリアに向かってダガーを投げる。
「――っ!」
アイシャは咄嗟にオーレリアを庇った。手にしていたナイフで、マレルの放ったダガーを弾く。その一瞬で、マレルは脳杖を手にした。すぐさま身を翻し、テントを後にする。
「賊だーっ! 賊だぞーっ! 脳杖を盗られたっ!」
アイシャが大声を上げた。
オーレリアが、キャッと小声を上げて飛び起きた。
テントから飛び出したアイシャはマレルを追う。マレルは街の中へと駆けていく。
「やあマレル。やっと動いたね?」
「すぐに動いても黒き巨人が動かないから、と止めてたのは貴方ですよ」
「まあそうだけど。じゃ、言った通り、この先は運だよ? アルデルシアがまた暴走状態になるか、こちらの言うことを聞いてくれるか、今の俺にはわからない。キミの運次第だ」
脳杖の言葉にマレルが笑う。
「たまには運任せも良いですね」
「おっと、後ろ。危ないぞ?」
マレルが振り返ると、アイシャが拾った石をスリングショットで放つところだった。飛んできた石を、マレルは横に避ける。アイシャはまた追跡を開始した。
「ああいう素直な狙いは、かえって避けやすいものです」
「そういうものかい?」
「ええ。先日貴方が言っていた通り、あの娘は良い子なのでしょう、相手をするのが楽ですよ。友人を狙えば、杖を奪われるのがわかっていても厚く友人を守ってしまうところとかね」
評しながら走れるくらいには余裕があるようだった。
街中の中央道を一直線、広い道をマレルは走る。
やがて大穴が見えてきて、そのふちで膝をついたままのアルデルシアも見えてきた。マレルが向かっているのはそこだ。
近づくと、コックピットが無理やり開かれたままなのがわかる。
先日ウィンクルムがエイトンを連れ出すためにやったことだった。そこから、触られていない。首が落とされたままのアルデルシアに向かって、マレルは走る。
「待てーっ!」
と、益体もないことを叫んでいるのはアイシャだ。
マレルに言わせれば、追いかけている最中そんな言葉が出る時点で「素直な良い子」というものだった。
待つはずないのをわかっててそんなことを口にする、それは頭が悪いというよりは、素直なのだ。素直に、自分の要求を口にしてしまう。
マレルはそんなアイシャに疎ましさを感じた。明るい子です、彼女もまたミチカズに笑顔をもたらしているのでしょう、と。
マレルの顔が憎しみに歪む。彼女が死んだとき、ミチカズはどういった顔をするか? 見てみたいな、とマレルは自然に考えた。ミチカズの顔が歪むのを見たくて仕方がない。
ククと笑いながら、マレルはコックピットへと飛び込んだ。
「さて、動きますかね?」
コックピットへと座る。
左右の操縦桿を握りしめ、フットペダルを踏んだ。マレルはマキナを操縦できる。特別得意というわけではなかったが、それなりには扱える自信があった。
だが、機体が反応しないのではどうしようもない。
マレルは操縦桿をガチャガチャと動かした。
「どうしたんです? 動いてください? もう十分休んだでしょう」
壊れて開きっぱなしのコックピットから外を見ると、道を走るアイシャがどんどん近づいてくる。追いつかれてしまう。これでは、リードを取った意味がない。
アイシャがアルデルシアの足元に飛びついた。するすると足を身体を上っていき、コックピットの前までたどり着く。
アイシャは、コックピット内のマレルと顔を合わせた。
「逃がさないぞ! 黒き巨人も、渡さない!」
「女子供が、僕の邪魔をしてくれる!」
「アイシャはもう成人した! 子供は自分じゃないか!」
アイシャがコックピットに躍り込み、マレルに掴みかかった。
応じてマレルもアイシャの身体を跳ねのけようとする。が、座っているのでうまく力が入らない。
マレルの足元に置かれた脳杖が嘆息した。
「やれやれ。活劇は少年少女に任せておこう」
脳杖が詠唱を始めた。
するとまた、儀式のときのようにアルデルシアの周りに白い靄が立ち込め始める。月明りに照らされたその白い靄は、アルデルシアの全身から立ち上り、やがて頭の場所に集まってくる。
首のないアルデルシア。
頭の場所に、白い靄の塊が出来た。
「ここから出ろーっ!」
「出ていくのは貴女です、邪魔しないでください!」
暴れたマレルの足に蹴飛ばされる脳杖が、転げながらも困った声を上げる。
「ああ! ああ! やめるんだマレル! 俺を転がすな! 集中出来なくなってしまう!」
それでも脳杖は、どうにかこうにか詠唱を続けた。
アイシャとマレルがコックピット内で髪を引っ張りあっている間に、アルデルシアの頭が形成されていく。黒い、という以外はウィンクルムと同じ顔だ。バイザーをつけて、ツインテイルに髪のような鋼線をまとめている。
「よし! さあマレル、アルデルシアを呼んでください! キミがパートナーになるのです!」
脳杖が声を上げた。
マレルが大きく息を吸う。
「来い! ここに来い!」
アイシャに髪を引っ張られながら、マレルは叫んだ。
「あいつに勝つ為の力を僕によこせ! 僕のものになれ!」
身体をゆすられながら、舌を噛みそうになりながら叫んだ。
マレルの脳裏に浮かぶのはミチカズの顔だった。あいつを倒さなければ、自分が自分でなくなってしまう、マレルはそう思っていた。
憎い。ミチカズが憎い。
自分を軽くあしらったミチカズが憎くて、自分に情けを掛けてきたミチカズが憎い。マレルの中で、黒い感情が渦巻く。ミチカズの顔を苦痛に歪ませたい。後悔させたい。
脳杖が歓喜の声を上げた。
「ああ、いい! いいよマレル! 必要なのは強い感情だ。人の強い感情こそが、アルデルシアに目を覚まさせる。キミに望んだのはまさにそこだ!」
ブン、と音を立ててコックピット内のモニタ類がついた。
それに慌てたのか、アイシャの手が止まる。
「う、動いた?」
呆然と周囲を見るアイシャ。
マレルの後頭部に、電極のついた枕のようなものが伸びてきた。
マレルが頭をそこに預けると、コックピットのスイッチやモニタ類の扱い方が、マレルの頭の中に流れてくる。アルデルシアの操縦方法が、脳に転写されているのだ。
「おおおぉおっ!」
マレルは小さく呻き声を上げた。そして一瞬だけ目を瞑り、
「ここに来い! アルデルシア! 僕はここに居る!」
アルデルシアが立ち上がる。揺れるコックピット。
あっ、と声を上げたアイシャが、コックピットから外に転げ落ちた。落ちながら猫のように体制を立て直すが失敗、地面へと真っ逆さまに――、
「グラヴィティ!」
走ってきたメイ博士が、アイシャに重力操作の魔法を掛けた。
地面すれすれでアイシャの身体はいったん空中に止まり、ゆっくりと地に落ちる。
「艦長! 身体能力をブーストするぞ!」
博士の横を走っていたエスダート艦長が、こくりと頷いた。
「強靭! 俊敏! 膂力! 大地の盾!」
メイ博士が音節を区切るごとに、博士の杖から淡い光が飛んでいく。
それらはエスダート艦長の身体に染み込むように取り込まれていった。艦長の走る速度が増した。
「アイシャを救え! 艦長!」
二人の視界で、アルデルシアが片足を持ち上げていた。
地に落ちたアイシャを、アルデルシアが踏み潰そうとしている。エスダート艦長の足が、さらに速度を上げた。
「アイシャさん!」
エスダート艦長が叫ぶ。
アイシャは艦長の方を見て、どうにか立ち上がった。が、アルデルシアの足はそこまで迫っている。
「少しでもこちらに!」
アイシャは駆けた。ほんの一、二歩だ。
だがその数歩が、生死を分けた。
「ぜあーっ!」
剣を抜いたエスダート艦長が、気合と共にアルデルシアの足へと攻撃をした。足の踏みどころが、少しズレる。アイシャを狙った踏み付けは、空振りに終わった。
コックピットのマレルが笑った。
「あはは残念! あの娘が死んだときのミチカズの顔を見てみたかったのに!」
脳杖もまた足元で、愉快そうな声を上げた。
「おほ、狂ってるなマレル。だがそれでいい、アルデルシアに人の感情をもっと見せつけてやってくれ!」
「マレル!? マレルだって!?」
街中に、外部スピーカーからの声が響いた。
ウィンクルムに乗ったミチカズが、到着したのだった。




