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ハデゥ村


「まずこうやって、両手で四角を作る」



 アイシャは親指と人差し指を使って四角を作って見せた。ほら兄さま、と促され、俺もそれに倣う。



「四角は窓だ、四角で視覚を別の位相に飛ばす窓だ。こうやってその窓を、左目の前に置く」



 指の間から、前方を覗き込むような形になった。



「別に……なにも変わったものは見えないぞ?」


「まず風景をじっと見るんだ兄さま。そして、ゆっくり両目を瞑る」



 言われるがままに、俺は両目を瞑った。

 視界が暗くなる。やや明るいのは、まぶたの向こうで燃えている焚き火の為だろうか。



「目を瞑ると色々な光が瞼の裏に見えてくるはずだ。その中に、動かない光があったらじっとそこに注目する。見えたか兄様? 次第にそれは人の形をとってくるはずだ。それが祖霊」


「……いや見えない。人の形もとってこない」


「じゃあ祖霊が来てないのだな」



 あっさりと言い切るアイシャ。

 こんなことで見えるものか、と思わなくもないが、来てないならば見えなくとも仕方ない。

 横で同じように四角い窓を作っていたオーレリアが、ほっと胸を撫で下ろした。



「もー、怖がらせないでよアイシャちゃん」


「怖いなら、なぜ真似する」


「きっ、気になるじゃない!」


「ほらオーレリアにも見えなかった。安心しろルミルナ、少なくとも今晩は白い人影に悩まされることはないぞ」



 あっはっは、とアイシャは笑った。

 あとでアイシャに聞いたことだが、これは祖霊を怖がってしまうまだ小さな子供に言って聞かせる為の話術だったらしい。見えないから今は居ない、そう言い切ることで子供は安心するそうだ。

 実際このときも、ルミルナとオーレリアは少し安心したようだ。以後、白い人影がどうとか言うこともなくなった。

 少なくとも、ここのキャンプが終わるまでは。




☆☆☆




 渓谷の河原でキャンプを張って一週間。

 ドラゴンの鱗と皮は概ね剥いだ。途中でウィンクルムを後続のところに戻し、本隊に連絡を取って貰う要請をしたことで、素材回収のメドも立った。

 そろそろここを引き払い、先に進む頃合いだ。



「それじゃあ行くか、兄さま」



 河原のキャンプ出発から一日歩いたところ、大きな滝が見えてきた。

 その滝の周辺、切り立った谷の中の高台にその村はあった。渓谷の合間にあるさほど広くもない土地をいくつか跨ぐようにして、住居が点在している。長い階段や細い通路が壁の至るところ縦横無尽に張り巡らされているのだった。


 俺たちは階段を上り吊り橋を渡り、村の入り口までたどり着いた。

 もっとも、村とは言うが今は誰もいない。規模もそこまで大きくない集落跡だ。そこは木造りの建物が壊され、地面や谷の壁には幾つもの穴が開いていた。



「これは酷いな」



 思わず声に出てしまう。荒らされ方が、まるで略奪でも受けた村のようだ。



「土地に眠る魔石を根こそぎ持っていかれたんだ。アイシャたちは邪魔者扱いされて、シュタデルへと追いやられた」


「魔石が産出される村だったのかい?」



 煙草の火を消しながら、メイ博士がアイシャに訊ねる。アイシャはメイ博士の方を見ずに答えた。



「そうだ。帝国人が言うのは、なにやら特別な魔石も採れるとの話だったから、この有様なんだろう」


「なんだいその特別な魔石って?」


「アイシャは詳しく知らない。ただ、黒い巨人を呼び覚ますのに必要だと言う話は長老から少し聞いたことがある」


「ほー、それは是非とも持ち帰りたいものだ」


「おまえみたいな帝国人が……!」



 アイシャが怒りだす前に、俺は二人の背を押した。



「とにかく入ろう。そうか、ここが俺のいた村なのか」



 俺たちは村の中に入っていった。

 そこかしこ地面が掘り起こされている中、比較的状態の良い建物を見つけてそこを借りることにする。

 谷あいの日暮れは平地よりも早い。

 冬が近いこともあって、時間の割にもう周囲は薄暗かった。



「なにか思い出せたか? 兄さま」



 懐かしい空気は、何故か感じる。それはこの肉体の記憶なのだろうか。

 だけど記憶自体は特に刺激されることはなかった。俺はアイシャの問いに「いや」とだけ答えた。



「今日はもう寝る用意をして、明日から探索を始めたいんだが……アイシャに案内を頼んでもいいか?」


「それはもちろんだ、兄さま」


「帝国軍のように、どこかを掘り返すことになるかもしれないが……」



 アイシャは、ぐっと何かを堪えるように口をつぐんで下を見た。

 しかし意を決したように俺の方を見ると、力強く頷く。



「構わない。今となっては、なんでこんなことになったのかという思いが大きい。原因と真実を知りたい」



 俺たちのやりとりを横で見ていたメイ博士が、小首を傾げながら眉を潜めた。



「おかしい。言ってることはあたしと似たような物なのに、この反応の違い」


「博士は言い方に問題があるのですよ、普段から日常から平時から。反省して改めてください」



 と、これはエスダート艦長。

 確かにメイ博士は自分の興味や欲求にストレートな物言いが多い気はする。ルミルナもそのケはあるが、そこに輪をかけた感じだ。俺には博士と呼称される人種が理解できそうになかった。

 

 俺がぼんやりと村の風景を見ていると、心配そうな顔をしたオーレリアが近くに寄ってきた。



「大丈夫? ミチカズ」


「なにがだい?」


「ミチカズって、突然その身体の主として目覚めたんでしょ? もしもその逆に、ミチカズが突然ミチカズでなくなったらイヤだな、って……」


「そんなこと」



 と俺は笑ってみせたが、ないとは言えない。

 自分が突然自分でなくなる。それは少し恐ろしいことでもあった。



「アイシャちゃんには悪いけど、わたしはミチカズにミチカズのままで居て欲しいの。お願いミチカズ、ここの村では無茶をしないで。なんかイヤな予感がする」


「約束は出来ないな。でもなるべくそうするよ、心配してくれてありがとうオーレリア」




☆☆☆




 家屋の中自体は、特に荒らされた様子もなかった。

 台所や滝から水を調達した水場などもある。思ってたよりも快適な空間だ。


 水場と台所を利用して食事を摂った俺たちは、少し早いが眠ることにした。今日は朝から歩き通しだったので、横になると身体の疲れが床に沁み込んでいくようだ。

 ふと気になり、ウィンクルムとの通信機を弄ってみたが、どうやら範囲外のようで通じていなかった。マキナキャリーと馬車を置いてきた一次キャンプからは、かなり離れているようだ。


 しばらく仰向けで目を瞑っていると、俺とエスダート艦長が眠る男部屋に誰かがやってきた。



「寝たか? 兄さま」


「寝たぞアイシャ」



 アイシャだった。俺は目を瞑ったまま答えた。



「起きてるじゃないか」


「おまえも早く寝ろ、明日は早くから探索だ」


「なぜこの家を選んだ? 兄さま」



 益体やくたいもないことをアイシャは聞いてくる。俺は同じ部屋で寝ているエスダート艦長に気を遣って、小声で応えた。



「この家屋の状態が良かったからだよ、それ以外に理由があるかい?」


「この家は、兄さまが使っていた家だ」


「――」


「状態の良い家なら他にもあったのに、なぜこの家を?」



 突然、目を瞑っていた俺の瞼の裏に、天井が映り込んだ。

 目を瞑っているのに、まるで目を開けているような感覚。俺がゆっくり目を開けると、そこには瞼の裏に映り込んだ天井と同じ天井があった。



「兄さまは、いつもそこで寝ていたんだ」



 ドクン、と心臓が鳴る。

 見知らぬはずの天井が、見知ったものになったような。俺は慌てて、上半身を起こした。



「俺は……、俺は」



 頭の中に、風景がよぎった。

 渓谷の吊り橋を、俺は渡っている。前を歩いているのは、小さな女の子。アイヌの物にも似た民族衣装を纏った、少女――ああ彼女はアイシャだ。小さなアイシャがこちらを振り返りながら、笑っている。ときおりふざけたように吊り橋を揺らすアイシャを俺はたしなめながら、滝に向かって歩いている。



「滝……の、裏側?」


「そうだ兄さま! 思い出したか!? 祭りの日に、アイシャと兄さまは滝裏の洞窟に行った! そこで一緒に見たはずだぞ、神像を!」



 そうだ。あの日確かに俺は見た、村で祀っている黒き巨人の神像を。

 成人の儀式だ。村人の年長者と語り部が滝裏の秘奧の間に集められ、語りを聞いて一晩を過ごす。

 神像を見たアイシャは、おまえにはまだ早いと語り部衆に怒られて、村に連れ帰られたんだっけ。


 流れてくる。見知らぬ記憶が頭の中に、流れてくる。

 記憶の海で溺れるように、俺は息苦しくなってきた。思わず胸を押さえた。俺が、ミチカズが、溺れる。



「思い出せ、兄さま!」



 ――溺れる!



「ミチカズ殿」



 不意に、男の声が響いた。



「苦しそうだが、大丈夫か?」



 隣で横になっていたエスダート艦長が、怪訝そうな顔で俺を見ている。

 俺は肩で息をしていた。ミチカズ、と名を呼ばれた途端に、息苦しさはなくなった。だが俺はゼーゼーと、荒い呼気で空気を吸った。



「だ、大丈夫ですエスダート艦長」


「アイシャ殿? 明日は早い、ミチカズ殿もお疲れのようだし、これくらいにして今日はもう寝たらどうだろうか」



 アイシャは一瞬不満そうな顔をしたが、反論するでもなくエスダート艦長の言葉に従った。俺はエスダート艦長に礼を言い、横になる。


 見知った天井を見ながら、俺は眠りについた。


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