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侍従マレル


 金と銀の刺繍に彩られた侍従服を着た赤髪の少年が、俺の顔を見て笑っている。彼はマレル、レイストル伯の侍従だ。

 マレルの傍らには、ウェイツがうずくまって倒れている。ここはレイストル城伯の城の地下。岩肌の露出した、湿った大部屋の中だった。



「ウェイツ! 大丈夫!?」



 ローブを着た女性、シーリスが心配そうな声を上げる。

 今にもウェイツの元に走っていきそうなシーリスの肩を掴み、俺は彼女を止めた。マレルがウェイツのそばを離れる気配がない、近づくのは危険だ。



「この人、なかなか強情でしてね。なにも喋ってくれないのです。だからまあ、少々無茶をしてしまいました」



 そう言いながらマレルはウェイツの足を軽く蹴った。



「ぐあっ!」



 と、軽く蹴った程度とは思えない声を、ウェイツが上げる。両足の膝から下が、明後日の方向を向いていた。両足の骨が、砕かれてる。



「酷い……」



 とシーリスが両手で口を覆った。

 あれでは満足に歩けもしないだろう、ウェイツを連れて逃げる難度が一気に上がった。



「シーリス、キミは癒しの魔法が使えると言っていたな? ああいった怪我は、治せるのか?」



 揺れる松明の灯りの中でもわかるくらい青ざめたシーリスが、か細い声で答える。



「治せるけど……、時間が掛かるわ。戦いながらすぐなんて、とても無理」


「そうか、ならば」



 と俺はマレルの方を見た。



「やるしかないか。でないと、ウェイツを抱えて逃げるのも難しそうだ」



 マレルは、その少年らしい顔に似合わない激しい笑みを浮かべて、俺の顔を見返した。



「これはこれは。そちらからその気になって頂けるなんて! 良かった、どうやって貴方にやる気になって貰うか考えていたんです!」



 そう言いながら、部屋の中を円を描くように歩き出した。俺も合わせて、マレルから距離を保つ為に円を描く。

 シーリスがウェイツの元に駆け寄った。どうやら治癒の魔法を唱え始めたらしい、シーリスの両手が、ウェイツの身体に添えられ淡い光を放っている。


 俺はマレルを見て、シーリスを見て、またマレルに視線を戻す。

 戦ったとして、その最中にマレルが彼女たちの身を盾にしないだろうか……?

 それをされると、不利を免れない。



「大丈夫ですよ、僕は先日の決着をつけたいのです」



 こちらの考えていることを察したのか、マレルは俺と目を合わせながら笑う。



「その二人が僕たちの戦いにチャチャを入れてこない限り、僕から今二人に手を出すことはありません」



 そう言って、マレルはナイフを構えた。

 応じるように、俺も腰のナイフを手に取る。

 マレルが笑った。



「はは、今度は本番ですね」



 歩く。歩く。ゆっくりと、足元を確かめるように歩く。

 部屋の中で円を描き合うように、俺とマレルは歩いていた。湿気の凄い部屋だ。だが季節の割にひんやりとはしている。地下だからだろうか。

 だから、この額に浮かんだ汗は緊張からくるものだった。

 マレルとは一度拳を交えている。凄まじい速度の持ち主だ、一度対応を間違えれば俺はあのナイフに突かれてしまうだろう。


 視界に赤いライン。マレルの攻撃だ、この軌道は――突き。

 俺は避ける。

 赤いラインの軌道が途中で変化した、これは突きからの横薙ぎだ。横薙ぎも一歩下がって避けた。突き。これは円を描く歩みで避ける。あまり後ろに下がると、後がなくなってしまう。


 なので俺は前に出るために、こちらからもナイフを繰り出した。

 やはりマレルも、基本は円運動で避けてくる。部屋の中で戦っている以上、背後スペースの取り合いは重要だろう。

 俺は目に集中する。

 白い線がマレルの身体に走ってゆく。一撃必殺のラインから、崩しのラインまで。それは色の濃さで直感的にわかるものだった。

 だが、今回はナイフを持った者同士の戦い。マレルも警戒しているのか、ナイフでいきなり切り込めそうなラインが見つからない。マレルの動きが素早くて、崩しに使える淡いラインも走っては消え、走っては消えしている。


 そんな中、俺は比較的崩しのラインが残っていることの多い、マレルの足元に注目した。


「……そこっ!」



 気合と共に繰り出したのは、ナイフではなく足技だ。マレルがナイフで攻撃を重ねてくる最中、俺は右足を前に出した。予定外に動きを阻害されたマレルの上半身が、大きく揺らぐ。

 俺はマレルがナイフを持った右手に向かって、ナイフを突き出した。

 躱された。――が、完全ではない。右腕の肘下を、俺のナイフが掠った。



「くっ!」



 と、マレルはまた、驚きの表情で俺を見る。



「なんなんですか貴方は!? 僕の攻撃が当たらないのに、なんで……!」



 マレルの攻撃がその密度を上げてくる。

 ナイフに拘らず、左の掌底を繰り出して、足技も狙い出す。赤いラインが溢れるように俺を襲ってくる。

 こうなるとこちらから手を出すのは難しかった。

 なので俺は、じっと目を凝らす。だがそれも、二十秒に満たない時間だった。――よし!


 相手の一瞬の大振りを避けて、左拳をマレルの脇腹に。「ぐあっ!」 と呻いたマレルが大きく後退した。



「馬鹿な、こんな……!」



 すかさず俺は前に出る。ナイフでなく、拳を用いてマレルの腹を殴りつける。マレルはうめきながらよろめいて、――倒れた。

 倒れたのは、そこの足元がひと際デコボコしているからだ。円を描いて歩いているときに、確認しておいた。露出した足元の岩肌に足を引っかけてしまったマレルが驚愕の表情を浮かべている。俺がそこに誘導していたことに気がついたのだろう。慌てて立ち上がろうとする、が。

 俺の蹴りが、マレルの頭に炸裂した。

 人工窟の部屋の中を転がるマレル。

 マレルは起き上がらなかった、ピクリとも動かない。



「……すげえな、ミチカズ」



 横で見ていたウェイツが、俺を見て呆れたような声を上げた。



「俺じゃとてもそいつに勝てる気はしなかった。どうやらおまえさんは、俺の見立てより遥か高みにいたらしい」



 ぜー、ぜー、と息を切らしながらもウェイツは俺に笑顔を向けてきた。



「いてて! シーリス、もっと優しくやってくれ!」


「無茶言わないで、あなた死にかけよ? 足もそうだけど、身体の方も酷い。これでよく生きていたものね」


「普段から言ってるだろう? 俺が死ぬのは青空のもとだ、こんな如何にもな場所で死ぬはずもねぇ」


「はいはい、それは結構ね」



 ぺしん、とシーリスがウェイツの足を叩いた。

 あいた! とウェイツが叫ぶが、それはどこかワザとらしいものだった。つまり、もう足も治ったのだ。



「完全じゃないけど、歩けるくらいにはなったはずよ。急いでここを出ましょう!」


「待ってくれ、二人とも」



 俺はナイフを手にしながら、悩んでいた。

 マレルに、顔を見られてしまった。このまま彼を放置すれば、面倒なことになる。いっそこの場で、彼を殺してしまうべきだろうか。


 それは、完全に立場を保身する為の殺人だ。

 これまでの殺しとは少し違う気がした。俺は、自分の立場の為だけに人を殺せるのだろうか。

 結論が出ない。出ないまま、しばらくナイフを弄んだ。



「なあミチカズ」



 立ち上がったウェイツが、俺の肩に手を置いた。



「何を考えているのかなんとなくわかるが、悩むってこた、やりたくないってこった。無理はしない方がいい」


「ウェイツ……」



 ウェイツと目が合う。ウェイツは、困った弟を見るような目で俺を見ている。俺は苦笑した。

 そうだな、と頷く。

 いざとなったら、俺は何処へでもいける。気にすることはない。



「いや……、殺せ」



 絞るような、うめき声。マレルが頭を抱えながら、立て膝をついていた。



「僕の負けだ、殺せ。もしここで殺さないなら、この先僕は貴方が生きている限り、敵となる」



 立て膝は、だがフラフラと。

 うまく立ちきれずに、マレルは転んだ。



「殺せミチカズ! 僕を殺せっ……!」



 マレルの目がつり上がっていた。その気迫に、俺は怯んだ。

 と、そのとき、洞窟の入り口の方から走ってくる者がいた。ポーだ。



「まずいよまずいよー! 廊下の機械人形ゴーレムが壊れてるの見つかっちゃったーっ!」


「なんだって!?」



 と、ウェイツが声を上げた。



「やべえなミチカズ、新手の衛兵が来る前に逃げるぞおいっ!」


「あ、ああ」



 俺たちは部屋を後にすることにした。洞窟を上り、梯子へと向かう。



「後悔するぞミチカズ! いや後悔させてやる、ミチカズーッ!」



 俺たちは急いだ。だんだん小さくなるマレルの叫び声だけをあとに残して。 


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