潜入! レイストル伯城!
「一昨日からウェイツが帰ってこないんです!」
ローブ姿の女性、シーリスが声を上げた。
まだ朝早い時間、ここは兵舎近くの水場だ。
「これまで張り込みでも、夜には戻ってきていたのに」
「……それは、ウェイツの身になにかあったかもしれない、っていう意味かい?」
俺の問いかけに、二人、シーリスとポーは頷いた。
俺はゲルドの顔を見る。ゲルドも神妙そうな顔でシーリスの言葉を聞いていた。
「ウェイツはなにをしてたんだ? 確かにここ数日報告もなかったが」
「城を……」
と帽子を被った小さな少年、ポーが答えた。
「城を見張る、ってウェイツ言ってたー」
「城?」
俺は訝しんだ。なぜ城を。
「マキナ屋を張っていて、そこに来た怪しい男が城へと向かったらしいんです。だから城に向かうって」
シーリスがうつむき加減に、心配そうな声で呟いた。ゲルドが声を上げる。
「城って、この街の中心にあるレイストル城伯の城のことかい? 嬢ちゃん」
「はい」
ゲルドの声が緊張している。その理由もわかる。
つまりは、内通者が城にいる可能性を示している話だった。
城に居て、機密性の高い軍の情報を得られる者。それは――。
「まさか、レイストル伯が怪しいってんじゃないだろうな、おい」
ゲルドが俺に話し掛けてくる。俺は両手を胸の前で振った。
「俺に聞かれても困るよゲルド、俺がこの国の事情に詳しくないのは知ってるだろう!」
「……確かにレイストル伯は、どこから手に入れているのか尋常でない財の持ち主だ。黒い噂もある。いや、だが」
国を裏切る。そんな大それたことをするだろうか?
ゲルドはそう言った。
「あの蝋印、ホンモノだったよー」
ポーがぼそりと言う。
「ボクは各国主要な人物の蝋印全てを覚えてるの。ボクの目には偽造も通じなーい、そういう目を持ってるから」
場が静まった。ゲルドが苦々しい声で、ポーの言葉を反芻する。
「通じない目……。『ギフト』の持ち主か」
「はい」
とポーが頷いた。俺は「ギフト?」とゲルドに聞き返す。
「先天的な能力として肉体へと宿っている力のことさ。誰でも持っているわけじゃない、むしろ稀人だ。通常じゃありえない膂力を持つ者も居れば、絶対に物事を忘れない頭を持つ者もいる」
「ボクの場合は、意識して目で見た物の絶対記憶。絵画よりも鮮明に、それを覚え込むことができるのー」
――そういうものがこの世界にはあるのか。
と、俺は自分の目のことに思い至った。もしかすると、これもその「ギフト」の一種なのかもしれない。
「……なあゲルド」
「わかってるミチカズ。見捨てるわけにもいくまい」
俺の声に、ゲルドが頷いた。
「アルフバレン侯には俺から伝えておく。おまえは城を調べてこい、極秘にな。いけるか?」
隠密行動か。
戦闘行動ならともかく、隠密行動には少し自信がない。さすがに経験がモノを言いそうだ。俺が一瞬、返事を躊躇っていると、シーリスとポーが口を添えてきた。
「私たちが付いていきます。隠密の魔法が使えますから、ミチカズさんのフォローも出来ると思います」
「ボクが開錠の魔法も使えるしねー」
おお魔法、それは心強いかもしれない。俺は二人の方を見た。
「それは助かる。力を貸して貰っていいかな?」
「なにを言ってるのですか、力を貸して貰いにきたのは私たちです。私たち、直接の戦闘になったらからっきしですから」
「そうそう。この間の戦闘でのミチカズの動き、見てたよ? なにかあったら、ボクたちを守ってよ」
「まかせろ!」
俺は傍らに置いておいた通信機を手に取ると、ウィンクルムに連絡した。
「ということになったウィンクルム。俺は少し遅れるから、ウィンクルムはゲルドの命に従って先に作戦行動下に入っててくれ」
「仕方ないのぅ。はよ来るのだぞ、ミチカズ」
「なるべく急ぐ」
こうして、俺は二人の魔法使いと共に俺はレイストル伯の城へと赴くことになった。ウェイツは大丈夫だろうか。俺も心配だ。
部屋に戻り、腰にナイフを差して、俺は準備した。
☆☆☆
東からの日の光を浴びて、街の中央でその城はそびえ立っていた。
大きな壁の周辺には川から水を引いているであろう堀があり、侵入者を拒絶する。
もちろん門前には木で出来た橋が掛けてあるが、忍び込むという性質上、正面から堂々と向かうわけにもいくまい。
「定番通り、裏手に回るのが良いですよね?」
俺は二人に聞いた。
「そうですね。さすがに正面はちょっと」
シーリスがローブの袖を弄りながら言った。「あっちから行こう」とポーが先導して歩き始めたので、俺とシーリスの二人は続く。
ひとけのない堀の周りをとぼとぼ、ぐるり。
まだだいぶ朝も早い時間だ。俺たちは城の北側に向かって歩いた。
「ウェイツは、こういう調査に強いのかい?」
俺が問うと、先頭をテクテク歩いているポーが答える。
「ウェイツは人たらしみたいなとこあるからねー、得意だと思うよ」
「身軽で手先も器用ですからね。遺跡の探索ではだいたいポイントマンをしてます」
シーリスがポーに続く。
耳慣れない単語があったので、俺は聞き返した。
「ポイントマン?」
「斥候だよ、前方の警戒をしながらボクたちを先導するの。五感が鋭いんだ、ウェイツは」
「だから、そうそう捕まったりすることもないとは思うのですが……」
シーリスが心配そうな声を上げて目を伏せる。
一昨日から帰らない、確かシーリスはそう言った。そういうことは珍しいのか、と聞くと、連絡もなしに帰らないのは初めてだという。
「それは……心配だね」
「はい」
てくてく、てくてく。
会話とは裏腹に、どことなく呑気な雰囲気を出しながら歩いてたポーが、不意に立ち止まる。
「ん。あそこがいいかな?」
そう言って指差した先には、壁の一部が崩れた一角があった。崩れた、と言っても高い壁の最上部が少し壊れているだけだ。それになんの意味があるのか、俺は疑問に思ってポーに聞いてみた。
「崩れてる場っていうのは、そういう場なんだよ。綻びなんだ。侵入するには丁度いいはずさー」
と、ポーはよくわからないことを言う。
魔法使い独特の考えなのだろうか、と俺はシーリスの方を見てみた。
シーリスはクスリ、と笑い、
「単なるポーのジンクスですけどね」
「いいじゃんシーリス、いつもそれで成功してるんだから」
「はいはい」
「あ、またそうやって子供扱い。ボクだってもう十四歳だぞ」
もうちょっと幼く見えたが、どうやら彼は十四歳らしい。日本なら中学生といったところだ。それが魔法を使って、冒険者をしている。世界の違いを俺はしみじみと感じた。
「まずシーリスに掛けるよ。……レビテート!」
シーリスが、ふわふわと浮き始めた。
おぼつかない足取りで、空中を踏みしめるシーリス。すると、まるでそこに階段でもあるように、彼女は空中を上っていく。すいすいと足を進めるシーリスは、やがて城の壁上に着いた。そのまま壁の陰に身を隠す。
「あんな感じ。じゃあ次はミチカズ、効果の時間は短いから気を付けてね」
ふわり、浮遊感。
足元がおぼつかなくて不安になる、俺は思わず両手でバランスを取った。
「そんな大げさなものじゃないから。空気の上に足場があるとイメージしてよ、その足場を、一歩一歩踏みしめて上っていくの」
「そ、そんなこと言ったって……」
そろりそろり、と空中に向かって俺は踏み出す。
ここにはブロックがある、ブロックがある、と、イメージしながら足を前に出した。なんとなく昔やった三次元視点のコンピュータゲームを思い出しながら、俺は足場のない足場を上に進んでいく。
集中。慎重。おずおずと。ゴールはもう少しだ。
「そろそろ切れるよー」
「え?」
――突然の落下感!
咄嗟、俺は腰からナイフを取り出した。壁に無数の白い線が走る。有無を言わさず、俺はそこにナイフを突き刺した。
俺はナイフを支柱に壁にへばりついた。
間一髪、堀へと真っ逆さまな事態は免れる。
「ナイスミチカズ。それじゃもう一回魔法掛けるから、上ってきてー」
どこまでも呑気な声で、ポーが言う。
ポーはいつの間にか俺を追い越して、先に壁の上に立っていた。
俺は冷や汗を掻きながら、ポーへと引きつった笑いを見せた。
「魔法の上書きをしてくれればいいのに」
「上書きできないんだこの魔法、ごめんね?」
ポーが笑顔で答える。なぜそこで笑顔なんだ、と思わないでもなかったが、隣でポーの代わりに平謝りしてきてるシーリスに免じて不問に伏すことにした。
魔法も万能というわけではないらしいな、俺はそう理解した。
壁の上には特に物見も居なかったので、そのまま、またレビテートの魔法で壁の内側に下りることにした。下りるのは全く持って簡単だった。エレベーターをイメージするだけで、俺の身体はスーっと下に向かっていく。
「やるじゃんミチカズ」とポーが感心したように俺を見る。そりゃね、やるときはやりますよ、と訳のわからない受けごたえをしながら、俺たちは城の敷地に入ることに成功した。
「あの小窓から入れそうですね」
シーリスが指さしたのは、石造りの城壁の少し高いところにあった穴だった。
「レビテート大活躍」
そう言いながらポーがまた魔法を唱える。
ポーはステップするような軽やかさで壁を上っていった。そして窓の中を覗き込む。シーリスがポーのことを見上げた。
「どう? ポー」
「んー。ここお台所。今は三人いるね。眠らせちゃう?」
「眠らせたら不味いわ? 食事が遅れて騒ぎになったら困っちゃう。……認識阻害の魔法を掛けられない?」
「あれかー。あれは抵抗力低い人にしか掛けられないんだよねー」
「試してみてよポー」
はいはい、っと。そう言ってポーがムニャムニャ唱え始める。
「あ、掛かった。この人たち、カモだよシーリス」
次いでポーは俺たちにレビテートを掛けた。
ポー、シーリス、俺の順で、小窓を使い城の中に入っていく。
そこはポーの言った通り台所で、丁度朝食の用意をしている真っ盛りのようだった。香辛料の刺激的な香りがまず鼻を刺激する。
「朝から肉と魚に白いパンかー。さすが貴族は違うね」
「こらポー! つまみ食いなんかしちゃダメじゃない!」
「平気平気、この人たち、ほんとカモだから。ボクたちに絶対気づかないどころか、これなら幾らでも暗示を掛けられると思う」
認識阻害の魔法とは、どうやら俺たちの存在を認識させなくさせる魔法のようだった。三人の料理人は横にいる俺たちのことを気に掛ける素振りも見せず、仕事に精を出している。
「この人たちになにか聞きたいことある? 今ならきっと、なんでも答えてくれると思うよ」
俺はちょっと考えて、
「あの……貴方はここの住み込みなんですか?」
一人に訊ねてみた。
「そうだよ、もう五年は住んでるね」
「じゃあ、一昨日なにか騒ぎとかありませんでした?」
「あー、なにかドタバタはしてたかもしれない。でもほら、俺たちにはあまり関係ないから。なにがあったのかは知らないねぇ」
俺はシーリスに目配せした。
それは、ウェイツ絡みのドタバタかもしれない。シーリスが今度は横に居る他の男に訊ねる。
「ドタバタ騒ぎのあと、なにかいつもと違うことはありませんでした?」
「んー。ああ、そういえば。腐ったパンの残飯を用意しておけって言われたっけ。なんでも地下に捕らえた賊用の食事だとかなんとか。いきなり腐ったパンて言われても困るんだよねぇ、ここじゃあそういうのはすぐ処理しちゃうんだから」
ポーが笑った。
「地下だねー」
どうやらウェイツは地下らしい。
俺たちは地下へ向かうことにした。




