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ファーストコンタクト


 ウィンクルムが空中で身体を揺さぶり、背に乗った俺を落としに掛かる。指を少しづつ這わせ、一センチ、二センチと俺はウィンクルムの背を上っていく。そしてついに、左手が首筋に触れた。



「こなくそっ!」



 俺はウィンクルムの首筋にしがみつくと、ナイフを握りなおした。


 首筋に、淡い光の線が見える。

 ここを切り裂けば、勝ちだ。そう確信があった。ウィンクルムに弱点を告げられる前から、何故か俺はこの弱点がわかっていた。ここにナイフを突き立てれば、終わる。――だが。

 俺は話がしたいだけなのだ、彼女と、話を。



「俺の勝ちだウィンクルム! これ以上、戦う必要なんてない!」


「カカッ、ここにきて躊躇うかミチカズ!」



 ウィンクルムが声を上げた。それは悲痛と言ってよい声だった。



「貴様の身体能力、見事であった。予測の出来ぬ動き、隠密! 天晴だ! かくなるは画竜に点睛を成せ!」



 ウィンクルムの背に身を預けながら、俺は彼女と共に地上へと落ちている。時間はない。だが。



「でなければ――」


「く……」


「わしが貴様を殺す!」



 ウィンクルムの手が、俺に伸びてくる。ああ、躊躇う時間はない。



「くそぉぉお――っ!」



 俺はナイフを振るった。首筋の、淡い光の線に向かって。

 ガクン、とウィンクルムの動きが止まる。手が足が、だらん、と力無く落ちた。そのまま俺たちは、地面へと落ちていったのだった。




☆☆☆




 たぶんあれは、野鳩の鳴き声だ。

 耳の奥にどこか懐かしい音を聞きながら、俺はぼんやりと薄目を開けた。額が妙にひんやり、気持ちいい。


 小雨が降っていた。

 上半身を起こして周囲を見渡す。焼け焦げた木々が倒れている中で、俺は横になっていた。

 夢を見ていたのだ。学校の夢。

 試験の結果が思わしくなくて、部活を休まされて追試を受ける夢だ。友達にからかわれながら、背中を叩かれて追試に向かう。そこで受けなおしたテストの内容が全く理解出来ずに、俺は頭を抱えていた。


 ああ、それは夢だった。

 そして今また、俺は夢を見ている。

 まるで崩れた木々から俺を守るようにして、俺の身体に覆いかぶさっている大きなロボット、――確かウィンクルムと言った――こんなものが、現実世界に存在しているはずがない。

 だから、これは夢だ。

 昨日から、俺はずっと夢を見ているのだ。そう思った。


 と、そのとき。がさり、と近くで草が鳴った。

 目をやると、距離を置いた草陰から、小さな女の子がこちらを見ていた。金髪を短いポニーにまとめた、青い目の女の子が、怯えた顔でこちらを覗いている。

 目が合ってしまったので、



「やあ」



 と、俺は笑いかけた。夢とはいえ、小さな女の子が怯えた顔なんか見たくないので、大丈夫だよ、という意味を込めて、笑顔を向けた。



「〇〇〇〇?」



 女の子がなにか言う。よくわからなかった。女の子の声が細かったからか、俺の耳が遠いのか、単に言葉がわからなかったのか。判然としないのは、さっきから眠気が凄いからだ。



「だい……じょうぶ、だ……よ」



 俺は声を絞り出して、苦笑い。そこで、急に意識が遠くなっていった。視界が暗転する。俺はまた、闇の中に落ちていった。




☆☆☆




 額になにかが触れてきた。

 ひんやりとした、それは手のようだ。子供の頃に熱を出すと、母親がこうして額に手を当ててくれた覚えがある。なのでつい、



「んん、大丈夫だよ母さん」



 などと言ってしまった。

 声に出してしまってから恥ずかしさが込み上げてくる。



「うわわっ!」



 と、上半身を起こした。



「なし! 今のなし!」



 両手を胸の前でフリフリする大袈裟なゼスチャーを加えて、この場を誤魔化した。誤魔化す? 誰に対して?

 びっくりしたように目を大きく見開いた小さな女の子が、こちらを見ていた。手に、濡れたタオルを持っている。ぽかん、と口を開けたままの彼女は、十歳を数えるか数えないか、という程度の年齢だろうか。

 どうやら俺はベッドに寝かされていて、彼女は世話をしていてくれたらしい。



「いやっ! そのっ!」



 俺は慌てたまま、女の子から目を逸らして両手で頭を掻いた。

 顔が火照って真っ赤なのが手に取るようにわかった。



「なんかごめんなさい」



 と、こうべを垂れる。いっそ首を討ってくれと言わんばかりに、深々と。一秒、二秒、三秒。そして女の子の方をチラ見。目が合った女の子は、まだびっくりぽかん、という顔をしていたが。



「〇〇! 〇〇!」



 突然笑い出した。なにを言ってるかはわからないが、お腹を抱えて笑いながら、涙を堪えている。



「いやー、あははは」



 俺はわけもわからず愛想笑い。

 平和的コミュニケーションの基本は、笑顔だと思う。笑って貰えたのを幸いに、俺も笑顔を見せた。



「〇〇〇?」



 女の子は、こちらにカップを差し出してきた。

これを飲め、というのだろうか。飲んでみると、それはただの水だったが、火照った身体にはことのほか美味しく、染みわたる。



「ありがとう」



 言葉は通じずとも、表情でわかるのだろう。こちらの顔を見ていた女の子もにっこり笑う。

 ロボットの次は金髪の女の子。

 そして今俺がベッドで寝かされている部屋は、丸太造りの小さな一室、窓にはガラスなどもない。板切れが棒で支えられているだけの鎧戸だ。日本の日常の「に」の字も出てこない。日本の日常「に」の二乗。

 古典的だが自分のほっぺたをツネってみた。痛い、夢じゃあない。

 異世界転生? 異世界転移? どうやら本格的に、この辺の可能性を考えなくてはいけないようだった。



☆☆☆




 二日過ぎた。

 この小屋には、どうやら女の子とその父親らしい壮年の男が住んでいるようだ。数少ないベッドを俺が使ってしまっているので、夜に男が床に身を横たえて眠っている場面を幾度か見た。


 男の方は、髭もじゃで髪はシルバー。あどけなさのある女の子とは打って変わった偏屈な顔をしていた。もっとも俺をこんな風に助けてくれている時点で、見た目ではわからぬお人好しに違いない。

 夜のスープには少量ながら肉も入っており、パンと一緒に女の子が給仕てくれる。もっともパンは硬く、スープを付けないととても食べられないのではないかと思うほどのものだった。顎が痛くなる。


 今日は小屋の外に出てみた。

 思ってた通りの丸太小屋、造りはしっかりしてそうだが中は一室だ。山中の森だろうか、地面は軽い

斜面になっており周囲には木々が生い茂っている。

 小屋の裏手では女の子が薪を割っていた。

 手伝おう、とゼスチャーすると、困ったように首を振る。しかしこっちが笑顔で自分の胸を叩くと、やがておずおずと俺に斧を渡してきた。


 手伝う、と言っても俺は元単なる高校生、都会住みだ。薪割りなんかしたことがない。さてうまくできるかな? と薪を眺めていると、また、視界に光がチラついてきた。

 薪に、淡くて白い線が走っている。

 なんだこれは? 先日ウィンクルムと戦ったときにも見えたラインだ。

 つまり。


 斧を振り下ろす。

 狙ったのは、薪に走っている白い縦線だ。

 コーン、と、薪の割れる音が森の中に高く響いた。一回で薪を真っ二つに割ると、女の子が感心したように手を叩いてくれた。


 なるほどこれは、対象に対して有効な打撃ラインが視界に映っているらしい。便利だが、なんの能力だこれ?

 カコーン、コーン、カコーン。

 しばらく森の中に、薪を割る音が反響する。

 久しぶりにいい汗をかいている気がした。女の子がタオルを持ってきてくれたので、顔を拭く。真っ黒だった。そういえば、お風呂に入ってないな、と思ったが、この世界ではお風呂なんかあったりするのだろうか? もう、あのあったかいお湯に浸かれないかもしれないと思うと、なんだか切ない。


 お風呂のことを考えていたからだろうか、耳のどこかに水の音が届いていることに気がついた。斧を置き、ちょっと周囲を散策する。女の子もついてきた。


 小屋からさほど離れていない場所に、小さな小川があった。なるほどあの小屋はここの水を使っているのだろう。水のないところでの生活は、なかなか困難なはずだ。


 女の子が小走りに小川へと向かう。

 そして川辺までいくと、楽しそうにこちらを振り返って大きく手招きをしてきた。俺も走って追いかける。女の子はピョンピョン跳ねた。


 女の子が、小川の水をひと口啜った。

 俺の方を向き、飲んでみろとゼスチャーする。俺もまた、促されるままにひと口飲んでみた。

 冷たい清水が、喉を潤す。美味しい。



「〇〇! 〇〇!」



 女の子が突然笑顔のままに服を脱ぎ出した。



「えっ、なにを!?」


「〇〇!」



 下着だけになった女の子が、小川に飛び込む。水深はそんなに深くないらしい、川の中心でも女の子の腰くらいまでのようだった。

 女の子は後ろ手に縛った金髪をほぐし、小川に浸かったまま洗い始めた。



「〇〇!」



 なにか言いながら、手招きをする。

 俺も川辺で顔を洗い、腕を洗い、足を洗……ってると、突然女の子に水をひっかけられた。頭から、ざばーん、と。

 ずぶ濡れだ。

 笑っている女の子を、恨みがましいジトっとした目で見た。するとなにが可笑しいのか、さらに女の子は笑い、こっちに水を掛けてくる。


 小さな女の子の考えることはわからない。

 やっぱり言葉が通じないと不便だ、と俺は思った。バシャン。


 再びしたたか水を掛けられたところで、俺も色々と面倒くさくなった。下着を残して服を全部脱ぎ、小川に飛び込む。今更、と言われそうだが気づいてなかったことが一つ、俺の身に着けていたもの、服もなにもが中世ヨーロッパ風のものだった。


 女の子が嬌声を上げる。

 俺もことさら大きな声で笑いながら、泳いでみた。

 筋肉がほぐれるように気持ちよかった。冷たさが、いい。


 女の子も、一緒に泳ぐ。

 ひとしきり泳いで、遊んで、笑った。



「フィーネ」



 女の子は、自分を指差してそう言った。発音は日本語と違うので、あくまでそんな感じの発音だったというだけだ。これまでの会話と違い、同じ単語「フィーネ」と繰り返して、ひたすら自分を指差す。


 そうか、これはきっと、彼女の名前だ。 

 俺は彼女を指差して、



「フィーネ?」



 と言ってみた。女の子、いやフィーネは満面に笑みを浮かべてはしゃいだ。

 俺も自分を指差してみた。



「ミチカズ」



 そして告げる。フィーネが手を叩いて、



「ミチカズ! ミチカズ!」



 と連呼する。



「そう! ミチカズ!」



 お互い、口にするのは二つの単語だけ。「フィーネ」と「ミチカズ」。そこに笑い声が加わり、色を添える。

 泳いだ。

 互いに名前を口にしながら。

 笑った。

 自分の名を告げながら。


 どれほどの時が経ったろう、俺たちは遊んだ。やがて先に疲れ果てたのはフィーネの方だ。小川のほとりで横になったかと思うと、声を掛ける間もなくスヤスヤ寝入ってしまった。

 水からあがった俺はフィーネに服を掛け、自分も服を着た。

 遊んで、眠る。

 なんとも子供らしいな、と微笑ましい気持ちに満たされながら、クスリと一人笑い。小川を覗き込んで髪を整えようとした。――あれ?



「……」



 俺は眉をひそめる。

 小川に映り込んだ俺も、眉をひそめた。だが。



「……これ、誰だ?」



 俺は、俺の顔をしていなかった。

 小川に写り込んだその顔は、結城道和のものではなかったのだ。


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