「ミチカズ」の素性
通された部屋は昨日の晩と同じ、塔の二階一室だった。
陽の当たる時間だと言うのに、塔の中は松明でも蝋燭でもない何かの光りで照らされている。窓が少ないため、陽が入らないのだろう。
「昨日はお世話になりましたルミルナさん。この宝石便利です、ありがとうございます」
まずはお礼。ルミルナさんには本当に感謝している。
「ルミルナで構いませんよミチカズさん。『さん』付けされてしまうと、なにかこそばゆいです」
「では俺のことも『ミチカズ』と呼んでください」
「わかりましたミチカズ、今日はよろしくお願いします」
「ええ、ルミルナさ……、ルミルナ」
つっかかりながら、名前を呼びなおす。ルミルナは笑顔でこちらの握手に応じてくれた。
「それならばミチカズ、俺のこともゲルドと呼べ。『さん』付けなど他人行儀だろう」
「……え? ゲルドさんを?」
「もっと、仲良くなりたいのだ」
ニヤリ、と笑うゲルドさん。どこまで本気なのか、よくわからない。そしてこちらに手を差し伸べてくる。
「わかったゲルド。よろしく」
「おうミチカズ、よろしく頼む!」
そしてこの場に居るのはもう一人、オーレリアだ。
オーレリアは特に何も喋らず、一連のやり取りを眺めていた。
「ちょっとオーレリア」
とルミルナが、肘でオーレリアの脇を小突いている。もちろん小声だ。
「昨日のことちゃんと謝ったの? まさかまだ何も言ってないわけじゃないでしょうね」
「謝ったわよ! もう気にしないで!」
ヒソヒソと、女の子同士のやりとり。俺はなんとなく、微笑ましく感じてしまった。
「では始めようか諸君。事情聴取というやつだ、書記を頼むオーレリア」
女の子同士の秘密会話を打ち切るように、ゲルドがテーブルへと俺たちを促した。
全員椅子に座る。
ゲルドがいくつかの書類をテーブルに置き、ルミルナは本を置いた。書記を任されたオーレリアはインク瓶のようなものをテーブルの上に用意し、紙を開いている。
事情聴取、そうか事情聴取か。警察などに関係してよく使われる言葉だ。
「そう硬くなるなミチカズ、半分以上は俺の興味を満たすためのものだ。あとはまあ、形式という奴だ。組織は形式が大事でな」
「はあ……」
表情に出てしまっていたかな? 俺は顔をもぞもぞ動かして、表情筋をリラックスさせた。別に隠したいことがあるわけでもないが、やはりこう改まられると緊張してしまう。
「まずはキミの身分を知りたい。どこの生まれ、どこの育ちなのだね?」
俺はいきなり困ってしまった。「えっと……」と言葉を濁す。なんと答えればいいのだろう。秘密にしたいわけじゃないが、単純にわからない。「日本」と言って通じるものだろうか。
俺が困っていると、ゲルドは「ふむ」と小首を傾げて表情を和らげた。
「失礼だが、キミが持っている短剣を見せて貰っていいかな?」
「え、あ? ――はい」
俺は言われるがままに、腰に差してある短剣を鞘ごとテーブルの上に置いた。「失礼」と言ってゲルドはそれを手に取ると、慣れた手つきで鞘から抜く。ブレードが光を反射して、キラリと光る。
「見事な短剣だ。ゼイナル殿の書簡によれば、これは西方部族に伝わる『勇者』が持つ短剣らしい。キミはその勇者ではないのか?」
初耳だ。……って、昨日まで言葉がわからなかったのだから仕方ないか。
あっ、と俺は気がついた。そう言えばこの短剣を見て、ゼイナルさんが俺に何かを言っていたっけ。もしかするとあの時、その話をしていたのかもしれない。
「……わかりません。実は俺、一部の記憶に混乱があって」
「そうか。じゃあ置いといて、次に行こう」
ゲルドさんは紙に軽いメモを取ると、書類をめくって次の質問に移った。
「先日、ガイアス帝国と自治都市同盟シュタデルにおいていくさがあったのを知っているかね?」
「いえ」
「うちの物見が、そこである事件を目撃したそうだ。ガイアス帝国のジ・オリジナルが、シュタデル側の兵を一人抱えて、空へと飛び去った、という出来事なのだが」
「えっ!?」
俺は思わず声を上げた。
こちらの世界にきたあとわからなかった俺の軌跡が一つ、ここで判明した。あれはやっぱり戦争だったのだ。俺は、いくさの只中で「ミチカズ」として覚醒したのだ。
「その連れ去られた兵士というのが、いわゆる『勇者』の一人だったらしいのだ。これは、キミではないのかねミチカズ?」
「それは……、たぶん俺だと思います」
「なるほど」
つまり、この肉体の持ち主はやはり最初から存在していたことになる。
俺は単純に異世界転生したわけではないようだ、この肉体の主の精神を追い出してここに入ったか、もしくは普通にその「勇者」とやらに転生したのち、突然前世の記憶を思い出したか。
「そのいくさ、――ガイアス帝国とシュタデルですか? その戦いは結局どうなりました?」
「シュタデルは占領された。またガイアス帝国の版図が広がったな」
「そうですか……」
俺がウィンクルムに連れ去られる際に、一人の女の子が飛び出してきた。必死な顔でこちらを見て、なにかを言っていた。彼女は、この肉体の持ち主とどういう関係だったのだろう。生きているのだろうか。
わからないが、生きていて欲しい、と俺は思った。身体の奥底から染み出るように、そう思った。
「記憶が混乱しているとのことだが、どこまでならわかるんだね? ミチカズ」
ゲルドがテーブルの上に両肘を立て、顔の前で手を組んだ。
今度は俺からの話が聞きたい、ということなのだろう。さて、なにを話すか、どこまで話すか。一瞬悩んで、――悩む必要がないことにすぐ思い至った。
今のところ、この世界でのしがらみは少ないのだ。そもそもこの世界に関係することを、俺はほとんど知らない。俺がなにを言っても、誰に迷惑が掛かるわけでもないだろう。そう悟ったら、一気に気が楽になった。
「信じて貰えるかはわかりませんが――」
俺はそう前置きして、語り始めた。
それは俺が元いた世界の話から始まって、日本という国のこと、そこでの俺の生活、そしてどうやらこちらの世界には転生してきた、という推測まで。
戦闘時などに見える白や赤の「ライン」については、伏した。
この場で言う必要を感じなかったからだ。
俺は現在、ゲルドや周囲の人を概ね信じているが、なにがどう情勢変化するかわからない。なにせ相手は国家機関に組みする人たちなのだ、個人の都合を超えた話もあるだろう。
俺が異世界転生説の話をしている間、ゲルドとオーレリアは口をあんぐり開けて、放心していた。ルミルナは興味津々といった顔でこちらを観察していた。例の目だ、視線が痛い。
俺はきっと、堰を切ったように話していたと思う。
これまで溜まっていた疑問に、一部とはいえ答えが見つかったのだ。やっと地に足がついてきた気がする。俺がここにいる、という実感が湧いてきた。それは、嬉しいことだった。
「にわかには、信じがたいが……」
ゲルドが疲れたように目頭を押さえて言った。
「どう思うねルミルナ」
そうですね、とルミルナが受ける。
「ミチカズは、ジ・オリジナルと同じ言語を喋っています。そしてその言語は、現在確認されているこの世界の言語とは、どれとも異なっている。わたしにわかる事実は、それくらいです」
オーレリアが遠慮がちに挙手をし、発言の許しを求めた。
「……昨晩わたしはミチカズと行動を共にしました。その席で、彼は『酒を飲んだことがない』と言っていました。『自分の国では二十歳まで酒は禁止』だとも。少なくともわたしは、これまでそんな国の話を聞いたことがありません」
「嘘を言ったのかもしれんぞ?」
「お言葉ですがゲルド隊長、あの場でそんな嘘をつく必要性をわたしは感じません」
うむ、とゲルドが頷く。
「俺も同意見だ」
ゲルドがこちらに鋭い目線を向けてきた。
「ゼイナル殿の書簡ともキミの弁は合致する。どうやら信じねばなるまいよ、突拍子もない話だがな」
☆☆☆
俺たちは朝食を取っていた。
ゲルドが予め用意させていたのだ、塔の二階まで届けられた簡素な朝食が、四人分。それは軍の糧食だという。
硬いパンをスープに浸して口に運ぶ。塩分多めなのが救い、といったスープだが、三人は黙々と食べている。俺がもそもそと食べていると、ゲルドが苦笑しながらこちらを見た。
「ま、軍の食事なんてこんなものよ。塩分だけには困らないがな」
はは、と俺も苦笑いで返した。コメントがしにくい。
「ところでミチカズ、おまえこれからどうするつもりなんだ?」
ゲルドがこちらを見たまま続けた。
「おまえの前身が組みしていたシュタデル自治都市は滅んだ。もちろん前身の記憶もない。ミチカズの話を信じるとして、おまえ行く先がないんじゃないか?」
「まあ、そうですね」
俺はスープをズズズと啜りながら応えた。
目的も、目標もない。元世界の俺が死んでしまったというなら、戻るという選択肢すらないのだ。根無し草ここに極まれり。
「なら当面の間、うちの軍に客分として身を寄せてみないか。給金は弾むぞ?」
「……スカウトですか? 俺みたいな小僧を」
「正確には、おまえとあのジ・オリジナルを、だがな」
ゲルドが目を細めた。
わかっている、選択の余地はない。ここで断ったら、このミリーティア国軍の不興を買うというわけだ。癪に障るので、ここは正直にいこう。
「選択の余地、俺にありませんよね?」
「まあそうだな。話が早くて助かる」
悪びれもせずに、ゲルド。
「幾つか条件があります。俺を、ウィンクルムから引き離そうとしないこと。軍組織の中に俺を組み込まないこと。そして、『俺たち』に自由な選択権を保証すること」
「保証できんと言ったら?」
「自暴自棄の徒となった俺はウィンクルムと一緒に暴れて、どこかに姿を眩ませます。次にお会いするときは敵対関係となるのでしょうね」
ゲルドはククと笑いを堪えたようだ。
「飲むよ。キミたちにはそれを実行するチカラがある。こちらとしても事など構えたくないのだ」
「それではお世話になります」
俺は立ち上がり、手を差し出した。
ゲルドも立ち上がり、俺の手を握る。
「『商談』成立だな。なぁに、ミチカズにとっても大きな利のある契約となるさ」
ガタン、と椅子を傾けて、ルミルナが立ち上がった。「じゃ、じゃあっ!」
「あのジ・オリジナルを調べてもいいですか!?」
眼鏡の奥で瞳がランランと輝いている。ちょっと怖い。
「それは、ウィンクルムに直接聞いて欲しいな。俺が許可できる話じゃない」
「ミチカズ、キミとウィンクルムは、どういう関係なんだね?」
「夫婦じゃな」
俺の通信機から、声が飛び出した。ブッとオーレリアがスープを吹く。
「ウィンクルム! また聞いていたのか!」
「カカカ、実はな、その端末の電源はこちらでオンオフすることが出来る。今後、面白そうな話あるところに我あり、じゃよ」
ウィンクルムはそう言ってまた笑った。
ルミルナがウィンクルムの調査作業の申し出をすると、それも特に断らない。考えてみれば、帝国とやらで幾らでも弄られていたのだろう。気にする理由などなさそうだった。ルミルナがはしゃぎすぎてテーブルのスープをこぼしてしまったのは、余談だ。
「歓談も最高潮になった折だが、さっそくミチカズに仕事の依頼がある」
わはは、と笑っていたゲルドが姿勢を正し、こちらを見た。
俺も笑いを収め、ゲルドの視線を受け返す。
「なんでしょう」
「機甲魔獣の討伐に、力を貸して欲しいのだ」
ゲルドはそう言った。




