前編だよ~
「トリックなんてそうそう思いつくわけないだろ……」
レンは、うなだれるようにテーブルに突っ伏した。
実に五回目のミステリー投稿落選だった。
「なあに? また駄目だったの? それでも五回くらいなら多いってほどでもないんじゃない? 世の中にはもっともっと投稿して駄目でもめげずに頑張ってる人がいるんだから。ちなみに私は六回目ね……」
テーブルの向こうでは、リサが乾いた笑みを浮かべていた。
寂れた居酒屋の一角で、二人は酔うか酔わないかくらいの酒を飲みながら、何度経験しても慣れることのない落選の報告を語り合っていた。
レンとリサの出会いもまた、この居酒屋でのことだった。二人とも、落選すると決まってここでやけ酒を飲んでいたために、顔馴染みになり、打ち解けるまでさほどの時間もいらなかった。
時には励まし合い、時には同じ作家を志す者として互いに意見を交わした。
「どうだい? 今回、君は最終選考までは辿り着けたのかな?」
レンは、顔を上げてリサを覗き見る。
リサは長い金髪を後ろで結っていて、華美な服装を好む反面、これでなかなか熱心な読書家だった。そのギャップが堪らないのだと、レンは内心で思っている。
一方のレンは、ほりの深い顔に眼鏡をかけた、勤勉実直を絵に描いたような青年だ。
「また駄目だった……。五回全てが駄目ってことは、やっぱり何か理由があるのかなあ」
「俺と同じだね」
「そうだ。今ね、表現だとかトリックだとかの参考になりそうなものを見かけた時に書き留めておく用のノートを持ってるの。ちょっと幾つか話していくから、変なところがないか指摘してくれない?」
「へえ、いいね。実は俺もそういうことしてるんだよ。こっちは携帯にメモしてる。せっかくだから厳しめで意見を言い合おうよ」
「了解! それじゃあ私からね」
リサは意気込むと、足元のバッグからピンクの花柄模様のノートを取り出した。
リサの案
その日、シンジは憤っていた。
殺しを依頼した暗殺者が、本来の標的とは全くの別人を殺してしまったからだ。
「ストップ!」
すかさずレンが止めに入った。
「なあに? これからなんだけど」
リサは眉をひそめて抗議した。
「暗殺者がどうして当たり前のように出てくるのさ」
「ええ? いいじゃない別に。ちゃんと前後の文を読めば納得できるよ」
「そうかなあ」
「そうよ。それにあくまでも案なんだから、とにかく謎の部分を重点的に見てよ」
「悪かった……それじゃあ続きを頼むよ」
リサの案(続)
シンジが本当に殺してもらいたかったのは、とあるアパートの一階、105号室に住む若い男だ。それなのに暗殺者は、誤って106号室の住人を殺してしまったのだ。
当然、シンジは抗議した。にもかかわらず、暗殺者は電話口にてこう述べた。
「はは、悪かったよ。目が悪い上に、この辺りのことには疎くてね。だけどやっちゃったものは仕方ないだろう? 再度殺してほしい奴がいるなら、また新たに報酬を追加してもらわなきゃね」
悪びれることもなく笑い声まであげたのだ。
暗殺者も、シンジが既に犯罪者の仲間であり、声を大にして訴えることもできないと高をくくっているからこその物言いだ。暗殺者はこうも続けた。
「俺は今、Tホテルのロビーで寛いでるんだ。なんなら直訴してみるかい? 誰が俺だか分からないだろうけどね、はは」
これにはシンジも立腹した。
駄目元でTホテルにまで駆けつけると、ロビー内を見回し始める。
そこには、従業員服をまとったフロントの男性が二人と、ソファに腰かけている大学生ほどの男性、少し小太りの白人男性、関西弁の二人組の男性、帽子を目深にかぶった中年男性がいた。
……
「はい。ここまでよ」
リサは、ぱたりとノートを閉じた。
「それから何が分かるのさ」
レンの発言もごもっともである。
「この後にも続くんだけどね、ようするにシンジは、この中から見事に暗殺者を探し当てて再び暗殺させるのよ」
「……パワフルだね。なんていうかめちゃくちゃ過ぎて潔いよ」
「そう?」
「だって思ったよりもロビーの人が少ないから総当たりでなんとかなりそうだし、そもそも暗殺者はそんな軽率な真似をしないよ。だいたいさ、既に関係ない人が死んでるのに、そこを気にせず本来の標的を再び殺させるなんてシンジは最低だね」
「ちょっとちょっとちょっと! 確かに突っ込みどころは満載かもしれないけどね、今はそこはいいの。とりあえずのアイディアに適当な文章を絡めてみただけなんだから。それより分かった? どうしてシンジが暗殺者を発見できたのか」
「うーん……」
レンは、目を瞑って腕を組みながら唸った。
しばらくして彼の両手があがるのを見て、リサはにやりと意地悪げな笑みをこぼす。
「なあにい? ひょっとして分からないのかい? それで探偵が務まると思ってるのかね」
「探偵より作家になりたいよ。それでさ、答えはなんだい?」
レンは、解けなかったことを誤魔化すように酒を煽った。
「答えはね、少し小太りの白人男性よ」
「どうしてだい?」
「――目が悪い上に、この辺りのことには疎くてね――暗殺者はこんな風に述べていたのを思い出してね。つまり、日本と白人が住む国とでは数字に関する意識が異なるからよ。シンジが依頼したのは105号室の男の殺害。日本だと4は忌避されるから、アパートの101号室から順番に辿ると四番目の部屋こそが105号室になるでしょう? シンジはね、本当はこの四番目の部屋の男を殺してもらいたかったの」
ここまで聞いて、レンはようやく理解した。
「そうか。暗殺者が誤って殺した人が住んでいた106号室は、日本なら端から辿ると五番目だ。つまり4を特別視しない白人だからこそ、五番目の部屋をそのまま105号室と思い込んで、部屋番号をよく確認もせずに殺してしまったんだね」
「そういうことね」
渾身のしたり顔でリサは誇った。
「でもさ、軽いナゾナゾならともかく、投稿前提としてこれはどうなんだろうね」
「う……とにかく! 最近思いついたのはこんなものね。それにね、アイディアは内容じゃなくて使い方こそが一番の問題だと思わない? 今は即席の文章で紹介したけど、こういうのをもっと巧みに魅せる物語構成や表現力を鍛えていくのも手よね」
「一理あるね。さて、それじゃあ俺の番だ」
レンは、最近ガラケーから買い替えたスマホをもたつきながら操作していく。
リサはその間、店員にショートケーキを注文していた。甘党の彼女ならではだ。
「好きだね、甘い物」
レンはぽつりと呟いた。
「もちろんよ。ショートケーキはね、さくさくした生地のもいいんだけど、ふわふわした生地のも堪らないのよねえ」
リサの顔は緩み切っていて、今にもよだれを垂らしそうな危うさをはらんでいた。
惚れた弱みとはよく言ったもので、そうしたところも含めてレンは密かに好意を寄せているのだった。
「よし!」
レンは声を張り上げた。
レンの案
あるところに、超天才少年A太がいた。彼は勉強こそからっきしな反面、IQは200あったのだ!
(リサの呆れ声が響く)
そんな彼が今、猛烈に悩んでいることがあった。
解けないのだ。殺人に関係しているであろう暗号がまるで解けない。
「どう? 何か分かった?」
A太の幼馴染の彼女、B子が訊いた。
彼女は学年トップの成績を誇る優等生だったので、成績だけはてんで低いA太と合わせて凸凹コンビと呼ばれていた。
「駄目だ。まるで分からない」
A太の声は学校の教室にむなしく響いた。
「A太でも分からないなんてよっぽどなのね。これって本当に暗号なのかしら」
B子はそう言って、自分がA太に渡した暗号の書かれたメモ用紙を眺めた。
「どうだろう。だけど犯行現場にこのメモがあったんだろう?」
「そうよ。まさか私が第一発見者になるとは思わなかったけど……」
「どうにか僕が解いてみせるから、君は先に帰ってゆっくりと休みなよ」
A太は、彼女を労わるように言った。
なにせB子は殺人現場を目撃してしまったのだ。その精神的ショックは計り知れないだろう。
……
「終わりだよ」
レンはあっさりと告げた。
「それこそ、それから何が分かるって言うの?」
リサは盛んに目をしばたかせた。
「結局、A太は最後まで暗号の謎を解けなかったんだ。どうしてだか分かるかい?」
「ええ? だって暗号の文面さえ出てないじゃない」
「そうだね。そこはおいおい考えていくよ」
「それじゃあ情報不足過ぎない?」
「それも肯定するよ。その限られた情報の中から真実を見つけるのが探偵ってものだろう?」
「私だって探偵より作家がいいんですけど!」
リサは苦言を呈しつつ、先ほどのレン同様に目を閉じた。
ややあって、その目はかっと見開かれる。
「分かんない!」
「答えを教えてあげよう」
「納得できるんでしょうね?」
「この二人のいるところがどこだか分かるかい?」
「学校の教室にって出てるから、学年は分からないけど学校でしょう?」
「そうだね。そして暗号の書かれたメモ用紙だけど、普通さ、殺人現場で見つかった重要な証拠品であるメモ用紙を学生が持っていられると思うかい?」
「そりゃあ普通は警察が保管するでしょう。だからこれは賢いB子が本物を覚えていたかして、後から模写してA太に渡したものでしょう? あっ、ひょっとして、本物を確実に写せていなかったから分からなかったなんて言わないでしょうねえ」
「少し違うんだ」
「少し?」
「A太とB子は名前から分かる通り日本人風だ。と言うより日本人だと思っていい」
「……なんか、さっきの私の案とかぶってる予感」
「実はそうなんだ。この暗号はね、元々は英語で書かれていたのさ! それを賢いB子が成績の低いA太のために、真心こめてわざわざ日本語に翻訳して用意してくれたんだ。そして暗号は本来、英語のアルファベットの並びにこそ意味があったんだよ。だから日本語になった暗号から何か分かるわけもなかったんだ」
「横暴よ! 屁理屈よ! 情報不足も甚だしいわ! それこそただのナゾナゾじゃない! そんなの不採用に決まってるでしょ! 驚いちゃったわ、もうっ!」
リサはまくし立てるように続けると、はあはあと息を切らした。
「それは俺も分かってるよ。あまりに情報不足で分からないだろうということもね」
「それじゃあ、どうしてそれを話そうとしたの?」
いくらか落ち着いてきたリサは、酒と氷の入ったグラスをからんと鳴らした。
少しばかり酔いが回ってきたのか、普段は西洋人形のように白い頬にかすかな赤みが差している。
「暗号の内容もまだ考えていないことからも分かる通り、これの文面は本当に適当だよ。それでもそこから分かることはあっただろう?」
「普通は学生が証拠品そのものを持っていられるわけがないってところ?」
リサが訊くと、レンはおもむろに頷いた。
「今ってさ、もはやトリックのネタなんて飽和気味でたいがい出尽くしてきてるよね。だから、こんなナゾナゾ気味なものでもいいからさ、少しだけテイストの違う感じでやっていけないものかと模索してたんだ。もちろんこれなんて、このままでは理不尽な駄文でしかないし、ちゃんと英語版の暗号も含めてしっかり練らないといけないのは自覚しているんだけどね。だけどとりあえず、文面は物語を構築しながら後で幾らでも考えたらいいけど、謎はもうどうにもならないからさ、トリック解明までの発想をずらしつつ、色々と試していこうと思ったんだ」
「そうね。そうかもしれない。でもね、結局は見方の問題でもあるんじゃないかしら」
「たとえば?」
「化学は常に進歩してるでしょう? だからね、その時々で新しく登場したものを題材にするというのも手なんじゃないかしら。ひと昔前なんて、たとえば携帯電話を駆使したトリックなんてなかったはずでしょう? それが出来るのは、今を生きる私達の特権よ。トリックなんて出尽くしているようでいて、案外と未知数の広がりを持ってるものだと思うの。どちらが正しいとかじゃなくて、そうして臨機に応じていけるくらいのこと出来ないと、やっぱりミステリー作家にはなれないのかなあって時々思っちゃう」
リサはそう言って、再びグラスを揺らして音を立てた。
「そういえばさ、そのグラスの中の氷。それなんかも色々と派生したトリックがあるよね」
「ん?」
「凶器はつららで殺害後に溶けて証拠はなくなるってやつ」
「ありがちな凶器消失ね」
「似たようなので、凍らせた食べ物で撲殺してから解凍して食べるってのが割と沢山あるんだよね。これなら簡単に凶器にできるからレパートリィだけは増やせるけど、だけどオリジナリティはなくなるか……」
「そうねえ……そうだ! 逆にね、殺害後に凍らせるなんてどう?」
「どういうことだい? まさか遺体を冷やして死亡時刻をずらすなんてありがちなこと言わないよね?」
「……」
「ええ……」
「私達は科学者でもないし、自分でああは言ったけど、やっぱり特別な知識を活用するのって難しいのよね。それどころか化学捜査は常に進歩しているから、半端なトリックやアリバイだと見破られてしまうし、それを前提にすると殺人なんて本当にできなくなっちゃう」
「その辺はさ。科学に頼らなければいいんじゃないかい? 単にそういう捜査のなかった大昔とか、無人島のように孤立した場所を舞台にして書けばいいだけだし」
「それもそうね。それにアリバイなんてのも、自分のアリバイを作ろうとするんじゃなくて、全員のアリバイを無くすように行動させてみるとか色々あるしね。なんなら切り口を変えてみて、現代人が適当な昔にタイムスリップしてきて、現代の知識や科学で悪さするのを昔の人達が協力して暴いてみるとかそんなのでもいいかもね」
「そうそう。思いついたことはどんどん試していこうよ」
「そうねえ。でもやっぱりトリックと言えば密室よね」
「それこそ簡単に思いつくはずもないよ」
「だからね、今から私が適当な状況を出してみるから、それをどうやったら密室殺人に出来るか案を出し合ってみましょうよ」
「面白そうだね」
「それじゃあ話すよ」




