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争奪ゲーム 二つの約束編

作者: 黒川 想流

久しぶりの投稿となります。今回は一年前から考えていた話を書きたくなったので書いてみました。書き方も以前とはかなり変えたので良くなっているとは思います。最後まで読んでいただけると幸いです。それではお楽しみください。



「死んじゃった人が天国に行く地獄に行くかは天使と悪魔が『勝負』して決めるんだよ」

 天気の良い昼下がり、自宅のリビングにあるソファで俺の右隣に座る、茶髪のサイドテールの温和そうな女性は優しい声でそう言った。その女性の名前は塩森(しおもり) (まい)。俺と、女性の右隣に座る妹の母親だ。俺の名前は優一(ゆういち)。そして妹は有愛(ゆあ)だ。

今、母から聞いていた話はこの国で古くから言い伝えられている話だ。



 目を開けると見慣れた景色、自分の部屋だ。俺が寝ていたベッドの横にあるカーテンの隙間からは日の光が差し込んでいた。

(懐かしい話だ)

 夢から目覚めた俺は天井を眺めたままそう心の中で呟いた。俺と妹が幼い頃の出来事だ。母があの話をしたんだったな。この世界で死んだ人が天国に行くか地獄に行くかを天使と悪魔が『勝負』をして決めている。子供の時はその話に興味を惹かれていたが、大人になるにつれて自然と忘れていた。

 時計を見ると時間は午前七時すぎ。昨日は早めに寝たから気持ちの良い目覚めを迎えられた。体を起こしてベッドから降り、掛け布団を整える。それから壁に掛けてある制服を取り俺は寝間着を脱ぎ制服に着替える。着替え終わった俺はカーテンと窓を開け、外の空気を吸う。一度深呼吸してから窓を閉める。その後、俺はベッドの横に置いていた学校の鞄を持ち、部屋のドアを開けて廊下に出た。



 階段を降りてリビングに向かうと妹の有愛と母が先に朝食をとっていた。朝食はご飯に味噌汁、焼き鯖、卵焼き、そしてほうれん草の胡麻和え、と一汁三菜で出来た典型的な和食の朝食だ。有愛は同じ制服の女子用を着ている。中学生になった時から長い髪をポニーテールにするようになり、今もそうだ。髪の色は母親の遺伝か茶髪だ。

「あら、おはようユウ」

 母は俺を見るなりそう言った。思い出せば母はあの頃とあまり変わっていないな。「おはよう」と俺は返し、鞄を近くにあるソファに置くと、自分の朝食が置かれている前の椅子に座った。真横にある椅子に座る有愛にも「おはよう」と言ったが、もちろん返事は無い。少し前から有愛は俺に対して冷たい態度を取るようになった。話し掛けても返事が返ってくる事は滅多に無い。だから返事が無い事は予想通りだった。ちなみに返事がきたとしてもその内容は暴言や罵倒するような内容でしかない。俺は特にその事を気にしてはいなかった。有愛は中学二年生。この年にもなればこんな事になるのは当然だろう。

「少し前まではお兄ちゃんお兄ちゃんって可愛かったんだけどな…」

「兄貴、誰に話し掛けてんの?キモいんだけど」

 しまった、口に出てた。これはまた嫌われてしまうな…。気にしていなかったつもりだったが心のどこかでは気にしているのかもしれない。嫌われるよりは嫌われてない方が良いしな。しかし、嫌われない方法を考えたところでお年頃の彼女に嫌われないなんて枯れ木に花が咲くようなくらいありえない事だろう。などと考えている内に有愛は朝食を既に食べ終えていた。

「ご馳走様、それじゃ行ってきます」

 妹は恐らく母に向かってそう言うと椅子から立ち上がり近くのソファに置いていた鞄を持って家を出た。

「いってらっしゃーい」と母が言っている内に俺は妹の後を付いていく為にご飯を口に一気に掻き込んだ。口にご飯が溜まった状態で俺は「行ってきます」と言って鞄を持って家を出ようと思ったが、忘れている事があり、立ち止まる。

 リビングにある仏壇に俺は近付いて座り込んだ。そこにある写真は若い頃の父の写真だ。父の名前は力一(りきひと)。 髪色は黒く、前髪が鬱陶しいといつも髪型はオールバックにしていた。厳格そうな見た目をした父だが、俺が知る限りではいつも笑顔で優しすぎる人だった。

 そんな父は七年前、交通事故に遭いこの世を去った。あんなにも優しい父が事故に遭ってしまうなんて信じたくなくて当時の俺はその事実を認めようとしなかった。しかし、いずれは認めざるを得ず泣きじゃくった記憶がある。妹は幼かったためその状況を理解出来て居なかった。母は俺達の事を思ったのか涙を流す事は無かった。でもその時の母の顔は辛そうだと当時の俺でも読み取れた。

 そんな過去の事を思い出しながらも手を合わせて拝んだ後、「行ってきます」と父にも言い、俺は今度こそ家を出ようとした。

 すると、母が俺を突然「ちょっと待ちなさい」と呼び止めた。振り返ると母は「気を付けなさいよ」と言って微笑んだ。この母の言葉はただの注意では無い。父が事故で亡くなってから母は心配性になって、毎日のように気を付けろと促してくる。それは俺自身が用心しろという事でもあるが、それ以前にまだ中学生の妹を見守れという意味でもあった。これは母との約束だ。

 俺はコクッと頷いて有愛の後を追って家を出た。


 周りは同じ学校に通う人が多くて有愛の姿を見失いかけた。だが、直感で有愛を見つけた俺は彼女の少し後ろまで走り、そこからは一定の距離を維持して歩く。横に並ばないのは兄妹で仲が良いと周りの人に思われて有愛に嫌われるところまでが予想出来たからだ。ちなみに、有愛は学年内でいろんな人に話し掛けられるくらい中心となる人物で、皆から慕われている。一方、俺は気の合う仲間と教室の端で話してる、所謂『陰キャラ』というものだ。そんな正反対な存在だから尚更、仲が良いとは思われたくないだろう。

 俺は高校三年生だが、何故妹と登校しているかと言うと、同じ学校に通っているからだ。俺達が通っている学校は中高一貫校だから学校内でも会おうと思えば会える。もちろん会いに行こうものなら蹴り飛ばされかねないから会いに行こうとは思わないが。

 今日は快晴で、風が気持ち良くて気分が良い。このまま平和な一日を送れると良いな。


 まるで神様が微笑んでいるかのように、今日の学校は嫌になるような出来事も起きず、普通に授業を受けて、休憩時間には普通に友達と話して、午後には普通に学食で適当に食事をとり、それから午後の授業を普通に受けて下校。 全てが普通、いつも通りの日常を送った。俺は勝手にもう今日も一日平和だったと思い込んでいた。


 俺は授業が終わったら、すぐに校門に出て有愛を探す。有愛は母が俺に家まで付き添って貰えと言ってる為、友達とは帰らず俺が後ろに付いて行って一緒に帰らなければいけないという状態にあった。こういう事からも嫌われているのかもしれない。まぁ、俺にはこれをどうする事も出来ないが…。母に心配しすぎだと説得する事も出来るかもしれないが、それでもしもの事があれば俺は罪悪感に押し潰されるだろう。世の中には危険がたくさん潜んでいる。心配性なくらいがちょうど良いのかもしれない。

 周りを見渡すと門の前でスマホを弄りながらチラチラと周りを見ている有愛を見つけた。ちょうど俺が見たタイミングで有愛も俺に気付き、一瞬目が合った。その目はまるで不審者を見るような目だったが、何も感じない。もう慣れたものだ。有愛は俺と目が合った直後、家へ帰る道を歩き始めた。俺に合わせる気はもちろん無い。俺は有愛との距離感を維持しつつ共に家へと向かう。


 学校を出て、表の車通りが多い交差点まで来た時の事だった。今日の有愛は、やたらとスマホを見ていた。周りの他人が危なそうだと不安になるくらいに。あまり話し掛けたくないが、流石にスマホを見過ぎていたから注意をしようと近付いた。

「おい、歩きスマホなんかするな。危ないだろ」

 有愛の肩を叩いてそう言った。しかし、それが悲劇を生んだ。今日の有愛はいつもより機嫌が悪かったのかもしれない。いつもならうざったそうな顔をしながらも一応注意は聞く。だが、今日は違った。しかめっ面で俺の方へ振り返り、「うっせーんだよ!クソ兄貴!」と言い放った。そこまでは別に良かった。そんな事を言われるのはよくある事だ。そのあとだった。有愛は前をちゃんと見ずに横断歩道へと走り出した。その時、歩行者信号が光っていたのは赤。立ち止まっている人のシルエットの方だ。

「おい!まだ信号は赤だぞ!!」

 俺は咄嗟に有愛を止める言葉が出た。だが、体は動かなかった。ちょうど有愛が横断歩道の真ん中に行った時、左からはタイミングが良すぎるくらいにかなりのスピードが出ている軽自動車が来ていた。それにも気付かず有愛はその車の前まで飛び出した。

 それと同時に心臓にまで響くような鈍い音がして目の前から有愛の体は消えた。車は一切スピードを緩めれていなかった。そしてその時ハンドルを思いっきり切ったのか車はその後、近くにあったコンビニに突っ込んだ。店のガラスが割れる音、店の物を壊す音がここまで聞こえた。道路には倒れている有愛が居て、どこからか分からないが道路に凄い量の血が流れていた。だが、俺はもう何も分からなかった。目は見えているはずなのに目の前が真っ暗になった気がした。もう体も動かなくてただ立ち竦むしかなかった。

 周りの人がすぐに救急車を呼んでいたが、救急車のサイレンが聞こえてくるまで何も無い地面をずっと俺は見ていた。



 周りは全体的に白い風景、そして独特な消毒液のような臭い。近くには緑色のソファ。俺はそのソファに座っていた呆然としていた。ここは病院か。そういえば有愛が運ばれる時、俺も救急車に乗ってここで待てと言われたんだった。俺はもう何も考えれていなかった。有愛が事故に…?嘘だ。嫌だ。信じたくない。あの時と同じだ。父が死んだと教えられた時と何も変わっていない。すぐにはその現実が受け入れられない。

 しばらくして病院から連絡を貰ったのであろう母が廊下の奥から早足でこちらに歩いてきた。母の顔は動揺しているような顔ではなく、もう今にも泣き出しそうな顔だった。

 呆然としている俺の前まで来た母は俺に問いかけた。

「何で止めなかったの?」

 俺は何も答えられなかった。言葉ではすぐに止めようとした。だが、有愛は止まらなかった。すぐ追いかけて無理にでも止めていたらこんな事にはならなかった。そう考えると止めようとしたなんてただの言い訳にすぎないと思ったから。それにここで責任を逃れても結果は何も変わらない。

「「ごめんなさい」」

 俺と母は同時に謝った。俺の謝罪はただ、有愛を守れなかった事、そして有愛を守るという母との約束を守れなかった事への申し訳ない気持ちの言葉だった。

 自然と俺は膝の上に乗せていた手に力が入り拳を強く握っていた。

「ユウだって辛いわよね…。なのに当たるような真似してごめんなさい…」

 母の目からは涙が零れ落ちた。その涙は自分の怒りを息子にぶつけようとした自分への悲しさも含まれてるんだろう。

「何でこんな事になるの…」

 母は隣に座って手で顔を覆っていた。母のすすり泣く声が聞こえる。俺は何も出来なくてただ黙って床を眺めていた。


 俺は病院の廊下をポツポツと歩き、外に向かっていた。医者の話によると有愛の体はあらゆる臓器などが破裂していて運ばれた時には既に手遅れだったらしい。あの速度の車にぶつかったんだ、それも当然だ。少し考えれば分かる事だったが、一命を取り留めている可能性を信じたかった。ちなみに有愛を轢いた車の運転手、名前は郷野(ごうの) 重康(しげやす)。 年齢は21。その男はシートベルトをしていなかったらしく、有愛に衝突した衝撃、そしてその後のコンビニに突っ込んだ時の衝撃などで頭を打って出血し、病院に運ばれた後に出血多量で亡くなった。

 俺は怒りが湧いていた。それはその男にではなく、自分にだ。道路交通法上では相手が悪いかもしれないが、明らかに有愛の過失だし、それにもう亡くなっている事を考えると怒ってもどうしようもないとも思った。それよりも止められなかった自分が許せなかった。今日は二人も死人が出た最悪な日だ。

 いろいろと事故に関しての話があったようだが、それは母に任せて俺は帰る事にした。家族が…いや、大切な妹が死んだ。その話を聞いているのが耐えられなくて逃げてきた。母だって辛いのにその現実は母に押し付けて自分は逃げる。卑怯で弱い、最低な人間だ。こんな兄だから嫌われていたんだろう。

「有愛のために何かしてやりたかったな」

 俺は病院から出た所で空を見上げてそう呟いた。沈みかけている夕日によって辺りは綺麗な橙色に染まっていた。その夕日を見ながら俺は妹との思い出を甦らせていた。八年前は小学校に手を繋いで一緒に登校したり、公園で遊んだり、一緒にお風呂に入ったりもしたな。その頃は事ある毎にお兄ちゃんお兄ちゃんって一人じゃ何も出来ないのかって鬱陶しい時もあった。でも今思うと何も悪いと思えない。全部楽しい思い出だ。

 そうやって過去の事を思い出している内にとある事を思い出した。


<死んじゃった人が天国に行く地獄に行くかは天使と悪魔が『勝負』して決めるんだよ>


 今朝見た夢。そしてこの国にある言い伝え。もしそれが本当なら。

「せめて有愛を天国に行かせてあげたい…」

 自然とその想いは口に出ていた。有愛は確かに歩行者信号が赤なのに道路に出るような事をした。だが、それは本人の意思じゃない。俺に反抗した末で起きてしまった事故だ。悪いのは俺だ。有愛は天国に行くべきだ。その考えは間違いではない。そう言い切れる自信があった。だが、問題は…

(天使…ってどうやったらなれるんだ?)

 この現実でこんな考えをしている時点で俺の頭は異常なのかもしれない。だが、もしその話が本当だったなら。ここでそんな事ありえないと否定して何もしなかったら。俺は何かを失う。そんな気がした。例え現実離れしたような事でも、ほんの少しでも可能性があるならその可能性を信じたい。やらずに後悔よりやって後悔。その言葉が今こそ活きると思った。

 でも、天使になる方法なんて思い付かない。何かの儀式をするか…?例えば降霊術的なもので神様を呼んで天使にさせてくださいって頼むとか…。でもそんな簡単な事でなれるんだったら笑い話だな。

 様々な方法を考えていた、その時だった。近くは同じ学校の生徒の下校通路。同じ学年の一度話したことがあるかどうかくらいの女子二人組が目の前から通り過ぎようとしていた。彼女等のしていた会話の内容が耳に流れるように入ってきた。

「最近、そこの駅の近くで天使になりたい人は居るかーとか言ってる変なお爺さんが居たんだよねー」

「なにそれー、怪しすぎでしょー」

 二人にとってはちょっとした世間話だったのだろうが、俺にとっては特大ニュースだった。タイミングが良すぎて寧ろ不安にもなった。しかし、この手を逃す訳にはいかない。

 通り過ぎた彼女等をすぐに追いかけ、右の女の子の左肩を俺は軽く掴んだ。

「ちょっといいかな?」

「えっ?あ、確か塩森くんだっけ?どうしたの?」

「そのお爺さんの話詳しく聞かせて」

 俺は彼女の話を聞いて、そのお爺さんが居た場所を教えてもらった。何でそんな興味があるのか問われたが、話す時間も惜しかった俺は「ごめん、その話はまた今度!」と言ってすぐにそのお爺さんが居たという場所へと向かった。



 駅前から少し離れた所、近くに大手の家電量販店などがあるその裏の道。日の光が建物に遮られてあまり入らない暗めの場所。簡単に言うと路地裏だ。そこを偶然通った時、先程の彼女はそのお爺さんと会ったらしい。

 ちょうど彼女が言っていたであろう場所に着いてその路地裏を進んでいた。少し行った所に曲がり角があって、そこを曲がる気は無かったが、その先を一応俺は見た。その先の光景を見て俺は一瞬戸惑った。そこには如何にも怪しげな人が居た。黒いローブでフードを深く被っている。フードで鼻辺りまで隠れてはいたが、口元は見えていて、少し白い髭が見えていた。そして、まるで占いでもするかのように水晶を置いた机。客用の椅子まで用意されている。俺は少し恐怖心を抱きながらもその人物に近付く。

 手を伸ばせば触れられるであろう距離まで近付いた時、そのお爺さんは言った。

「天使になりたいか?」

 俺はその言葉に半信半疑になりながら答えた。

「なりたい。いや、ならせてくれ」

「ほう、そうか、ならとりあえずそこに座れ」

 少し悪そうな笑みを浮かべながらそのお爺さんは椅子を指差した。俺はその態度に少し怒りを覚えた。これでインチキ野郎だったらどうしてやろうかと。だが、今はそのお爺さんを信じるしかない。俺は言われた通りにその椅子を引いて座った。

「まずはお主に確認したい事がある」

「なんですか」

 俺はもう迷わず食い気味に聞く。もしこのお爺さんが実は何も出来ない人ならこんなに熱心な俺を見たら少しは動揺してもおかしくない。だが、そのお爺さんはニヤニヤとしながら俺の方を向いている。

「お主は人を殺した事があるか?」

 そう聞かれた瞬間、俺の心臓は強く脈を打った。すぐ頭の中に有愛の姿が浮かんだ。俺が実際殺した訳ではない。だが、止められなかった俺は実質殺したようなものだ。『見殺し』という意味では。

「僕が危害を加えた訳ではないので、見殺しという意味では殺した事になりますかね」

 俺は俯きながらそう答えた。するとお爺さんからは信じられない一言が返ってきた。

「妹さんはお主に殺されたなどとは思っておらんよ」

 俺はその瞬間思わず、顔を上げて彼を見ると同時に思わず、仰け反るように椅子から立ちあがった。反動で椅子は後ろに下がる。

「何で、そんな事が分かるんですか…!?」

 俺は目を見開いたまま、心の中で思った事を率直に聞いた。

「天使になったらお主はこの世界に戻ってこれなくなるが、それで悲しむ人が居るという事には気付いているのか?」

 お爺さんは俺の質問には答えずそう続けた。俺は質問に答えられなかった事はもうどうでも良かった。この人が何者であろうと只者では無い事に変わりはなかった。

「悲しむ人…?」

 俺はそう聞き返しながらもすぐに一人顔が浮かんだ。それは母の顔だった。

「彼女は家族と生活出来る事が何よりの幸せなんじゃ」

 お爺さんは俺が母の顔を浮かべた事に気付いた上でそう続けている。ただ頭が良いとかそんな単純なものではない。もっと凄い何かを感じた。そして今言われた事について考えた。母は夫を失い娘も失った。そんな状況で俺までこの世を去ったものなら俺はただの親不孝者でしかない。母の為にも俺は生きるべきか。自然に天使になれるというこの不思議な状況には俺は順応していた。

 俺は少し考えた後、お爺さんに背を向けて、携帯を取り出し母に電話を掛ける。少し呼び出し音が続いた後、母は出た。


「もしもし?」

 少し時間も経って落ち着いたのか、病院で聞いたのとは違う、いつもの母の声だった。

「もしもし、あのさ、突然なんだけど」

 俺はそこまで言って少し間を空けた。これから言う事が良く考えるとおかしい事でしかなくて少し戸惑ったからだ。

「有愛を天国に行かせてあげたいから天使になろうと思うんだ」

 恐らく母は電話越しで驚いた顔、もしくは呆れた顔をしているだろう。どちらにせよ俺は真剣に相談する。恐らく母は天使になるというのが例の言い伝えの事が理由だと察したのだろう。

「そう、好きにしなさい」

 母の声は冷たいように聞こえた。怒りは感じないが怒っているようにも聞こえる。

「でも母さんを置いて行くのも嫌なんだ…どうしたら良いと思う?」

 俺は母の気持ち次第でどうするかを決めようと思った。俺はこんな状況で母に全てを任せるような駄目人間だ。だけど、だからこそ誰かのために行動したい。罪滅ぼしをしたい。

「私はあなただけでも居てもらいたい」

 そう母は呟いた。そうだよな、家族三人から今日だけで一人になるなんてどう考えても辛いよな。有愛の事はこの世界から天国に行けるよう祈ろう。そう思った時だった。

「だけど、約束を破るような人にはなってもらいたくない」

 約束。その言葉で父が死んでからの七年間を思い出した。有愛を守れと言われてきた七年間を。

(そうだ)

 母の二つの想い、どちらかは裏切らなければいけない。母もそれは分かっているだろう。この世界は思った通りにはいかない。『二兎を追う者は一兎をも得ず』つまり、どちらかを選ぶべきなんだ。そして母も恐らく後から強く言った方が選んでほしい選択なのだと俺は感じた。

「ごめん母さん。俺は約束を果たすよ」

 俺がそう言うと母は少しふふっと笑い「頑張ってね」と優しい声で囁いた。その声は俺の困惑や恐怖、焦りなどいろんな感情を抱いていた心に落ち着きを取り戻させてくれた。

 その後、俺は携帯を閉じてお爺さんの方を振り返る。

「話は終わりました。僕を天使にしてください」

 俺の中に迷いはもう無かった。真っ直ぐな目でお爺さんを見る。その時、目が合っているような気がした。お爺さんは俺の目をフード越しに見ているのだろうか。数秒の沈黙があった後、お爺さんは嘲るように笑って言った。

「良かろう」

 お爺さんはそう言って立ち上がる。これから何をしたら天使になるのか想像も出来なかった俺は立ちあがったお爺さんに驚いて身構えた。お爺さんは身構えている俺を気にかけず近付いてくる。目の前まで来たお爺さんは少し動きが止まった。その様子に違和感を覚えた俺が少し戸惑っていた。その瞬間、お爺さんは見えない速度で腕を伸ばし、俺の頭を鷲掴みする。

「なっ…!?」

 突然の出来事に俺はその腕を掴もうとした。だが、その腕に手を伸ばした時にはもう俺は体に力が入らなくなっていた。俺の目からは光が失われ、目の前が真っ暗になり意識を失った。



「―――さい、――――起きてください」

 優しげな女性の声が聞こえて目が覚める。ぼやける景色が鮮明になるまで俺は瞬きを続ける。ようやく周囲の様子を確認出来るようになって俺は少し身を起こして周りを見渡した。そこは今まで見た事も無い景色だった。日に照らされてる訳ではなく電気による光も無いのに全体的に明るい普通では考えられない景色。かと言って全てが不思議な訳ではなく至って普通な建物もある。地面はコンクリートなどではなく、白いふかふかのクッションのような物だった。そうして周りを確認していた時、目の前に女性が立っている事に気が付いた。

「大丈夫ですか?」

 彼女に気付いた時、彼女は俺に話し掛けた。長いさらさらの金髪。大人びた声に反して年下だと思わせるような若い顔。それでありながら包容力のありそうな優しげな顔でもある。服は白いドレスのような物を着ている。そして頭上、数センチ浮いた場所には黄色と白の間のような色で輝き、ドーナツのように真ん中に穴が開いている輪。アニメや漫画で良く見る天使の輪か。全てにおいてまさに天使と言わんばかりの容姿だ。

「ここは…?」

 俺は戸惑いから問いに答える事を忘れていて質問し返してしまった。だが、俺はその事に気付かず周りをきょろきょろ見渡す。

「ここは天国ですが…あなたはもしかして天使に選ばれた方ですか?」

 天国。その一言で俺は少し前の出来事を思い出した。

「そうだ、変なお爺さんに頭を掴まれて意識を失ったんだ。それで気付いたらここに」

 俺は思い出した事を彼女に伝える。彼女を年下だと勝手に思った俺は自然と敬語で喋りはしなかった。彼女は少し不思議そうな顔をして言った。

「お爺さん…?それより天使に選ばれた人は正門の方から入ってくるはずなんですが…。こんな事もあるのでしょうか…」

 状況を推測しているのか俺に聞こえるか聞こえないかくらいの声で彼女は呟いていた。俺は気になる事もあったがそれ以前にするべき事を思い出して彼女に問う。

「そうだ、『勝負』は…どこでするんだ?」

 有愛を天国に行かせる。その為に来たんだった。それが叶わなかったら来た意味が無くなってしまう。だから早く『勝負』をしたかった。

「『勝負』…もしかして『争奪戦』の事ですか?」

 『争奪戦』言い伝えにあった『勝負』の事は『争奪戦』が正式名称らしい。

「死んだ人を天国に行くか地獄に行くかを決める勝負。それがしたいんだ」

「それなら争奪戦の事で間違いありませんね。それでしたらあちらですが…」

 彼女はそう言って奥の方に見える高層ビルに手で指し示す。俺は立ち上がってすぐに向かおうとして歩き出した。起きてすぐだからか少し足元がおぼつかない。彼女は俺の隣を付いて来ながら問いかける。

「あなたは争奪戦の為に来たのですか?」

「あぁ。妹を天国に行かせてあげたかったから来たんだ」

 そう答えると彼女は少し黙り込んだ。何か言いたそうな顔に見えた気がした。しかしそれから彼女が発した言葉は「そうですか」という一言だけだった。


それから沈黙の中、奥に見えるそり立つビルに向かっていたが、その静寂に耐えられず俺は口を開いた。

「ところで君の名前は?」

 自己紹介もしてなかった事を思い出して、これから関わりがあるかも分からないが、知っておいて損は無いと思い尋ねる。

「あ、ちなみに俺は塩森 優一。苗字でも名前でも好きに呼んでいいよ」

 人に名前を聞く時はまず自分から名乗るものだとよく言われてる事を思い出して先に自分の事を喋った。

「私は…ミカです」

 そう返されて俺は少し困惑した。

「苗字は?」

 『ミカ』と聞いて流石に苗字だとは思えなかった。名前で呼んでいいという意味が込められていたのかもしれないが、いきなり名前で呼ぶのは少し抵抗がある。

「苗字は…言えません」

 そう言って彼女は俯く。何か苗字に嫌な思い出でもあるのだろうか。ともあれ本人が言いたくないなら聞かない方が良いだろう。

「そっか、じゃあミカさんって呼んでいいかな?」

「はい、それで構いません」

そこまで話すと再び静寂が広がった。緊張しているようには見えないからただ話したくないのだろうか。あまり深入りするのも良くないだろうからプライベートな会話はしないようにしよう。


 それからビルの入り口に辿り着くまで会話は無かった。だが、そこでミカさんは口を開いた。

「こちらが『境界の地』です。ここには地獄に居る人、つまり悪魔の人達も来る事が出来ます。そしてこの境界の地の最上階、そこに争奪戦が行われる部屋、『争奪場』があります」

 彼女が細かく説明してくれている間、俺は彼女の目を見つめていた。彼女が説明し終わると俺は彼女から目を離してビルを見上げて一度深呼吸する。

(待ってろよ有愛。今約束を果たすからな)

 そう心の中で呟いて俺はビルの自動ドアの前に立った時、ガラスに反射して自分の姿が見えた。着ているのは学校の制服で至って普通。かと思えば頭の上には天使の輪。

(そうか、俺は本当に天使になったんだ)

 その姿はそう自覚させてくれた。

(ってか自動ドアとかあるんだな)

 俺は天国でも現代的な設備がある事に驚きつつも歩いて中に入った。彼女はただ後ろから付いて来てくれている。入ってすぐの場所は恐らく待合室のようだった。カウンターに受付と思われる女性が立っていて、その前にはソファが何個も平行に並んでいる。その風景は地上にある建物の内装と何ら変わらない。だが、すぐに地上と違う点は見つかった。天使の輪が付いている他の人が居た。そして…

(あれは悪魔か…)

 俺はソファに座っていた人の一人に目が行った。そこに座っていた人は見た事がある。数ヶ月前にニュースで通り魔事件の犯人として映っていたはずだ。後日、刑務所の中で自殺したというニュースも見た。だが今の姿はその時の『ニュースで見た姿』とは違う。頭に二本の赤黒い角が生えている。恐らくあれが悪魔の象徴なんだろう。などと考えていると、俺の視線に気付いたのかその男はこちらを睨んできた。俺は咄嗟に目を逸らしてカウンターの方へ向かう。流石は元犯罪者と言ったところか。彼の眼光は只者じゃないと感じる程だった。


「こんにちは。今日はどういった御用件でしょうか?」

 カウンターの前まで来るとそこに居る女性はそう言った。その女性もまた白いドレスのような物を着ている。天使になっている人が全員着ているわけではない。後ろのソファに座っている人には地上であるようなカジュアルな服装をしている人も居る。何か特別な人はこのドレスを着ているのだろうか…

「塩森有愛の『争奪戦』に参加したいのですが」

 俺はその人にそう尋ねる。すると彼女は目を閉じて俯いた。

(えっ、何で急に寝たんだ)

 そう思って手を伸ばした瞬間、彼女は目を見開いてこっちを見た。俺は思わず退いた。

「こちらでしょうか?」

 彼女は優しげな顔でそう聞いてきた。その瞬間、彼女の後ろにあった棚から紙が一枚、独りでにふわふわと飛んできた。その紙は目の前まで飛んでくるとその位置から動かずにふわふわしていた。驚いて体が一瞬動かなかったが、取った方が良いのだと察してその紙を掴んで書いてある内容を見る。

『塩森 有愛 14歳 死因 交通事故』

 その紙はまるで履歴書のように見えた。名前と死因の先には有愛の顔写真もある。その下には身長や体重、スリーサイズなど様々な個人情報が書いてある。中には兄である俺でも知らなかった事まで。一通り見終わって最後にもう一度写真を見る。間違いなく俺が知っている有愛の顔だ。にしても事故に遭うまでの顔と一切変わらないその写真に疑問しかなかった。最近撮ったとしたらいつどこで撮った物なのか。だがそんな事はどうでも良かった。

「間違いありません。彼女です」

 そう言って彼女にその紙を返そうとすると紙はまた独りでに飛んで棚へと戻った。紙に意思があるのか彼女が操っているのか…。どちらにしろここは普通の『世界』ではない、『異世界』に居るという事を改めて分からせてくれる。

「彼女の争奪戦は明日行われます。天使代表として立候補しておきますか?」

 受付の女性がそう尋ねる。立候補しておけば明日、有愛の行方を左右するこの戦いに参加出来るのだろう。俺は迷わず答えた。

「はい、お願いします」

「ではお名前をご提示していただけますか?」

「塩森優一です」

 名前を言うと受付の女性は再び目を閉じた。少し待っていると「立候補が完了しました。明日の午後十二時に再びこちらへお越しください」と目を開いて言った。とりあえず他にする事も無かった俺はミカさんを連れてその建物から出た。


 外に出たのは良かったが、俺はすぐに立ち止まった。

(明日までどうしよう)

 今すぐにでも有愛の為に何かをしたいが、勝負が明日となると今すぐに出来る事は特に無いよな…。

「ってか今日どこで寝ればいいんだ!?」

 明日までの時間の潰し方を考えている時に俺は気付いた。寝る場所が無いと。

「あ、それでしたら天国に来たばかりの人達が集まる宿がありますが…」

 後ろに居たミカさんがそう呟く。

「そんな親切な場所があるんだね。流石天国」

「案内しましょうか?」

「是非お願いします」

 俺は思わず畏まって深く頭を下げる。彼女の顔は見えなかったがその時「ふふっ」と笑みをこぼしたのを聞き逃さなかった。だが、顔を上げた時には彼女は先程までと変わらない顔をしていた。



 その後、彼女に案内されながら俺はいくつかの疑問が浮かんでそれを尋ねた。

「そういえば、争奪戦って最初はどうやったんだ?」

「どうやったと言いますと?」

 俺の語彙力が無さすぎて彼女は質問の意味が分からなかったのか聞き返した。

「この争奪戦がいつから始まったか分からないけど、最初って天国にも悪魔にも人が居なかったんじゃないかって思ってさ、誰も居ないんじゃ勝負しようが無いだろ?」

 俺は可能な限り分かりやすく説明するように聞く。

「なるほど、そういう事でしたか…では、全てを一から説明しましょう」

 彼女はそう言って語り始める。

「こちらの天国とあちらの地獄、それらは『人』という生物、正確には『新人類』が生まれたその時、全能神ゼウスによって誕生しました。恐らく約二十万年前ですね。そしてそれと同時に天国と地獄に大天使と悪魔王が一人ずつ誕生しました。…名前は知らないのですが」

 俺はそこで話を割って入った。

「その大天使と悪魔王が天使と悪魔を増やしたのか」

 自信満々で勝手な推測を話すが「いえ」とすんなり否定された。

「確かにそう思うかもしれませんが、争奪戦では無くても天使と悪魔は勝手に増えます」

 俺はそう言われて首を傾げる。何故なのか気になり、次の彼女の言葉を待っていた。

「倫理的に悪い事をすれば争奪戦の対象ではなく直に地獄に行くのです。逆に人助けなどの良い行いをしていれば天国に来ます」

「なるほど」

 つまりは争奪戦の対象になるのはどちらでもない普通な人ということか。有愛はどちらでもなかったから争奪戦の対象になっていた。

「それから、勝手に天使と悪魔は増えて行きました。もちろん争奪戦も行われていましたが、大天使は最初の頃はあまり参加していません」

「なんで?」

「あっ…えーと…理由は知りません…」

 彼女は何か気まずそうに顔を背ける。

「ちなみに、この世界に居る人達の体が見えて居ると思いますが、実際に体が存在する訳ではありません」

 話を逸らすように彼女は続ける。

「どういう事だ?」

「これは魂によって体現化している物なので物質的な体はありません。そして実在しない体なので加齢や衰えなども存在しません。つまりはこの世界には20万年前からの人達が全員死亡時の見た目のまま生活しています」

 そう言って彼女が見つめた先には他の天使の人達が居た。俺も思わず同じ方を見る。そこは市場のような場所でいろんな物が売られていたりした。こっちの世界の貨幣やら生産品が気になったがその前に見つけたのは驚くべき人達だった。

「あれは…まさか」

 誰もが知ってるような人物。地上にある紙の貨幣に載っているような偉人や、戦国時代の武将であろう人物が集まっていた。

確かに教科書などで見たままの姿をしている。絵でしか見た事の無い人物は多少イメージが違ったがそれでも面影がある。

「こちらですよ」

 思わず立ち止まって彼等を見ている間に彼女は少し先に進んでいた。焦りながら俺は小走りで彼女の後ろまで来た。

「そういえばミカさんは争奪戦に参加しないのか?」

「私には人一人の責任なんて負えません…だから参加したくないんです」

 そう言われて俺はこの争奪戦の重みを考えた。確かに自分が勝つかどうかでその人の今後の永遠の居場所が決まる。もしちょっと間違えて負けようものなら笑い話にならない。俺は急に不安になった。

(負けたらどうしよう)

 有愛を天国に来させるなんて格好つけたが負けた場合は真逆の地獄に行ってしまう。そう思った途端、自然と手が震え出した。でもすぐに震えは止まった。自分に言い聞かせたからだ。

(いや、ここまで来たんだ。勝つしかない)

 負ける事なんて考えなくて良い。勝つ事だけを考えるんだ。勝つ方法だけを考えてれば良いんだ。

「そうだ、勝負って具体的に何をするかって決まってるのか?」

 勝つ方法を考えるためにまずは何をするのか知っておく必要がある。ここにはこの世界にそこそこ詳しい彼女が居る。もはやこれはカンニングとでも言うべきか。恐らく敵より有利なはず。

「勝負はランダムです。何になるかは争奪戦が始まる寸前まで分かりません」

 そうだよなカンニングなんて許されないのがこの世の理だ。今は地上ではなく天国だが、天国でもその事は変わらないらしい。俺は一気に気分が滅入った。だが、その後彼女は付け加えて話す。

「ですが、最近はトランプを使ったゲームが多い気がしますね」

「分かってるやないかーい!!」

 安心からかテンションがおかしくなって思わず関西弁でツッコんでしまった。

「確定ではないですし、あまり信じ込まれても困るので言おうか悩んだのですが…」

「それでも何も分からないよりはマシだよ」

 今夜は明日までトランプゲームの予習だな。ある程度有名なゲームならルールは分かるから、勝ちやすい方法などを知っておこう。もし別のゲームになってしまっても何かに活かせるかもしれない。今、選ばれる可能性のある勝負が分かった以上とりあえず学んでおいて損は無いだろう。

「着きました、こちらが天使の宿『天の地』です」

 彼女がそう言って立ち止まる。目の前に見えたのは地上でも良く見るようなホテルのような建物だった。数十階はありそうな大きさだ。

「受付の方に新入天使だとおっしゃれば部屋を用意して貰えると思います」

 彼女はそう言って入り口の前で俺の方を見る。入れという意思を察して俺は中に入った。現代的な自動ドア。内装も至って普通。ここはもしかしたら地上と何も変わらないのかと思った。だが、すぐに驚く事になった。入ってすぐ左手側に受付のカウンターがあった。

「こんにちは、どうされましたか?」

 受付の女性は俺が近付くとすぐにそう声を発した。ここでも受付の女性は白いドレスを着ている。

「新入天使の者で、部屋をお借りしたいのですが…」

「お名前をご提示していただけますか?」

「塩森優一です」 

 そう言うと彼女は目を閉じた。境界の地の受付の人のお陰で何が起こるかは予想出来た。すぐに目を開いてこちらを見る。流石にもう驚きはしなかった。

「塩森優一様。新入天使の確認が出来ました。部屋の番号はHのE187584番です。こちらをどうぞ」

 そう言って彼女はチケットのようなサイズの紙を差し出す。だが俺は頭が真っ白になって受け取る事が出来なかった。

「えっ…?何番って言いました?」

「HのE187584番です」

 もう一度聞いても聞こえた内容は同じだった。聞き間違いでは無いらしい。

「部屋の数っていくつあるんですか?」

 番号が単純に部屋の数だったらそれ以上あるのかと思って部屋の数を聞いた。すると返って来た内容は予想の斜め上だった。

「部屋の数は無限ですよ?」

 さも、当然のように彼女は言ってきた。無限…地上とは違う点があるとは思っていたが予想していなかった返しだった。

「無限ってどうやってそんな事が…?」

「部屋へはあちらに見えるテレポート装置から移動出来ます。こちらのチケットを持っていると自然にその番号の部屋へ行くと思います」

 彼女は今の俺から右奥、入り口からは真っ直ぐ奥に見える青い電磁波のようなものを発している球状の装置を手で指し示した後、自らが持っていたチケットをもう一度差し出した。俺は思わず受け取る。黄色い紙に白い文字で『H-E187584』と書いてある。部屋の番号か。

「あの装置から別の次元に用意された個室へ移動します。そこは私も詳しい事は知らない『世界』です。ちなみに窓もあるのですが、間違えても外に出ないよう気を付けてください」

「出てしまったら…?」

 俺はどうなるのか気になってすぐに聞いた。聞いた理由としては知っておけば好奇心が納まるだろうという事もあった。

「一度出れば恐らくもう戻れない。誰にも見つからない、一人だけの世界で永遠と彷徨うことになるそうです」

「そうなんですか…分かりました」

 正直好奇心は納まらなかった。行ってみたいと思ってしまっている。だが、今は有愛の事がある。だから行きはしないだろう。


 俺は彼女の前から離れてテレポート装置の前まで行く。電流の音が聞こえ、今まで聞いた事のない歪んだ音も聞こえる。チケットを手に持って俺はその球状の中に脚を入れる。脚だけ入れても特に何も起きなかった。それから身を乗り出して全身を球状の空間に収めた時だった、目の前が真っ白になって、思わず目を閉じた。耳鳴りも凄くて思わず屈んだ。それから耳鳴りが止まった時、俺は目も無事だという事に気付いて目を開く。

「おぉ…」

 思わず声が漏れる。目の前に広がったのは正方形の広い部屋。地上で住んでいた家の自分の部屋を四つ並べたくらいの広さはある。床は綺麗なフローリングで壁は白に黄色の縦線が入った模様だ。左奥の隅にはベッド、その近くにはタンス。中央の奥には五十インチくらいのテレビがあってその前に低いテーブルにソファ。テレビの下の台には良く見ると最近出た新型のゲーム機まである。右側には何個も本棚があり本は地上で見た事のある小説やら図鑑やら。学校の図書室の隅のようにずらっと並んでいる。一通りの事を知れそうなくらいに様々な本が並んでいる。窓は本棚の横やテレビの後ろなど何箇所かにあった。左手前にはキッチンがあり、近くには大きめの椅子とテーブル。十人くらいまでなら余裕でテーブルを囲んで使えそうだ。

 それからその奥、入り口からは左奥にドアがあるのが見えて俺はそのドアに近付き手を伸ばす。開けるとその先はトイレと風呂もある。浴槽は大人二人が入れそうなくらいの大きさだが、それでも十分なくらいスペースがある。シャンプーなどのトイレタリー用品も揃っている。そもそも、こちらの世界で食事をとったり、風呂に入る必要などがあるのかは分からないが、これだけ揃っていれば快適な生活になる事は間違いない。

「あっ」

 一通り部屋を見渡した後、俺はとある事を思い出して、声が出た。

「ミカさんの事忘れてた」

 彼女は恐らくホテルの前で待ってるはずだ。そう思って俺は急いで入ってきた方に戻る。そこには入る時と同じテレポート装置があった。俺はすぐにその中に入る。また、白い光と耳鳴り。だが、先程よりはすぐに治った。慣れだろうか。軽く走りながらホテルの入り口に向かった。


「どうでしたか?」

 彼女は入り口の横で立って待っていた。そして俺が出てくると同時にそう聞いてきた。結構待たせていたはずだ。少しくらいは嫌な顔をしていてもおかしくない。だが、彼女は嫌そうな素振りを一つも見せずに相変わらずの微笑みを浮かべてそう聞いてきた。

(これが天使に選ばれた理由である素質か…?)

 俺は勝手な推測で彼女は争奪戦の対象で天使側が勝って天使になった人ではなく自然と良い行いをして選ばれた人なんだろうと思った。

「一言で言うなら最高かな」

 俺は、部屋を見ている時に思っていた事があった。もう地上には戻れないとあのお爺さんに言われた。つまりあの部屋がこれから俺がずっと生活する場所なんだろうと。母に会えない、そしていつもの自分の部屋にはもう行けない。その点ではもちろん寂しかったが、それ以上に良い生活が出来そうで嬉しい気持ちが大きかった。

「お気に召したようで何よりです」

 彼女はそう言って微笑む。この笑顔が作り物じゃないなら彼女は『本当の天使』かもしれないな。

「さて、もういい時間ですし、あなたは明日の為に休むべきでは?」

 彼女にそう言われて俺は疑問に思った。

「いい時間?全然周り明るいけど…?」

 周りは来た時と何も変わらない明るさだった。まるで時でも止まっているかのように。

「太陽が無いので時間で明るさなんて変わりませんよ」

 そういえばここに来てからすぐに気付いていた。太陽が出ていないのに明るかった事に。よく考えてみれば太陽の明るさじゃないなら時間で明るさなんて変わらないな。太陽の光ではないのだとしたら何の光でこんなに明るいのかも気になるが…

「じゃあ何で時間が分かるんですか?」

 彼女は腕時計をしている訳でもなく近くに時計塔のような物がある訳でもない。だとしたらどうやって時間を確認したのか。

「目を閉じてみてください」

「えっ?何で?」

「すぐに意味が分かりますから。ほら早く」

 彼女は急かす。

(すぐに意味が分かる…?もしかして…)

 まさかと思いつつも目を閉じた。するともちろん暗闇が目の前に広がっている。だが、暗闇の中から何かが浮かんできた。そこに見えたのはアナログ式の時計だった。時間はもう九時過ぎだった。恐らく地上に居た時は午後七時過ぎくらい。それを考えると今は午後の九時なんだろう。

「分かりましたか?」

 彼女の声が聞こえて俺は目を開いた。広がった景色は先程までと何も変わらない。彼女は微笑んだままこちらを見ていた。

(まぶた)の裏に時計がついてるんだな天使って」

「ふふっ…そんな訳ないでしょう」

 良かった。俺のボケは彼女にウケたようだ。微笑む事はあってもあまり声を出して笑うことの無い彼女の笑い声は聞いていてこっちまで嬉しくなる。

「一度見たものなどは目を閉じて想像すれば浮かんできます」

 彼女は微笑みながらそう言った。そこで一つ推測が浮かんだ。

「まさか境界の地とか天の地の受付の人って」

「えぇ、彼女等は一度資料に目を通し、その資料を目を閉じて想像する事でどこにあったかなどを思い出したりしているのです」

「凄いな…」

 その言葉はこのシステムだけに言ったのではない。それを作ったであろう全能神、このシステムに順応するミカさんや他の天使達、全てが凄いと思った。まあ、順応する事はそれほど難しい事では無いだろう。人間は順応する生物だ。だが、先にやってる人達を凄いと思う事はおかしい事ではない。部活や仕事などで先輩が今の自分に出来ない事をやっていたら凄いと思うこともあるだろう。後からやってみると意外と簡単だったりする。それと同じだろう。


「それでは今日は解散という事で、また明日お会いしましょう」

「え、明日も来るんですか?」

 俺は思わず言葉を選び間違えてそう聞いた。彼女は少し悲しそうな顔をしていた。

「来ない方が宜しいですか…?」

 焦って手を右往左往しながら俺は答える。

「あ、いや!そうじゃなくて来てくれるんだって驚いただけで!来てくれるなら是非来て欲しい!」

「そういう事でしたか、私は妹さんの為に争奪戦に出るというあなたの戦いが見たいので付いて行かせて貰いたいくらいですので…」

 そう言われてプレッシャーを感じた。これでボロクソに負けたら恥ずかしいな。勝つ理由がまた一つ増えた。

「そうか…じゃあまた明日会おう」

 俺がそう言うと彼女は微笑んだ。

「はい、それではまた明日。おやすみなさい」

「おやすみ」

 俺も微笑み返し、手を振って彼女を見送る。彼女はこのホテルに住んでいる訳では無いのか。いつか彼女の住んでいる場所も見てみたいものだ。彼女が見えなくなるまで俺はそこに立っていた。そして見えなくなった時、俺はホテルに戻って、自分の部屋にテレポート装置から入った。


 部屋に戻った俺はベッドに座って物思いに耽っていた。

(十二時に行けば良いんだろ?)

 そう考えながら目を閉じて時計を想像する。暗闇の中から目の前に現れた出てきた時計はまだ午後九時半前。午後十二時までに行くのなら三時くらいに寝て、十一時に起きれば十分だ。

(よし、なら予習するしかないな)

 そう思いながら俺はベッドから立ちあがり、本棚の前まで歩く。並んでいる本のタイトルを見ながらお目当ての本を探す。何列か見た後だった。やっと見つけたお目当ての本を俺は指で取り出す。取った本のタイトルは『トランプゲーム大全 解説付き』という物だ。数々のトランプゲームを紹介、そしてどういうやり方が良いかを解説までしてある本だ。まさに俺が今望んでいた通りの物だ。これを一通り見ればとりあえず利益にはなるだろう。

(よし、五時間で全部記憶してやる)

 そう意気込んで俺はベッドの上で、ひたすらページを捲って全てを黙読していく。大富豪、ババ抜き、ブラックジャック、ポーカー、神経衰弱、七並べ、ダウト、スピードなどなど。ババ抜きなんて簡単なルールで解説なんて特に無いと思ったが、ジョーカーを持った人がどういう動揺をするか、どういう動きをするか、など細かく心理的な内容まで解説してあった。これは予想以上に考えさせられるものがあるな。深すぎたせいか、俺は何時間か読んでいたが目が虚ろになり、うとうとしていた。良く考えれば妹が事故に遭って、変なお爺さんに会って、天国に来ていろんな事に驚いて…ってそんな非日常な事が連続で起きていたら疲れもするな。俺は気付いたら目を閉じて深い眠りについていた。



 誰かに呼ばれた気がして俺は目をゆっくりと開いた。近くに本が開いたまま置いてあるのを見て俺は読んでいる途中で寝てしまった事に気が付いた。俺は体を起こしてベッドから立ち上がると地上の家での癖で窓を開けた。窓から見えていたのは何も無い暗闇の空間。だが、開けた瞬間驚く事が起きた。

「うわぁ!?」

 物凄い勢いで俺は窓に吸い込まれそうになった。あまり大きい窓ではなかったため、枠に掴まって何とか外に放り出されずに済んだ。必死にその力に抵抗しながら俺は窓を閉める。閉めるとすぐに普通の状態に戻った。俺は反動で腰が抜けたように床に座り込んだ。

(暗い空間にこの吸い込む力…まさかブラックホールか…?)

 いろいろ考える事はあったが、俺はとりあえず時間を確認しようとして周りを見渡す。だが、どこにも時計が無いのを確認して思い出した。

(あっ、目を閉じるんだった)

 そう気付いて目を閉じると目の前に現れた時計の針は予想外の場所を差していた。

「もう十二時になるじゃねぇか!!」

 勝負の時間まであと数分だった。俺は急いでテレポート装置からホテルに戻り、外に出た。


「まさかの寝坊ですか…?」

 もうホテルの前にミカさんは待っていた。

「いや、まさかこんなに寝ているとは思わなかった!全くアラーム機能が無いのは困るなぁ!」

 俺がそう言いながら走り出すと彼女も走って付いて来ながら一言告げる。

「ちなみにアラームも念じれば付けれますが…」

「早く言ってくれよ!!」


 境界の地まで走って辿り着いた。体は実在しないからか疲れはしなかった。目を閉じて時間を確認する。ちょうど十二時前だ。何とか間に合ったか。覚悟を決めるように俺は一度深呼吸して境界の地に入る。待合室には誰も居ない。まさか相手が居なくて不戦勝なんて事もあるのではないかと期待した。だが、そんな期待はすぐに裏切られた。

「塩森優一様ですね。悪魔の方は既に来ております。こちらをお持ちになってあちらから争奪場にお進みください」

 そう受付の女性は言うと、紙のチケットを渡してきた。俺はそれを片手で受け取って書いてある内容を見る。『塩森有愛争奪戦』と書いてある。ここでもチケットの紙は黄色の背景に白文字だ。どこもこうなんだろうか。

「ありがとうございます」

 俺は彼女に頭を軽く下げて、奥にあったテレポート装置へ向かう。ミカさんは後ろから付いて来ている。だが、何かおかしい。走って疲れる事は無いのに息が切れている…いや、荒くなっている。何か様子がおかしいが気にしている余裕は無かった。相手がどんな奴なのか。何の勝負が選ばれるのか。他に考える事が山ほどあったからだ。俺はいろいろな事を考えながらもテレポート装置に入る。そして目の前が真っ白になって争奪場に移動した。


(ここが争奪場か…)

 部屋の雰囲気を例えるなら少し狭い裁判所の法廷のような感じだった。天使と悪魔が向かい合って勝負をするであろう椅子とテーブル。反対側には一人の赤黒い角の生えた男が座っている。髪が真っ赤でショートウルフへアという感じの髪型だ。目つきが悪くてジャージを着てるところから勝手に悪い人だと思いこんだ。角のお陰で彼は悪魔だとすぐ分かった。しかし、どこかで見た気がするが思い出せない。その右には人が一人立てるスペースがあり、そこには大切な妹の姿があった。有愛は事故に遭う直前と変わらない制服姿で居た。

「有愛!」

「兄貴…!?」

 有愛は俺を見て信じられない顔をしていた。何故居るのか理解出来なかったんだろう。

「何で、兄貴がここに…?まさか兄貴も事故ったの…?」

「んな訳あるかよ」

 ボケだったのか本気なのか分からないが、笑ってそう返す。

「あァ、あの時近くに居た奴、お兄さんだったのかァ」

 テーブル越しの反対側に座っている男はそう話し出した。言われた事をもう一度頭の中で繰り返して整理した。

(あの時近くに居た…?)

 その一言から相手が誰なのかを理解した。

「お前、郷野重康か…!?」

 有愛を轢いた車の運転手の男だと分かった。そして病院で聞いていたその名前を出した。

「おめェの妹さんのお陰で地獄行きだよ、ふざけやがって!」

 郷野はそう言いながらしかめっ面になる。全て有愛のせいだと言っているような感じがして無性に腹が立った。

「シートベルトしてない非常識な奴が何言ってんだ」

 俺は挑発するようにそう言うと彼は椅子から立ちあがって怒りを露にする。

「んだとコラァ!?」

 地上に居た頃の俺なら屈していたかもしれない。だが、この世界なら体が実在しない。つまり痛みを感じるどころかまず殴られる事もない。俺はそう分かっていたから動揺する素振りを見せないようにした。その俺の立ち方を見て彼は何かに気付いたように急に冷静になり椅子に座った。

「それではただいまより塩森有愛様の争奪戦を行います」

 そう見知らぬ女性の声が聞こえてきた。いや、正確には響き渡った。この声は耳から聞こえたのではない。頭の中に直接響いてきた。俺は自然と彼の反対側の席に座った。その時、有愛は両手を顔の前で組んで祈るようにしていた。

「今回の勝負はポーカーです」

 女性の声はそう告げる。


 ポーカーとは手札のカード5枚で出来る役、『ハンド』の強さを競うトランプのゲームだ。相手が降参フォールドをすればハンドの強さに関係なく勝てることからブラフ、つまりは賭け金を増やしたりする事で弱い手を強いと思わせたりする心理戦が重要になる。

 ちなみにハンドの一覧はこうだ。弱い順でまずはこれから言う全ての役に当てはまらない役になってない役、ハイカード。同じ数字のペアが出来ればワンペア、別の数字のペアがもう一つ出来ればツーペア。同じ数字が三枚あればスリーカード。手札五枚の数字が順番に並んだストレート、スペードなどのマークが全部揃えばフラッシュ、それからスリーカードとワンペアを組み合わせればフルハウス。同じ数字四枚でフォーカード。そしてストレートとフラッシュの条件を同時に満たすストレートフラッシュで全てだ。ハイカードは日本では『ぶた』と言ったりする。スリーカードもフォーカードも実は日本での呼び方であって、正式にはスリー・オブ・ア・カインド。フォー・オブ・ア・カインドと呼ぶが、長いのでスリーカード、フォーカードと呼ぶ方が楽だな。

 ちなみに同じ役だった場合は一番高い数字での勝負になる。だが数字的にはA(エース)が少ないが一番弱いのは2で、Aは一番強い。後は、ストレートフラッシュの上にロイヤルストレートフラッシュもしくはロイヤルフラッシュという役があると思っている人が多いが、ストレートフラッシュの中で一番強いのが一番高い数字がAになる10、J(ジャック)Q(クイーン)K(キング)、Aの組み合わせだ。だからそれをロイヤルと呼んでいるだけであってロイヤルフラッシュという役が存在する訳ではない。それとAを使ったしてもそれが一番下に来るA、2、3、4、5の組み合わせは一番弱い。

(よかったよ、昨日予習してて)

 偶然にも昨日の読んだ範囲でポーカーの解説には目を通していた。もしあの男、郷野が素人なら落ち着いてやれば楽に勝てるだろう。

「ルールはジョーカーを抜いた五十二枚のカードを使ったクローズドポーカーで十枚のコインを取り合い、コインが無くなった方が負けとなります」

 女性の声が聞こえた時、郷野の前と俺の目の前に十枚のコインが塔のように積まれたまま現れた。クローズドポーカーという事は恐らく最初にベットがあり、交換して手札の五枚で役を作ったら、二度目のベットをして勝負といった流れになる基本のポーカーだ。

「アンティは一枚でベットの上限はポットが五枚になるまでです」

 女性の声はそう続ける。アンティは毎ラウンドでの参加するために最初に出す参加費の事で賭けるコインを出している場の事だ。最初のベットで一枚増やすことを考えると五回で負けてしまうこともある。レイズで賭け金を上げて負けようものならもっと早く終わる。呆気なく終わってしまう可能性もあれば簡単に勝てる可能性もある。

(これは慎重にしないと怖い事になるな)

 俺は男の顔を一瞬だけ見る。彼は物怖じする様子なくまるで勝ちを確信しているかのように胸を張って俺を不敵な笑みを浮かべて睨んでいた。その顔を見て俺は確信した。

(これは簡単に勝てはしない)


「それではゲームスタートです」

 女性の声が始まりを告げる。するとカードの束が机の中央付近で宙に浮く。下から見えないようにするためかあまり高い位置で浮いては無い。そしてカードの束は独りでにヒンズーシャッフルをする。ヒンズーシャッフルは日本人が花札などでもする切り方に似ていて片方の手に取ったカードの束の上の部分を前方に動かしもう片方の手で移していくシャッフルだ。自動で動いてるがまるで人がやってるかのように取る数にはむらがある。

 その後、カードの束は二つに分かれて、リフルシャッフルを行った。リフルシャッフルは二つの束のカードをはじいて交互に噛み合せていき一つにまとめるシャッフルだ。空中でやっているのにまるでテーブルの上でやっているかのようにカードは空中に留まっている。

 ヒンズーシャッフルを数回、リフルシャッフルを一回のセットを二回行うと、カードが山札(パイル)から1枚ずつ交互に配られる。そして自動的にコインの塔から1枚コインが中央に飛んでいく。

 俺は配られたカード5枚を相手に見えないように取り確認する。俺の手札はスペードの3とダイヤの3、ハートのQ(クイーン)とダイヤのQのツーペアに、クローバーの6。これは何とも言えない微妙さ。とりあえずフルハウスを狙って6を交換するか。

「まずは天使側のベットです」

 女性の声にそう言われて俺はコインを一枚取り、前に出し宣言する。

「ベット」

 彼は俺の顔を一瞬見ると「コール」と言ってコインを一枚出してきた。ポットには四枚のコイン。

「それではドローターンです」

 俺は6を裏向きにして前に出す。すると1枚山札からカードが飛んできた。空中に浮いたそのカードを取って見る。ダイヤの2。ツーペア止まりか。

(危ないか…?)

 俺はそう思いながら男の顔を見る。彼は余裕綽々な顔をしたまま、こちらを見ていた。俺は彼の変わらない表情を見て一つ気付いた事がある。

(まさかあいつ…ハンドの強さを悟られないためにずっと余裕そうな顔をしているのか…?)

 いろいろ考える事もあったが、とりあえずツーペアなら勝負に出てみるか…。不安に思いながらも俺は「コール」と宣言する。彼は少し間を空けて「コール」と宣言した。

「それではショーダウンです」

 そう言われて俺は手札を表向きで前に出す。彼は俺の手札を見て表情を変える事無く、手札を見せてきた。結果はスペードの7とダイヤの7のワンペア。最初のラウンドは俺の勝ちだ。だが、俺は血の気が引いた。それは残りの彼の手札を見たからだ。

 残りの三枚はスペードの8、9、J(ジャック)。つまりもしダイヤの7が10だったらストレート。スペードの10ならストレートフラッシュになっていた。いきなりかなり強い手を作りかけている。彼は強運の持ち主かもしれない。とはいえ、ここで微妙に運を使った以上、これからはそんな揃う事は無いと信じたい。

 公開したカードが山札に戻り、ポットにあったコインが俺の方のコインの塔に飛んできた。これで俺のコインは十二枚。リードして少し心に余裕が出来た気がした。

 そして再び、山札は数回のヒンズーシャッフルとリフルシャッフルを繰り返し、カードを配る。コインがお互いの塔から一枚ポットに出る。

(次のハンドは…)

 俺は目の前の裏向きのカード五枚を手に取る。スペードの2と3、ダイヤの4とQ、クローバーの6。ハイカードだが、Qを5にすればストレートか。Q以外を交換してQのペアを作りに行くのもありだが、一ラウンド目を取ってるからここは余裕を持ってストレートを揃えるか。

「今度は悪魔側のベットです」

 そう女性の声が聞こえて、彼は「ベット」とコインを一枚出してそう宣言した。俺は迷わず「コール」と言ってこちらもコインを一枚前に出す。

 彼は女性の声を待たずに一枚裏向きでカードを差し出す。山札から一枚彼の元にカードが飛んでいく。俺は飛んでいったのを確認して、ダイヤのQを裏向きにして出す。そして飛んできたカードを手に取る。カードを見た瞬間思わず、心臓が跳ねた。引いたカードはスペードの5。

(よし!ハイ6のストレートだ!)

 これなら強気でも大丈夫だろう。ストレートは十分なハンドだ。ハイが6と少し低いのが問題だが、さっきストレートフラッシュ揃いそうだったやつがまたストレート以上が揃ったりするなんてそんな強運の持ち主な訳無いだろう。

「コール」

 彼はそう宣言してコインを一枚出す。俺はレイズしようかと思ったが、念のために「コール」にしておいた。

「それではショーダウンです」

 彼から先に手札を公開する。彼のハンドはダイヤの7とクローバーの7のワンペア。だが、またしても驚く事になっていた。残りのカードはダイヤの3、5、6。クローバーの7が4ならハイ7のストレート。ダイヤの4だったらまたしてもストレートフラッシュだ。そこで俺は自分の手札を見て気付く。ダイヤの4は自分が持っていた。つまり少しでも順番が違えば彼に行っていた可能性があったのか。連続でストレートフラッシュを惜しいところまで揃えるなんてちょっとやそっとの強運じゃない。何なら今だけは世界で一番強運の持ち主と言っても過言ではないかもしれない。だが、勝ったのは俺だ。

 俺はハイ六のストレートを公開するとコインがこちらに飛んできた。これで十四枚。この調子なら楽に勝てるんじゃないか?俺はそう思えてきた。だが心のどこかで違和感を感じていた。こんなスムーズに勝てる訳ないと。

 山札にカードが戻り、二つのシャッフルが行われ、カードが配られる。そしてコインが一枚ポットに出る。とりあえず俺は手札を確認する。ダイヤとクローバーのA(エース)とクローバーとダイヤのQのツーペア。もう一枚はクローバーの5だ。フルハウス狙いで5を交換だな。

「ベット」

 そう言って俺はコインを一枚出す。彼はすぐにコールした。早くこの勝負を終わらせたかったのもあって俺は女性の声が聞こえる前にもう行動する。クローバーの5を裏向きで出して一枚交換する。飛んできたカードはクローバーの4。フルハウスにはならなかった。

 彼は一枚交換をして、こちらをニヤニヤと笑みを浮かべて眺めている。表情を変えないため相手の手の予想は難しかった。

(まあ、リードしてるしな)

 二回勝ってるから一回くらい負けてもまだそんな痛手では無いだろう。俺は強気でコールと宣言する。彼もすぐコールと返した。

「それではショーダウンです」

 女性の声が聞こえると同時に俺は手札を公開しながら「AとQのツーペア」と呟いた。その後、彼が公開した手札はクローバーとダイヤの6のワンペア。またしても残りのカードがスペードの5、スペード7、クローバーの8とストレートを揃えかけていたが、今回はマークが揃っていなかったからか焦りはしなかった。思わず俺はガッツポーズする。それと同時に有愛も少し微笑んでいたのを俺は見逃さなかった。

 それからコインがこっちに飛んできて、カードは山札に戻る。これで彼の残りコインは四枚。次強い手が揃えばレイズして終わらせる事も出来る。もう俺は勝てると思って調子に乗ってきていた。

 シャッフルが行われた後、カードが配られ、お互いのコインが一枚ポットに出る。相手の塔は残り三枚になる。そして、こちらの塔にある十五枚を見比べて俺は勝ちを確信していた。

 手札を確認する。スペードとダイヤのAのワンペア。残りはダイヤの3、ハートの4、クローバーのK(キング)とばらばらだ。とりあえずAを残して三枚交換が妥当か。

「ベット」

 彼はすぐにコインを一枚出してそう告げる。俺も「コール」と言ってコインを一枚出す。驚いたのはその後だった。

「ノーチェンジだ」

 彼はそう呟いた。俺は思わず彼の顔を見る。だが、彼は相変わらず笑みを浮かべているだけだ。まさかそんなに強い手が最初から揃っていたのか…?俺は動揺していたが、すぐに自分のチェンジを要求した。

「三枚チェンジで」

 ダイヤの3、ハートの4、クローバーのKを裏向きで出す。飛んできたカードをすぐに確認する。三枚のカードはスペードのJ、ハートの2、そして。

(ハートのA…!!)

 Aのスリーカードが出来た。相手はノーチェンジ。俺は勝ちを確信していた。相手もスリーカードくらいで油断させるためにあえて交換しなかった。そう俺は推測した。つまりスリーカード同士の対決になり、こっちがAだから勝てる。そう思った。そして彼は「レイズ」と宣言し残りの塔にあるコイン二枚も出してきてポットには合計六枚。俺が出しているのは二枚。だから勝負するコールのためにはもう二枚俺も出さないといけない。俺は不安になったけど、これが作戦かもしれないと気付いてコインを二枚出して宣言する。

「コール!!」

 この勝負を終わらせる。その思いが表れているくらい強い声で言っていた。

「それではショーダウンです」

 彼が先に手札を公開するが、俺もほぼ同時に手札を公開していた。俺はすぐに彼の手札を見た。昂ぶっていた気持ちは一気に抑えられた。彼の手札はダイヤ、ハート、スペードの7、そしてダイヤとクローバーの10。フルハウスだった。

 その瞬間、ポットのコイン八枚は彼の元へ飛んでいく。その後カードも山札に戻る。俺は悔しさのあまり歯を食いしばる。有愛が「兄貴…」と呟いたのが聞こえて自分が情けなくなった。その時、反対側に座っている彼は初めて表情を変える。

「はっはっはっは!おめェの顔おもしれェな!!」

 相変わらず笑ってはいるが、さっきまでの微笑ではない。大爆笑していた。

「何だ、冷静さを失わさせるための煽りか?」

 俺は冷静を装ってそう返す。だが、彼はまた嘲笑う表情に戻って言った。

「おめェ、人を騙した事とかねェだろ?」

 そう言われて俺は自分の過去を思い出していた。確かに人を騙した事は無いに等しい。嘘をつくことが昔から嫌いだったからだ。嘘をついてそれを信じている相手を見ると心が痛む、そして相手が嘘に気付けば相手も悲しくなる。お互い損しかしない。だから嫌いだった。

「だとしたら何かあるのかよ?」

 俺は彼の問いに答えず聞き返す。人を騙した事がほとんど無くても多少の嘘なら誰でもつける。

「いやァ~。俺さァ、ちょっと心理学ってのやっててさァ?」

 そこまで言われて俺はハッとなる。

「おめェくらいだったら顔だけで手札が分かるんだよなァ」

 俺は必死に動揺を隠そうとしていた。顔だけで手札が分かるなんてもはや超能力の類だろう。そんな事ありえない。そう自分に言い聞かせた。だが、少し信じている自分も居た。

「ふっ、戯言はいい。次のラウンドだ」

 俺は余裕ぶってそう言った。それからお互いの塔からコインが一枚飛んでいき、シャッフルが終わると山札から五枚のカードがお互いに配られる。手札を確認する。手札はスペードの10とクローバーの10のワンペア。あとはクローバーの4、8、K。スペードの10を捨てワンペアを崩してフラッシュを狙うか…。そう考えていた時だ。

「その顔はワンペアだな?」

 彼がそう告げた事で俺は思わず彼の顔を見る。俺の手札を確信して嘲笑っている顔だった。本当に分かるのかと一気に不安になった。

「俺はもうスリーカードだからおめェの負けだな」

 彼がそう続けて言う。それが本当かどうかを考えたが分かる気はしなかった。だからまだ勝つために戦う。

「ベット」

 そう言って俺はコインを一枚出す。「コール」とすぐに彼はコインを一枚出した。ポットに四枚、お互いの持ちコインの数は十枚と六枚。まだ余裕はある。

「一枚チェンジ」

 俺はスペードの10を裏向きにして出した。飛んできたカードをすぐに確認する。ダイヤの8。フラッシュは出来なかった。ただ一応8のワンペアになった。ここからの問題は奴が本当にスリーカードなのかどうかだ。

「ノーチェンジで」

 彼はそう呟いた。俺は直感で俺を騙すためにチェンジしなかったと感じた。俺はすぐに「コール」と宣言する。だが、彼は堂々としていた。

「レイズ」

 そう言って彼はコインを三枚追加する。つまり最大値の賭けだ。ポットには七枚のコイン。勝負しようとすれば俺も三枚追加し、十枚を賭ける戦いになる。流石にワンペアでそこまでの勝負に出るのは無理だった。

「ドロップ…」

 俺は仕方なく降参した。降参の場合はお互いカードを裏向きのまま出すので彼の手札が本当にスリーカードだったのかは分からない。コインは今出していた二枚が相手に渡り、一度彼が賭けたコインも戻る。これでお互いのコインは十枚同士。最初の状態に戻ってしまった。順調に勝っていたのに一気に戻された。山札にカードが戻りシャッフルをすると再びコインが一枚出ると同時にカードが配られ出す。

 手札はスペードの2とクローバーの2のワンペア。残りはスペードの9、クローバーのQ、ハートのK。ワンペア残して何かが揃うのを期待するか。

 彼がベットして俺はコールする。お互いチェンジは三枚だった。彼から先に三枚ずつお互い交換した。俺の手札にはダイヤの2と6、スペードの8が来た。2のスリーカードが出来た。2だから一番弱いスリーカードだが、勝負するには十分だ。

「レイズ」

 彼はコインを二枚追加し、ポットには六枚のコインが出ていた。勝負するとなると二枚追加で八枚のバトル。少し悩んで俺は「コール」と言ってコインを二枚出した。

「それではショーダウンです」

 彼とほぼ同時に俺は手札を公開する。彼の手札はクローバー、ハート、スペードの4、クローバーのAとハートの5。4のスリーカードだ。

「くそ…」

 思わず声が漏れた。僅差で負けた事で悔しさが滲み出た。それから八枚のコインは彼の前にあるコインの塔に戻る。そしてカードは山札に戻りシャッフルを行っている。これで彼の大幅リード。彼の持ちコインは十四枚。俺が六枚。焦りで息が荒くなる。

(どうやったら勝てるんだ。どうやったら奴を騙せるんだ。これからどうすればいいんだ)

 自分に何度も問いかける。もう勝つ方法が分からなかった。寧ろ無いのではないかとまで思った。もう負けるしか無いのではないかと。だが、諦める訳にはいかない。有愛を守る。それが『約束』だから。

「まだだ!」

 俺がそう叫んだ時、カードが山札から配られ、コインが一枚お互いの塔から飛んでいく。手札は目を疑うほどの手札だった。ハート、ダイヤ、スペードのJ、ハートとクローバーの2。フルハウスが出来ていた。俺は驚きつつも、それを察されないように平常心を意識する。問題はチェンジしなかったら怪しまれる事だ。チェンジせずに弱い手札のように思わせるにはどうすれば良い。そう考えながらも俺は「ベット」と言ってコインを一枚出した。その後だった。

「ドロップ」

 彼はそう言って手札を裏向きにして捨てるように投げた。

(嘘だろ…まさか)

 俺が思っていた事はすぐに彼が言ってきた。

「今の顔は良い手札が揃っていた顔だなァ?」

 やはり彼は分かっていた。このチャンスを逃すわけにはいかなかった。だから意識して隠そうとしたのに全く意味が無かった。俺は絶望した。もう勝ち筋が無いと思ったからだ。

 俯きながらも俺はカードを裏向きにして出す。山札にカードが戻ると同時に彼の参加費であったコイン一枚がこちらの塔に飛んできたが、何も思わなかった。どうせ次負けてすぐに取り返される。そう分かっていたからだ。

 シャッフルが終わり山札からカードが配られ、手札を確認する。クローバーの2とダイヤの2のワンペア。残りはダイヤの6、Q、K。ワンペア以外をチェンジしてもいいが、フラッシュを狙わないと巻き返せないんのではないか。そう思った。彼がベットで一枚増やし、俺はコールする。彼はその後三枚チェンジ。俺がクローバーの2一枚を捨てた。来たカードはハートのJ。ハイカードになってしまった。もう俺は何も考えていなかった。

「コール」

 彼がそう言うのが聞こえたが、すぐに俺は「ドロップ」と言って手札のカードを裏向きのまま出す。二枚のコインが彼の元へ飛んでいく。これで残りのコインは五枚だ。相手の塔にはその三倍のコインが積まれている。見ただけで気が滅入った。そんな時だった。

「兄貴…!」

 有愛の囁く声が聞こえた。俺はゆっくりと有愛の方を見る。有愛は俺を包容してくれるような優しげな顔で俺を見ていた。

「兄貴…勝って…」

 そう有愛は俺の目を見ながら言った。俺はそれを聞いて下を向いた。

(無理なんだよ…あいつは只者じゃない…)

 声には出さず、心の中でそう有愛に返した。

(勝ちたいけど、あいつを騙すなんて出来る訳が無い…)

 そう彼を騙すなんて不可能だ。その時俺はとある事に気付いてハッとなる。

(そうだ『あいつ』を騙す必要なんて無い…)

 俺はそれに気付いて笑みを浮かべた。


 山札にカードが戻りシャッフルをすると五枚のカードが配られ、コインが一枚ポットに出る。残りのコインは四枚。恐らくこの対決で彼は終わらせに来る。だが、俺は新たな作戦を実行するのみ。俺は一度深呼吸してカードを見る。役はどうしようも無いくらい弱い手札だった。チェンジしても勝てる役になるとは思えない。もう負けが決まったようなものだ。だが、俺はベットした。そして彼はすぐにコールする。

「ノーチェンジで」

 俺はそう言った。勝つ気が無い。だからチェンジしなかった。彼は一瞬驚いた表情でこちらを見たが、すぐに笑みを浮かべ「二枚チェンジ」と言ってカードを二枚裏向きに出す。彼の交換が終わり俺は告げる。

「コール」

 すると彼は思った通りの行動をとった。

「レイズ」

 嘲笑するような顔で彼はそう言ってコインを四枚増やす。恐らく強い手札にもなって確実に勝てると思ったんだろう。俺の負けは確定か…

「コール」

 俺はそう言って手持ちのコインを全部出してポットには十枚のコインが並ぶ。彼は予想外だったのだろう。表情を変えていた。鳩が豆鉄砲を食ったような顔とでも言うべきか。目を丸くして驚いていた。少し間を空けて彼は言った。

「コール」

 そして女性の声が聞こえる。

「それではショーダウンです」

 そう言われて俺は手札を公開する。俺の手札はハートのJとK、クローバーのJとK、そしてスペードのK。つまりJとKのフルハウスだ。

「はァ!?」

 彼は俺の手札を見て声を荒げた。何が起きたのか分かっていないように見えた。

「ショーダウンだぞ。どうした?」

 俺がそう言うと彼はゆっくりと手札を出した。彼の手札はクローバーの5、ハートの6、ダイヤの7、ハートの8、スペードの9。ハイ9のストレートだ。つまり俺の勝ち。そう分かった時、ポットにあったコイン十枚は俺の手元に来た。これで十枚同士。最初の状態に再び戻った。彼は俺の方に飛んでくるコインを見ながらも口を開けて呆然としていた。そして声を出した。

「何しやがった…?」

 動揺を隠さずそう聞いてくる。俺は笑って答えた。

「ははは、何ってポーカーしてるだけだろ?」

 彼はそう言われて声を失ったように口を開いて呆然としていた。それから彼はポットが合計で四枚お互いのコインが二枚ずつ出た状態での勝負に二回負け一度参加費だけの状態でドロップし、彼のコインは五枚になった。


 山札が独りでにシャッフルしている間、彼は頭を抱えて悩んでいるようだった。おそらく俺が何をしたのか考えているのだろう。俺はその様子を眺めていた。まだ負けるかもしれない、と用心しながら。

 それからカードが配られ、コインが一枚ポットに出る。俺はすぐに手札を確認するが、彼は頭を抱えたままだった。

「悪魔側のベットです」

 女性の声がそう聞こえて彼は顔を上げてカードを確認する。俺でも分かるくらいその時、彼の顔は希望に満ち溢れた顔だった。狂ったような笑みを浮かべて彼は俺を見る。俺は黙って彼を見返す。

「ベット」

 彼はコインを一枚出してそう言った。俺は迷わずコールする。

「ノーチェンジ」

 彼はそう言ってもう手札を裏向きにしてテーブルの上に置いた。

「俺もノーチェンジで」

 そう言って俺も手札を裏向きのままテーブルの上に置く。彼はもう何も考えていなかったのか、すぐに宣言した。

「レイズ!」

 彼はポットが五枚になるように三枚、手持ちのコインを全部無くして賭けた。狂ったように笑みを浮かべたまま息を荒くしている。俺はその彼を少しの間見た後、言った。

「コール」

 そしてコインを三枚追加した。彼は女性の声を待たずして椅子から立ちあがりながら手札を公開して叫んだ。

「まだ負けねェよ!!馬鹿がァッ!!」

 彼の手札はダイヤの8、9、10、J、Q。ハイQのストレートフラッシュだ。ノーチェンジで揃う事なんてありえるのか。

「ほらァ、早くお前の手札見せろよォ!」

 彼は手招きするように挑発してきた。俺はそれを見て一言だけ言った。

「終わりだ」

 そう言うと彼は目を見開いた。そして俺は手札を公開する。

 俺の手札はスペードの9、10、J、Q、K。ハイKのストレートフラッシュ。つまり

「俺の勝ちだ」

 そう言うとポットに出ていたコインが全てこちらに来て俺の持ちコインの塔は二十枚になった。するとコインもカードも全て透明になるように消えていった。テーブルの上にはもう何も無い。その時、女性の声が聞こえた。

「本勝負は天使側の勝利という結果になりました」

 そう聞こえ、俺は有愛の方を見る。すると有愛の頭上に天使の輪がゆっくりと表れた。それを見て俺は勝ったという実感が湧いた。

「おめェ!!!絶対イカサマだァ!!神様こいつイカサマしてんぞォ!!」

 彼は認めたくなかったのかそう叫ぶ。どこかで見ているであろう全能神に対してそう言っているのだろう。そもそも、自動でシャッフルされ自動で配られているのにどうイカサマするのか俺は呆れて笑いそうになった。だが、俺は真面目な顔で現実を突きつける。

「イカサマなんて出来る訳無いだろ?天使なんだからさ」

 出来ない訳はないかもしれない。だが、俺は天使としてのプライドがあるから出来ないという意味で言った。

「うるせェ!クソガキがァ!!」

 そう言って彼はテーブルを引っくり返すように横へ飛ばした。そして俺の方に拳を握り締めて走ってくる。彼が目の前まで来たところで彼は拳を俺の顔に目掛けて突き出してきた。俺は実体が無いから当たらないと信じて手も足も動かさず避けようともしなかった。彼の拳が当たると思った瞬間だ。拳は俺の顔を通り抜けていく。彼は当たらなかった反動で勢い余ってそのまま俺の後ろの床に跪くようにして倒れる。俺は振り返って彼を見下すように見ていた。

「そうだ…何でおめェ急に俺を騙せるようになったんだよ…」

 彼は跪いて床を見たままそう聞いてきた。勝負も終わった事だし、俺の作戦を教えてもいいか。

「お前は一つ勘違いをしてる」

 俺がそう言うと彼は体を起こして顔を上げてこちらを見る。

「俺はお前を騙そうとしたんじゃない」

「はァ…?じゃあ何したっていうんだよ…」

 簡単な事だ。騙す相手を変えただけだ。

「俺が騙したのは俺自身だ」

 そう言うと彼は目を逸らし、何かを考え出した。恐らくさっきまでの俺の表情だろう。俺は構わず続ける。

「お前に負けそうになった時、俺は気付いた。お前を騙す必要は無いってな。それから俺は自分自身を騙すようにした」

 そうだ、俺は人を騙すのは好きではない。だから彼を騙すのは不可能に近かった。だが、自分自身に嘘をつくという技には経験があった。そう、父が死んだと聞いたときも、有愛が死んだときもそうだった。俺は父が、彼女が死んでないと自分に嘘をついて現実から逃げようとしていた。その力が活かせる時だと分かった。

「俺は手札を見て、弱い手札と強い手札を自分の中で逆だと言い聞かせた」

 フルハウスが出来た時、本当の俺は強い手札だと思うだろう。だからその時に、これは弱い手札だ。勝負したら確実に負けるような手札だ。と自分に言い聞かせた。そして顔に表れたのはその俺という事だ。

「つまり、お前は『俺』に騙されたんじゃない。『騙されている俺』に自ら騙されにきたんだ」

 そこまで俺が言うと彼は鼻で笑って立ち上がり奥にあるテレポート装置に向かって歩き始めた。もう帰るつもりなんだろう。大人しく負けを認めて帰ろうとしたんだろう。だが、俺は最後に言う事があった。それは天使として言うべき台詞だった。

「良い勝負でした。またいつかやりましょう」

 そう言うと彼はこっちを見ないまま舌打ちしてテレポート装置に入って部屋から消えて行った。


 それから俺は有愛の前に立って有愛を見つめていた。少しの沈黙の後、有愛は口を開いた。

「何で?」

「ん?」

「何で、兄貴はここまでしてくれるの?」

 俺がここまでする理由が有愛は分からなかったんだろう。母が有愛の事を心配しているのは本人は知らない。母は本人に言っても逆効果だと思っていたんだろう。そして俺は答える。

「それは二つの約束を果たすためだよ」

 俺がそう言うと有愛は首を傾げて聞き返す。

「二つの約束…?」

「あぁ、一つは母さんとの約束。有愛を守ってやれっていつも言われてたんだよ」

 そう言ったとき、有愛は目を潤わせて「お母さん…」と呟いていた。

「そしてもう一つは有愛。お前との約束だ」

「あたしとの約束…?」


 これは昨日。有愛が事故に遭う日に見た夢の続きだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「死んじゃった人が天国に行く地獄に行くかは天使と悪魔が『勝負』して決めるんだよ」

 そう母が言うと幼い有愛は泣き出した。

「じごくこわいよぉ…!いきたくないぃ…!」

 母が「有愛はまだまだ死なないから大丈夫よ」と言って慰めていた。その時、俺は泣いている有愛がうざかったのか、本気で心配だったのか今になっては分からないが、有愛の前に立って言った。

「大丈夫だ有愛!有愛がもし死んだら俺が天国に行かせてやる!」

 そう言うと母が少し驚いていて、有愛は涙を拭いながら俺を見て聞いてきた。

「ほんと…?」

「あぁ、本当だ」

 俺がすぐにそう言うと有愛は小指を立てた右手を出した。

「『やくそく』してくれる?」

 そう有愛に言われて俺は「あぁ、約束だ」と言って指切りで約束を交わした。

「お兄ちゃん大好き!」

 それから数年の間、有愛は俺の後を付いて来るようになった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「そんなことあったんだ…」

「まあ、小さい時の事だから覚えてないか」

 あの時の有愛は確か小学生になるかどうかくらいの歳だったはず。もちろん俺も小学校の中学年くらいの出来事だから鮮明には覚えていなかった。だが、有愛を天国に行かせたいと思った時、この約束を思い出した。

「お母さんにも兄貴にも心配かけてたんだね…あたし、最低だ…」

 そう言うと有愛の目から涙が零れ落ちた。それから有愛はすすり泣きを始めた。俺は掛ける言葉が見つからなくて悩んでいた。その時、後ろから「おめでとうございます」と聞き覚えのある優しげな女性の声が聞こえた。振り返るとミカさんが立っていた。恐らくその奥にあるテレポート装置から来たのだろう。

「ミカさん、今までどこに?」

「私は別室で勝負を見届けて居ました」

 彼女がそう答えて俺は頷いて納得する。別の部屋から見れるからこの争奪場には居なかったのか。

「ちょっと兄貴…その人誰?」

 後ろから有愛が俺の肩を指で突きながらそう聞いてきた。

「彼女はこの天国の案内をしてくれたミカさんだ」

「ふーん…下の名前で呼ぶような仲なんだね?」

 有愛は不審者を見るように目を鋭くさせてそう言った。「いや、それには事情があって…」と弁明しようとした時だった。ミカさんが口を開いた。

「その事に関して伝えたい事があるのですが」

 話を遮られ、俺は黙って彼女を見る。有愛も内容が気になっているようで黙って彼女の方を見る。

「私はミカという名前ではないのです。騙してごめんなさい」

 そう言って彼女は少し頭を下げる。名前に何か事情があるのは苗字を言わない時点で分かっていたから気にしてはいなかった。それにしても…

「じゃあ本当の名前は…?」

 俺が気になってそう聞いた。

「私の名前はミカエル。全能神ゼウス様に作られた大天使です」

 この世界が出来た時、同時に作られた大天使と悪魔王、その前者であるという事か。苗字が言えなかったのは苗字なんて物が無いから。

「そうだったのか…」

 俺はそう呟いて、この天国に来てからの事を思い出していた。天国でのシステムに詳しいのも納得がいく。この天国が出来たときから存在しているんだ。知らないことがある訳がない。

「ん、待てよ?」

 俺はふと気になった。

「じゃあミカ…エルさんはここにもう約二十万年居るって事か…?」

 そう聞くと彼女は黙って頷いた。

「なんか、タメ口ですいません」

 見た目が同い年か年下かにしか見えなかったから自然とタメ口で話していた事を悔いる。例え大天使じゃなくても加齢する事は無いから彼女の方が長く居るというのもよく考えれば当たり前だ。

「お気になさらず、この世界で年齢なんて何の意味もございませんから」

 彼女は笑顔でそう言った。この優しさや寛大な心も大天使の恩恵か。

「いや、あの全能神…?とか大天使とか言われても何の話か…」

 後ろから有愛がそう俺達に話し掛ける。そうか、有愛はここに来て争奪戦の対象にされ何も知らないからな。俺が全能神、大天使と悪魔王の話を有愛に説明しようと思って振り返った時だった。また別の声が聞こえてきた。

「なかなか面白い勝負じゃった」

 その声は聞き覚えのあるお爺さんの声。天国に来る前、最後に会った人物。声の方を見るとそこには黒いローブのお爺さんの姿があった。俺は爺さん…と声を掛けようとした時、俺より先に口を開いた人物が居た。

「ゼウス様…」

 ミカエルさんがそう声を漏らす。

「えっ、ゼウスって全能神の事か…!?」

 俺が思わずミカエルさんの方を見て聞くとコクっと頷いた。そういえば、有愛を天国に来させる事に夢中でお爺さんが何者か考えてもいなかった。全能神か…確かに神なら人間を天国に行かせるなんて容易い事か。

「お主はやはり新しい、面白い人間じゃ」

 お爺さんは俺の方を見てそう言った。

「新しい…?」

 俺には言葉の意味が分からなかった、新しくて面白い?どういう意味なんだ?と言葉の意味を考えていた時だった。お爺さんが顔の前くらいの高さに右手を上げた。すると手元に黄色い紙切れが現れる。その紙切れはホテル、天の地で見たチケットと同じような見た目だったから恐らくチケットだと思った。全体的に黄色いが少し輝いていて黄金とも言える見た目だった。

「お主に褒美をやろう」

 そう言ってお爺さんはそのチケットを俺の方に差し出す。俺は戸惑いながらそのチケットを受け取る。表も裏も黄色いだけで何も書いてはいなかった。

「これは…?」

 俺が首を傾げて聞くとお爺さんは答える。

「それは蘇生券じゃ。それがあれば天国に居る好きな人物を生き返らせて地上に行かせられる。一枚で一人じゃがな」

「…生き返る!?」

 俺は一瞬、お爺さんの言った事に理解するまで時間が掛かって遅れてそう驚いた。生き返らせられるなんて…そんな事も出来るのか…

(ん、でも一枚一人…?)

 俺はそう思いながら有愛の方を見た。

(どっちかしか生き返れない)

 そう気付いたが、する事は決まっていた。

「これは有愛にあげるよ」

 そう言って俺は貰ったチケットを受け流すように有愛の方に差し出す。有愛は驚いて声を荒げる。

「はぁ!?あたしが使うのはおかしいでしょ!兄貴が使いなよ!」

「いや、俺はいいって」

「あたしは天国に来させてくれただけで十分だから…兄貴が使ってよ」

 そうか俺が助けに来た挙句、更に生き返らせてもらうなんてなったら流石に遠慮するよな。だが、俺も使おうとは思わない。これで戻れば母は嬉しいかもしれない。けど。

「俺は有愛を見守る必要がある。母さんとの約束だからな」

 そう言うと有愛は目を潤わせながら俯いた。

「お母さんに心配かけてごめんなさいって謝りたい。でもそれは使えない」

 困ったな。折角貰ったのに使わないのも勿体無いしな。

(誰か生き返りたい人が居たら渡すか…?)

 そう思った時、ふと頭に浮かんだ。

「そうだ…!」

 俺はそう呟いてミカエルさんの方を見る。彼女は首を傾げて俺を見る。

「ちょっと探したい人が居るんだけど、どうしたらいいかな?」

 俺がそう聞くと彼女はすぐに答える。

「名前を言っていただければ現在地を探しますよ」

「名前は…『塩森 力一』俺の父だ」

 そう言うと彼女は目を閉じて俯く。

「まさか兄貴…」

 有愛が後ろからそう呟く。

「あぁ、父さんを生き返らせよう」

 俺がそう返すと有愛は「ふふっ、そうだね」と笑顔で言った。これが俺の思う一番の選択だった。俺達の意見も合い、両親も幸せになる。

「位置が分かりました。塩森力一さんは今市場エリアに居ます」

 そう言われて俺は思い出す。市場のような場所は確かあそこだ。この境界の地から天の地に行くまでの途中にあったはず。偉人の姿を見た恐らくあの場所だ。

「すいません、続きはまた今度話しましょう」

 そう言うとお爺さんとミカエルさんは黙って頷いた。そして、俺はチケットを片付けようと念じた。すると、チケットは透明になるように消えた。

「有愛、行くぞ!」

 俺は振り返って有愛の方を見てそう言った。有愛は機嫌の良さそうな顔で「うん!」と頷いた。俺達はすぐに走ってテレポート装置から外に出た。


 境界の地の待合室には数人天使と悪魔が居て視線が集まる。俺達は気にせず走って外に出て市場の方に向かった。数分走っていると市場が見えてきた。

「この辺のはずだ…」

 俺がそう呟いて俺達は辺りを見渡す。いろんな人が居るからすぐには見つからなかった。俺達は周りを見て父が居るか確認しながら市場の中央に向かって歩いた。中央には噴水のようなオブジェがある。その近くには数個の木で出来たベンチがあって、その中の一つに座っている男性が居た。その姿に俺は思わず涙する。

「父さん…!」

 記憶にある父の、事故に遭う前と変わらない姿。俺の声に気付いて父はこちらを見る。一瞬、目を凝らして誰かを考えているようだった。だが、すぐに驚きつつも喜ばしい顔になった。

「優一か…!?もしかして後ろに居るのは有愛…なのか!?」

 父はベンチから立ちあがってそう言った。俺達は微笑みながらゆっくりと父の方へと歩く。

「あぁ、塩森優一だよ。久しぶりだね、父さん」

「お前達何でここに居るんだ…?まさか…お前達も…」

 父はそう言って不安そうな顔になった。

「有愛は事故にあったんだけど、俺は自らここに来たんだ」

 そう言うと父は少し悲しそうな顔をしていた。

「そうか…舞は今一人に…」

 母が一人になっている事に気付いて父は力が抜けたようにベンチに座りながらそう言った。やはり俺の選択は間違ってない。俺はそう思いながら右手を出してチケット出てこいと念じた。ゆっくりとチケットは現れる。俺は出てきたそのチケットを手の平と親指で挟むようにして掴んだ。

「父さん、このチケット使って」

 そう言って父の方にチケットを掴んでいる右手を差し出す。父はゆっくりと手を伸ばし、それを受け取る。七年ぶりに父と会ったんだ。話したい事が山程ある。だが、それ以前に母の元へ行ってほしかった。

「これは…?」

 父はチケットを眺めながらそう聞いてきた。

「それがあれば生き返って地上に戻れる。生き返って母さんとまた暮らしてほしい」

「お前達は良いのか…?」

 父は俺達を交互に見てそう聞いた。

「母さんは俺達に会えるのも嬉しいだろうけど、父さんに会える方がもっと嬉しいと思う」

 俺がそう答えると有愛もうんうんと頷いていた。

「ふっ…お前達、立派になったな…」

 父は微笑みながらそう言って俯く。父の目からは涙が流れていた。

「お前達は自慢の息子と娘だ…!」

 父はそう俺達の方を見て言った後、目を閉じて念じていた。恐らくチケットを使うと念じているんだろう。その瞬間、チケットは透明になるように消えていく。それから父の体が光を帯び出した。ゆっくりと父の姿が透明になっていく。

「ありがとう、優一、有愛」

 父がそう言って笑顔を見せた時、父の姿は完全に消えた。

「これで良かったんだよな」

 俺がそう呟いた。自分自身に問いかけてもいたが、有愛にも確認をしたかった。

「お兄ちゃんらしくていいんじゃない?」

 返答には驚かなかったが違うところで驚いて俺は思わず有愛の方を見る。有愛は何か変な事言ったかな?と言わんばかりに首を傾げていた。

「今お兄ちゃんって…」

 俺がそう言うと有愛は顔を耳まで真っ赤にして「言ってないし!!クソ兄貴!」と言って顔を背ける。俺が聞き間違えたとは思えなかったが、聞き間違いだった事にする方が良いと察して俺は「そうか」と微笑みながら言った。

「それじゃ行くか…!」

 俺はそう言って伸びをした。勝負も終わり父は生き返って俺は一安心したからか精神的に疲れていた。体が疲れている訳ではないから伸びをするのは意味が無いかもしれないが、気分的にしてみた。

「どこに?」

 有愛がそう聞いてきた。何も言わなかったらそりゃそう疑問に思うだろう。

「天の地っていうホテルみたいな場所があってな、そこに住める部屋があるんだ」

「そっか、あたし達これからここで暮らすんだ…」

 有愛は何とも言えない顔をしていた。不安そうにも寂しそうにも見えるがそこまで嫌そうでもない。

「大丈夫だ、案外こっちの方が現実より良かったりするから」

 経験談で有愛を安心させようとする。間違いなくあの部屋は現実の部屋より快適だ。そこに偽りはない。

「さぁ行こう、『俺達の家』に」

 俺がそう言うと有愛は微笑みながら「カッコつけすぎ、キモいよ」と言って勢い良く俺の手を取ろうとした。その言葉はいつもと違って優しく聞こえた。そう思っていると有愛は俺の体を通り抜けてバランスを崩し、顔から地面に転んだ。

「あっ、触れられないんだった」

 思わず手を繋ごうと思ったが、ここじゃ体が実在してないから触れないんだった。

「早く言えよ!クソ兄貴!」

 顔を赤くしてしかめっ面になった有愛はそう放った。強い言葉だったが俺は思わず笑いながら「ごめんごめん」と言った。今は本当に有愛の、この言葉を気にしていない。こんな事を言われるのも近くに居るから出来た事だ。有愛も俺が笑っているのにつられて笑う。俺の選択は間違えてない、これで良かったんだ。そう深く感じた。俺達はそれから天の地へと向かった。横に並んで一緒に歩いて。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 兄妹が出て行って、私とゼウス様は争奪場に残された。彼は満足げな顔をして黙っている。

「ゼウス様一つお聞きしたい事があるのですが」

 私がそう言うと彼は「なんじゃ」と言って私の方を向く。

「何故、彼を、塩森優一を天国に来させたのですか?」

 彼を直接天国に来させた彼のその行動の意図を知りたかった。はたまた彼に何か特別な想いがあるのか。

「例えば、ミカエル。お主が誰か一人の人を助けたいと思ったとしよう。その時、お主にはいくつの選択がある?」

 ゼウス様は私を見ながらそう言って首を傾げる。いくつの選択…?

「助けるか助けないかの二択では?」

 私がそう言うと彼は頷きながらも否定する。

「お主は二択かもしれない、が人間には無限の選択肢が存在する」

「無限の選択肢ですか…」

 私には他にどんな選択があるのか分からなくて困惑した。

「彼は新しい選択を見せる。そう思っただけじゃ」

 ゼウス様はそう言って水晶を出現させると、水晶の中に映る人達を見ている。その人物は塩森力一とその妻。彼等が地上の家で暮らしている様子を彼は見ていた。

「これも新しい選択の一つ。彼は面白い物を見せてくれた」

 ゼウス様はそう言って笑いながら姿を消した。またどこかへ行ったようだ。彼が普段何をしているのか何が目的なのか、私には分からない。いや、この世界の誰も知らない。

「私も帰るとしますか…」

 誰も居ないその場所で私は一人呟いた。


fin

いかがでしたか?ちなみにタイトルが二つの約束『編』とある通り、続編を考えてはいます。評判次第ではすぐに書くかもしれません。ちなみに続編の内容を少しだけ言うとまだ名前も出て居ない悪魔王が関連してくる話となります。評価や感想を書いたりしていただけると作者の糧になりますので是非お願いします。

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