国破れて山河あり 頭春にして草も生えない
豚の首がなんだって?
一通り無駄なことをして何もかも馬鹿らしくなった僕は、生ゴミと腐臭が織り成す素敵な香りに顔を顰めながら四畳半で横になった。そのまま塵にでもなりたい。目を閉じる。
いつだってそうだ。仮に人生を物語として表現するなら僕のプロローグは偉く大層な出来だろう。長々とそれらしいことと名言っぽい何かが詰まっていて、中身はその実何もないが何か起きるのではないか、起きないのではないかという期待をさせる。そして多分僕の本はプロローグで終わっている。
結局終わってみるまではわからないぞ、というのは最もなことだがせめて先行きは見えてもいいのではないか、計画を立ててもいいのではないか。それすらできないのか。そうか。
人間がどうとか悟りを開いた気でいたが、結局のところ暇つぶし以外の何物でもない。それよりやることがあるけれど、そこから逃げているだけだ。レールの話にしても同じだ。
散々レールを外れた気でいたがいつまでたってもレールが見える位置から離れようとはしない。
なんなら実は今もメジャー路線からマイナー路線に移行しただけなのではないか。
何か一つでも自身の手で掴み取ったことがあったか。
規定路線の上、寸分の違いなくなぞるだけの人生ならば、果たしてこの人格は意味を持つのか。
無駄なことしか考えることが出来ぬ脳ミソは、それがどうにも嫌いらしくて、天邪鬼な精神と一緒に一揆を企てているようだ。確かに薄っぺらく社会に埋もれていくよりは、どうにもできないイデオロギーの圧倒的衝突の末、腹でもかっさばいて死にたい。そういう願望がある。敵わぬと知りながら一人刃を向ける、そう刃向かうのだ、社会に。
革命家ばりの演説口調で天邪鬼な脳みそは語る。人格の、あるいは反逆することの意味のあるなしを語るべきか?常識を盾にやらない努力をすること、それこそ一番の無駄だろう。行動を起こせ、自身で掴み取るのだ。反逆だ。反逆こそが人間の本質なのだ。おぉ、と脳の中の観衆が湧く。いつだって大衆は愚かだ。それらしい言葉にすぐに騙される。
世の中は理不尽で溢れている。不平や不満は尽きることなく、不都合で不合理な真実が罷り通る。しかし、そうでなくてはならない。そこが人間としてのスタートなのだ。もとより人類など現世という地獄に適応した魔界の生き物。悪魔的に思考せよ。すでに我々は自然という大道に反逆しているのだ、何を今更迷うことがあろう。
豚の生首に自分を探していたが、目を閉じればそこにはいつだって自分自身しかいない。逃げ場を無くした僕の常識と理性は役に立たない脳みそとただ只管に天邪鬼な精神に扇動されたシナプスどもに追いやられた。かくして一揆もとい革命は成功した。
目を開く。