第1話
シェリーはノッポでやせっぽち。
でも、歩き方は奇麗。
シェリーの低い鼻のまわりはソバカスだらけ。
でも、肌は真っ白。
シェリーに親はいない。
だけど、仲間がいる。
小さい頃からそんな風に、悪いところのあとで良いところを数え上げるのが癖になっていた。
大きくなるにつれ、それはこんな感じに変化していた。
枯れ枝のようなシェリー、箒のようなボサボサ頭。
でも、歩き方だけは奇麗。
大きな丸メガネに古びた黒い服。
でも、レンズの奥の瞳は湖のように澄んだ緑色。
シェリーは愛されぬ妻。
だけど、夫はシェリーにとてもやさしい。
◇ ◇ ◇ ◇
――ウフフフ、フフフフ……。
――アハハハ……それでさあ!
「まただわ……」
舞踏会を抜けてまで探しにくる必要はなかった。生垣の中から聞こえてくる男女の親しげな睦み声。ひとつは聞きなれた夫のものだ。割り切っているはずなのに。胸の奥に鈍い痛みが走り抜けた。
――ガサッ!
見てはいけないとわかっているはずなのに、腕が勝手に生垣を搔き分けていた。
夫が――真っ赤なドレスの女と密着し、彼女の耳元で囁きながら大きな笑い声を上げていた。黒い髪の毛を派手に結い上げたその女は、扇を広げ顔を半分隠したまま、夜空を見上げて高笑いを続けていた。毎度、毎度で気が滅入る。なぜ、なんど言ってもやめてくれないのか。女たちとのアバンチュールを。
特にこんな月夜の晩は、わたし以外にも誰が見ているかわかったもんじゃないのに。
「ふんっ! 勝手にすればいいわ……!」
頭を沸騰させながら踵を返し、大きく足を前に1歩踏み出した。
――パキンッ!
「しまった……」
足元にあった枯れ枝を踏みつぶしてしまった。
「きゃっ! なに……?」
「……ねずみさ。痩せ細った、背の高いねずみ」
「ガリガリのねずみが? チーズでも探しているのかしら……?」
「男のチーズをね……。クレオ、そろそろ行くよ」
「アレックス! お別れのキスは……?」
「おお、ごめんよ……」
――ダダッ!
リップ音が聞こえてくる前に駆け出した。
「シェリーメイ! シェリー!」
今夜の舞踏会の主役、女主人のスミス夫人がでっぷりとした身体を揺らしながらわたしを呼んだ。
「スミス夫人……」
「夫人はよしてよ。マーサと呼んでちょうだい。あら? ご主人は一緒じゃないの? あなたの夫のアレックスはどこ?」
「……いつものように、庭でおたのしみですわ。わたし以外の誰かと」
「まあ! こんなにかわいい新妻をほったらかしにして? シェリー! ちゃんとアレックスに釘を刺しておかなくてはダメよ。せめて、一緒の舞踏会に参加しているときぐらいは自重してくれって! でないと……わたくしたちのように仮面夫婦になるわ」
「スミス侯爵夫人、誤解です! わたしと妻はさきほどまで、一緒に夫人ご自慢の庭の生垣にいました。そうだろ、シェリー? わたしたちは夫婦だ。いつも同じ時間、同じ空間を共有している」
「アレックス……!」
いつの間にか、夫のアレックスがわたしの真後ろに立っていた。私もノッポだが、彼はそれ以上だ。わたしより頭1つ分は背が高い。夫はゆるやかなウェーブを描いた金髪を燭台の下できらめかせると、美しいブルーアイでわたしの緑色の目をのぞきこんだ。白い肌、高い鼻、美しい歯並びと、それに負けないぐらい優美な身のこなしをする若者。誰もがひと目で恋に落ちる男。それがアレックスだ。
こんなすてきな殿方が、細枯れた貧乏女と結婚した理由がわからない。それがわたしたち夫婦を見た者、全員の率直な感想だ。わたしもそれに賛同する。アレックスが地味な女と結婚した目的、それが何かをわたしは知らない。でも、これだけは確信している。夫はわたしを、殺すつもりだ。
「アレックス……わたしはあなたと生垣の中でキスはしていなくてよ? いやらしい睦言もね?」
「あんな開けた空間で、妻とキスはしないよ。君とするときはもっと……暗くて、誰もいない場所でないと……」
「アレックス……」
アレックスの瞳が妖しく蠢き出す。わたしはそれだけで、身動きが取れなくなる。昔も今も、わたしは彼に夢中だ。こんな惨めな結婚生活にしがみついているわたしの本心、それは――一分一秒でも彼のそばにいたい、ただそれだけだ。アレックスにとっては、迷惑千万な考えなのだろうけども。
「シェリー! さっさと帰って、夫婦だけの会話をなさい? ボディトークも必要よ?」
「マーサ……」
「では、夫人、お言葉に甘えて……ダンスはあきらめて、妻とのスキンシップに励むと致しましょう! すてきな夜を、どうもありがとうございました。さあ、行こう、シェリー!」
「アレックス……!」
アレックスはスミス夫人にウインクすると、わたしの手を取り歩きはじめた。うしろを振り返ると、顔を赤らめたスミス夫人が小さく手を振っていた。すべての女を虜にする魅力的な夫。だけどあなたは、わたしの心をジワジワと殺していく。
――カポッカポッカポッカポッ……。
「帰りの馬車は、やけにゆっくり進むな……御者が居眠りでもしているのか?」
「あなたが予定より早く帰って、メイド長のエヴァに小言を言われないよう、わたくしが配慮いたしておりますのよ」
「そうか! さすがにシェリーは、賢夫人と呼ばれるだけあるな! 褒美に放蕩夫から、熱いキスを送ってしんぜよう」
「アレックス……その前に! 毎度、毎度、この体勢はどうにかならないものかしら?」
「なんでさシェリー! こうじゃないと落ち着かないよ! 1分1秒でも、君と離れなくないんだ!」
「…………」
アレックスは不思議な人だ。スミス夫人は自分たちが仮面夫婦だと言っていたが、わたしたち夫婦はその真逆だ。彼は、皆の前ではわたしにそっけないが、2人だけになると途端にベタベタしてくる。
今だってそうだ。わたしを自分の膝の上に乗せ、腰に手をやり抱きしめている。さきほどの美女との逢瀬を誤魔化すためだろうか。いやいや、アレックスがそんな罪悪感や計算高さを持ち合わせているようには思えない。だとしたら、いったい何が目的なのだろう。
アレックスのそのギャップに、わたしの気持ちは毎日あがったりさがったり。それが地の底まで下がるたび、わたしは死にたくなるのだ。
「シェリー……アダブカタブラ……アイラブユー……」
「アレックス……」
アレックスから深いキスを受ける。わざとだろうか。彼の真っ白な頬に真っ赤なキスマークが見える。情事の跡を隠しもしないアレックスの所業に、一気に現実に引き戻される。
猛烈に過去をやり直したくなった。アレックスと再会した、あの王立魔法大学校の入学式からもう1度。