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第4話:白の王子

「やあ、こんなところにいたのかい」


 突然話しかけられ、驚いて顔を上げると、そこにはレイモンドが立っていた。


「あ……申し訳ございません。なにかご用でしたでしょうか」


 慌てて立ち上がろうとすると、すっと手を差し出され、ヴィヴィアンは困ったように微笑むとおずおずと自分の手を乗せた。


「君ともっと話をしたくて。探していたんだよ」

「わたくしを……ですか?」


 ここにはふたり以外、誰もいない。

 それなのに、レイモンドは穏やかな笑みを絶やさず、優しくヴィヴィアンに語りかける。

 それがどうにもくすぐったくて、ヴィヴィアンは思わず下を向いてしまった。


「どうしたの? エドワードがなにか失礼なことをしたのかい?」

「いいえ! 違います」

「では、疲れさせてしまったかな……そうだ。お茶を用意させようか?」

「いいえ。本当に大丈夫です。あの……」

「うん? なんだい?」


 レイモンドは、屈みこんでヴィヴィアンの目を覗き込むようにして尋ねた。


(ち、近い近い近い!)


 ヴィヴィアンは自分の顔が熱くなるのを感じた。


「あの……今は、誰もいませんし……。その……演じる必要はないと思います……」


 ヴィヴィアンが言葉に詰まりながらもなんとかそう口にすると、レイモンドは少し寂しそうに微笑んで上体を起こした。


「演技などではないよ。僕は本当に、君のことを知りたいと思っているんだ」

「え……?」


 驚いて目を丸くするヴィヴィアンに、レイモンドは小さくため息をつく。そして乗せただけだったヴィヴィアンの手を、ぎゅっと握ると、そのまま引き寄せる。


「あっ」


 ヴィヴィアンが小さく声を漏らした時には、もうレイモンドとの距離は、ドレスの胸元が触れそうになるほど近づいていた。

 ダンスの時のように、腰に手が添えられる。だが、ヴィヴィアンはあの時のようにレイモンドの顔を見ることは出来なかった。

 そんなヴィヴィアンの様子に、レイモンドが優しく囁く。


「広間から音楽が聴こえる。――お嬢さん、僕と踊っていただけませんか」

「こ、ここで……ですか?」

「そうだよ。さあ」


 腰に置かれた手に力が籠り、レイモンドの足が一歩前に出ると、ヴィヴィアンはのけ反りそうになりながらも、その動きに従った。


「その調子、その調子」


 レイモンドのなだめるような口調に、ヴィヴィアンが顔を上げると、微笑みをたたえた優しい緑の瞳にぶつかった。その距離はあまりにも近く、綺麗な瞳の中に映る自分さえも見えるほどだった。瞳に映るその表情は、戸惑い、こわばっている。ヴィヴィアンはまだ、誰も見ていない場所で芝居を続ける彼の考えがわからずにいた。


「誰の目もないからといって、君と親しくしてはいけないわけでは、ないだろう?」

「それは……」


 それは確かにそうだが、身分が違いすぎる。

 エドワードからの依頼がなければ、そもそも侯爵家の夜会になど招かれるはずもない。ヴィヴィアンとレイモンドは、同じ貴族社会に属していながらも、その行動範囲はかぶることのない存在なのだ。会うことがなければ、親しくなることもない。


「――やはり、このお話は……私には荷が重すぎるような気が致します」

「そうかな。僕は適任だと思っているよ」

「え?」

「なにより、僕が君をとても気に入っているからね」


 その時、突然部屋の扉が開けられた。

 ヴィヴィアンが驚いてそちらを向くと、そこにいたのはこの屋敷の主、ヴァルキリー侯爵夫人だった。


「まあ! まあまあまあ! まあ~!」

「あの、これは……そのっ」


 混乱して言葉がうまく出てこないヴィヴィアンをその背に隠すように、レイモンドが一歩前に出る。

 すると、彼の肩に隠れてヴァルキリー侯爵夫人の姿は見えなくなったが、同時に、夫人の驚いたような声も止んだ。


「侯爵夫人、お部屋をお借りしておりました。少し……ふたりきりになりたかったのです」

「まあ……。よろしいのよ。レイモンド様のロマンスがこの屋敷で生まれたとなると、わたくしも光栄ですわ」

「え? あの――」


 ヴァルキリー侯爵夫人の飛躍した物言いに、思わず言葉を出しかけたヴィヴィアンだったが、伸ばされたレイモンドの腕に制止され、慌てて口をつぐんだ。

 だが、そんなレイモンドの行動もまた、ヴァルキリー侯爵夫人には、まるでヴィヴィアンをかばっているように見えたようだ。


「まぁ……。そちらのお嬢様は、まだレイモンド様のお気持ちに戸惑っていらっしゃるのかしら? 大丈夫よ。わたくしはあなたを応援しますわ」

「お気遣いありがとうございます。ええ……私の気持ちが急いたせいで、彼女を戸惑わせてしまっているようで……。どうかもう少し、ふたりきりにしていただけると嬉しいのですが」

「ええ、勿論ですわ。では、邪魔者は立ち去りますわね。このお部屋には誰も近寄らせませんわ。その代わり、後でそちらの幸運なお嬢様を紹介してくださいませね?」

「勿論です。ありがとうございます」

「あの……わたくしは――」


 なんとか声を絞り出したものの、言葉の途中で無情にも扉は閉められてしまった。

 これは一体どうしたことか……。

 事前に聞いていた話にも、こんな展開はなかったはずだ。それでも、下手に口を開いては依頼内容に触れそうで、とうとうヴィヴィアンはなにも否定できなかった。


「社交界での、ヴァルキリー侯爵夫人の異名を知っているかい?」

「いえ、存じあげません」

「おしゃべりオウム」

「え?」


 ポカンと口を開けたヴィヴィアンを見て、レイモンドが楽しそうに笑う。


「彼女は、この国きっての噂好きだそうだ。しかも、人から聞くよりも、自分が情報源となって言いふらしたいのさ。僕たちが今夜、部屋にふたりきりでいたことは、明日には貴族中に広まっていると思うよ」


 異名の意味をやっと理解したヴィヴィアンは、血の気が引く思いだった。

 そんな噂を流されては、益々婚期が遠のくではないか!


「え! そそそそそんな!」

「困る?」

「困ります!」

「でも、実際僕たちはこの部屋でふたりきりだった。そうでしょう?」


 それはそうだが、事実とかけ離れた噂を広められるのは困る。しかも、ダンスをしていたたけ、ふたりの身体は密着していた。それがどのようにヴァルキリー侯爵夫人の目に映ったのか――考えると頭が痛い。


「おまけに、彼女は世話好きでも有名な方でいらっしゃる。それに、あの方ご自身も、身分差を乗り越えてヴァルキリー侯爵と結ばれたそうだ。きっと、君の味方になってくれる」

「身分差……」

「元々は子爵令嬢だったそうだよ」

「はぁ……って、そういう話じゃないんですよ! いいんですか? 計画では、そんなに大事おおごとにするつもりではなかったのでは……」


 噂はどのように広がるか分からない。

 それは、この計画を実行する上では困ったことにはなりかねないのだ。


(噂が独り歩きしてしまったら、どうしよう……)


 ヴィヴィアンが心配するのも仕方がない。それほど、この計画を知る人物は限られていた。


「そう? かえって手っ取り早く事が片付くと思わない?」

「そうでしょうか……」

「広間でのダンスだけで、ひとり釣れたけれど、ヴァルキリー侯爵夫人が噂を流してくれたら、もっと効果が出ると思うよ」

「もっと……ですか。はははは……」


 想像すると、乾いた笑いしか出てこない。


(やっぱり、私には……荷が重かったかも……)


 肩を落とすヴィヴィアンに、レイモンドがクスリと笑った。

 笑いごとではない。

 そもそも、レイモンドが国政や陰謀に、巻き込まれないようにするたけの計画なのだ。それなのに、当人自らが噂の種をばらまいてどうするというのだ。


「ねえ。今、この話を受けなければよかった~なんて、後悔してる?」

「――ええ」

「ごめんね? でも僕は、広間で君の姿を見て、ひと目で気に入ってしまったんだ。本当だよ? あんなにたくさんいる広間で、君ひとりが浮かびあがって見えたんだ。僕の目を、君だけが惹きつけた」


 そんなことはあり得ない。

 今まで三年間、ずっと壁の花だったのだ。そんなヴィヴィアンがレイモンドの視線を惹きつけたなど、信じられるはずがない。


「それは……エド――エドワード様が、事前に特徴を教えていたからではないですか?」


 計画には参加したものの、事前にレイモンドとの顔合わせは叶わなかった。

 どれだけ周りに気を配っていたとしても、どこで誰の目に触れるとも限らない。


“レイモンド侯爵は、夜会でとある男爵令嬢に、ひと目で恋に落ちた”


 このインパクトが必要なのだ。事前の顔合わせがどこかで漏れるのは避けなければならない。と、エドワードは力説していた。

 これが、きっかけとなり、水面下で動いていた人間たちが浮上するだろうと。

 それぞれが思い描いていた恋敵が相手ではなく、まったく思いもよらないところから、現れたともなると、出方を変えるだろう。その本当の姿をあぶりだすために、協力して欲しいと。

 そしてヴィヴィアンは、最先端のものを新しく用意してもらうのではなく、手持ちの流行遅れのドレスの中から、エドワードが選んだものを着て、夜会に臨んだのだ。だから、いつもどの夜会でも相手にされなかったヴィヴィアンそのままの姿がそこにあった。当然、出席者は鼻で笑い、ひと目で対象外だと切って捨てた。

 だが、レイモンドが選んだのは、冴えないヴィヴィアンだった――。


 名門侯爵家でおこなわれる、今シーズン最初の大きな夜会で、何年も前の流行遅れのドレスを着ている者など、ヴィヴィアン以外にはいなかった。レイモンドにとって、ヴィヴィアンを探すことは、容易かったはずだ。


 だが、レイモンドはすぐに首を横に振った。


「いや。そういうことではないよ。確かに、君がその協力者であることはすぐにわかった。――でも、すぐに、協力者が君であることが喜びに変わったんだよ」


 しっかりと目を見つめて話すレイモンドから、ヴィヴィアンは目を逸らすことができずにいた。

 こういうのは慣れていない。

 いつか、自分を見初めてくれる男性が現れるだろうと、漠然とした思いは持っていたが、まさかそれがレイモンドだとは思っていなかった。

 顔に熱が集中する。

 ドキドキと胸が高鳴り、動けずにいたヴィヴィアンの手を取ると、レイモンドはそっと持ち上げ、指先に軽くキスを落とした。

 ピクリと反応した手を、レイモンドがもう片方の手をかぶせ、包み込む。


「こういうのも、慣れてくれると……嬉しい」


 熱のこもった言葉に、ヴィヴィアンは何も返せなかった。

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