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第20話:近くて、遠い

 自室のカウチに座りお気に入りの本を開くも、分厚く包帯が巻かれた手が目に入り、物語の内容は頭に入ってこない。ヴィヴィアンは、文字を追うことを諦めると、ぼんやりと外を眺めた。そこに、控えめなノックが聞こえた。返事をすると、メイドのカーラが入ってきた。心配そうに眉尻を下げ、手にはカゴを持っている。


「お嬢様、お加減はいかがですか?」

「もう平気よ。大げさね」


 カゴには、塗り薬と交換用のガーゼと包帯が入っている。医師による診察が必要なくなり、こうして日に二回、カーラがガーゼを取り換えてくれていた。

 大げさだというヴィヴィアンの言葉は本当で、もう殆ど痛みはない。右手中指の爪が剥がれかかっていたため、包帯も過剰に巻かれているが、それも本来なら必要ないほどには回復していた。

 回復していないのは、心の方だと、ヴィヴィアンは自覚していた。


 あれから二週間が経つが、王都は今でもソフィアが企てた事件で大騒ぎだ。郊外にあるアンブラー男爵家の屋敷にさえも、その騒ぎは聞こえてくる。その中でも、一時的に捕らわれの身となったヴィヴィアンを心配する声が大きい。あまりお付き合いをしたことがない人物からも、お見舞いのカードが届くのだから、この件は一体どこまで広まっているのだろうと、頭を抱えたくなる。思わず小さくため息をつくと、ガーゼを取り換えていたカーラが手を止めた。


「まだ、お痛みになりますか?」

「いいえ。違うの。手じゃないのよ。私、こんな風に噂の的になってしまって、これからどうしようかしらって、憂鬱になっていたの」

「そうですわよねぇ……。あの……お嬢様、お会いにならないのですか?」

「お会いにって……誰と?」

「そんなとぼけても、無駄ですよ。お嬢様ったら、しっかりとあの方からのお手紙を別にしていらっしゃるでしょう?」


 机の上には、数通の手紙が置いてある。返事を書こうと机には向かうものの、結局一文字も書けないまま、諦める日が続いていた。カーラはそれを言っているのだろう。


「お世話になったのだから、お返事を書かなければと思っているだけよ」

「あの方は……それだけではなさそうですが」


 分厚い手紙からも、単なるご機嫌伺いの手紙でないことくらい、カーラにも分かる。だが、ヴィヴィアンはなかなかその手紙に返事を書こうとはしなかった。


「今は……きっと、まだお忙しいでしょうから」

「まさか、こんな騒ぎになるとは思いませんでしたわね」


 巻き終えた包帯を確認しながら、カーラもため息交じりに呟く。

 本当だ。まさか、こんな大きな事件になるとは、思わなかった。



* * *



 あの日、助けに来てくれたエドワードとクロエと共に、馬車に乗り、ヴィヴィアンはアンブラー男爵家に送り届けられた。

 ボロボロのドレスを纏い、手に怪我をした娘を見て、ふたりともとても驚いていた。

 エドワードが、両親にどう説明したのかは分からない。ヴィヴィアンは、すぐに着替えと怪我の手当てが必要だったため、クロエとカーラに付き添われ、別室へと連れて行かれた。そのため、彼らの話を聞くことはできなかったのだ。

 ヴィヴィアンへの説明は、クロエがしてくれた。

 レイモンドを運命の相手だと信じ、またレイモンドもそう感じていると思い込んだソフィアは、“おしゃべりオウム”の異名を持つ伯母、ヴァルキリー侯爵夫人を利用し、様々な噂を流した。それは主に、自分の恋敵になるであろう、名門貴族の令嬢に関わる噂だった。だが、バセット公爵に対し、いい感情を持っていなかった貴族もいたため、自然と反国王派が不穏な動きを見せたと勘ぐる者がいた。今回のエイヴォリー公爵の噂も、ソフィアが広めたものだった。


「ですが、エイヴォリー公爵はとても人望のある方でした。調べても尻尾を見せません。それどころか、クリスティーン様には以前から別のお相手がいらっしゃった。そこで、これはおかしいとなったのです」


 それを調べるためとはいえ、あの夜会の夜、レイモンドとエドワードが、側近を動かしてしまったのが間違いだった。

 手薄になった状態ではヴィヴィアンを守り切れないと判断した彼らは、クロエを伴い屋敷に戻らせることにした。ソフィアはそこを狙ったのだった。


「発見した時、彼女はまるで本当に盗賊に襲われたかのように振る舞っていました。ヴィヴィアン様を、残して来るしかなかったと泣き崩れたのです。本当に、恐ろしい女です」

「ソフィア様が……」


 自分も被害者だと訴えるソフィアだったが、縁談話も屋敷の改装も嘘だった。クロエの目の前でそんな嘘を並べ立て、ソフィアをまんまと馬車に乗せたこともあり、レイモンドの指示で兵士に引き渡された。

 彼女は最後までレイモンドに対し、自らが婚約までした恋人同士であるかのように話し、懇願したと言う。ソフィアは本当に自分が正式な婚約者だと思いこんでいたのだろう。


「ソフィア様は白昼夢でも見ていたのかしら……」

「そんな呑気なものではありません」


 クロエは咎めるが、あんな目に遭ったというのに、ソフィアに対してはなぜか怒りが湧いてこなかった。

 ただ虚しさや悲しさと似たような、複雑な心境が渦巻くのだ。

 ソフィアの気持ちが分からないでもない。ままならぬ気持ちを持て余した結果、それが爆発し、暴走してしまったのだろう。そう考えると、ヴィヴィアンはそうならなかっただけで、根は同じなのではないかと思えたのだ。


「ですが、リルバーン伯爵家のこれまでの貢献度から、称号はく奪とまではならないだろうという、見立てです。ですが、ソフィア様は静養という名目で領地に送り帰され、二度と華やかな表舞台には戻れないでしょう。伯爵も貴族院にはいられないでしょう。これを機に、反国王派も大人しくなることと思います」


 やけに冷静に、そして事務的に話すクロエに、ヴィヴィアンは可笑しくなってつい噴き出した。こんな時に笑うなんて、場違いもいいところだろう。クロエも訝しむような目をしている。

 思えば、頬を叩かれた時からこのような雰囲気だったように思える。笑った理由をそう話すと、クロエは神妙な面持ちになった。


「あれは……申し訳ありませんでした」

「いいんです。クロエ様の仰る通りだと思います。私がそんなことをしたところで、なんの役にも立ちません。それに、悲しいことに、共に生きるほどの強さも、私にはありません」


 あれで、かえって目が覚めた。

 本当にエドワードに必要な人が誰か、自分が一体彼にとってどのような存在なのか、それが分かった気がする。

 あの時、もしも男の剣がヴィヴィアンを斬っていたら、ヴィヴィアンはそのたった一振りで倒れていた。ヴィヴィアンに出来るのは、そんな一瞬の足止めだけだ。武器を持った複数の男を相手にしなければならないという、エドワードの状況は変わらない。それが一体、どんな意味があるというのだろう。ヴィヴィアンは、命を投げ出しても、エドワードの役に立つことはできないのだ。


「私がしたことは、単なる自己満足だったのだと、今はそう思うのです」


 悲しそうに声を零すヴィヴィアンに、クロエは両手で優しくクロエの手を包み込んだ。


「生きればよいのです。生きていることが、大切なのです」

「私は弱い人間です。クロエ様のように、強くありません。なんのお役にも、立てません」


 だがクロエは、首を横に振った。


「そうではありません。ヴィヴィアン様に必要なのは、そのような強さではないのです。既にあなたはあの方のお心に存在し、そしてその存在こそがあの方の生きる証なのですから」

「あの方――」


「失礼いたします。お着替えをお持ちいたしました」


 ノックが聞こえたかと思うと、寝間着とタオルを両手に抱えたカーラが戻ってきた。

 それからはクロエとふたりがかりでヴィヴィアンの服を脱がし、湯浴みをさせた。身体を綺麗にし、両手の手当てをしてもらうと、ヴィヴィアンも疲れがピークに達していた。



 * * *



「お嬢様?……ヴィヴィアンお嬢様?」


 カーラの声に、ハッとしたように顔を上げると、カーラが心配そうにヴィヴィアンを見ていた。

 どうやら考え事の方に没頭してしまっていたらしい。


「やはり、ご気分が優れないのではないですか? お休みになりますか?」

「いいえ。大丈夫よ。ちょっと考え事をしていただけ。それで――なんだったかしら?」

「レイモンド様のことですわ」

「レイモンド様――」

「はい。お話によりますと、どうやらご婚約のお話がすべて白紙化となったようではありませんか。では、お嬢様にもチャンスはあるのではないですか?」


 やけに嬉しそうなカーラに、思わず失笑が漏れる。


「それは、ないわ」

「どうしてですか? だって、あんなにも熱心にお手紙を送ってきてくださって……。きっと、お嬢様とお会いになってるうちに、お嬢様の魅力に気が付かれたのですよ!」

「違うわ。お手紙も、本当に計画に協力したお礼や、身体の具合を尋ねた内容が殆どで、そういうのじゃないわ」

「それなら、なぜすぐにお返事を書かれないのです?」


 意外と鋭い指摘に、グッと言葉が詰まる。ヴィヴィアンはそれを、曖昧な笑顔でごまかした。


「実は、ペンを持つにはまだ手が痛いのよ。歪んだ下手な文字を見て、かえって心配なさるのではないかと考えたの。それに……侯爵様というだけでも恐れ多いのに、王弟殿下でもいらっしゃるのよ? 貧乏男爵家の娘は、釣り合わないわ」

「そんな風に仰らないでください。お嬢様は、素晴らしい方です。いつかきっと、お嬢様の良さに気づく方がいらっしゃいますわ」


 修道女になることを考えていると知らないカーラは、ヴィヴィアンを元気づけるように明るく言った。

 ヴィヴィアンもまた、それに「本当ね。早く現れてくれないかしらね」と軽口を叩く。


 そんな日が、更に数日経った。

 ヴィヴィアンが世間の騒ぎを遠くに感じながら、ゆっくりを日常を送っていたある日、庭に大きな馬車が到着した。

 降りてきたのは、正装のレイモンドだった。


 


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