おまけ・2 アイディン・イェシルメンの活動報告
妹、アイセルの結婚式は成功だったように思える。
伯父に我儘を言って魔術師団の一小隊を借りた。周囲からの魔力吸収を抑える術式を展開させ、妹を魔力生成による脅威から極力遠ざける。
術の詠唱などは式の邪魔になってはいけないと思い、会場の外で魔術を使った。
おかげで妹夫婦の晴れ舞台を見ることが出来なかった。
式に参加していた執事から、二人が無事に手と手を取り合って新婚旅行に出かけたと聞いて安堵する。
魔法陣の処理をしてから祝賀会に参加することにした。
母親から見苦しい格好で来るなと言われていたので、会場入りする前に体を身綺麗にする。
生やしていた髭も綺麗に剃り、これだけは勘弁してくれと主張していた長い髪も綺麗に一つに編んだ。
きちんとした正装を着たのはいつだったか。随分と久々のように思える。
詰襟のシャツや首を絞めるネクタイも、腰回りをきっちり締め付けるベルトも窮屈でならない。
いつものように適当な服を着てから魔術師の外套を纏っただけの恰好で参加をしたかったが、今日ばかりは妹のために正装することに決めていた。
鏡の前で支度が完璧かと確認をしていれば、両親が迎えにやって来る。
母は私の姿に厳しい眼差しを向けてから、「まあ、いいでしょう」と言った。
伯父上主催の祝賀会はたくさんの人が招待されているようだ。
今の時期は夜会もないので、ちょうど良いと思ったからか自らの子供を連れている人も多い。
若い娘を連れて話し掛けて来る者のほとんどに、うちの子はどうかと紹介されてしまう。
アイセルが結婚をしたから今度は私の番とでも思っているのだろうか?
結婚式に参加をしていない者は私が次期公爵とでも思っているのだろう。
残念ながら公爵となるのはイゼットだ。
媚を含んだ態度で話し掛けて来る者達にうんざりとしてしまう。
両親はそのようなことなど表情に出さすに、愛想の良い対応を繰り返していた。
私にはとても出来ない芸当だ。
昔、父に言ったことがあった。
――私は王位継承権を放棄しているので、王族としての務めを果たすつもりはない、と。
人生は妹が幸せになるための研究に捧げようと思っていた。
なので、仮に公爵家を任されても継ぐつもりはないと事前に伝えていた。
妹は幸せになったが、父に言った決意は揺らいでいない。
今となっては貴族としての付き合いやしきたりはまっぴらだと思っていた。
結婚も考えていない。
アイセルのような子が生まれてきたらと考えると恐ろしいと考えてしまう。
王家では数百年に一度、ああいった魔力生成とそれを受け止める神杯を持つ者が生まれることがあった。
そういった者達は、伝説の勇者となり、聖女となった。
しかしながら、神杯を持たず力を暴走させ、闇に葬られた御子も存在する。
アイセルは運が良かった。
魔術に詳しい祖父の元に生を受け、庇護をしてくれる王の時代に生まれた。
そして、魔力を受け止めることが出来る青年に出会った。
本当に奇跡のような話だと思っている。
もう、自分の役目は終わったのだと言い聞かせても、どうしてかすっきりとしない自分が居た。
その理由は分からない。
大勢の人の気に中てられてしまったからか、気分が悪くなって来た。
要人への挨拶は済んでいたので、両親に断って広場を後にする。
さっさと家にお暇したかったが、今日は妹夫婦の結婚式を祝う会なので早々に帰るわけにもいかない。
しばらく庭で散歩をする振りをしながら、頃合いを見て会場を後にするしかなかった。
庭を目的もなく歩きまわれば、どこもかしこも若い男女が睦み合っていて微妙な心境になる。
先ほどから気分が悪いのは幸せそうな男女を見かけたからだと思い込んでいたが、どうやら違ったようだ。
ついに立ち止まって、その場にしゃがみ込んでしまう。
妹のために使った魔術で魔力を使い果たしていたようだ。
念のために魔力補給をする錠剤を持って来ていたが、いつも着ている外套の内ポケットの中だった。
しばらくすれば回復するだろうと思い、残った力を振り絞りながら草木の茂みに移動をして、大人しくする。
口許を押さえながら、胃から込み上げてくるものを我慢していると背後より声を掛けられる。
「あの、大丈夫ですか?」
親切な誰かが声を掛けてくれたようだ。
あいにく背中を向けているので、姿の確認は出来ないが、声色からして大人の女性だということはわかった。
声を掛けてくれたことはありがたかったが、今はそっとしておいて欲しいと、手を振って大丈夫だと伝える。
しかしながら、親切なご婦人にはきちんと伝わっていなかった。
「誰か、人を呼んできましょうか?」
声が近くなったので、すぐ傍に寄って来てくれたのだろう。
「へ、平気です。少し飲み過ぎた、だけで。少しここに居たら楽になりますから」
「まあ、そうでしたか」
そう言えば立ち去ると思いきや、背後に居た女性は私の背中を撫で始めた。
「!?」
突然の行動に驚いてしまう。
見ず知らずの人間にここまで出来る人など居る訳がない。
「あの、私は大丈夫なので、そのような」
「申し訳ありません。見なかった振りは出来ませんので……」
そう言いながらご婦人は酔っ払い設定の中年男の背中を優しく撫でてくれる。
「すみません」
「いえ、酔った主人にもよくしておりますので」
「左様でございましたか」
女性は人妻だった。
どうして一人でうろついていたのか。ちょっとだけ気になったので聞いてしまう。
「ここへは、お一人で?」
「いえ、主人と一緒に来たのですが……」
「ですが?」
「……」
こちらがしつこく聞けば、ご婦人の旦那は別の女性と参加するので、自由にするといいと言われたらしい。
「なんて、酷い」
「酷くありませんわ。私がこのような場で、いつも居心地悪いような顔をしていたので、気を使って下さったのです」
仕様もない旦那だと思ったが、彼女にとってはそうでもないらしい。
こういうのを、寛大な女性と言うべきなのか? よくわからない。
「……自由にしてもいいと言われてもどうしていいのかわからなくって。こうやって、あなたの背中を撫でているのも、時間潰しの口実なのかもしれません」
彼女は「だから、本当にお気になさらないで下さい」と言って私の背中を撫でてくれた。
ご婦人に背中を撫でて貰っているうちに魔力も回復してきたようだ。
会話をしていたのも気が紛れて良かったのかもしれない。
立ち上がる時に手も貸してくれた。
向かい合ってみれば、女性の背がかなり高いことに驚くことになる。
背丈は義弟位だろうか。大柄な自分と頭一つ分位しか差がなかった。
彼女も同じようなことを思っていたようだった。
「まあ、とても大きな御方でしたのね」
「ええ、まあ」
残念ながら、薄暗い中なので女性の顔は見えない。
だが、どうしてかおっとりと微笑んでいるように思えた。
体の状態は回復していたが、なんとなく、ここで別れるのも惜しい気がする。
「すみません」
「はい?」
「まだ、少しふらつくので、部屋まで支えてくれませんか?」
なんとなく誠実な対応をしてくれた人を騙すのは気が引けたが、相手は人妻だ。しかも、夫から冷遇されているという。
一晩位楽しいことをしても罰は当たらないと決めつける。
親切な女性はもちろんと腕を貸してくれた。
酔っぱらった旦那の世話で慣れているのか、腰回りもしっかりと支えてくれる。
女性はこちらを疑うこともなくあっさりと部屋まで付き添い、布団の上に寝転がるまでの手助けまでしてくれた。
こちらに一度断ってから上着を脱がし、ゆっくりと眠れるようにネクタイやボタンまで外してくれる。
「ありがとうございました」
「いいえ、お気になさらないで」
きっと、使用人も居ない下級貴族のご夫人なのだろう。
貴族の娘がこのように他人の世話に慣れているなんて、気の毒だと思ってしまう。
もしも、自分だったら妻に苦労は掛けさせない。
酔っ払って世話をさせるなど以ての外だ。
月明かりに照らされた女性は、日々の生活に疲れたようにも見えた。
特別美しいわけでもない、どこにでも居そうなご婦人だ。
だが、真面目そうな所は好感が持てる。
少しくらい。悪い遊びをしてもいいのではと思ったので、誘いの言葉を掛けた。
「――もう一つ、お願いがあるんです」
「なんでしょう?」
「実は、とても落ち込んでいて」
「え、ええ」
「宜しかったら、慰めてくれませんか?」
「!」
「私にも、欠片ほどの自尊心がありまして、こういうことを知り合いに相談するのは、とても恥ずかしことで……」
「まあ」
両方の目を片手で押さえ、弱りきったふりをする。
もしかしたらお断りをされるかもな、と考えていたが、彼女は想像もしない行動に出た
私の手を握り、頭を撫で始めるという。
「……あ、あの」
「主人が、幼い時にこうしたら落ち着くと言っていて」
「ど、どうも」
――なんだ。幼馴染同士の結婚だったか。
あれだ。どうせ本当は愛し合っているのに、長年の付き合いに甘えて互いに自分のことは言わなくても理解してくれている筈だと思い込んで、そんな感じで日々すれ違っているという、両片思いとかなんとかをしているのだろう!?
「……」
「……」
不思議なことに、よしよしと優しく撫でられている間に荒ぶった気持ちはいつの間にか薄くなっていた。
彼女を抱きたいという下心もなくなっている。
なんという包容力。
これが人妻の力だというのか。
元気になりましたと言えば、「良かったです」と言ってくれた。
「あの」
「はい?」
「後日、お礼をしたいので、お名前を聞かせて頂けますか?」
「先ほどのことは全て忘れますので、お礼なんて不要ですよ。それに、名乗るほどの者ではありませんわ」
「いえいえ、そんなことを言わずに」
後日お礼がしたいと言えば、滅相もないことですと即座にお断りをされてしまった。
このまま別れるのも惜しいと思ってしまった。
なので、しつこく食い下がる。
「お茶だけでも」
「本当に、大したことはしておりませんので」
「どうか、私のことを立てると思って」
布団の上で頭を下げれば、渋々と承諾してくれる。
彼女の都合がいいという日に街の喫茶店で待ち合わせることにした。
◇◇◇
数日後。
待ち合わせの喫茶店に彼女は居た。
結局名前は聞いていない。調べようとも思わなかった。
手土産に花束を持って行けば、初めて花を貰ったと喜んでくれた。
ご婦人の旦那は一体なにをしているのか。こんなにも花を眺めながら嬉しそうにしているのに。
少しだけお茶と会話を楽しみ、近くにあった食事処に行った。
彼女が気を使わないように、高級な店には連れて行かなかった。
出会い頭に自己紹介をしてくれた。
彼女の名前はエミーネ・セレンギル。三十四歳だという。
自分はどうしようかと思ったが、ディン・セネルと名乗った。
家名は義弟から借りた。少し位使ってもいいだろう。
「セネルさん、本日はありがとうございました」
「いえいえ。お礼を言うのはこちらです」
彼女は久々に楽しかったと言う。
一体普段はどんな生活を送っているというのか。旦那に対して怒りを覚えてしまう。
そんなことを考えていたら、自然と次にいつ会えるかと聞いていた。
「あの、会う理由がありませんわ」
「私が会いたいというのは、理由になりませんか?」
「……」
旦那のことを気にしているというのか。
ならば、手法を変える。
「実は、相談に乗って欲しいことがあって」
「まあ、そうでしたの! 私ったら、恥ずかしい勘違いを」
そんな風に言えば、会う約束をしてくれる。
こうして、彼女の良心に付け入る形になったが、仕方がない。彼女は人妻なのだから。
それから何度かエミールと会うことになった。
こちらが弱っている振りをすれば、彼女は毎回励ましてくれた。
今まで旦那しか男を知らないのだろう。
彼女はどこまでの順情で、心優しい女性だった。
何故か、「このあとゆっくり休めるところへ行きませんか?」という提案をする気にはならなかった。
相談があるから会えないかと聞けば、毎回快く誘いに応じてくれた。
そんな逢瀬を重ねているうちに、どんどん話すだけでは物足りなくなる。
「今度、どこか遠出でもしませんか?」
近日中に隣街で祭りがある。
彼女は王都から出たことがないと言っていた。きっと、喜ぶだろうと思って誘った。
泊りがけになるが、彼女がその気にならなかったらそれでいいとも考えている。
少しでも長く一緒に居たいだけだった。
「ご、ごめんなさい」
「え?」
「遠出をすれば、主人が、その、心配をしますので」
「……」
断られるとは思ってもいなかったので、言葉を失う。
「ほ、本当に、申し訳ありません。わ、私――」
エミールははらはらと涙を流し始める。
私はなぜ彼女が泣いているのか分からずに、呆然としてしまった。
「――ほら、だから言っただろう!!」
エミールの背後に突然現れたのは、先ほどまで少し離れた机でお茶を飲んでいた客。
声が若いので二十代前半くらいだろうか。帽子を深く被っているので顔はよく分からない。
「お前は悪い男に騙されていたんだよ!!」
「い、いいえ、そんなことは」
「まだ、信じるというのか!!」
「で、ですが」
「この男の名はこの国に存在しない!! お、お前の体が目当てだったではないか!!」
そう言い捨てて、被っていた帽子を地面に叩きつけた。
そして、顔を上げるとこちらを睨みつつ、人さし指で差しながら怒りを露わにする。
「お前、ただではおかないからな!! 私のエミールを泣かせてからに!!」
「……あれ?」
「なんだ!!」
「いや、アイジール殿下じゃない?」
「ど、どうして私の名を!?」
「いやいや、どうしてって……」
そこまで言ってから気づく。
先日髭を剃ったので容貌が変わっていたことに。
「名乗り遅れました」
そう言いながら、身分証明代わりの魔術研究局の銀飾りを見せた。
「なっ、お前ーー!!」
殿下はよくやく私の正体に気が付いたようで、思いっきり背中を叩かれてしまった。
彼はアイジール・リル・メネメンジオウル。
第一王子の二番目の子供で、確か今年で十九歳だったような。
なんという茶番劇だったのかと額を押さえてしまう。
その前に、謝らないといけないと目の前の女性に頭を下げた。
きちんと名乗り、怪しいものではないと平謝りをした。
彼女は驚いていたが、最終的には許してくれた。
「それで、エミールさん、主人というのはアイジール殿下ですよね?」
「え、ええ。私も、ごめんなさい。騎士をしているということを、黙っていました」
「いや、全然大丈夫なんだけど」
妹も騎士だし。あ、父親もか。
エミールは王族に仕える騎士様で、主人というのは旦那のことではなかったのだ。
今まで真面目に騎士をしていて、異性と出会う機会もなく、独身のままで今の年齢を迎えていたという。
ここ最近綺麗になったエミールを不審に思った殿下が王城で技官をしているという私のことを調べ上げ、そのような者は居ないと発覚したために騙されているのではと指摘をしていたという。
「まさか、エミールの相手が伯従父殿だとは思わなくてな!!」
「いやあ、それは申し訳なかったね。王族だと言えば、こちらのお嬢さんは会ってくれないと思ったから」
「……」
殿下は依然として私をジロリと睨む。
「遊びではないだろうな!?」
「いいえ。遊びではありません」
これだけははっきりと言える。
そんな風に言えば、またエミールが泣き出してしまった。
殿下と二人して、慰めることになる。
◇◇◇
以上が妻との出会いだった。
私は思いがけず、幸せな余生を歩むことになる。
人生とは何があるか分からない。
だから、楽しいのだろう。
『アイディン・イェシルメンの活動報告』 終